無職転生if ―強くてNew Game―   作:green-tea

109 / 125
今回の内容には多分にオリジナル設定が含まれます。


第109話_忘れられた魔術

--- あーここにあったんだ。見つかってよかった! ---

 

俺はラタキア上空で豪快なフリーフォールを決めていた。

自分のせいだと嘆きながら。

 

なぜこんな事になったのか。

着地するまでの僅かでもない時間を利用して話をしよう。

 

数日前。

石像を寄付する代わりにザノバに頼んだミッション。

1つ、シーローン城の間取り図に俺が赤点で記した部屋に行き、魔力結晶を設置できる結界魔術の魔法陣(パーツA)を写し取ること。

2つ、同部屋で隠し階段を探し、その階段の先にある部屋にあるはずの結界魔術の魔法陣(パーツB)を写し取ること。

 

だが数日経って届いた報告は色よい物ではなかった。

落とし穴と隠し部屋は見つけたものの、部屋は単なる牢獄として使われており、上下の部屋双方で魔法陣は存在しなかったという。

事前に表面処理がしてあるかもしれないと伝えておいたのでザノバは床の石畳と壁紙を全てはがしてくれたらしいのだが、何の変哲もない石畳だったらしい。

 

その報告を聞いて漸く「あぁそうか」となった。

そもそもパックスが王級結界の魔法陣を用意したのはロキシーを捕らえて慰み者にするため。

活躍していたとはいえ兵士の練兵が主である軍事顧問という立場では王室との繋がりは弱く、パックスも恋心や不貞な妄想を抱く対象にはしなかったのだろう。

 

それは良い。

だが新たな疑問が生じる。

前世で居たはずの王級の結界魔術を操る魔術師はどこかに存在せねばならない。ここシーローン王国に?

 

結界魔術の管理はミリス神聖国にして治癒魔術と並ぶ程の生命線となる技術だ。

前世でシーローンに王級魔術の魔法陣が無防備に設置されたというのは自然な流れではない。

ザノバ情報でも生まれてこの方、王宮にミリスから派遣されている魔術師はいないし、ロキシーが来るまで王級の魔術師など一切在籍していないというのだ。

だとすると恐らく俺の知らない背景が隠れているに違いない。

 

そこで考えられる可能性はいくつかある。

例えば、前世のパックスが俺をびびらせるために大言壮語を吐いたのかもしれない。だとすれば実は、あの結界魔術は王級ではない?

だが上級結界魔術『魔成阻害(マジックインピード)』と上級結界魔術『封域(シャットアウト)』を合わせたような効果は聖級もしくは王級と認定されるに十分だ。では別の可能性。

例えば、そう。

 

「そう言えば、ここには水王級の魔術に関する本がありましたね」

 

「えぇ。『雷帝スムマーヌス』です。

 古くから続く由緒ある城ですから、シーローン城の書庫には色々な本があります。

 他では中々みられない面白い本も沢山ありますよ。

 印象に残っているのは『魔神語辞典』や『海神族鱗大全』でしょうか」

 

最後の本を書いた作者は一体どんな理由でそれを書こうと思ったのか。

……あまり気にしてはいけないのだろう。

最後のは忘れて、そうつまり、ここの書庫には王級の魔術に関する書籍が少なくとも1冊あるのだ。

1冊あるのなら、似たような本がもう1冊あっても不思議ではない。

 

という訳で、可能性を確認するために俺は書庫に忍び込むことになった。

ザノバが急に書庫に入り浸るのも不自然だし、突然昔働いていたロキシーが書庫を閲覧したいと頼みに行くのも無理がある――拒否されるならまだしも、戦争への参加を要請されたりしたら断るのに別の苦労を背負い込む事になりかねない――ので俺ただ一人での潜入ミッションだ。

 

雲海を突っ切ると眼下にはシーローン城が見えて来た。

広がる夜の首都上空は繁華街に光が見える以外は薄ぼんやりと輪郭を見せるのみ。

殆どが闇なのだ。

身も蓋もない景色の中、速度調節は順調に進む。

 

惚れ惚れする程の無音で屋根へと着地を決め、危険を最小化するための動きに余念はなく、すぐさましゃがみ込む。

シーローン城の見張り台は殆どが外を向いている。

外堀もあることで監視の目が上を向く事はない。

城内を巡回している兵士も余程の事がない限り、闇夜に紛れる衣装に身を包み、屋根に潜む者を見つける事は難しいだろう。

 

シルバーパレスに2回、ホワイトパレスに1回、そしてシーローン城。

併せて4度目ともなれば、やり方はスムーズだ。

背中に背負った魔法陣を闘気の手を伸ばして起動し、神獣バルバトス1体を召喚。

命令は彼のシーフの能力で罠や隠し扉、監視の目を感知させる事。

と同時に、自分も魔力や闘気の感知をパッシブソナーの要領で使って手練れの存在を確認する。

5分程だろうか、入念に調べてみるが危険はなさそうだと判った。

 

よし。頭の中で経路をイメージし、書庫へと駆けだした。

 

--

 

人気(ひとけ)のない書庫へと踏み入り、速やかに防音壁(ノイズバリア)指向錯誤(ダミースクリーン)を展開。

一応、入り口付近にバルバトスを立たせて警戒態勢は解かないでおく。

思ったより大きな書庫。ラノア大学の一般講義を受ける教室と同じくらいの広さがあるだろう。

 

向かい合わせに立ち並ぶ本棚。

入り口の棚、何冊かに目を通すと行政日誌らしい。

背表紙におよそ3か月毎の日付が刻まれている。

守衛も居らず、誰でも入れるところにあることからも大した内容ではないのだろう。

その他にも入り口から5列は公文書が雑多に納められていた。

それらを越えると、図書館然とした棚が増えて、ロアの屋敷にある書庫と似ていると気づく。

 

そうして何冊か、気になるタイトルの本をピックアップしては引き抜いた場所とタイトルを手元の手帳代わりの紙束にメモし、転移魔法陣へと投げ込む。転移した先では待機しているマリア達が休みなく写本をしてくれる。

教科書製作の効率を考える限り、1冊辺り1時間。事典系はその倍を見ておけば良いだろう。

さっさとピックアップ作業を終えておくのが滞在時間を減らす為のコツとなる。

ちなみにメモは戻って来た本を元の場所に戻すのに必要で、雑多な配置を見る限り戻す場所の管理がしっかりしているとは思えないが、配置がガラリと変わっていれば誰かが何かに気付くかもしれない。

そういう懸念への措置をするに越したことはない。

 

概ねピックアップし終える頃には、写本を終えた原本が戻り始めていた。

そのせいで休みなくメモを見ながら本棚へと返す作業を続ける事になった。

 

--

 

あれから数日後。

今回の件、ザノバの事前調査のお陰で王級結界魔法陣が記憶の場所に無いというのは十分に役立つ情報だったが、ザノバとしては像を貰うくらいに手伝えたとは感じていないらしい。

掌サイズの『闘うロキシー人形』を目の前にして、急にこれ程の物とはと唸り、師匠がどうのとブツブツと独り言を呟く始末。

そんな彼を前にどうしたものかと考えていると、

 

「あのザノバ様、お一つご提案なのですが」

 

そうロキシーが言葉を投げた。

 

「ロキシー殿何か?」

 

物思いを邪魔されたせいか、やや苛立たし気なザノバ。

おい、敬意を示さんか。

そんな気持ちをぐっと抑える。

 

「実は第七王子様が護衛の騎士を使役するために、人質をとるなどの悪行に手を染めている様子」

 

「パックスか……あの者はそういう事にも躊躇いがないかもしれぬ。

 ジンジャーも似たような事を申していた。

 だが第七王子ともなれば、つまらぬ事で無下にされてきたであろうからな。

 そうせねば生きていけぬのやもしれぬ」

 

「きっと私の教え子たちの中にも困っている者がいるでしょう」

 

「ほぅ。

 優しき御仁は昔魔術を鍛錬した部下等まで気に掛けるか。

 誠に天晴れであるが……だとしてもそれを余に話して何とする?」

 

「人形を差し上げる代わりに、その者達を内密にご解放いただければと」

 

さっとザノバが表情を険しくし、ぽつりと「そうではない」と吐き捨てた。

続けて、

 

「ロキシー殿。

 この人形の素晴らしさが貴殿にご理解できるかな?」

 

と話題を転換させる。

自らを(かたど)った人形を目の前に突きつけられたロキシー。

彼女はその人形をそこで初めてまじまじとみる。

ただしザノバは長身痩躯、一方のロキシーは低身長であるが故に、彼女の瞳に映ったのは人形のスカートの中。

だからこそだろう。

 

「ぐ、こんなに精緻に作る必要はないのに」

 

と内心を漏らし、あたかもそれはザノバの問への返答となってしまう。

聞いたザノバは我が意を得たりという顔に変じる。

そして、

 

「至高なる価値を解せぬ事、相分かった。

 あぁ、待て批難したいのではない。

 交渉は、相手と自分の差し出す物の価値が釣り合わねばならぬと先日、余も学んだばかりだ。

 なに、居丈高に講釈したいというのではない。

 ただ分からぬのなら黙ってみておれ」

 

と諭されて

 

「差し出口を申しまして、すみません」

 

ロキシーは納得したのか、そう謝った。

俺の中の下っ腹辺りでマグマのような熱さが灯る。

ザノバは人形の事となると、見境がなくなりがちだ。

抑えろ。抑えろ。

俺は内なる敵と戦っていたが……。

 

「許そう。

 貧しき魔大陸。魔物とさして変わらぬ生活を送って来た卑小な魔族が芸術を解せぬとて無理もない」

 

という一言で。

 

ブチィィィィィイっ!

 

という音を耳にする。

俺の中で何か袋状だった物の緒が切れたらしい。

今は見る影もない。

 

「おい。俺の妻に下手な事言ってっとシメっぞ」

 

俺の中の内なる本性が店主の仮面をかなぐり捨て、低い声で唸った。

その豹変ぶりに、ザノバが目を見開く。

そして、

 

「なん……と?」

 

と驚きながら、ロキシーからこちらへと顔をずらす。

そこにあるのは鬼の形相のはずだ。

 

「だから、彼女は俺と結婚してロキシー・(ミグルディア)・グレイラットになった。

 そもそも人形が作れるのもロキシー先生が俺に魔術を教えてくれたからだぞ。

 それを言うに事欠いて」

 

「ぬうおおおおお!」

「ヒィッ」

 

ザノバは俺の怒りの途中で五体投地した。

その姿にロキシーは露骨に(おのの)き、震えだす。

チッ。話の途中だというのに、コイツは。

 

「やはり、やはりやはり。

 貴方様がこの像を作られた人形師ご本人であらせられましたか!」

 

聞いてねぇ。

だが久しぶりにコイツの像に対する愛着というか妄執のようなものを耳にすれば、いつしか怒りも鎮まった。

現世ではペルギウスへの販売を除いて、ラトレイア家とギレーヌにしか渡していない人形。人形愛好家のザノバにしてみれば垂涎の品といった所か。

王子が五体投地し続ける姿も哀れだし、ロキシーの提案は理に適っている。

問題は、ザノバが上手く立ち回れるかだが。

 

「ザノバ様」

 

しれっと丁寧な言葉遣いに戻しておく。

 

「ザノバとお呼びください。師匠」

 

だが彼自身がそう呼べというのなら、

 

「ザノバ」

 

「ハッ」

 

やはりこちらの呼び方のが呼び慣れている。

手を差し伸べて彼を立ち上がらせてから、

 

「私からもパックス王子の魔手に堕ちた者達を救い、同じ事が二度と起きぬように手配を頼む。

 王子側にもやむなしと言える事情がある以上、穏便に事が済むようにな。

 その辺りは殿下の護衛騎士が詳しいだろうから協力を頼むと良い。

 あぁ後、人形が欲しいからと自分の護衛騎士と交換などせぬように」

 

「人形と自分の資産を交換するのは当然の権利では……」

 

「ザノバ。

 王族の中で頭角を現さぬようにしておくことが、政治的な安全を得るための処世術だと私は分かっている。

 だがな。闘いの神子として前線の基地を貰って気ままに人形制作でもして過ごせば良かろう。

 我が弟子となった者が人形狂いの腰抜けでは困るぞ」

 

聞いてザノバは「ぐっ」と歯を食いしばった。

人はそうそう生き方を変えられない。

それに人形を作るにはザノバの手は不器用過ぎる。

 

「殿下。

 貴方に自動人形(オートマータ)の研究を任せる事もできる」

 

「自動人形?」

 

「龍族の技師が作っていた自ら動く人形の事だ。

 偶然、設計書を手に入れたのだが、多忙故、研究できていない」

 

「それを余に任せると!?」

 

「然り。

 研究の進捗には褒美があると知れ」

 

「褒美とはつ、つまり?」

 

「私が造る人形だ」

 

「しょ、承知しました!」

 

--

 

二十日程で旅から戻った俺達を迎えた家族は無事を喜んだ。

短い旅だったがそれでもだ。

ただエリスだけは「帰ってくるのがちょっと早いのよね」と不満そうであった。

 

「まぁ移動は全部転移魔法陣だから」

 

「一月もしない内に強くなれって言われても困るわ」

 

「そんなに急ぐ必要はないだろう?」

 

「駄目よ」

 

「なぜ」

 

「だって早晩あなたは闘うんでしょう?

 彼に」

 

エリスがずらした目線の先には壁にもたれた骸骨男。

 

「そうらしい」

 

俺の受け答えに満足したからだろうか。

骸骨男は一言も無く立ち去っていく。

恐らく明日には闘いを申し込まれるだろう。

 

「私が弱いままじゃ折角の手合いの凄さが判らないわ。

 きっとね」

 

エリスはランドルフが消えた先から視線を俺に戻しつつ口惜し気な表情を隠さなかった。

 

--

 

それから十日の間、不思議とランドルフからの手合いの申し入れは無かった。

だからと言って俺から手合いを申し込むのもおかしな話だ。

俺は命が惜しい。やらないで済むなら闘気を使った真剣勝負なぞ御免だ。

 

そんな訳で俺とロキシーはシーローンで手に入れた書物の分析に主な時間を費やしていた。

大きな収穫となったのは『堅牢の書(ザ・ソリッドネス)』と呼ばれる魔術書だ。

魔術書というよりは、シーローンの秘匿する同名の王級結界魔術に関した詳細な研究書と呼ぶべき物。

再現してみた結果と魔法陣の紋様の一部の見覚えが、前世で体験した魔術と同一と判断させるに十分だった。

恐らく前世においてこの本を読んだパックスとパックスの言うことを聞く魔術師が、この魔法陣を城内に設置したのだと考えられる。

 

しかし、いくつかの疑問が浮かぶ。

例えば魔法陣は床に刻み込まれていた。

それは一体、誰が?

俺のように土魔術を制御できれば魔術師だけでそれを為したと想像できようが、無詠唱がなければこのような繊細な処理は不可能。

とすれば彫刻師が必要になる。

その彫刻師はどこで見つけて来たのだろうか?

 

本を読み進めると、この結界魔法陣も聖獣誘拐事件のときに使われていた結界と同じ方式で魔力結晶からの魔力供給を別の魔法陣へ供給する仕組みだと判る。

 

魔力供給の魔法陣はそう言えばどこにあっただろうか。

いまいち記憶が薄いのだが、確かパックスと他の王子を連れて簡易裁判を行い、白状したパックスによって魔力供給側の魔法陣が落とし穴の天井側、つまり上階の床下に隠されている事が判ったのだったか。

それ程まで精巧に魔法陣を隠したというなら大工による部屋の改装も行った事になろう。

 

改装費に、王級結界を維持するための魔力結晶、そもそも彫刻師を雇うのに必要な金。

それらを王の耳に情報が入らぬようにしつつ、どのように工面した?

疑問に答えてくれる者はいないが、きっと並々ならぬ努力があったのだと想像できる。

行動の原動力が不純だろうとも、第七王子のパックスがそれを成し遂げたという事は評価すべき美点だ。

 

内容に関しても同じ。

魔神語で書かれたこの本を翻訳して理解する。

今の自分には苦にならないそれも、在野の魔術師や宮廷魔術師の指導を受けただけの王子様には大変な努力を必要としただろう。

正確に理解したければ魔法陣や結界魔術に関する基礎学習、既存の魔法陣に対する多くの疑問点が浮かび上がるかもしれない。

魔法陣について今の世界では形状を覚えるだけというのが普通であり、それを突破するのはナナホシなのだ。

この本のように魔法陣の研究をした者、その書物は少ない。

まして結界魔術はミリスが秘匿している。

前世で俺が魔法大学に入学するよりも前の現時点では結界魔術は初級も含めて完全非公開だ。

それはアイシャやロキシーの話しぶりから推察できている。

バクシール公の説明から想像していけば、辻褄が合うためにはクリフを特別生にするために教皇が取引をして、今後、初級の結界魔術と聖級治癒および『反魔装甲』の魔法陣がラノア魔法大学へ供与される。

 

そう考えていくと、真面な理由であったのならパックスの努力は高い評価を得るはずの偉業だっただろうと思えてくる。

だが、そうはならなかった。

 

「誰でも努力はするもの……か。

 他人に認められるかどうか、満足する結果になるかどうか。

 本当にただの運でしかないのだろうな」

 

俺も前前世ではその運が無かった。

いや違うか。無かったという程でもない。

結局は気の持ちようと表現すべき僅かなすれ違いを理解できるかどうか。

変わると言ってもほんの僅かな変化なのだろうが、人の運命はその意志によって変わる。

世界にとってはほんの僅かな違いでも、自分の人生にとってはその積み重ねが大きな違いになる。

 

--

 

十日の間に別の大きな収穫もあった。

それをもたらしたのは『雷帝スムマーヌス』というタイトルの本だ。

もちろん入手先はシーローン王城内書庫。

出がける前のロキシーの話にもあった。

中身は魔術書ではなく自叙伝形式で雷帝スムマーヌスの活躍を描いている。

主人公のスムマーヌスは雷の精霊であり、その力から雷帝の王子と渾名された。

地上の悪徳を次々に薙ぎ払った彼は功績を讃えられ、光神から雷帝剣(シグムンド)を授かるとともに天へと上がる。

雷帝と呼ばれるようになったスムマーヌスは地上に再び悪徳が蔓延った時、光り輝く力を以ってその威を知らしめ、そして地上に残りし善なる人々に『雷光』の魔術を残した。

三度悪が栄えた時、人々が自らの力で悪に打ち勝てるようにと。

 

この本にはロキシーが教えてくれた水王級魔術『雷光』の詠唱文が記述してある。

本人に確認すればまさしくこの本から当の呪文を手に入れ、ダメ元で唱えてみれば、実際に魔力を吸い取られて驚いたという。

そこから幾度かの練習を経て術を体得したなんて、驚く裏話である。

 

――まぁそれはこの際どうでも良い。

脳は別の事を考えだす。

 

雄大なる水の精霊にして、天に上がりし雷帝の王子よ!

我が願いを叶え、凶暴なる恵みをもたらし、矮小なる存在に力を見せつけよ!

神なる金槌を金床に打ち付けて畏怖を示し、大地を水で埋め尽くせ!

ああ、雨よ! 全てを押し流し、あらゆるものを駆逐せよ!

雄大なる光の精霊にして、天を支配せし雷帝よ!

そびえ立つ者が見えるか! 傲慢なりし帝の御敵が!

我は神なる剣にて、かの者を一撃に打倒せんとする者なり!

光り輝く力を以って、帝の威を知らしめん!

 

口にした訳ではない。

もし口にすれば『太古の盟約』によって魔力を無理矢理に徴発され、少なくとも『豪雷積層雲(キュムロニンバス)』によって研究室が水浸しになるのは間違いない。

そんな何も起こらなかった小さな研究室の中、魔術で造った天井板を見上げて思う。

今の話と詠唱の間には埋めがたいズレがある、と。

 

「スムマーヌスは水の精霊でも光の精霊でもなく雷の精霊?」

 

他にもある。

 

「神より賜ったのは雷帝の『剣』? ……金槌ではない」

 

詠唱文がズレている。間違っているのは物語か詠唱文か。

だが詠唱文は起動する。ならば間違っているのは物語だ。

しかしだ。

しかし『雷の精霊』。

俺はコイツが気になっている。

 

「気になるよなぁ……」

 

古代精霊。

世界のあらゆる法則を具現化した存在。

ならば『雷の精霊』だって存在しているはずだ。

 

「それに昔からこの魔術はどこか奇妙だった」

 

そう例えば混合魔術『フロストノヴァ』は『水蒸(ウォータースプラッシュ)』と『氷結領域(アイシクルフィールド)』の2段階の工程を経て広範囲に存在する物体を凍結する魔術だが、水帝級魔術『絶対零度(アブソリュート・ゼロ)』は前工程無しに一瞬にして同現象を引き起こす魔術と言われている。いや正確には同現象ではない気がする。

『フロストノヴァ』が物体に水滴が付く程に濡らし、その温度を凍結温度に下げる魔術であるのに対し、『絶対零度』は物体の温度を直接的に凍結温度にまで引き下げるのだから。

 

翻って『雷光(ライトニング)』はどうか。

この魔術は、先の『フロストノヴァ』と『絶対零度』の中間に位置する魔術だろう。

水王級魔術でありながら『フロストノヴァ』と同じく2工程から成るという所に着目せねばならない。

豪雷積層雲(キュムロニンパス)』で雨雲を呼び出す第1工程と、それを後続の制御の詠唱文によって無理矢理に圧縮して雲の中に生じた電子を一点に叩き落す第2工程によって構成されている。

 

「『豪雷積層雲』で雨雲を生成しつつ制御するのが『雷光』の奇妙な点。

 『豪雷積層雲』で一旦魔術を発動させてから雨雲を操作することができたら、混合魔術『召雷』とでも名付けてみようかな」

 

ひとしきり口に出してみて、また考えてみる。

視線はもう天井にはなく、机の上のペンに向けられている。

 

「なぜそんな面倒な事をしてるんだろうか」

 

いや判っている。

そうさ。さっきの奇妙な点こそがその答えだ。

 

「雷の精霊はなぜ居ない」

 

--

 

十日が瞬く間に過ぎた早朝。

庭での鍛錬はいつもとは異なる雰囲気にあった。

ランドルフと俺は普段通り。だがパウロとエリスは別の期待を膨らませている事がありありと判る。

今日でランドルフが来てから丁度一月になるからだ。

 

「約束の刻限です」

 

ランドルフは穏やかにそう述べた。

まだ剣は抜かれていない。

 

「判りました。ならば場所を変えましょう」

 

「本気の貴方が見れるならばどこへでも」

 

エリスとパウロも連れて魔大陸の荒野へと飛ぶ。

お互いの間合いよりさらに一足跳びの距離を開けて俺とランドルフは向き合った。

 

細かい説明はせずに握りこぶし程の石を地面から拾い上げ空へと投げる。

それが丁度二人の中央へ落ちた瞬間。

ランドルフは待ちの姿勢ではなく飛び込んできた。

魔法剣士に対して遠中距離戦は不利だという判断は1か月前から変わらないか!

 

予想内の行動に対して、相手との中間に『泥沼』を発生させつつ『土壁』を足元へ。

俺の身体は地面ごと、ぐんぐんと空へと押し上げられる。

が、地平線が遥か遠くに見える頃。

視線の上昇は止まり、逆に斜め下へとスライドし始めた。

 

ランドルフが剣を一閃し、斜めに壁を切り倒したようだ。

目を凝らせばランドルフが待ちきれずに崖を駆け上ってくる。

 

俺は斜めに崩れていく地面から『土槍』で自らを射出。

追いすがるランドルフから今一度距離を稼ぐ。

 

背中に悪寒を感じ、空中で『飛翔』に切り替えて姿勢制御すると弾丸のようにランドルフが迫っていた。

闘気を使った跳躍か。だが隙だらけ。

軌道を読んで突進を回避した後、相対速度を計算し、相手の前方へ『岩砲弾』を撃ち込む。

それをランドルフは後ろ向きのまま北神流の剣技で払いのける。

 

あ、まずい。

 

これはシャンドルの時も見たパターン。

剣を使って岩の弾丸を打ち払うたび、ランドルフは体勢を立て直すのが判る。

ランドルフの防御は硬い。水王級という触れ込みだが今見たように北神流にも防御技がある。

攻守一体となったような技だ。接近戦では『幻惑剣』もある。

それらを踏まえるとサンドラ並みの防御力があるだろう。

 

軽やかに着地し、遠くでランドルフも大地へと降り立つ。

だが僅かに俺のが早かった。

 

その時間を使って無詠唱『豪雷積層雲』を発動。

俄に世界は雨に濡れそぼり、至る所に落雷が舞う。

そこで極大化した『氷結領域』を展開。雨に濡れた世界は勝手に『フロストノヴァ』を発生させる。

事前の『水蒸』が無ければ読みにくいだろうと考えたが、それでもランドルフは最小限の迂回で迫ってくる。

がそこで立ち止まった。

 

俺が水浸しの地面の下で『泥沼』と『土壁』のアレンジを仕掛けたのに気付くか。勘が良すぎる。どこで判断している?

 

兎に角、俺は荒野を泥と沼の谷底へと変化させた。

立ち止まったランドルフだったが、その身は下へ下へと飲み込まれていく。

 

そのまま昔にオルステッドに使ったこともある巨大隕石を思わせる『岩砲弾』を射出。

極めつけに『雷光』の後半だけを魔力操作で実行する。

天から巨大な光の矢が放たれ、眼下の巨石に直撃。

遅れて来たゴガァン!という爆音が耳を空白にする。

 

耳が周囲の音を聴きとれるように成る頃。

ガチッという音と共に巨石が揺れ、下から這い上がってくる何者かを捉えた。

泥で汚れ、雨に濡れ、ところどころを黒焦げにした姿の男だ。

その男が巨石と谷の狭間で膝を付くのが遠目に見え、動こうとしなかった。

演技……かもしれない。

そう感じながら慎重に近づいていく。

 

「まだ、やりますか?」

 

間合いの外からの声掛け。

 

「暫くは……」

 

動けそうにないらしい。

 

「では今日はここまでに」

 

俺は剣を納め、ヨタヨタと立ち上がる死神を治癒魔術で癒した。

まだふらつくランドルフに肩を貸しながら谷底を魔術で元の荒野に戻し、それから彼を座らせる。

 

『土壁』による地形変化、『土槍』によって飛び、空中で『飛翔』に切り替える手順は中々の機動力を持っている。

そしてそのまま『飛翔』を制御しながらの『岩砲弾』。

最初から企図した訳ではなかったが、咄嗟の判断で空中戦に持ち込んだのは正解だった。

重力魔術が最強である所以に酷似している。兎に角、相手の足場を悪くするだけで大半の剣士を無力化できる。

 

あの状況。

もし相手が剣神流なら追いかけてくるかもしれないが、ハチの巣に出来るだろう。

水神流ならそもそも追いかけて来ない。

つまり距離が稼げる。逃げるも闘うも俺が判断できるし、もし闘うなら遠距離から魔術で圧倒すれば良い。

といっても水神レイダ程であれば魔術を無効化して遠距離カウンターを仕掛けてくるだろう。

倒すにはカウンターを返せない程の大火力を必要とする、か。

そして最後に残るのは北神流剣士の対応方法。

普通の北神流剣士――この際パウロを含めてでも良い――ならば恐るるに足らずとして、北神流の一部は飛翔体を利用した空中遊泳のテクニックを持っているらしい。

ランドルフはあの技を『流』で受け流しつつ、シャンドルは彼自身の闘気の特性によって実現していた。

そう言う意味で、今日対戦した相手もシャンドルも北神流剣士の中では飛びぬけて防御力が高い相手。

そういう相手には生半可な遠距離攻撃をしてはいけないということ。

 

つまり、距離を取って闘うにしても『水神並みの相手はカウンター』が出来るし、『北神流の中でも高い防御力がある場合は、こちらの攻撃を利用して状況を相手有利に傾ける事』が出来るので、それを常に頭に入れて立ち回る。

 

手の内はなるべく隠しておくに越したことはない。

重力魔術、召喚魔術、転移魔術。

どこで俺のことを監視している奴等がいるかは判らない。

 

後は……どうやらランドルフの勘の良さでも巨石は回避できないらしい。

圧倒的な重さと範囲。

水神流の力ではあの魔術を相殺するのが難しいのは俺でも判る。

人間の扱う闘気量では吸収しきれない。距離が稼げていればレイダもこれで対応できる。

社長はレジストしていたから過信はできないが。

魔術のレジストか、いや待てよ……

 

「龍族の固有魔術『招焔岩雨(メテオストライク)』をこの身で受ける事になるとは。

 あの人が君を危険だと思う気持ちも少し判ってしまいますね」

 

考えていたところで、少し落ち着いたのだろうランドルフからのぼやきを耳にした。

 

「『招焔岩雨』?

 今のは大きさをアレンジした『岩砲弾』ですが」

 

「天空より星を降らせる龍族の魔術『招焔岩雨』。

 魔帝キシリカ・キシリスからはそういう魔術があると聞いています」

 

「初耳です」

 

「まぁどちらでも同じ事。

 君と無制限フィールドで闘うのは止めた方が良いというのは良く判りましたよ」

 

「ランドルフさんは駆け引きの上手なお方ですから。

 こちらの狙いを裏の裏まで読み、接近戦では心理戦を仕掛けてくる。

 それを崩すなら接近戦を避けて回避の難しい攻撃を当てるのが良いと思ったまでです」

 

「普段、体術のようなものを鍛錬している時点で既に君の術中だったという訳ですか」

 

「あれはあれで本気の鍛錬ですよ」

 

「ほう……」

 

「まだ未完成ですので、もう少し固まって来たら鍛錬にお付き合い願おうかと」

 

「楽しみにしていましょう」

 

と感想戦は終わり、頃合い良く、遠くから観戦していたはずの2人が走って来た。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。