無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

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第116話_さらなる世界

--- 闘気の曳光弾 ---

 

森を抜けると、地肌の露出した土色のなだらかな丘が広がった。

後ろから来た馬車が私達を追い越してそこへと向かう。

まだ王都は見えない。

地平の先の丘へと馬車は消えた。

 

朝の光を背に歩く事、数刻。

次第に迫る丘が丘ではないと気付いたのは、家とも呼べない小屋の連なる道に入った頃だった。

ここが、こここそが王都。

あれは城門で。

土色に見えていたのはマリーバードを遥かに凌ぐ高き門と遥か先まで両手を広げる塀。

 

綺麗な街並みの広がるマリーバードとは大違いな門前の通り。

何といってもこの臭い。ゴミ溜めの近くで呼吸すれば、これに近い感覚を味わえる。

それは避難キャンプ生活を想起させた。

露店のような場所では串を刺して売られる肉らしきもの。

羽虫が飛び回り衛生観念は低く、とても食欲はそそられなかった。

 

高い塀の存在理由には今更疑問を感じなかった。

ブエナ村では森に面していた部分に物見櫓が用意されていただけだったものの、マリーバードでは街を囲むように造られた塀を目にしている。

張り巡らされたそれが外敵の侵入を拒む為だと想像がついていたからだ。

しかし、塀の外側で暮らす人々については答えを想像する事も難しい。

こういう場合、ナンシーさんに訊けば判るかもしれないが、如何せん彼女に質問を挟める隙は見つけられない。

かといって他の通行人に話しかけていたら、間違いなく置いて行かれるだろう。

ナンシーさんの足取りにはそれを予感させる空気があった。

だから、見知らぬ街を目前にして迷子になりたくない私はただ黙って彼女の後ろに続いた。

 

ナンシーさんを先頭に門へと滑り込む。

門には歩哨はおらず、身分の確認も行われなかった。

そこではたと昔、父に聞かされた御伽話を思い出す。

旅人が森で迷い、からくも抜け出した先に見つけた街。

それは街に擬態したダンジョンで、門のように見えるのは巨大な魔物の(あぎと)だ、と。

塀も通りの人々も魔物が見せた幻。

気付かず入り込んだ旅人は2度と出てこない。

私達もお話のように、このまま飲み込まれて2度と生きて戻る事はない。

 

私がそう得心し、警告の言葉を前方のナンシーさんに告げようと息を吸い込んだ。

そこでナンシーさんの声が先んじる。

タイミングを見透かしたように。

 

「これはアルスの下級市民街へと入る門。

 まぁ外塀なんだけど、さらに外にスラム街があるからややこしいわよね」

 

聞いてもいないのにそう説明されたことで、私はそれまで感じていた不安や焦燥からの開放よりも別の事に気付く。

きっと私以外にも同じ疑問を持つ者がいるからだろう。

だからナンシーさんは先回りして回答できたのだろう。

 

ナンシーさんの言葉で安心したのか、冷静になれたのか。

自分が歩いている門の分厚さが気になってきた。

師匠の家の門扉や塀とは比べようもない大きさの門の中は、その通路に一日を通して日が差し込まないらしい。

冷んやりとした空気が漂い、靴音が僅かに反響しているのが判る。

そして潜り抜けたその先に待つのは、ぱっと見にはマリーバードと変わり映えのない通りと建物の風景。

しかし見あげた空が少しだけ狭くなった。

そんな気がした。

 

--

 

「ふぁぁあ」

 

欠伸をかみ殺した声。決して私が街並みに驚いて発したのではなく、出口の両脇に立っている男2人の内の一人が上げたのだろう。

歩哨。身に着けている鎧などからして王都の兵士だろうか。

欠伸を終えても未だ眠たげな顔をしている男は脇に槍を立てた形で、もう一人の男は戦斧を中央におろした形で直立している。

私は彼らを眺めるために振り向いて、そのまま足を止めてしまっていた。

 

「何してるの……。

 離れずについてきなさい」

 

声のする方に振り向けばナンシーさんが私の処まで戻ってきていた。

が、その視線は私ではなく後ろの歩哨へと向いたのが分かる。

 

「あら、あなた」

 

声が飛んだのは歩哨の男のどちらかのようだった。

ナンシーさんの知り合いだろうかという予想が頭を掠めたけれど、「俺達に何か?」と槍の男が口にしたのできっと知り合いではないのだろう。

 

「いえ、何でもないわ」とナンシーさんの答えも特段の変哲がないものだった。

ナンシーさんと歩哨のやり取りはそれで終わり。

 

「ぼうっとしていないで行くわよ」とまた先を歩き始めるナンシーさん。

確かに最初にぼうっとしたのは私だ。

でも、ナンシーさんも一瞬、別の意識に囚われていたと思う。

だからあの言い様は少しだけ不条理な気もするけれど……でも、もう歩きだしている彼女に余計な言葉を発してもきっと届かない。

それほどにナンシーさんの歩幅は頑として、諾々とついていくしかなかった。

後ろでは「知り合いか?」という槍の男の声。おそらく斧の男へ問いかけたのだろう。

でも、もう一方の男がするはずの応答の声はついぞ聞こえはしなかった。

 

--

 

さらに1つ、今度のはそれほど分厚くない門を潜る。

そこは中級市民街と呼ばれる区画なのだそうだ。

ここで宿を取ることになった。

荷物を寝台に置き、荷解きよりも先に天井や壁に不審な点がないか確認。

壁が薄くなっていたり、天井の厚みに違いがあるといった、違和感は感じない。

 

「大丈夫だと思います」

 

報告すると「良い心掛けね」とナンシーさんから労いの言葉を頂く。

この検査法は叩いて音の違いから天井、床、壁の異常を知るのだろうけど、"だと思います"と曖昧な報告にした通り自信はない。

今の音を耳にして尚良いと言うのだから、ナンシーさんとしても問題がないと思いたい。

師匠ではないと明言しているナンシーさんにあれこれと訊くのも間違っているし。

だとしても何かもっと工夫できる気がしてならない。

 

 

なんて考えを頭の片隅に残したまま荷解きを終えると、昼食を外で摂る事になった。

旅の間は持ち運べる糧食の関係で朝夕の2食だったから久しぶりの昼食だ。

……羽虫のたかる串焼き肉はご遠慮したいのだけど。

 

そんな願いを抱えながら通りを隔てた場所へと向かうと、入り口から店内の様子を確認。

綺麗に清掃された床、窓辺に置かれた草花から清涼な薫りが匂いたつ。

現れた給仕風の女性がそそくさと近寄ってテーブル席へと案内した。

どうやら羽虫料理は避けられそうだ。

そこでふと、ここが噂のカフェなのだろうか?と遠い記憶を呼び覚ます。

声に出していたらしく「ここはパブ。昼は軽食も出しているけれど」とナンシーさん。

パブとカフェの違いについて詳しく説明はされなかったので少しだけモヤモヤとする。

 

そして食事の終わり際にナンシーさんがお茶を注文。

「シルフィは?」と訊かれたので合わせてホットミルクを頼み、それらがやってくると一口啜る。

カップをテーブルに戻したところで「悪いけど、この後は別行動にしましょう」とナンシーさんは告げた。

私は旅の付き添い、オマケ。

用事を優先して貰うのは当然で、"悪いけど"などと配慮される道理はなかった。

着いた早々の都会で独りになるのは少し心細く、危険を回避するなら宿屋で待つ選択肢がある。

 

「なら食事が終わったら、部屋でお留守番でもしています」

 

私の言葉に首を横に振るナンシーさん。

 

「折角だもの。

 1つ仕事を頼みたいわ」

 

「何をすれば良いのでしょう?」

 

そう言いつつ、私は成り行きに身を委ねる心つもりを既に持っていた。

 

「仕事と言っても難しくはないの。

 この大通り沿いの、店を構えている商売屋さんを覗いて並んでいる物を調査して。

 そうね。丁度、通りを行った先に冒険者ギルドがあるからそこまでで良いわ。

 あとは……冒険者ギルドの中で依頼を見てきて頂戴」

 

「分かりました」

 

「注意事項が2つ。

 脇道に入っては駄目。

 暗くなる前には宿に戻って来る事。

 それとこれ」

 

差し出された小袋をテーブルの上で預かり、結んである紐を緩めて小口を開くと金貨が見えた。

 

「それは前払いのお駄賃。

 欲しい物があるならそれを使うと良いわ」

 

「手持ちなら多少はあります」

 

子守りとお風呂の準備、その他もろもろのお手伝いで稼いだ正真正銘、私のお金がある。

 

「でもアルスは物の値段がブエナ村とは随分と違うから。

 あなたの手持ちでは厳しいわよ?」

 

ブエナ村の道具屋で売っている物は物々交換かお裾分け、近所のお手伝いをすれば手に入り、基本的にお金を必要としない。

お金が必要となるのは商人が外から何かを売りに来て、しかも交換できそうな物が無いときだけだ。

多くの村娘はそういった事を理解していないだろうし、ナンシーさんから見た私はそのグループに属する。

だからその提案は理解できた。

でも昔、初デートで行った商館宿での品々を思い浮かべ、彼が教えてくれた商品と値段の記憶を手繰り寄せれば、自分の手持ちで十分だろうという事も分かるのだ。

そしてブエナ村に立ち寄っただけのナンシーさんはそういった事情を知り得ない。

 

「もし足りないなら稼げるようになってから買いますから。

 前払いは不要です」

 

言葉と共に小袋を返して私は立ち上がった。

 

--

 

大通りに出て露店や店を巡りながら商品とその値段を確認し、ブエナ村で同じ物が売っていればどれくらいの値付けがされていたかを思い出す。

たしかに高い。銅貨2枚くらいだろうと思った物がだいたい大銅貨1枚はする。

だから私は物珍しそうに商品を見るだけで殆ど商品に手を伸ばさない。

すると何人かの商売人が私に声を掛けてきた。

彼らは私に商品を買わせようと言葉巧みに商品の良さを説明する。

何人目だったか、最後まで聞いた私は「高いですね」と思ったことを口にした。

 

失礼な口を利いた自覚はあった。

だけど相手は怒り出す事もなく、意外にも値付けの理由を誇らしげに語り始めたのだ。

曰く、「ウチの商品はそんじょそこらでは出回らない逸品なんだ」

曰く、「王都の物価とそんな辺鄙な場所の物価を比べてもらっちゃぁ困るな。相場が違う」

 

物価、相場。初めて聞く単語。

聞くことで私は学ぶ。知らない事が沢山ある。

 

「商学校で学べばもっと詳しくわかるさ」

 

そういう物らしい。

学校。魔法大学に興味はない。

けれど、商売について学ぶというのは時間とお金に余裕さえあればなんとも面白そうだ。

 

「それでおじいさんはどこの商学校に通っていたんですか?」

 

「お嬢ちゃん興味があるのか?」

 

確かに冒険者の格好で訊くのは不自然かもしれない。

私の質問に驚いたように老年の店主は表情を変えた。

今迄に貼り付いていたのが世間話をするための顔だとすれば、今は別の顔になっている。

何と言ったら良いのか。こちらの素質を見抜こうとするような、射貫くような視線。

そう。剣術や魔術について教えてくれようとするときのナンシーさんのような鋭い目だ。

 

「え?

 ええ、無くはないです」

 

私の誤魔化すような答えに老商人(ろうあきんど)は表情を和らげ、鼻を軽く鳴らす。

 

「学校なんぞ通っとらんよ。

 親父に叩き込まれたから親父が先生じゃったかな」

 

まるで先の事が嘘だったかのような顔だ。

人には学校を勧めておいて、自分は通っていないというのは、何かはぐらかされた気がしてならない。

でも最近は闘気のお陰で観察力が強化されているから、あれが見間違いではないという確信はあった。

かといって質問責めにして利があるとも思えない。

 

「じゃぁ私そろそろ行きますね。

 色々教えて頂いてありがとうございます」

 

愛想よく笑顔でお礼をしてから立ち去ろうとする私。

その腕を老翁が「待った」と言いながら掴んだ。

……避けられない訳ではなかった。

でも折角、色々と教えてもらって躱すのも不義理かもしれない、と掴まんとする手に逆らわなかった。

不味い事になりそうなら振りほどいて逃げられる。けど、きっとその判断はまだ早い。

 

「何でしょう?」

 

掴まれた腕を見ながら、訝しさを多めに混ぜた私の声に老人は笑顔だった。

 

「馬鹿もん。

 世話になったと思ったなら何か買っていけ。

 情報も金じゃ」

 

その笑顔に裏はなさそうに思える。

私は秘めたる訝しさを拭い捨て、安い木彫りの彫刻を選んで買うと肩掛け鞄にしまい込んでその場を後にした。

 

--

 

お店巡りをしながらギルドの場所を訊いて周ったおかげで冒険者ギルドを通りすぎる愚を犯さずに済む。

しかし、時間を喰ったおかげで扉の前に立ったのは陽が傾きかける頃合い。

外観はマリーバードのギルドとそう大差がない。

これなら余り気負わずに入れると自分を励まして、入り口のスイングドアを抜ける。

入り口と4つある窓から差し込む日差しが乳白色の壁面に反射して、彩られた暖かな空間。

幾人かの冒険者が座るテーブルと椅子のセット、受付台と従事する女性、受付嬢へカウンター越しに話しかけている冒険者。

依頼用のビラが貼り付けられた掲示板と奥には上下階へと続く道がみえる。

混みあっていない室内はのんびりとした空気、私がイメージする冒険者の住処とはかけ離れている。

 

誰に咎められる事もなく、私は掲示板の前へと赴いた。

最初に目にしたのはFランクの依頼書。

アルス市内のどこそこから顧客の元まで商品を運んでくれという、いわゆる"商品配達"の依頼だ。

視線を動かすと、そこからしばらくはFランクの依頼が続く。

店の手伝いとか煙突や炊事場の掃除をする依頼が何件か。

同じ配達の仕事でも他の町へと運ぶものはEランクに、輸送隊の護衛依頼となるとDランクとなるらしい。

あと目についたものだと下水道の点検依頼がEランク、ペットの捜索はDランクになっている。

下水道がどんなものかは判らないのでどうしてEランクなのかは判らないけれど、ペットの捜索がDランクな理由は判る気がする。

これが、"この辺りを捜索してくれ"というものならおそらくFランクの依頼になる。

言われた通り指定の地域を捜索すれば終わりだから。

けど捜索依頼ならそれでは足りない。

何かの手掛かりから地域を絞って捜索するか、しらみつぶしに捜索するか。

それを見つかるまで続けなくてはいけない。

作業量が未知数で、発見できなければ失敗の可能性も結構高い。

だからDランク。

ナンシーさんに報告するときの事を考えて、私はそういった事を頭の中に叩き込んだ。

 

 

それから掲示板の隣、欄外の場所に大きな紙片が貼られているのを発見する。

私はそれが何かよく知っていた。

あれはフィットア領の行方不明者リストだ。

白い光については判っていないそうだけれど、発生後10日を過ぎた頃からぽつぽつと光となって消えたはずの人々がフィットア領周辺に用意された避難キャンプに現れ始めた。

彼らは光に包まれた後、気が付けば一瞬前とは全く別の場所に居たと一様に証言した。

それが迷宮にある転移罠に近い現象であるため、彼らを転移者、転じて災害を「転移災害」と呼ぶようになった。

けれど光に包まれて消えた建築物や植物、飼っていた馬が発見されたという報告はまだ無く、人だけが転移するという点は転移罠の性質とは異なっているし、この半年の内に赤竜山脈の向う側に位置するシーローンや王竜王国といった遠方へ転移し、帰還した者もいるために安直に転移と呼ばず「魔力災害」と呼ぶ向きもある。

もし人の居ない場所――海や山や砂漠、それに空の上――に転移した人もいるのだとしたら、未だ帰還できていない人の生存確率は厳しいものと考えられている。

それでも領主様は私財をなげうって冒険者ギルドに転移者の捜索を依頼した。

だから、ここにも張り紙がされている。

マリーバードにこれが貼ってあったかは定かではないけれど、私はそういった事情を避難キャンプでの噂話から聞き知っていた。

そういう意味でも今日の自分は前回より余裕があるのかもしれなかった。

 

--

 

さてと。

頼まれごとも終わったので建物を出て行こうと出口に向かう。

その矢先、「っとそろそろいかねぇと」という声が室内に響く。

後頭部の方から聞こえたということは、部屋の奥側。

受付カウンターで話していた冒険者のモノだろう。

 

「あら、これからお仕事なんですか?」

 

「まぁ野暮用ってところさ」

 

そんな会話を終えた細身の剣士風の男が、私の横を追い抜いて外へと出ていく。

その一連の光景を、足を留めてみていた。

2枚のスイング板がバラバラに動いて止まるまで。

彼が気になったという事もないし、受付の人との会話に引っ掛かりを覚えた訳でもない。

ただ出口付近でぶつかってしまわないように、出ていくタイミングを見計らっただけ。

けれども……まるで1枚の板のようになったスイング板を見て私の足は動かなくなった。

何と言うか得も言われぬ想いが湧いて来る。

片方が私で、もう片方がナンシーさん。

板と重なるイメージは一瞬。

 

そう。

そういう事か。

直観がイメージに、イメージが矛盾を示す。

頭に光明が射すかのように。

でもまだ雲は完全には晴れない。

 

私は外へと行くのを取りやめてギルド内の空いている1組のテーブルセットを占拠する。

椅子の背にもたれて天井を仰ぐと、高い天井に貼られた板までが乳白色に塗布されていた。

顔を戻して一呼吸。

記憶を整理する。

 

そもそもは何だったか。

師匠から卒業を告げられて、実戦経験を積むためにと私は村を出ようと決心した。

またお父さんは「見聞を広めてくるように」と願った。

おかげでブエナ村での生活で体験できなかった多くの事に出会った。

マリーバードでは早々に実践の機会も巡ってきた。

今この瞬間もその1つになるだろう。

でも、師匠もお父さんも私が「一人では心配」で、ナンシーさんに付いて行くようにと願った。

その危惧は実際に危ない局面に遭遇したのもあって正しいと実感できている。

良い体験ではなかった。けれどそれすらも見聞の1つと考えれば、だからこそ体験しておいて損ではないという気持ちにもなれる。

でもだ。

その結果、私は今すぐに冒険者の依頼を受けようという気持ちになれない。

冒険者の依頼を受ければ、きっとまた別の見聞を広める事になると思うのに。

これは大いなる矛盾だ。

 

なぜそんな事になってしまったのか。

答えは直ぐに出た。

それはパブでお昼を摂った後のナンシーさんと別行動をするとなった際、咄嗟に予定を思い描けず『もしギルドに行くのなら』と場所を教わったからだ。

ナンシーさんにも都合がある。それは私を連れて行くのが憚られる用事らしい。

となると「王都アルスでは別行動」せざるを得ず、私は王都で右も左も分からぬまま活動しなくてはならない。

それは「一人で心配」という懸念そのもの。

矛盾している、こと此処に至って矛盾している気がする。

けど……。

いや矛盾はしていないのではないか。

そもそもナンシーさんは私に「冒険の依頼を受けろ」とは言ってないし、私も依頼を受けるつもりがないのだから。

ただ当初の目的に立ち返ると王都で一人、無為に過ごすのは間違っているのも確かだ。

何か見聞を広められる活動をするべきだ。

 

なるほど。

私はこれからの予定を自分で考えなくちゃいけない。

その上でナンシーさんが私にさせておきたい事が、もしあるのなら話し合って調整しよう。

だからナンシーさんの都合も確認しよう。

迷惑かもしれないけど、態々旅に連れて来てくれた人だ。

もう少しだけ付き合ってもらおう。

頭の中を整理しきり、今日はもう帰ろうと判断して席を立つ。

建物に居た人は誰一人として私を気にした様子はなかった。

 

来た道を帰りながら追手が居ないかを確認し、それから適当な路地に足を踏み入れる。

「脇道に入るな」というナンシーさんの警告を忘れた訳ではない。

これも矛盾するようだけれど、宿屋に怪しい人物が付いて来るのも困るという考えがあっての行動だ。

「脇道に入るな」という言葉は「脇道が危険だ」と指摘しているに過ぎない。

なぜ危険かと言えば、恐らく「人の目が少ないせいで非合法的な活動をする人が居る」から。

ならばと壁に手を当てて周囲へと闘気の網を伸ばし、通路に人が居るかを確認する。

無人の通路なら文句はないはず。

そんな本当の意味で人気(ひとけ)のない路地を見つけ、大通りからの視線が通らない場所まで辿り着くと狭い路地の壁面をジグザグに蹴って屋上へと駆け登った。

屋根上から通路を覗き見る限り、追跡者はいない。

 

 

宿に戻ってくると、すっかり陽が落ちていた。

気配の感じられない無人の部屋は、薄暗がりで見通せない。

外からの夕陽の欠片が窓から差し込んでいるけれど、そのせいか陰となっている場所は一層の闇で覆われている。

ナンシーさんは出かけたままのようだ。

 

部屋に備えられたロウソク立ての内、一番近い物を手探りで探し当て魔術で灯りをつける。

その灯りによって明らかになった他のロウソク立てにも、その場から灯りをつける。

2つ目のロウソクが灯るとき僅かにボッという音がなる。

威力の設定が甘いんだ。

そう理解して、3つ目のロウソクに向けた魔力の練り方を変え、威力を抑える。

3つ目には1つ目と同じく静かに灯りが付いた。

 

靴を脱ぎ、ベッドの上へと突っ伏しながら今の工夫を反芻する。

室内において火の魔術を手元で作って飛ばすのは火事の元。

だから、以前にナンシーさんが火の魔術を焚火代わりにして維持する技を応用し、ロウソクの頂点を一瞬で見定めて、その座標に直接魔術を展開してみた。

威力の制御が甘かったが、すぐに調整が出来たのは満足な結果だ。

 

……

…………いけないいけない。

小さな成功に満足している場合ではなかった。

慌てて寝ころんだ体を起こす。

ナンシーさんが戻って来る前に、今日の反省を。

帰り路で考えた通り、王都での過ごし方を決めよう。

分岐点となるのは、ナンシーさんが王都にどれくらい滞在するか。

これはナンシーさんに聞くとして。

もし王都滞在が長いなら、トラブルに巻き込まれないよう単独行動は避ける。

ナンシーさんの用事が終り次第2人で活動する。

逆に王都滞在が短いなら、無為に過ごすのは避けたい。

だから多少のトラブルに巻き込まれるのを覚悟して単独行動する。

今日の話からして、前者であってもナンシーさんは私に単独行動を勧めるかもしれない。

その場合は、ナンシーさんの意図を知ってから行動を決める。

今日はそれが足りなかった。

そして後者なら、トラブルに巻き込まれる確率を減らす努力をすべきだ。

ナンシーさんの警句から考えれば、王都の路地裏は治安の悪い場所の1つなのだろう。

他にも危険地帯はあるのかもしれない。

それを学び、不用意に近づかない。

どうしても近寄らなければいけない場合は闘気を使って必ず安全を確保しよう。

 

話はまとまった。

ナンシーさんの教えに従って3つの提案を用意する。

先程の方針を案にまとめてみる。

第1案は単独行動しない案。ナンシーさんが居ない間は宿屋で闘気や魔術の鍛錬に励む。

第2案は単独行動する案。行先と安全対策についてナンシーさんと確認。トラブルに巻き込まれた際の手順も用意する。

第3案は……どうしよう。思いつかない。

まぁいいか。思い付かなかったらナンシーさんの提案を受ければ良いだけだ。

そうすればナンシーさんの意図もより知れるはずだ。

 

--

 

「遅くなったわね」と言いながら、ナンシーさんがようやく帰って来る。

ナンシーさんは遅くなった理由をあれこれ話したりはしなかった。

代わりに「お腹、空いたでしょう」と私を夕食へ連れだした。

場所は昼間と同じ向かいのパブだ。

私はカフェにも行きたいと思っていたので、ちらとそちらに視線を送る。

それに気付いたナンシーさんは、

 

「夜はパブの時間と相場は決まっているの」

 

と私の物いわぬ意見表明をすげなく却下した。

 

 

ランタンで彩られ昼のように明るい店内には何組もの先客が食事を始めている。

私達も空いている席に着き、店先に立てかけられた札に板書されていた献立の中から店長のイチオシを注文する。

注文が届くまでの暫くの間に今日の首尾について話し合い、それが終わる絶妙な頃合いに食事がテーブルへと並べられた。

私は食事を摂りながら先程の考えを説明する。

私の話を聞き終えると、ナンシーさんは「3つ目の提案の前に」と前置きして話し始めた。

 

ナンシーさんは『危険な場所』について語った。

王都には5つの区画がある。

私達が今いるのは中級市民街だというのは街に入った時にも聞いた。

そして区画が中心に向かうにつれて治安は良くなるので、アルスの中で中級市民街は比較的安全な部類に入るのだそうだ。

ならば内側の区画で行動すれば良いのかと考えていると、むしろここより内側の区画に入ってはいけないとナンシーさんは語った。

それは力の質が違うから。

どんなに魔術に秀でていても、どんなに闘気を上手く扱えても倒せない物がこの世にはあるのだという。

私にはそれが一体どんなものか、具体的には良く判らなかった。

ただ、言葉で説明して理解できる類いの物ならナンシーさんは説明してくれたはずだという信頼だけがあった。

代わりに私は別の話を確認すべきと思った。

純粋な力の問題で私達以外には無害だけど私達にとっては有害な人達に関するもの。

それはつまり、

 

「師匠を傷つけたあの人達に出会ってしまったらどうしましょう?」

 

という話だ。

ナンシーさんは小さく何度か頷いてから

 

「確かに彼らが王都に居るとしたら、気を付けるべきね」

 

と同意する。

 

「ですよね」

 

と私も繰り返して話の先を求める。

すると、

 

「この前の続きにはならなくとも追いかけられる可能性はあるわね」

 

とナンシーさん。

この言葉に私は疑問を感じた。

宿が露見して頃合いをみた彼らが夜半に襲撃をかける可能性を私は否定できない。

でもナンシーさんには何らかの確信があるように見える。

私にはそれが判らない。

そしてこれもまた、私に説明できるのならばナンシーさんはこんな思わせぶりな言動をしないと判っていた。

だから疑問をぶつけてしまっては、話の腰を折るばかりだ。

そこまで考えた私はナンシーさんの話に沿って違う疑問で相槌とした。

 

「複数人にしつこく追われたらどうしましょうか」

 

私の言葉に「そうね」とナンシーさんが考える素振りを見せる。

それから、

 

「宿に戻れないなら水神流の道場に行きなさい。

 1つ内側の騎士区画にあるわ」

 

と指示。

 

私はその状況を空想する。

あの時の男たちが街角から私を見ている。

私は気付きつつも、まるで気付かぬように通りを歩いて行く。

そうして何食わぬ顔で私が道場に入ったのを確認して、彼らも道場の敷居をまたいだ。

そして起こるいざこざに巻き込まれていく、道場の人々。

 

「無関係な人を巻き込むのはちょっと」

 

それで誰かが死んでしまったら寝覚めが悪い。

そういった私の意図を分かっているかのように、ナンシーさんは肩を竦める。

 

「シルフィが相手を殺すと決断したのなら、別の道もあるのだけど」

 

ナンシーさんの言いたい事は良く判った。

相手をねじ伏せる圧倒的な強さを得るか、もしくは殺そうとしてくる相手を殺す覚悟が必要なのだ。

闘気を覚えても、使いこなし、工夫を凝らし、実践を経なければそうとは言えない。

そんな事は判っている。

私が黙っている内にナンシーさんは言葉を付け足す。

 

「それに剣に生きる者は、いつか剣で斃れるとわきまえている。

 あなたより道場生の方がよっぽどそれを理解しているはずよ」

 

どうやら私には道場に逃げ込む以外、道はないらしい。

反論は無意味と悟り、スープを一口。

一方のナンシーさんはそのまま、じっと私を見ていた。

 

「あの……前置きは終りでしたら」

 

私はそう言いかけたところで思い出すようにナンシーさんは口を開く。

 

「あぁそうだった。

 3つ目の案の話だったわね」

 

私は1つ頷く。

 

「そうねぇ。

 3つの案を起案出来なかった理由は簡単。

 軸が足りないのね」

 

ナンシーさんはそれで判るでしょう?という雰囲気だ。

軸?

良く判らない。

私が答えに窮すると、ナンシーさんは言葉を足した。

 

「要素と言っても良いのだけど、あなたの案は単独行動という軸があって、それをするかしないかで出来ている。

 それでは案が2つに絞られるでしょう?」

 

つまり要素を増やせ、という事だろうか。

 

「要素を増やすにはどうしたら良いのでしょう?」

 

私の言葉にナンシーさんは少し怖い顔を作ってみせる。

 

「シルフィ、あなたの旅の目的って?」

 

そう言ったナンシーさんは私の質問を無視した形だ。

でも、これも私の質問に対する間接的な回答なのだろうと理解して頭を切り替える。

 

「できるだけ安全に王都で見聞を広めたい。

 それが目的です」

 

「見聞を広めて、それでどうするの?」

 

「いつか村を出たときに困らないようにします」

 

「そうよね。

 いつか村を出て、何に困るのかしら?」

 

何に困るか。

今の私にはピンと来ないだろうと言ったお父さんの顔を思い出す。

そして、いつかは判る時が来るだろうとも。

でもそれはきっと見聞を広めれば解決できるような事だろう。

自信は全くないので口にはしないけれど。

答えない私に、

 

「王都であなたが手に入れるべきはその答えよ」

 

と、ナンシーさんは優しく語り掛ける。

私の旅の目的は、"いつか村を出た時に何に困るのか?"を理解できるようになるための想像力を得る事らしい。

そしてそれはおそらく、見聞を広める事で実感として理解できるものなのだろう。

では、この危険があるかもしれない王都でそれをどう体験すれば良いのだろうか。

判らない。

判らないけど、それは自分で決めるしかないのかもしれない。

だから、

 

「分かりました。

 その方向で新しい要素を考えてみます」

 

と話を打ち切る。

私は3つの案に必要な新たな要素について、考えに耽りながら食事を進めた。

そうして私が全てを食べ終えたとき、まだナンシーさんは何かを考えたままでいた。

 

「何か気掛かりでも?」

 

いつまでも動き出さないナンシーさんに私がそう声を掛ける。

声が聞こえなかったのかナンシーさんは微動だにしない。

もしかして、何かナンシーさんの意識を占有するモノがいるのかもしれない。

そう考えて私は周囲に少し注意を払った。

ざっと周りに視線を投げかけても怪しい人物は見当たらない。

どういうことかと考えながら、ナンシーさんの方へと顔を戻す。

そこでナンシーさんは「ねぇシルフィ」と意識を戻した。

 

「安全対策の話が少し引っ掛かったのだけど」

 

とナンシーさん。

おかしな点があっただろうか。

 

「闘気を使って気配を感知したとか」

 

「何となく出来ると思っただけですけど」

 

「今はやらなかったのよね」

 

「はい。

 ここは視線が通りますから」

 

「そう。

 で、その技はどれくらいの精度があるの?」

 

「精度、ですか?」

 

「技の精度、信頼性って大事なものよ。

 使用者の落ち度と相手の技量の両方によって見落としてしまうというケースはあると思うのよね。

 だから精度を理解しなくてはいけない。

 あと、なぜ感覚で出来ると思ったのか。

 それも考えておく必要があるわ」

 

1つ頷き、頭の中に言われた事を刻む。

精度、信頼性を理解するための検証。

そこでふと思った。

そもそもこの技はナンシーさんの壁や天井を叩いて音で判断する方法が、自分にとって不確かなものだという感覚から生まれている。

私が間違っているのか。

それともナンシーさんが間違っているのか。

 

――『あなたの答えは正しくて、でも間違ってもいる』

 

以前のナンシーさんの言葉が脳裏に甦ると同時、背中を火が走ったような衝撃を受ける。

衝撃が収まるにつれ、頭の中の疑問は整理されていく。

そう。私が感じた不確かさは、当然の事なのだ。

ナンシーさんもあの方法を思いついた時点では同様に不確かだったに違いない。

けれども、私のように不確かだからと言ってその技に見切りを付けず、納得いくまで精度と信頼性を検証した。

もしかしたら、その過程で最初に思いついたやり方に工夫を加えて今の形になっているのかもしれない。

そうして普段使いができる技に昇華させた。

 

その技をマリーバードでナンシーさんは私に見せた。

彼女は感覚派の限界を説く人であり、基礎や基礎に繋がる仮定を大事にする人だ。

そんな人が感覚的な技を使って見せた意味。

もし不確かな技だと感じたなら?

私には3つの選択肢があった気がした。

不確かな技はおかしいと指摘するのが第一。

感覚から基礎理論を見出し、議論するのが第二。

基礎理論を検証し、精度や信頼性を評価するのが第三。

それらはナンシーさんが期待していた反応だったかもしれない。

 

でも私はそれに気づかず、第四として別の技を編み出した。

感覚的に新たに技を生み出す事は別段凄い事ではない。

ナンシーさんの態度からもそれは明らかだ。

だからこそナンシーさんは検証を求めた。

検証には基礎理論が必要だ。

基礎理論を立て、必要なら仮定から予想し、予想通りかどうか検証する。

その結果で精度と信頼性を評価する。

 

ナンシーさんはそんな事をおくびにも出さず、

 

「宜しい。

 あぁそれから、その技。

 大事な技になると思うから、おいそれと他人に教えては駄目」

 

と私の頷きに忠告を付け足した。

別に口外するつもりはない。

だから、なぜ今のように厳命するのかが判らなかった。

私の疑問を察したのか。

 

「マリーバードで私のオリジナルマジックに驚いていたでしょう?」

 

とナンシーさんは言葉を継ぎ足す。

独自技、秘技。

そういった物は秘密にしておいた方が良い、と合点がいく。

しかしそこで新たな疑問が1つ。

 

「ならどうして」

 

ナンシーさんは私にあの魔術の内実を教えたのだろう。

それは彼も。

一体、どうして?

 

「さぁ。

 どうしてかしらね」

 

私の心を見透かす言葉。

なのだろうか。

冷めたスープと向き合うナンシーさんの表情から意図を読み取れはしなかった。

 

--

 

その夜、久しぶりのベッドは長旅の疲れを癒そうと誘惑する魔物じみていた。

魔力を十分に消費しきった体。

ブエナ村のどの家とて体験できない寝具の寝心地。

けれども一向に眠りへの誘いは訪れない。

 

理由は言葉にしない。

言葉にすれば考えてしまうから。

だから早く眠れてしまえばいい。

そう願って既に何刻(なんどき)が経っただろう。

夜半を優に越え、ことここに至り私は眠る事を諦めて別の事を考え出す。

 

気配感知に関する宿題。

闘気を体外に放出し、周囲の気配を感知できると理解したのは直感でしかない。

つまり明確な理由はない、と結論は出ている。

もし自分だけならそれ以上に考える事はなかった。

でもナンシーさんに言われてみて、状況をひっくり返す気になった。

眠れないし。

 

一先ず突破口が欲しい。

気配感知は周辺状況を把握するための1つの手段で、それを闘気で行う発想は自然な事だ。

でもナンシーさん曰く、それは自然ではなく特異なのだそうだ。

私には実感がないけれど、でもナンシーさんが言うならとも思う。

そこで気が付く。

私は魔術の後に闘気を覚えた希少な剣士。

だからこそ闘気で周囲を感知するという事を思い付けたのかもしれない。

そもそも私は魔術で出来る事は魔術でする。

師匠が私に水神流を教えたのも関係あるかもしれない。

師匠自身は三流派全てを使いこなすのに、私にはそれだけを教えた。

性格面を考慮したのか、それとも上級の攻撃魔術が使えるからか、その両方か。

いやどちらでもない。

師匠は単に身を守るための術として剣を教えたかったのだろう。

まぁ兎に角、私は戦闘において攻撃には魔術を、防御には魔術と剣術を使うことにしている。

つまり私は剣術/闘気を防御のため、もしくは魔術で出来ない事を補完するために使う。

 

そういう思考回路だから、私はまず魔術で気配を感知しようと考えた。

手持ちの魔術で一番有用なのは、結界魔術『域内探査(ルームコンパス)』だ。

この魔術は探索対象物を指定することにより魔術が同定した物の位置を方向で教えてくれる。

だけどこれは特定の何か、誰かを探す魔術でしかなく、自分に対して意識を向けている者や見えない位置に隠れている存在を感知できない。

だから私はそれを闘気で感知しようとした。

 

筋は通る。

けど消去法で選んだというのは私の直感と合致しない。

むしろ私は闘気なら感知できると積極的に感じていたはず。

なぜ?

もっと違う理由、もっとしっくりくる理由が欲しい。

たとえばマリーバードからこっち闘気を使って周辺の警戒をしていたから……とか?

そう、警戒の中に感知の工程が含まれている。

警戒という作業を闘気でやってきた私にとって、闘気で感知するのは何も不思議ではない。

うん。動機はこっちの方が近い。

 

次の問題は……やろうとしてそれが出来てしまった事。

ナンシーさんがあのように確認したので私は自分のやった事のまずさに気づく事ができた。

そうして思い出すのはナンシーさんの言動の1つだ。

師匠のような才能のある者がどこかで行き詰ってしまう理由について彼女は語っている。

――『基本』を飛び越えて応用的な部分が出来てしまうと、どうしても『基本』を研究する考えに戻れない、と。

 

ならば闘気を伸長し、その先にある物を感知する理屈を解明しなければいけない。

そもそも私は、闘気とは体内で作って留めたままにしたり、気穴から染み出させて体表面に纏わせるモノだと習った。

応用的には手に持った剣に纏わせる事もできると教わった。

これを剣士は当たり前にこなすとも。

師匠が剣で岩を斬るのはこれを無意識に行っているからだとナンシーさんも言っていたし。

だけど、闘気と魔術は同じ魔力――ナンシーさん流の言い回しをするのなら、同じ『気』――を使った技だと説明を受けていて、その違いは体内に留めるか体外に放出するかで決まる、のだと。

だから、私が闘気を体外に伸ばそうとしたのは習った範疇外にある。

いや、そうだとするのならそもそもの説明に矛盾がある。

 

だって闘気で剣を纏う時、気穴を通じて闘気は"体外"に出ている。

その説明は、体内に留めるか体外に放出するかで闘気と魔術を区別するのと矛盾する。

この事実から私は察する。

むしろ闘気と魔術を区別する事自体が無意味なのだ、と。

だって原料は同じ『気』であり、特定の流れによって魔術、特定の練り方で固めれば闘気となるのだ。

流れと練り方。

魔術における重ね掛けや凝縮の操作と『気』を固める闘気の操作。

それらはとても似ている。

言葉上の対比でなく、私の実体験としてそれはある。

 

だとすると、ナンシーさんの「身体を強化する魔術の詠唱があったなら」という仮定は面白い事実となる。

詠唱が失われているだけで実は身体機能を強化する魔術はあると考えた方が綺麗に整理できるのだ。

闘気は体験に依っていて学びにくい。

対して詠唱するだけの魔術は学びやすい。

魔術を無詠唱で使えば限りなく闘気と扱いは同じになる。

『気』の体内操作、そこから練り方を覚える事。

ナンシーさんは魔術を学んでから闘気を覚える大変さを語っていたけれど、もし身体強化魔術さえ残っていれば全ては逆転するはずだ。

魔術とは闘気を扱うための補助具だったのかもしれない。

 

いつしか私は答えのでない迷路へと迷い込み、魔術と闘気の類似性をあれもこれもと思い浮かべていた。

それは楽しい作業ではあったが、夜明けまでこのままでいる気はないので短い時間で自制した。

闘気と魔術は区別する事に意味がなく、本来同一の技だとするのなら体外へ放出するのはおかしなことではない。

本当にそうなのか、はたまた違うとしても、私はその2つを同一の物として操作可能な剣士兼魔術師だ。

だからこそ魔術の代わりに闘気を肉体から離して操作できる。

今はそれだけが判っていれば良い。

あと必要なのは闘気を触覚として機能させる理屈だ。

 

基礎から考えてみよう。

闘気による身体強化とは筋力だけの強化に留まらない。

いや正確な表現として、闘気を特殊な形で練る事で筋力だけを強化する事も恐らくできる。

しかし、その強化が許容範囲を越えれば骨は軋み、腱は断裂し、血管が破裂する。

だから闘気は肉体の耐久力をも強化していると判る。

また、肉体の一部、――例えば足だけ――を強化すると、自分ですら認識できない速度で荒野を走り抜ける事になるし、街中ならば壁に激突して命を落とす事になる。

つまり何が言いたいかというと、闘気を全身に纏う事で動体視力や嗅覚、聴覚といった周囲を把握するための認識力が強化できる。

もしかすると認識力だけを強化する部位があるのかもしれないけれど、部分強化は危険な行為。

試す気にはなれない。

 

一度、ベッドの中で横になったまま頭を振る。

 

こう考える事はできるだろうか。

たとえば暗闇の中で森を歩くなら、人は前方に障害物があるか確認しようと手を伸ばすだろう。

これは人に本来備わっている触覚を使った認識力。

闘気による強化でこの認識力を強化するなら、どうなる?

質的な強化なら、より具体的に手で触れた物の状態を知る事ができるようになる。

そして距離的な強化なら……手が届いていない部分にある物を感知できるようになる。

 

そこまで考えて笑みがこぼれる。

仮説が出来たのはもちろん嬉しいけれど、それよりも別の事に気付いたから。

私の頭の中では、右手の無い男が見えていた。

師匠だ。

師匠が敵と戦っている。

相手はあいつだ。

片手の師匠は分が悪い。

追い込まれ、そして剣を落としてしまう。

 

――剣士が自分の限界より速く動こうとする。

――剣士が斬れない物を斬ろうとする。

――そのとき剣士は闘気を手に入れる。

ナンシーさんの声が響く。

 

師匠が慌てて右腕を剣へと伸ばす。

その腕の肘から先はなく剣を拾えるはずもないのに。

だが師匠は無い筈の右手で剣を動かすのだ。

そのとき師匠も闘気を手に入れるんだ。

 




次回予告
歴史と言う名の時の流れし跡。
知らずとも日々を生きていく事は可能としても、分業と抽象化の末に形成された高度社会で、文化的でありたいのなら。
知的好奇心の対象として歴史は最適。

次回『由緒』
歴史を咀嚼せよ。

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