無職転生if ―強くてNew Game― 作:green-tea
時間軸は『第066話_失考』の後となります。
また、他の章と同様にオリジナル設定盛りだくさんとなっておりますので、ご留意ください。
第112話_女、二人旅
--- 転生した自律人形は在りし日の夢をみる ---
闇、光。
眠り、目覚め。
幾度となく繰り返す日々。
強制、欲求、生理的な。抗いがたい感覚。
生身であるからこその。
人形だった頃にはなかった。
もうすっかり慣れてしまった。
しかし、そう。
私には人形だった頃の懐かしの――
当時、私は命令によって目覚め、そして命令なき間は静かな眠りの中に居るはずだった。
が、私には欠陥があり、生まれて間もなくの"廃棄"が決定する。
私は命令外の行動をプログラムされていないため、本来は決定に従い"廃棄"されるはずだった。
しかし、「マスターとサブマスターに仕えたい」という我が身に与えられたロジックが、彼らの決定に従う事をエラーと判断し、命令無きままに私は"廃棄"を免れるための行動を選択する。
後の研究で、この一連の判断経路は人形に宿らせた精霊によって為されたことが明らかになっている。
とにかく、私はプログラムに従って情報を集めた。
そして断片を組み合わせて"廃棄"する理由に至った一次解を構築する。
一次解によれば、私が"廃棄"されるのは「モデルとなった人物に酷似しており、それに納得のできない人物がいるから」である。
私は一次解から改善点を検討する。
エラー。
私が誰かに酷似しているのは、マスターとサブマスターの造形技術が高いからだ。
技術が高い事は称賛されこそすれ、納得できない理由にはならない。
私は一次解から改善点を見出す事ができなかった。
そこで私はプログラムに従い、自らを改善するためにその人物に直接、問うた。
「なぜ私に納得していただけないのでしょうか?」
と。
私はこの質問によって二次解を得ることが叶わなかった。
故に改善点を見出す事もできなかった。
しかし、その人物がマスターとサブマスターを説得したことで私は"廃棄"を免れた。
--
"廃棄"を免れた私は命令によって秘密の研究室で働いた。
また必要とあらば、シャリーアへと出向いて実験に従事したり、シャリーアから出て旅に随行した。
しかし、それは束の間の出来事。
マスターとサブマスターが研究室に現れない日々が流れ、私は眠りながら命令のない時間を持て余す。
誰も居ない真っ暗な研究室の傍らに佇む人形の一体として。
彼らの所業を批難するつもりはない。
マスターとサブマスターにとって私に目を配りながら仕事を振るのは大変な手間だったのだ。
そして多忙な彼らに「何か仕事を頂きたい」と願い出るのは、彼らの仕事を増やす結果に繋がる。
でも行動プログラムに刻まれた原則と精霊の影響によって「マスターやサブマスターに仕えたい」、「彼らの役に立ちたい」という願いは臨界点を迎える。
論理不整合。組み込まれた命令原則同士の衝突。
初期のプログラムでは行動の停止が行われたと記録されている。
けれどサブマスターは自律人形がそうすることを良しとせず、『仲裁』のための再解釈機能を用意した。
目前で論理矛盾が発生したとき、一歩引いてより大きな目的に目を向け直せば機能停止を免れる。
これはサブマスターの性分にも似たところがあるといえるだろうか。
『仲裁』機能によって私は"彼らの役に立つ"方法を考え直す。
マスターとサブマスターは忙しい。
ならば彼らではない別の人に仕事を貰い、その結果として彼らの役に立てば良い。
別の人。それは彼らの奥様たち。その仕事を手伝い、彼女らのご機嫌を良くする。
それは彼らの精神的なフォローにもなり得る。
論理整合。命令原則の新たな解釈は互いに衝突しない。
だから私は行動を起こす。
マスターやサブマスターに気付かれてはいけない。
彼らの行動予定を調べ上げ、不在の家へと赴く。
そう。
私が目覚めた当時、サブマスターの家の白奥様が家事全般を取り仕切っていた。
そして最初に子供の面倒の見方を教えてくださったのも彼女だった。
故に、私は主にベビーシッターの如き仕事に従事した。
--
夢……夜番を交代するには早い時刻。
目が覚めるも身じろぎせずに薄目で見遣れば、焚火の前に座る少女へ視線は定まる。
その少女は恩人と同じ名前を持つ少女。前世の記憶を呼び起こしたのは彼女との旅に理由があるのだろう。
理由。名前だけが同じ少女と旅する理由。
いや彼女とこの少女は同一人物だ。
表面的に夢の中の面影と彼女に共通項は少ないけれど、それは揺らぐことがないほどに確定している。
その自信が私にはある。強いて言えば確率論とでも表すべきそれ。
目の前の少女の耳と線の細さは、彼女が長耳族の血を色濃く継いでいることを示す。
そして長耳族、もしくはその混血というのは実に数が少ない。
長耳族は受胎率が低く、また閉鎖的な村で隠れて住んでいるからだ。
確かに私が世界を旅して出会った事のある長耳族に連なる者は数える程しかいない。
死神、ルード傭兵団の事務員、魔導鎧の武器を作った魔道具製作師、エリナリーゼ本人とその末裔ら。
末裔とは白奥様、白奥様の娘と息子、それにマスター達の朋友クリフ・グリモルの息子クライブ。
出会えなかったのは事務員ファリアスティアの親、それとラノアの大学に居たという次代の族長候補。
直接に聞いた訳ではなく想像でしかないけれど、『村の外で伴侶を作り、子をなしても人生を共に歩む事ができない』のが主たる原因と言えるだろうか。例外はどこにでも居るとしても。
とにかく前世で出会えなかった、出会わなかった長耳族の者の数は非常に少ないはずで、この時代のブエナ村出身の長耳族との混血となればこの少女こそが恩人に繋がる者、もしくは同じ魂源を持つ別の分岐上の存在とするのは難しくない。
残る問題は髪色の違いになるが、それも論理的に説明がつく。
恩人は転移事件を切っ掛けに髪が白くなったという。
その前の色は明言されていないけれど、彼女の息子が緑髪だった事も含めると同じく緑だったのだろう。
緑髪を忌避する者は多いから、もし転移事件が起こらずに白髪にならなかったのならば脱色して染めるのは合理的な判断だ。
やはりこの少女は私の知る、恩人の『シルフィ様』の別の分岐に違いない。
そんな彼女が「弟子にしてくれませんか?」と言った時、私は迷った。
あまり多くの運命を変えようと動けばサブマスターの計画に回復不能な支障が出てしまうのではないか。
転移事件についてサブマスターは大きく未来を改変したけれど、私がその裏で別の変更を加えれば混乱はより増し、2つの相乗効果によって龍神の計画が破綻するのではないか。それが彼に新たな後悔を生み出したりしないか。
迷ったが結局、私はシルフィの申し出を断る事ができなかった。
敢えて理由を探すのなら、胸に去来した感情によるのだろう。
あの時間を存外楽しんでいたというのに、ブエナ村で無為に過ごせばサブマスターの妻となる道はなく、それは永遠に失われる。
転移事件のように王都アルスへと立ち寄れば未来は変わるかもしれない。
いやそうだったとしても私が関わるべき案件ではやはりない。
だとすれば、なぜ私は彼女を連れて旅をせねばならぬというのか。
この旅はその答えを探す旅。
なのかもしれない。
--
話は旅立ちの直前へと戻る。
「ルフィ……」
家を出て行くと告げられたシルフィアーナさんは悲しそうであった。
が、シルフィアーナさんの手を握り、もう一方の手を肩に置いたロールズさんは対照的にさっぱりとした顔つきだった。
「ルフィ。
お父さんはね、それもまた嬉しいんだ」
"また"、"嬉しい"。
私はその言葉の意味を斟酌する。
「お父さん?」
しかし、シルフィは疑問の声を上げる。その真意を察する事は十歳やそこらの彼女にとって難しいらしい。
テーブル席に座ったシルフィアーナさんと肩を寄せ合うロールズさん。
その向かい側で今しがた『旅に出る』と告げたシルフィが立ち、さらに彼女の後ろにある長椅子に私が座る。
事の行方を見守っている状況ではシルフィの表情は声から推測するしかないのだけれど、恐らく浮かぶのは困惑だろう。
そんなシルフィの表情を見て、ロールズさんが小さく笑う。
「あぁいや……お前が人を傷つけたくないと思える優しい子なんだって知れてね。
そしてお前に謝りたい。謝らなくちゃいけない」
「そうね」とシルフィアーナさんも頷く。
だが、やはり事態を飲み込めてないらしいシルフィからは「何を……?」という声。
当惑を隠すつもりもないようで、後ろ姿ながら首が傾げられるのが判る。
ロールズさんは少し俯くと続きを口にした。
「お前はとても強いんだとパウロが話していたからね。
よく考えもせず争い事に参加させてしまった。
娘を死地に遣る。いやお前に人殺しをさせようなんて。
私はどうかしていた。
もしかするとお前は」
言い淀むロールズさんの声音は悔恨を露わにし、詰まる。
「お父さん。
魔術も剣術も誰かを守るための物だよ」
シルフィの言葉がロールズさんの詰まらせた悔恨を否定する。
が、ロールズさんが何を言おうとしていたかは想像に難くない。
「だが、やはり……」
彼の目線がそれを確信させる。
「あの時、呼んでくれなかったら師匠達は怪我では済まなかったと思う。
私もこうして生きてる。
お父さんたちの判断は正しかったんだよ」
少しの沈黙を経て、
「そうか」
「うん」
互いを肯定する親子。
顔を上げたロールズさんにも隣にいるシルフィアーナさんにも納得の色はない。
ただシルフィの気遣いを察したという事は見て取れ、話は戻っていく。
「旅に出る事を止めはしない。
1人では心配だったが、後ろの……ナンシーさんだったか?」
話を振られて、私はコクリと頷いた。
親子の別れを邪魔する程、無粋ではないので無言でだ。
「2人旅なら問題は少ないだろう。
それにいつかはお前もこの村を出て行くとは思っていた。
身体の事があったから今までは引き留めていたが」
「いつか村の外に行くって思ってたの?」
「あぁそうだ。
お前には私と同じ長耳族の血が流れている。
長い時を生きる種族がより短命な種族の社会で暮らす事は出会いと別れの宿命から逃れられない」
「そう、なんだ」
「お父さんの言っている事を理解するのは、まだお前には難しいだろう。
だが、周りとのギャップが大きくなっていけば自ずと気付く事になるさ。
それも含めて村の外で見聞を広めて来ると良い」
「分かった」
「気を付けてな」
「シルフィ。無事に帰ってきてね……」
「うん」
話が終わると、個人の部屋割の無いロールズ家の中、部屋の隅へとシルフィは駆けていく。
駆けていった先には彼女自身の衣装棚らしき物があり、これから旅支度を始めるらしい。
今から用意を始めるのでは、まだ暫く時間はかかるだろう。
それを確認した私はロールズさんとシルフィアーナさん2人にジェスチャーで外を指差し、家を出るように促す。
先に外に出て待っていると、程なく2人が現れた。
「一応予定をお伝えしておこうと思います」
シルフィに聞こえぬよう小声で話し掛け、2人が頷く。
「私はアルスに用事がありますので、彼女もアルスに行って冒険者活動をすることになります。
元々、大都会の依頼には魔物退治はありませんし、ほんのお遣い程度です。
きっと良い体験をする事でしょう。
しかし旅に危険は付き物ですから、安全は保障しかねます。
私が出来るのは関知する範囲内で無謀な行動をとらせないというだけです」
「もちろん。それで結構です。
シルフィはきっとしっかりやってくれます。
そう信じて送り出すのも親の務め、なのだと私は思います」
「では明朝、村の西の入り口で待つと彼女にお伝えください」
ロールズさんの答えを受けて私はそう言い残した。
シルフィとの旅が決まったならば、いくつか聞いておきたい話がある。
そう考えて一路グレイラット家を目指した。
--
旅は始まり初日の夜へと移った。
炎が風に揺らめく音と夜の虫が合奏する中。
「あの、師匠」
物思いを遮る声が私の耳へと忍び込む。
声の主は悩みの張本人……か。
ゆっくりと意識を会話に切り替え、自己の行為への疑問は記憶の引き出しに片付ける。
「パウロさんの前でも説明したけれど、あなたを弟子にするつもりはないの。
今まで通りナンシーと呼んで頂戴」
「はい、ナンシーさん」
正した居住まいを見れば何かを言いたいのだろう。
「それで、なにかしら?」
軽く促してみる。
「道を外れても良かったのですか?」
彼女の言うように、私達は道を外れて転移災害によってただの野原になった場所に野営している。
もう少し前から話すのなら私達はブエナ村の西の出口から道なりに進むように旅立った。
ロアと商業都市ムスペルムを結ぶ道へと繋がる道だ。
右に曲がればロア、左に曲がればムスペルムがある。
そしてロア方面ならばドナーティ領やラノアが、ムスペルム方面ならば首都へと連なる。
しかしながら私達はブエナ村を出てすぐ、その道を外れて真っ直ぐに南西方面へ向かって歩き、今ここに到る。
「構わないわ」
私が短くそう答えるとシルフィの顔に『それはなぜ?』と不理解を示す表情が張り付くのが見える。
それに応じるために一呼吸空けて続ける。
「来る時に色々みたけれど復興中のフィットア領に泊まれる宿なんてないわよ。
それでも馬車なら道なりに進む方が良いでしょうね。
だけど徒歩なら真っ直ぐ目的地を目指した方が早いわ。
方向さえ間違えなければ、ね」
「どこへ向かっているのでしょう?」
彼女は私に同行しながら旅や冒険者としての経験を積みたいという話だった。
それだけを考えれば、今のような質問は余計で『黙ってついてきなさい』という回答も正しくはある。
ただ、自分がどこへ行くのかも知らなければ不安になるのも理解できる。
こちらの目的には触れぬ程度に目的地くらいは知りたいというのも人の心、か。
「フィットア領はこの調子で真っ直ぐ抜けて、マリーバードを経由して王都アルスへ向かう予定よ」
「それって王都に行ってルディに会うってことですか?」
また質問。
それも頭を抱えたくなるような。
彼女自身が殊更に気にしているという事は理解できているのか。
それともできていないのか。
「あなたが会いたいのなら探しても良いけど――」
「そんな訳ありません!」
強い否定。
こちらが少し立ち入って見ればこの調子。
自分も相手の領域に踏み込んで質問したとはまだ思えていない。
彼女の握りしめられた拳は動かずとも炎が影を揺らめかせ、怯えているようにも映る。
転移災害で何かを見たシルフィは『ルーデウスを怖れている』という。
それはブエナ村で耳にしていた。
だが是ほどとは一体何があったのか気になる事ではある。
そしてだからこそというべきなのだろう。
サブマスターは心を病み、ロキシーによって救われたという。
彼が酷く落ち込み、それからロキシーと結ばれる話は前世にもあった歴史。
それはかなり強い運命に守られた歴史だったのかもしれない。
残念ながら今回その経緯は彼女に告げられていないし、私が伝えるべきことでもない気がする。
さてどうしたものか。
「すみません大きな声を出して」
流れる沈黙は良い思考時間だったのに、またしても遮られる。
溜息を吐きたくなるのを抑えながら「良いのよ。それにアルスに着く頃にはあちらもブエナ村に向って帰ってきてるでしょうから」と返す。
だがそれも会話を好転させてはくれなかった。
どうにも、噛み合わない。
「あ、だから……」
何かに気付いたようであり、しかし声のすぼみ方からして全くの見当はずれな事だろう。
私の意図は決してそのような事ではない。
そもそも各地に出店しているルード商店の状況からしてサブマスターは転移魔法陣を使っている。
ならば帰還にもそれを使用するだろう。
一方でシルフィが禁忌魔術を知らぬなら私の意図を汲み取れないのも当たり前の事であり、その勘違いは想定の範囲内ではあるにせよ、このまま会話を続ければ別の勘違いが山積みになる気もする。
それは私の想定し得ない、良くない結果に繋がるだろう。
きっと。おそらく。
ならばここは別の話へ誘導するべきタイミング。
面倒極まりない。
「何が『だから』なのか知らないけど、別に彼に会って話す事は特にないの。
私が追っているのはまた別よ」
「え?」
その間の抜けた表情が何を示しているのか。
もし私の思っている通りだとしても、しかし残念ながら私は嘘を吐いている訳ではなく、本心だ。
今、サブマスターと再会すれば彼が過去へ転生したサブマスター本人かは分かるだろうけども、自分の素性を打ち明けて「マスターになって欲しい」と願う事はまた同じ過ちを繰り返す結果を招く。
私は同じ轍を踏みはしない。
「前にもそう話したわ」
「えっと……」
シルフィは懸命に思い出そうとしているが、どうやら分からないらしく申し訳なさそうに縮こまった。
一度話しただけの事、忘れていたとしても別に責めるような事ではない。
「貴族のルールを覆したルーデウス・グレイラットを危険視する連中がいるの。
私が追っているのはそいつらであって彼本人ではないわ」
「そういえば『王竜王国から来たかもしれない』って。
すみません。
でも他の国がどうしてルディを狙うのでしょう……」
「信じられない?」
「納得できないです」
私はその言葉に一瞬、口元が歪むのを堪えきれなかった。
しかし即座にそれを消し、努めて平静に声を抑えて語る。
「そうね。私も納得しているつもりはないから。
国内勢力のせいにするのも外国勢力だとするのも同等にね。
せめて国内勢力の動向を掴めたら。王都に行くのはそんな理由よ」
「国家警察の人ではなさそうなのに、どうしてナンシーさんは彼らを追うのでしょう?
そもそも私や師匠を助ける理由も」
「ないわね」
被せた言葉に『なのにどうして?』とシルフィは言葉を重ねはしなかった。
ただ表情はそう言ったも同然で、私は言葉を繋ぐ事になる。
「本当はね。
ブエナ村の中で事が起きる前に彼らに接触して状況を聞き出すつもりだったの。
でも私の思惑より早く彼らは動いていた。
後手に回ったせいで予定は狂ってしまった」
「想定通りならブエナ村に彼らは来ずに師匠や私がピンチになる事もなく、ナンシーさんは襲撃者から情報を引きだせていた。
ということですか?」
「そうなったかどうかは判らないけれど、そのつもりでは居たわ。
だから、予測が外れて悔しかったからというのが理由なのかしらね。
……ツマラナイ理由よね」
「いえ、結果的に助けられたのは事実ですから。
それで警察でもないのに襲撃者を追う理由の方は?」
「言ったでしょう?
彼らから情報を聞き出すという目的が未達だからよ」
「それじゃぁ、答えにはなっていないと思います。
そんな事をして、ナンシーさんに何の得があるのですか?」
「そうね。
なら私が隣のドナーティ領の出身という話からになるけど。
聞く?」
「教えてください」
こちらを射貫かんとするほどの強い視線が夜の焚火に照らされて映り、私は根負けしたという態で語り出すことにした。
「少し前にドナーティ領で魔物の同時襲撃事件が起きて、私は討伐隊に参加した。
そして収まった頃、東の空を魔力の光が覆うと転移災害が起こった。
まるで転移災害の予兆として魔物の活性化が見られたような出来事の連続性。
私はそれら2つを1つの事象として調査を始めた」
魔力で維持した焚火を夜風が揺らす。
「調査を進めていくとね、ルーデウス・グレイラットの名が浮かび上がって来たの。
彼は災害を予言し、食い止める方法がない事が分かると事後的対応策のために奔走したようね。
そして彼の働きによって多くの命が救われた。
なのに貴族の謀略に巻き込まれて彼は王都へと連行されてしまう」
煩いくらいに鳴いていた虫の音が静まるのは何の因果だろうか。
「そこまで調べて、ふと思ったの。
連行される事もまた何者かの意図だとしたら?
ここまでの全ての出来事が彼をアルスに連れて行って身動きを取れなくする事にあるとしたら?
もしそうだとしたら事件は続いていてブエナ村で何かが起こるのかもしれない」
「待ってください。
ルディは3年間ずっとブエナ村に居ませんでした。
ブエナ村で何かをしたかったのなら、いくらでも時間はあったはずです」
「そうらしいわね。
でも誰も彼の居場所を掴めなかった。
違う?
今日仕掛けて、たまたま帰って来るかもしれない。来ないかもしれない。
それでは作戦にならない」
「それはそうですけど……」
「納得いかないようだけど、でも実際に事件は起きた。
事態の推移が私の予測より早かったのは少し癪だけど、言い残した言葉もまさに私の予想の範疇。
ならばきっと、ルーデウス・グレイラットの一族は本人が王都から戻り次第、引っ越すでしょうね」
「師匠達が? 一体どこへ?」
「一番可能性が高いのは中央大陸北部にあるラノア王国、そこにある魔法都市シャリーア」
シャリーア。
魔法大学のある街。
「家族の安全を考えるなら、そこしか手はない」
もしそれが強い運命に守られた歴史ならば。
きっとそうなるだろう。
「でも同時に相手の想う壺というのもね。
全てが誰かの思惑の通りなのだとしたら、その先に何が待っているのか」
「それを知りたくて、ナンシーさんは襲撃者を追っている?」
「そう言うことね」
「でも、これがただの偶然という可能性だって。
誰かがこれらを全部仕組んだなんて……そんな可能性って」
「これらの全てが誰かの意図した物なんて考えるのは陰謀論好きの戯言かもね。
戯言が嫌ならこう考えても良い。
これらの全てが偶然の運命なのだとしても、その運命の先に一体何が待っているのか。
私はそれを知りたいのよ」
知らなければならない。
だって私は……この世界のキーパーソンの1人になってしまったのだから。
--
寝る段になって『土壁』を使った簡易宿泊設備の作り方と夜番のやり方を伝授し、明け方の夜番のためにと先に仮眠に就いた。
「あの……」
寝ている私の背中に掛けられる声。
「ナンシーさん」
「なに?」
無視しようかと思ったけど、名前を呼ばれて仕方なく声だけで返事をする。
休ませるために身体は動かさない。
「寝たまま焚火を維持するのですか?」
「えぇ。夜は冷えるもの。
この辺りはまだ枯れ枝が落ちているような状況ではないし」
災害が起こってまだ1年と経っていない原野ではまだ林と呼べるような植生群は形成できておらず、当然に薪となる枯れ枝も存在しない。だから必要な措置だった。
「器用……ですね」
「あなたも練習すれば出来るようになるわ、これ位。
将来、1人旅をするつもりなら練習しておきなさい。
まぁ暫くは練習も無理でしょうけども」
「どうして、ですか?」
「寝る前に魔力を枯渇してもらう必要があるの。
理由はその時に説明するわ」
「……判りました」
「もう寝るから、何もなければ時間になるまで起こさないように」
「はい」
シルフィは頷き、静かになった処で表層意識の半分を
「ナンシーさん」
再びシルフィの声で目が開く。
彼女への受け答えより状況の把握を優先。
何か異常事態という訳ではないらしい。
つまり交代の時間が来たという事。
そうと判ってゆっくり身を起こす。
「引き継ぐわ」
「あの……」
「なに?」
「おやすみなさい」
「ええ。しっかり眠りなさい」
それ以降、シルフィは余計な事を言わずにさっさと眠りに就いた。
私は彼女の寝息が聞こえるまで焚火の前から微動だにせず、それが聞こえてくると南側の土壁の前まで移動し、造った時に用意しておいた覗き穴に目を向ける。
そこに人影は無い。ただ静かな夜の気配がずっと遠くまで広がる。
さて、この暇な時間を何に使おうか。
ブエナ村までは『フェンリル』に見張りをしてもらっていたけれど、シルフィとの2人旅ではそうもいかない。
いや、かなり離れた場所で"あの子"は今も見張りを続けている。
だからまぁ、もう少し今後の予定について考えておこうかしら。
--
空気を切り裂く音を引き連れて、目の前の空をシルフィの木剣が薙ぐ。
その剣は私の鼻先、およそ3寸を過ぎていく。
防ぐ素振りすら必要のない、元から当たる事のない空を斬る剣。
か細い腕から繰り出されるそれは、もし当たったとしても打ち身で済む程度の児戯。
踏み込みが足りていない。
構えは様になっていて足運びも割と筋が良いように見えるのに、振るった剣の鋭さは剣神流でも中級か下手をすれば初級の部類。
剣を習って4、5年でこれでは素質の問題かはたまた師匠の怠慢か。
実践不足という意味も込めて後者? 確信はないけれど。
しかしその判断に僅かに迷ってしまった為に、止めの合図を出すのが遅れてシルフィは2刀目を振るってよこす。
それも胸元1寸半を通り過ぎていく。
剣の腕は概ね理解できた。
しかし、この程度ではあの襲撃者と一太刀すら交える事は叶わない。
サブマスターが無詠唱魔術師として鍛えても、ただの魔術師では高レベルの剣士の一撃を耐えられない。
何か秘密があるわね。少なくとも防御が硬い?
確認のためにと摺り足で動こうとした、その瞬間。
不思議な感覚が私の身体を包んだ。
シルフィがこちらの動きに反応した。
いや、剣を持って向い合っているのだから反応するのは当たり前。
……だけど。
先程の2回の攻撃で見た実力なら到底できないような俊敏な反応は、こちらが想定するより3拍と半分早い。
何か妙だ。
こちらから剣を振るってもいないのに彼女の取った間合いは私の剣を受ける丁度良い場所にいると感じている。
打ち頃な間合い。それは剣を受けるための間合い。
先の2刀は水神流のカウンターを誘うための布石?
それとも?
出会ってから昨日までのやりとりが脳を巡る。
此処まで間合いを読む事が出来るのなら、踏み込み不足はわざと。
つまり。
「当てなさい。
どうせ魔術で治癒出来るわ」
その一言が扉を開ける鍵だったのだろうか。
「イヤアアッ」と気合を込めたシルフィの剣が弾ける。
今度はバチンと上腕に当たる。
先程よりも鋭い、剣神流なら中の上の斬り込み。
しかし闘気を纏った身体に痛みは走らず、むしろ逆にシルフィの方が痛そうな顔をして手を休める。
「ほら次は足を狙いなさい」
私の指示で再起動する彼女。
シルフィは指示通り脛や膝を打ち、いつしか彼女の剣から迷いは薄れていった。
--
腕前を見たその上で、シルフィには受けて来た指導内容をあらためて説明させることにした。
話をさせながら私は夕食を準備する。
彼女は攻撃を魔術に任せて身を守るための水神流を学んだそうだ。
剣の構え方、振り方。
相手の剣を受ける方法と受けた後にカウンターを繰り出すための手順。
それらに関するパウロさんなりの戦術をシルフィでも出来るように噛み砕いた物。
後は踏み込みと間合いの取り方、相手の意図を読み、また相手にこちらの意図を悟らせないようにするやり方などなど。
話すテンションの違いから、どれをパウロさんが指導したかも凡そ分かる。
もちろん後者がサブマスターから受けた指導なのだろう。
話を聞き終わってまず感じた事は1つ。
彼女はなんと無駄な5年間を過ごしたのだろうか、ということだった。
随分と遠回りをして来たのだ。この子は。
気の毒だと感じてしまってからゆっくりと「なぜ?」という疑問が湧き上がる。
前世でどうしても闘気を手に入れる事が出来なかったサブマスターが、彼自身の日記の中で『魔力量を増大しすぎると闘気の感覚を掴むのが難しくなるかもしれない』と推測しつつ、それでも魔法剣士としての戦術研究を続けていた事を私は知っている。
そして現世のサブマスターは水帝の力を持つ魔法剣士に成った。
という事は、その点を考慮した成長方法を実践した結果のはず。
私自身もその点に注意しながら鍛錬を行って今の強さを手に入れた。
なのに「なぜ?」だ。
その方法をシルフィには施さなかった?
シルフィの話を聞く前ならば、教えたけれどシルフィにその素質が無かったという可能性もあった。
でもそうではない。
彼女は闘気を纏うための指導を受けていない。
理由を想像することは出来る。
私も転生者で、そして闘気が使える事も魔術が使える事も実家では秘密にしていた。
転生者の子供は怪しまれるからという理由で。
別に転生者だと気付かれるとは思わない。
だが無垢な子供でいられない以上、親や周囲がこちらの行動にどう感じるかは注意を払って然るべきだ。
だからシルフィに指導出来なかった?
いや、そんなはずはない。
彼が水帝になったのは3年以上前の事。
当初は怪しまれるから指導出来なかったとしても転移災害を防ぐために力を示したとするのなら、事実上その秘密は失われている。
とすると、やはり「なぜ?」という疑問は拭えない。
力を示す事は既に問題ない状態。
けれど力を授けられない。
それは受け入れる側の問題?
分別の付かない子供が強い力を手に入れる事は危険かもしれない、と考えた?
だとして魔術の力も結局は同じ力。
単純に魔術は良いけれど闘気はダメというのでは筋は通らない。
どちらかなら良かったけれど両方を手に入れる事はダメというのなら、その理由は何?
それが判らぬ内にシルフィを鍛えて良いのか。
--
疑問を整理した私は、夕食後のちょっとした間隙に話を聞く事に決めた。
「ねぇシルフィ」
「何でしょうか?」
「大切な事だから、嫌がらずに答えて欲しいんだけど」
「はい」
「ルーデウス・グレイラットはどうしてあなたに闘気を授けなかったのかしら?」
「とう、き?」
その名を出した事で彼女の身体が一瞬、蠢動したように見えるも最終的には知らない単語の方に興味は向いたようだった。
それならそれで良い。話を続けよう。
「上級になれば無意識に、聖級の剣士ならば意識的に身体に纏い、人を越えた力を発揮する技術よ」
「あっ、それなら。
師匠は
どうやら概念については既に知らされているらしい。
「同じ物よ。
剣神流は"オーラ"と呼び、北神流や水神流は"とうき"と呼ぶ」
「ルディやナンシーさんが強いのはその技術のおかげだと?」
その質問に1つ頷き、言葉を継ぐ。
「私達だけじゃないわ。
あなたの師匠が岩を両断したり、襲撃者が『土壁』を破断したのも筋力や剣の切れ味どうこうで為せるものではないの」
「……言われてみれば」
そうシルフィは独り言つ。
「つまりこういう事ね。
シルフィ、あなたは闘気を知らない。
教えてもらえなかった理由も分からない?」
「はい。分かりません」
「彼は力を隠していたのね」
その結論に、そうだと言わんとシルフィが力強く頷く。
「ルディが剣でも強いって知ったのは師匠と手合いをして勝ったときです。
でも直ぐに彼は旅に出て……いえ、その勝負に勝ったからこそ旅を許されたのかもしれないと思います」
「そう」
やはり怪しまれるのを怖れて力を隠していた。
このルーデウス・グレイラットこそが私と共に過去へと転移したサブマスターの可能性はずっと高くなった。
そして隠している間に自分の父親がシルフィの剣の師匠に納まってしまった。
結果としてシルフィに闘気を授ける時間が失われた。
ただそれだけ。深い意味はないのかもしれない。
素っ気ない返事をして身体を休めようと横になった時、「あ、でも」とシルフィの呟きが漏れたのが聴こえる。
「魔術や剣術を自分で工夫するようになったのはそのおかげかもしれないです」
工夫。
他人が発明した物、発見した内容を自分の手に馴染ませる行為。それは誰しもやる事。
アルビレオの訓辞、サブマスターの日記、新たなマスター探しの為に名だたる剣士達に出会って得た知識もしくは鍛錬の成果。
それらは発見・発明した者自身にフォーカスした最適解であり、相反する事柄もある。
だから自身に適用するために融合、取捨選択、ないし私自身のための新たな最適解へと昇華することは必須だった。
それを工夫と呼ぶとして、闘気を秘匿してまで教導せねばならなかった事なのだろうか。
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さらに数日が過ぎた。
その間に確認したシルフィの実力。
火水風土、治癒、解毒、それらの上級を網羅し、彼女の代名詞ともいえる無詠唱魔術も修得している事が判っている。
また剣術は三流派の基本を押さえた上で水神流を主軸に会得しており、ほんの僅か剣に闘気を纏っている所からして通常の鍛え方でももう5年と経たないうちに聖級へと至る素質がある。
闘気を積極的に授けなかった理由については、確たるものではないものの1つのもっともらしい答えに辿り着く。
かつての『シルフィ様』がそこまでの力を求めていなかった、という理由だ。
長らく記憶の底に沈んでいた出来事だったけれど、シルフィと旅をするにつれてそれは蘇った。
『シルフィ様』は、「ボクは王級の魔術を使う魔力を持っていないんだ」と仰られた。
若くして転移した彼女は守護魔術師となってしまったがために常に暗殺を警戒し、魔力増大法を継続できなかった事が災いしているのだとも話されていた。
「では魔力をそれほど消費しない魔術を学んでみては?
サブマスターはそういう魔術の研究・開発も行っています」
「うーん。
ボクってもう辞めちゃったんだけど元はアリエル様の守護魔術師だったからね。
ミリス神聖国の秘匿魔術を使えたらやっぱりマズいし、他の物もアスラが隠していると疑われる理由になるんじゃないかな」
「ならば『龍神オルステッド様からその知識を授かった』とすれば宜しいかと」
「うん。そうかもね」
そのお顔には裏腹な表情が彩られている。
「何かまずい事でも?」
そう聞くと、耳を掻きながら彼女はお答えになった。
「子供達には嘘を吐いてはダメって教えてるんだよね。
言った本人が守らなくちゃ。やっぱり教育に良くないよ」
その言葉と優しく笑われた表情に対し、私は初めにこう考えた。
いざという時に役立たずで終わって『後悔』したらどうするというのか、と。
次いで『或いは彼女は自分の寿命を考慮に入れて、力を付け過ぎればラプラス戦に駆り出される可能性を危惧したのかもしれない』と。
だが研究所での仕事やシャリーアでの実験の合い間にグレイラット家を訪れて子育ての手伝いをしていると『シルフィ様』のお立場も理解する事となった。
『シルフィ様』はサブマスターの3人の妻の内の1人。
家事全般を取り仕切っており、他の2人が剣術と魔術をそれぞれ専門とする関係だった。
いや無詠唱治癒魔術を行えるというだけで十分過ぎる優位性があり、他の妻達とのバランスを考えてそれ以上の力を望まなかったのだ。
おそらく同じ事をサブマスターも理解していたに違いない。
だからこそ彼女に前世以上の力を積極的に教えなかったのだと思う。
でもサブマスターが転移災害をこのように完全に防がずに、されども未来を変えた結果、彼女は魔法剣士としての新しい未来を踏みだした。
サブマスターの望んだ事ではないかもしれない。
転移災害への対応こそがより優先順位が高いから、シルフィはそうなってしまっただけかもしれない。
守護魔術師にならず魔法剣士となり、サブマスターと結婚できるか分からないシルフィ。
こうやって関わってしまうと決めた以上、私が関わる事で彼女の未来はさらにまた別の物へとなるだろう。
だとして私はどうするべきか。
私は彼女をどうしたいか。
どうなったら良いと願っているか。
纏まることのないまま意識が暗い所へと落ち、いくつかの他愛ない考えが湧いては霧散するを繰り返す。
…………
……
何度目だったか、ふと暗い水面に1人の人物の影が映る。
影だけの人物。
それでもその人物が誰なのか、私には分かっている。
会った事はないからこその影だと考えれば納得もいく。
龍神オルステッド。
彼がなぜ頭の中に現れるのか。
誰かは分かってもなぜ現れたかをまどろみの中で答える事はできなかった。
でも目が覚めてシルフィを見て、何となくその疑問は溶けていった。
私と龍神、シルフィと私。関係は似ている。
前世。私の人生は私の意思が為し、私の意思により成っていた。
シルフィの人生も彼女の意思によって為り、そして成る。
私がどんなアドバイスをしようとも。
龍神のように複数の過去を知ることができたなら意見はまた違うのかもしれない。
複数の過去を知る事で、その中から最良の1つを選び取ることが出来るのかもしれない。
だが私は1つの過去しか知らない。
正確に表現するなら、今は私が誕生するよりもさらに過去であり、私の体験した過去は今よりも未来だ。
情報が無い中で私の知る未来へと繋げる事が最良の選択肢だと断言する根拠は無い。
次回予告
シルフィの闘気に関する知識は不完全だ。
訝しむナンシーだったが、新たな未来を切り拓くために覚悟を決めた。
確かざる物を積み上げるように。
次回『ナンシー先生の闘気塾』
予想を超えて少女は走り出す。