無職転生if ―強くてNew Game― 作:green-tea
--- 知識のポートフォリオ ---
旅に出て13日目。
前日の襲撃のせいで徹夜明けのまま私はナンシーさんの背に続いた。
街の郊外へと続く馬車道を歩くにつれ、このまま眠らずに今日の分の旅程を踏破するのかもしれない、という嫌な考えが頭に浮かぶ。
自分はナンシーさんの付き添いで旅の決定権を持っていないから、そうだとしても付き従うしかない。
でも、それは余りにも辛い。
ナンシーさんは道沿いを暫く進み、それからフィットア領の時と同じように道を外れて草原地帯へと踏み入った。
こっちの方が近道だからだろう、やっぱり予定通り歩くのかと諦めたのも束の間。
ナンシーさんが立ち止まって辺りを見回す。
そうして振り向くと、
「休憩にするわ。
眠いからといって宿泊設備は用意しないように。
目立ちたくないから焚火と椅子の用意をして待っていなさい」
寝不足な頭に声が染みる。
それはつまり、少し休めるという事。
道端で眠ってしまうのは危険かもだけど。
「はい。
でもナンシーさんはどこに?」
「マリーバードに戻って買い出しをしてくるわ。
もう携行食が少ないから」
理解を示すために頷く。
ナンシーさんは宣言通りに街へと引き返して行く。
疲れを感じさせないしっかりとした足取りは私とは大違いだ。
帰りを待つことしばし。
「戻ったわよ」と買い物袋を抱えたナンシーさんが現れる迄に、実は2回程意識を失っていた。
その声に反応して「あ……おかえりなさいナンシーさん」と声を出せたのはうつらうつらしていた意識の中に在ってさえ、何者かの気配を感じたからに他ならない。だが、それはナンシーさんの気配だったのだろうか。
わからない。本当は危険だったかもしれない。
だけど……。
「番は引き継ぐから少し眠りなさい」
「はい」と返事が出来たかどうかも分からぬ内に私は眠りへと落ちた。
--
目が覚めたのは太陽の光が四角い見張り用の隙間から長細く伸び、色も赤く染まる頃。
気が付くと自分の寝ていた場所は『土壁』で造った簡易宿泊施設の中だった。
おそらく夜を前にしてナンシーさんが造ったのだろう。
そしてその本人は視界の中に居ない。
彼女が居ないからだろうか。寝る直前の事が夢のように感じられた。
あれは本当にあった事なのだろうか。
ふわふわとした意識を振り払うために一度「んぐぅー」という声を出しながら伸びをして身体の感覚が覚醒していくのを感じる。
それから漸く建物を這い出すと、石の椅子に腰かけながらお茶を飲んでいるナンシーさんを視界に収めた。
ぼんやりとマリーバードの方を見ていた彼女が何を考えていたのかは分からない。
徹夜明けのままでも凛々しい姿はまさしく大人な女性だった。
彼女と自分の違いが鮮明になったようで恥ずかしくなる。
そんなナンシーさんが座ったまま顔をこちらに向けて「あら、おはよう」と声を掛けてくれる。
その声に私も「おはようございます」と返した。
「もう夕方だけれどね」とほほ笑む旅の相方。
彼女の座っている椅子の足元には焚火があって木の燃える匂いがほのかに漂う。
どうやらこれは魔術ではなく、拾って来た薪を燃やしているらしい。
フィットア領を抜けたこの辺りには小さな雑木林が点在しているし、やや遠くには木材を街に供給する森がある。
恐らくそのどこからか拾って来た物に違いない。
自分も焚火を挟んでナンシーさんの向かい側に土魔術で椅子を造り、腰を下ろす。
「すみません。
寝すぎてしまったみたいで」
私の謝罪にナンシーさんは目線を遠くの街へと見据えたまま「良いのよ」と答えた。
私も一度、街の方を見遣る。
街を守るための壁と馬車道を吸い込むように造られた門を見る事は出来ないが、ふいに1つの疑問が浮かぶ。
「聞いても良いですか?」
ナンシーさんはコップを少しだけ持ち上げて話を進めるように促した。
「マリーバードには他にも宿があったんですよね」
「ええ」
「どうしてそちらに向かわなかったんですか?
そうすれば交代で番をする必要も無かったと思いますけれど」
私の質問に答えるためだろう。
ナンシーさんは椅子の脇に無詠唱の土魔術を応用してサイドテーブルを造り、そこに飲みかけのカップを置く。
それから彼女は頬に手を当てて話し始めた。
「事件が"本当に"解決したのか。
それを知る事ができなかったからよ」
アンクードと名乗った剣士は夜中の内に全員捕らえたと言っていた。
それが本当なら事件は解決したはずだ。
「あの人達が嘘を吐いたということでしょうか?
報酬を支払ったギルドとしても、事件が未解決ではまずいのでは?」
「そうね。
彼らは嘘を吐いてないかもしれない。
でも安心できるほどの確証にはならないわ」
「ナンシーさんは彼らも受付の男と同じ内通者の可能性があると?」
「どうかしら。
ギルド自体が怪しいと思うのよね」
そんな可能性が微塵にでもあるとしたら大変な事件な気がする。
「もしそうでなくても、盗賊を一網打尽にしたと思っているだけかもしれない。
私たちは襲撃を受けただけで誘拐組織の大きさも何も分かっていない。
内偵していたという2人以外にどれだけの協力員がいて、今回の事件に対処したのかも知らないのよ」
確かにそうだ。
可能性が残っている以上、ナンシーさんの判断は合理的だと思えた。
そう頭の中で考えている内にナンシーさんの言葉は続く。
「出会った事件を悉く解決する、なんて義理はない。
こういう面倒事に一々付き合うと、トラブルに愛される体質になってしまうから注意なさい」
「はい」
トラブルに愛される体質とはどういう物なのか、ピンと来なかったけれど今回のように振り回されるのは御免だ。
「そうならないためには、何でもかんでも起こった事件を解決して周らない事ね。
被害を被りそうなところだけ対処して、事件の解決の義務がなければさっさと立ち去るべきよ」
「納得できます」
「でも殺すことに関しては納得できてないようね」
「……はい」
話の舵が大きく切られて、返事は鈍くなってしまった。
確かに昨晩、私は襲撃者を殺さなかった。
ブエナ村では死にそうになった。師匠も片腕を失って。
お父さんは私に『人殺しをさせたかった訳じゃない』と言ってくれたけど、でも私は日々の訓練が皆を守るためにあると伝えている。
それは同格の相手が私を殺そうとするのなら相手を殺さなければいけない、と言ったも同然だ。
「あなたが強くあり続けるのならそれで構わないの。
でもあなたより強い者はこの世界に両手で収まらない程に存在している。
もし彼らが害意を抱いて近づいたならあなたはどうする?
ロールズさんたちと交わした約束を反故にする程の固い意志があなたにあるのかしら?」
「そんな強い人達が私なんて相手にするとは思えません」
「ブエナ村に来る訳がない。
あなたを狙うはずがない。
闘う理由がない。
でも実際、格上の襲撃者とやり合うハメになった。
そうでしょう?」
その通りだった。
あの時、あの襲撃者を殺せていれば。
「シルフィ。
ご両親にも理解してもらっているからあえて言うのだけど、私は指示に従わない子の面倒までは看ないわよ。
私にも都合があるし、足手まといならあなたを見捨てる覚悟もある。
だからあなたにも見捨てられる覚悟は必要なの。
もしその時が来たなら、迷わず自分のために生きなさい」
返事も出来ずに黙って居ると「じゃぁ私も仮眠をとるから」とナンシーさんは立ち上がって宿泊所の中へと消えて行った。
--
マリーバードの郊外、王都アルスへと続く道の途中での野営は続く。
夕食の時間になると、ナンシーさんは短い睡眠だったのを窺えさせない様子で起きてきた。
ナンシーさんが買い足した食料で夕食を摂り、そこからは夜番のためにまた交代での睡眠をとるはずだったのだけど。
「眠れない?」
「寝て起きて、その後は特に何もしてないですから」
「丁度良い機会だし、1つお薦めの訓練方法があるから今からどうかしら?
あなたが誰よりも強くありたいというのなら、打ってつけだと思うのだけど」
「どんな訓練でしょうか?」
「総気量の増大訓練よ」
そう言ってナンシーさんは私に魔力を使い切るように命じ、私は言われるがまま何度も水魔術『氷柱』を発動させる。
もちろん無詠唱で。
ナンシーさんは傍らで私の魔術をみつつ、どうして魔力を使い切ると魔力量が増えるのかについて説明してくれた。
理解するためには基礎から学ぶべきだとナンシーさんは言った。
この人はいつも基礎が大事というのだな、と私は思った。
読んだ事はないけれど、一般に出回っている魔術の教本によれば「魔力の量は遺伝する」と書いてあるらしい。
そして、それは間違っていない事なのだそうだ。
間違っていない、だけど完全に正しい訳でもない。
そういうものらしい。
魔力量は遺伝する。
といっても、それは魔力量の初期値と保有限界値に影響するのだとナンシーさんは言う。
つまり『魔力量の初期値と保有限界値は祖先が持つ素養によって変化する』ということ。
そして世の中では未だ知られていないけれども『魔力量は増大させることができる』と理解するのが重要なのだとか。
後半については良く判った。私はそれを経験的に知っている。
魔術を覚えたての頃は数回しか使えなかった初級魔術が、今では一日中使っても困らない程になっている。
『魔力量は増大させることができる』。
ナンシーさんは地面に『魔力量=(初期値+増大値)≦保有限界値』と書き、「これが、現在の魔力量を式にした物になるわね」と続けた。
「でも世の中の多くの人は増大値がゼロのままだから、魔力量イコール初期値となって、魔力量は遺伝すると考えてしまうのよ」
「初期値と増大値は分かるんですけど、保有限界値って何ですか?
私は感じた事がありません」
「順に説明するわ」
そうしてまたナンシーさんは語り始める。
魔力の増大値とは成長期にどれだけ魔力を使ったかで決まるのだそうだ。
人族の魔力成長期は12~14歳くらいまで。寿命が近しい種族にもほぼ同じ事が言えるという。
だが長命な種族やその混血種は同じかどうかは分からないらしい。
そしてその限られた時間内にどれだけ魔術を使い魔力を消費するかで増大値は決まる。
一日に使える魔力を全部使い切れば意識を失って気絶してしまうのだから、増大値は無限ではなく成長限界があると定義できる。
つまり『0≦増大値≦計算上の成長限界値』となり、『魔力量≦(初期値+計算上の成長限界値)』になる。
しかし可能な限り早く鍛錬を開始しても、一般的な人族は聖~王級の魔術を1回使う程度で成長がパタリと止まってしまうのだそうだ。
明らかに成長期終了未満の年齢でも。
その理由はまだ不明確だけど、有力な説としては精神の器が一杯になってしまうとされている。
逆説的に『気』が精神の器に保有されている事を示すのではないか……と思えるのだけど。
まぁ不明確な説なので断定はできない、か。
兎に角、器の限界値を保有限界値と言うのだそうだ。
つまり、
『魔力量=(初期値+増大値)≦保有限界値≦(初期値+計算上の成長限界値)』
か
『魔力量=(初期値+増大値)≦(初期値+計算上の成長限界値)≦保有限界値』
となる。
だから魔力増大の訓練をし続けて、明らかに成長期の期間中に増加が止まればそれは保有限界値に達したと分かるし、概ね理論上の成長期間の完了まで増加し続けたなら、その者は鍛錬を開始するのが遅かったか遺伝的に保有限界値が高いかその両方と判断できる。
「つまり魔力の成長が止まった時に保有限界値を感じられるかもしれない、という事ですね」
「そうなるわ」
一瞬の間。
「……ところで随分と沢山作ったわね」
目の前には説明を聞いている間にうず高く積み上がった氷の柱の山が出来ていた。
「まずかったですか?
他の魔術に比べたら安全だと思ったのですけれど」
「まぁ朝にはほとんど溶けているだろうし、選択は悪くない。
倦怠感は?」
「まだ感じません」
「そう……。
あとどれくらいかかりそう?」
「そうですね。
あとこれの4倍くらい使ったら限界が来ると思いますけど」
「全体の量はこの5倍か……」
「まずい、ですか?」
「いいえ。
『
「きゅむろん?」
「あら聖級の水魔術『豪雷積層雲』、知ってるわよね?」
「私が習ったのは上級までなので……」
「そう言えば聖級魔術は習っていないと言っていたかしら。
でも水聖級魔術師の先生がいて教わらなかったというのも不思議よね」
代わりに重力、治癒、解毒、結界の魔術を学んだ。
私が望んだ魔術と家族を守るための魔術だ。
でもそれらは秘匿されているものばかりだから他人に話したらおかしく思う人もいる、かもしれない。
そう考えて私は別の理由を求めた。
「混合魔術で躓いてしまって」
これも事実ではあった。嘘ではない。
だけど、口から吐いて出た言葉は意外な方向へと話を進める。
「そう……科学の座学は苦手なのかしら」
「別にそういう事はないですけれど」
「理論が判るのなら、それを再現するだけの混合魔術の何が難しいの?」
「あぁ、ええと。
難しいと言ったのは同時に両手で魔術を発動する方法ですね。
『水滝』と『灼熱手』を使って一瞬でお湯を作るのがどうしても出来なくて……」
私がそう話すと、「ふぅん」と一言反応しただけでナンシーさんは黙ってしまった。
少し居心地が悪い雰囲気のまま『氷柱』を積み上げる音だけが小さく響く。
そうして身体が少し怠くなってきたところで手を止める。
「さっきの同時に両手で魔術を発動させようとする訓練だけど。
意図が良く分からない魔術鍛錬ね。
そんな無駄な事をする必要があるのかしら?」
「え?
とても便利ですよ!
お湯だって作れますから」
そう。
この技術があれば『飛翔』の魔術をもっと簡単に使えるはず。
「ちなみに私は同時無詠唱なんて出来ないけれど、ぬるま湯を作ることくらいできるわよ」
といってナンシーさんは目の前で左手を私の方に伸ばして広げた。
私がその掌を見るとすぐさま、円柱状の石が手から天へと伸びるように現れる。
おそらく土魔術の応用で創ったのだろう。
と考えている内、彼女は右手の先から水を迸らせ、その勢いは細く鋭いものであっという間に石がコップに変わる。
続けて左手から水が注がれてコップを満たす。
受け取るとぼんやり温かい。
ならばと口を付けてみると、それは熱すぎず冷たすぎない、丁度良い加減のぬるま湯だった。
「ほら、こういう事でしょう?」
自分の顔が驚愕に硬直したのが分かる。
石からコップを創るところまでは私にもできる。
でも『お湯』を創る方法が分からない。
同時無詠唱を使っていないのなら、それはもしかして……
「今のも昨日使っていたあれも混合魔術ではなくて、私の知らない魔術……なのですか?」
思考が言葉となり、
その言葉への反応は「昨日?」と訝しそうな顔だ。
慌てて「捕らえた男を尋問するために砂に埋めた魔術です」と説明を加える。
「あぁあれ。
『
得心のいく顔でナンシーさんは答えた。
サンドスタック。
初めて聞く魔術だ。
「あれもそう。
同時無詠唱を使った魔術ではないわよ」
「なら、それはナンシーさんの
「固有魔術なんて大層なものではなくてね。
ぬるま湯の魔術も今、とっさに創っただけで特に名称は無いし、内容も簡単なものだから」
今、創った!?
衝撃的な言葉と平然とした表情。
頭の中にある魔術に関する常識が崩れていく。
「そんな魔法みたいなことが」
「出来るわ、見た通りね。
『
魔力の流れは分かる。
無詠唱で唱える時になぞるものだ。
だけど合成って? 良く判らない。
もし教えてくれたなら……でも私は弟子じゃない。
一瞬よぎった願望を抑え込むも顔にはしっかり出てしまったらしい。
「心配しなくても明日から少しずつ教えてあげる」
「本当ですか?」
「ええ。
でも明日からよ。
魔力切れでは練習できないからね」
逸る気持ちを抑えて私は「はい」と返事をし、宿泊施設で横になる。
魔力を枯渇させたおかげで眠りに落ちるのは深く、一瞬だった。
--
14日目、マリーバードからアルスへと歩を進めた私達。
本来ならそのままアルスへと行くところを、一旦、馬車道を離れてアルスとドナーティー領を結ぶ道へのバイパスとなる小道へと入った。
ナンシーさんは説明を省いたけれど、おそらくそれは追跡者を探るために必要な措置だったのだろうと思う。
その日は小道を抜けきる前に日が暮れたので、小道脇で宿を造った。
夕食の終り際、スープの入っていた土鍋―土魔術で作ったもの―を砕いて土に返そうと思った時に「待った」の声が掛かる。
手を止めて振り返ると、手をくいくいと動かすナンシーさんが居た。
近づくと「土鍋を貸して」と言われ、言われるがままに手渡す。
「昨日の続きを話すわ」
そう告げて彼女は黙って歩きだす。
私はその後を追った。
夕闇が迫る野原でナンシーさんが立ち止まると、いつの間にか土鍋の中にはお湯が張られていた。
グツグツと煮えたぎり、その熱源となる赤い石も見える。
「これは『
「『溶岩』がどんな魔術か説明してちょうだい」
「魔力によってマグマを創る火系統の上級魔術です」
「宜しい。
ではこれが本当は『岩砲弾』で作った岩に『
「『地熱』でそこまで熱くはならないと思いますけど」
「魔力をよく練れば威力を高める事が出来るし、重ね掛けすることでも可能よ」
「なら……それは土と火の混合魔術となります」
「結果は同じよね?」
「はい」
「では『溶岩』は混合魔術ということね」
それは違うと口にする前に頭の中を整理する。
混合魔術とは複数の系統の魔術を順番に使い、それぞれの魔術が引き起こす事象同士の反応によって別の事象を発生させる事を指す用語であって、『溶岩』のような1つの魔術で結果を生み出している魔術は混合魔術に当て嵌まらない。
だけど、ナンシーさん程の魔術師はそんな簡単な間違いをしない。
ならばきっとナンシーさんの言いたいのはそういう意味ではない。
「混合魔術ではないと思いますけれど、『岩砲弾』と『地熱』の魔力を合成して『溶岩』が創れる方法が理解できれば、『水滝』と『灼熱手』から未知の魔術を創れる可能性は理解しました」
「昨日見せたでしょう?
可能性ではなく実際に実践可能な技術よ」
「ルディの技も同じように存在する技術ですが、私には使えませんでした」
「そうね。
ルーデウス・グレイラットは2つの魔術を同時無詠唱で発動できるという特異能力を持っているらしくて、迷惑にも本人はそれが属人的な技能だとは考えていないから、あなたに修得させようとして失敗した。
でもそれで彼を責める事は出来ないわね。
もしあなたが魔力の合成を練習するというのなら、結果的に私も彼と同じ事をしているのかもしれないもの」
講義はそこまで。
ナンシーさんは遅番のために先に休み、早番の私は番をしつつ4分の3程魔力を消費して明日に備えた。
情報を整理する。
混合魔術を構成する2つの魔術を同時無詠唱で唱えるのも単独の魔術を無詠唱で唱えるのも結果が同じなら、求めている魔術だとナンシーさんは実験によって語っている。
そしてこの技能は、『飛翔』のような動的に状況が変化する魔術には応用できないとしても、『濃霧』のような静的な魔術で3つ以上を混合する場合にも1工程で魔術を発動し得る点で同時無詠唱よりも優れた部分を持つ。
さっきは自分には修得できないかもと弱気な発言をしてみせたけれど『溶岩』が唱えられるのだから修得できる可能性は大きい。
万が一、魔力の合成自体が手に入らなくてもナンシーさんが合成した魔術の魔力流を闘気修得の時と同じくコピーすれば良い。
そこまで考えて、ふと馬鹿げた思い付きが頭を掠める。
……もしかしたら同時無詠唱もコピーできるかもしれない。
けれど、そのためにはルディの傍に近づかなければいけないし、魔力の合成ができれば『飛翔』以外で殊更必要だとも思わない。
その『飛翔』も別の方法で解決済み。
なら必要ない。
あれこれと考えている内に時間は過ぎ、ナンシーさんを起こしてから残りの魔力を使い切って休みに入った。
--
15日目。
アスラ王領で、最初の一歩となったのは巨大な人工林。
整然と間伐された陽の差し込む林がどこまでも続く。
魔物の気配は一切なく、ブエナ村では村の端にあった炭焼き小屋を見る。
ブエナ村が接する森とは明らかに違う様相が、私の知る森との違いをはっきりと教えていた。
ここは危険な場所ではなく、人が生活する上で必要となる木材や炭を手に入れるための場所。
「樵ギルドは良い仕事をするわね」
ナンシーさんが振り返らずに感嘆を漏らす。
私にはこの林のすばらしさがてんで判らないけれど、彼女には木の手入れに一家言あるのかもしれない。
狩人の父さんや庭の手入れが好きなゼニスさんのように。
「こんな広い林が必要な理由ってあるのでしょうか?
遠すぎると木材を運ぶのも手間だと思いますけど」
と私も聞きかじりの知識を元にした疑問を投げてみる。
「それだけ人が多いのよ」
だとしてもだ。
歩いて抜けるのに数日もかかる林が必要とは俄に信じがたい。
「きっと驚くと思うわ。
マリーバードでびっくりしていたのが馬鹿みたいに思えるから」
相変わらず振り向かないで話すナンシーさんが私の心を読んだように話す。
たしかにマリーバードは凄い街だった。
沢山の人がいて、立派な建物が並んで、着いた早々に事件に巻き込まれて。
王都とは一体どんなものだろうか。
楽しみでもあり、恐ろしくもある。
会話の終りに遠くから今度はゴトゴトという別の物音がして、そちらに目をやると見下ろす形となった林道には一台の馬車。
ところどころに退避場所の設けられた馬車道を馬車が走り去る。
それは珍しい物ではない。
向って来るか、追い越していく馬車を既に何台も目にしている。
一方、私達が彼らの邪魔にならないように歩くのは木と木の間。
窪みに堆積した落ち葉に足を取られないよう先行するナンシーさんの通ったルートを注意深くなぞる縦隊。
重力魔術を使えたら……。
そんな逃避をしたくなるけど、ナンシーさん程の注意力があればこちらの落ち葉を踏み抜く音の違いから私が秘術を使ったと理解し、正しく結論を導くことは想像に難くない。
結局、神経をすり減らしながら半日の間、森の中を歩き夕闇が迫る頃に皆伐された小さな区画で足を止めると、そこが今日の野営ポイントとなった。
森に入る前は私達と同じく徒歩で近くの街からやって来る旅人や反対に王都から離れようとする者を目にした。
けれど私達と同様に森の中で一晩を過ごそうとする者は居らず、この時間には馬車の気配もすっかり無くなった。
「ここみたいに区画全体の木を伐っているということは建材用に使った跡のようね」
と宿泊所なしに焚火だけでの野営を敢行する決定をしたナンシーさんが世間話を進める。
それは運搬のコストが高くても構わない証左であり、つまりはもう王都は間近という事でもある。
だからこそ魔術を使わないで普通の旅人らしく振舞う事は重要なのだと察する。
ただ、訓練しろと言われてやらずに済ますのは、怠け癖のある人間だと説明するのと同じな気もする。
一応確認しておいた方が良いのかもしれない。
「あの、話は変わるかもしれませんけれど」
私が切り出すと、ナンシーさんは無言によって話の続きを求めた。
「今日は魔力の鍛錬は控えておいた方がよろしいでしょうか?」
あぁと考えるナンシーさん。
その顔はやや曇ってしまった気がする。
やはりやるべき。
そう判断して立ち上がり、魔力を……
「座りなさい。シルフィ」
無詠唱の魔術が完成するまでの僅かな時間。
たったそれだけの間に制止の声は響いた。
無視する訳にもいかず、未完成のまま魔力は体内で霧散し、仕方なく元居た位置に腰を落ち着ける。
「魔力の伸びは感じているかしら?」
お小言を待っていた私に掛けられた言葉は鍛錬の効果への確認だった。
「はい。
身体に疲労を感じてから、無理をして使った分が増えるように思います。
まだ3日目ですし、感覚的なものですが」
「そう。
ならあなたはまだ成長限界値に達していなくて、かつ成長期の期間内にいるみたいね」
前回の説明のおさらい。
難しくもない理論に戸惑う事はない。
表情から察したナンシーさんは続ける。
「それで、ここに宿泊施設を造らなかったから目立つような魔術鍛錬も控えるべきかと提案した訳ね?」
ナンシーさんは言外に私が配慮した事を正確に捉えている。
故に、私は無言で待った。
続けよというものか続けるなというものか。
どちらか。
「だとして明日からは王都の中よ。
王都に暮らしている間、ずっと鍛錬を休みにするつもり?」
そう言われてしまうと……王都がどれくらいの街かは想像するより他にないけれど、マリーバードと同じくらいだとすると確かに毎夜、大量の『氷柱』を出現させて放置するのがまともな神経だとは思えない。
でも一体どうすれば?
方向性に迷ったらいつも3つ考えろという。
「1つ。毎晩、町の外に抜け出して広い場所で鍛錬する。
2つ。形の残らない魔術を使う。
3つ目は……」
「魔力を効率よく消費する」
第3案に迷った私にナンシーさんがそう口添えをしてくれる。
しかしてその意味するところが私には分かりかねた。
「魔力の効率的な消費??」
効率的な消費、というか浪費。
限りある魔力を無駄にする工夫。
全く逆の、消費を少なくするための研究なら各国で秘密裏に行われているかもしれない。
「おかしく聞こえるようね。
なら分かるでしょ?」
そうだ。
分かるかと言われるまでは分からなかったけれど、言われてみればピンとくる。
ブエナ村からここまでの間にいくつか聞いた事。
今回はおそらく基礎的な部類の何か。それについての研究、仮説が不足している。
だからおかしく聞こえる。
「少し時間をください」
そういって頭を巡らせようとするところへ「好きなだけしなさい」という声。
考えねばならない。
今よりも一回の消費魔力量を大きくするには?
魔術の等級を上げれば、より多くの魔力を消費できる。
が、魔力を増やせば比例して世界への作用力は増す。
作用力は攻撃魔術なら攻撃力となり、対象を破壊する。
特に火土水は形が残る。
風系統は形を残さないけれど広範に影響を与え過ぎるし、その範囲を制御し難い。
街中のような複雑な地形で使えばその風の吹き溜まりを完全に計算することは私には出来ず、その結果何が起こるのかは未知数。
なら攻撃魔術でない魔術。
治癒は形が残らないけれど、怪我を負って居ない状態で使用しても魔力の消費量は全体的に見劣りする。
解毒も治療のための方は同じ、毒に侵す場合は消費量が跳ねあがるけれど……誰がそんなことをさせてくれるのか。
等級を上げずに魔力を多く使うには、『サイズ設定』と『速度設定』のそれぞれに多くの魔力を注ぎ込む。
ただこれも魔力に比例して作用力は増し、質量と速度を増大させるから力学的エネルギーの増大に至る。
基礎というのなら2つの候補のどちらか。
そこに私の見落とし、思い込みがある。
どこに、どんな?
現状を打破するための発想。
自己否定。
等級に比例して消費魔力は増えるというのは間違い?
一般的に考えるのなら、無詠唱ではなく詠唱魔術で考えてみよう。
魔術の等級は修得難易度から算出されている。
ではその修得難易度とは?
詠唱によって魔力の徴発と体内制御が自動実行されて魔術が発動する条件、もしくは発動しない条件。
第一に体内の魔力量が不足すれば魔術は発動しない。
第二に体内制御が乱れると魔術は発動しない。
上級魔術を初めて詠唱した時、体内の魔力が今までにないほどに無理矢理ひっぱり出され、体内で暴れる様は驚きに溢れていた。
私はあの流れに上手く乗る事ができたからこそ上級魔術師になれたけれど、出来ない者は中級魔術師止まりになる。
つまり、等級を決める要素は魔力量と制御力。
しかし魔力量が多くなればなるほど制御は難しくなる。
つまり等級を決めているのは使用する魔力量と言って間違いはない。
理に適っている。どこかに思い込みがあるようには見えない。
ならば次。
『サイズ設定』と『速度設定』について。
『サイズ設定』は何も設定しない状態だと『基本サイズ』になる。
そこから魔力を追加で注入する事で大きくすることができる。
『速度設定』は何も設定しない状態だと『速度が0』になる。
そこから魔力を追加で注入する事で『より速く』できる。
できる……あれ、おかしい。
この理屈では私の知っている事に矛盾する。
『飛翔』によって鳥のように飛ぶ為には風を読んで非常に繊細な制御が必要だった。
3次元的に方向と速度を制御しなくてはいけないし、飛んでいて気持ち悪くならないようにするためには魔術と魔術のつなぎ目は滑らかでなくてはいけない。
無詠唱の魔術を2つ同時に発動することができないせいで時には自由落下に耐えながら次の魔術を発動する。
となれば初速を今の、もしくは数秒先読みした発動時点での速度に合わせながらの、より精緻な魔術が必要になる。
そして『基本サイズ』より小さくしたり、速度0と1の間の微小な目盛りでの制御は通常よりも
まとめるとこうなる。
体内で特定パターンに魔力を動かすことで生成した魔術を『魔術実体』と呼ぶ事にする。
その魔術実体は特性として僅かな待機状態を持ち、待機状態中に魔力を投入して『サイズ設定』と『速度設定』を行う事ができる。
そして魔術実体には実は魔力の流れがある。
その流れを乱さないように魔力を投入すれば大きく速く、逆に流れを乱すようにすれば小さく遅く、もしくは逆方向へと飛ばす事ができる。
それだけではまだ足りない。乱し方によっては風を斜めに吹かせる事もできる。
つまり『サイズ設定』というより『形状変化』と言う方が正しく、投入する魔力の量と魔術実体が持つ魔力の流れを変化させようとする、その仕方によってある程度の指向を持たせる事ができる。
そして。
私の感覚が正しければ、待機状態の魔術実体の流れに対して負の方向に魔力を投入しようとする場合にも、比例的に魔力量は大きくできる。
そのまま何も言わず、私は魔力を練った。
使うのは今まで通りの『氷柱』。実体の生成完了。
『形状変化』として最小化する。
みるみるうちに氷の柱は小さくなっていく。
太かった柱は痩せ細り、高さも無くなる。
とうとう氷の粒となったところで時間切れ、私の掌の上で魔術が発動する。
まもなく氷の粒は水へと融解し、消える。
「どうやら結論は出たようね」
ナンシーさんの我が意を得たりというような声。
それに頷きながらも、嬉しさはない。
他の魔術でならどうなるのか。
魔力の消費量はどれくらいか。
調べなければならない事は山ほどに積み上がっている。
次回予告
ここが目的地だ。
師匠の、父母の、期待に応えてやってきた。
ブエナ村でずっと暮らすのだと信じていた自分が、どうしてここに?
まさかこんな事になるなんて誰に予想できただろう。
次回『さらなる世界』
ルーデウスが歴史を歪めなければ、既にここに居た。
その事実を彼女が知る術はない。