無職転生if ―強くてNew Game― 作:green-tea
--- 心配される事と信用がない事は似ている部分がある ---
ミリシオンで神子襲撃事件の後始末をするついでに、カーライルから聖獣誘拐事件と神子襲撃事件の裏側に関する情報を収集してみれば、思いがけずザントポートにいるバクシール公爵の名前が出て来た。そしてバクシール公爵の寝所に押しかけたころ、また真偽不詳の情報が増えてしまった。
特に関係するのは帝国。
手に入れた情報を総合していくとブエナ村を襲撃してきた組織に繋がっている可能性が見えてきている。もしそうなら国家横断的な組織がなぜ聖獣誘拐事件に関わり、なぜ帝国を造って紛争地帯を統一しようとしているのか。
本当に関連があるかどうか。
情報収集して確かめねばならない。
そうでなければ枕を高くして寝られないし、これ以上後手に回って北神二世がほのめかした事が現実になるのも避けたい。
しかし情報収集か。
新聞、テレビ、ラジオ、電話、インターネット。
それらの無い世界において情報というものは人と人の口伝えが頼りだ。
最も原始的な新聞であっても活版印刷術に必要な紙の大量生産、活字(組版)、インク、印刷機が必要であり、その内のインク以外は発展途上。情報社会の夜明けはまだ遠い。
情報の伝達が遅いおかげで禁術である転移魔術を使っても俺がいつどこに居たか、それを正確に把握する事が難しくなっていた。
だからこそ、全世界を飛び回って転移事件を防ぐことが出来たとも言える。
また安易に情報化することはヒトガミに利する可能性が高いし、俺には人形術を使った写本の自動生産システムがあるのでむしろ今のままの方が良いという考えもできる。
だが残念ながら転移事件で目立ってしまったがために状況は悪くなった。
俺と俺の家族は常に謎の組織に狙われていて、その戦力が強大であるが故に長い時間、彼らの元を離れられない。
それと要注意人物に対する監視の網が荒いと言っても、いつシャリーアに居るかどうかくらいは記録されているのも厄介だ。ミリシオンで活動した1年後、2年後にルーデウス・グレイラットがミリシオンで神子様に会ったという情報が流れて来れば、監視者達は当時に遡って俺が監視の目を逃れ、何をしていたか、どうやってそこに居たのかを考える事になる。
その先にあるのは禁術の露見による一家離散。
悲しい未来予想図だ。
俺はそれを望んでいない。
だからこそ、田舎なら未だしも人が多く居る場所へは近寄らない。
もしどうしても出向く必要がある場合は夜間、人目を忍んで活動する。
これまではそうしてきた。
だが情報は人の交わる場所に集まる。
俺自身が人目を忍びつつ、どうやって情報を集めるか。
いつもの案出しルールに従って3つの案を考えてみた。
案1、代理人を使った調査。
案2、帝国への潜伏調査。
案3、周辺国への潜伏調査。
代理人や探偵に依頼する場合、この前のパウロの腕を治したときのように身元を隠して依頼する事ができるだろう。ただし、その代理人の命が狙われる可能性を考えなければいけない。身元を隠して置けば敵にこちらの意図は読まれにくいがそこらの冒険者が俺らに関われば人死になるかもしれない。それは寝覚めが悪い。また伝え聞いた情報を分析するのは実感が伴わないし、ミリス大陸で新たに感じた色々な事も前世では見過ごしてしまった事柄であり、それらは
次に帝国への潜伏調査を考えてみよう。
カボちゃんの話とカーライルじいさんから得た情報によると、帝国は約13か月前に街道から外れた不毛な大地である紛争地帯を平定した。
またバクシール公爵からの話を組み合わせると、帝国は国内向けの暗殺者集団『奇抜派』と海外派兵用の暗殺者集団『海牛』を持っていて、帝国の内情視察に行けば『奇抜派』に追いかけられることを意味する。
『奇抜派』の暗殺者と言えば、前世のアスラ王国の御家騒動の時に味わっている。あの一味だろうと思う。
とするならば、帝国への潜伏調査には2つの問題がある。
1つは帝国が造られた後にその一味は北神二世と共にロアに来ているということだ。バクシール公爵の説明では"国内向け"のはずの彼らがなぜアスラ王国で俺の所に来ていたのか。この疑問が解消されない限り、手に入れた情報の信憑性は低く見積もらねばならない。
もう1つの問題は俺の前世ではそのような国が無かったという事だ。
出たとこ勝負になるし、下手を打てば藪をつついて蛇を出すなんてことになりかねない。
ならばということで考えられるのが、周辺国への潜伏調査だ。
紛争地帯が平定されたとすれば、多くの情報が市井に出回っている事だろう。
特に中央大陸南部ではそういうやり取りが活発な筈だ。
それらを集めて分析することで次の方向性を決められるし、もしかしたら前世で見過ごしていた何かに気付く事ができるかもしれない。
先程と同じくバクシール公爵の情報はかなり信憑性の低い物なので難しいが、それを信ずるとすれば『海牛』らしき連中とは大森林で遭遇して剣を交えている。あのレベルなら遅れを取る事はほぼ無い。より手練れの者もいるかもしれないから油断は禁物と言って、取り回しが良く遠方まで派遣できる部隊があのレベルだということもまた真ではある。
リスクはどこにでもある。
問題は後戻りできない状況にならないように振舞う事だ。
なるべく慎重に、命大事に。
なら損益分岐点はおそらく『周辺国の潜伏調査』をする事だろう。
ここで追手の気配などを感じれば、一旦手を引く。
そうなるまで調査を続ける。そういう段取りで良いのではないだろうか。
さて、そんな潜伏調査に打ってつけの便利なアイテムをご覧に入れよう。
ほらほらどうだい。
お客さん。目を皿にしてみてくれ。
良い物だろう?
この指輪。どこからどう見ても赤い宝石のついた普通の指輪だ。
だがそん所そこらの指輪とは大違い。強力な魔力付与品だ。
効果はなんと指にはめるだけで顔の形が変わる摩訶不思議な『変化の指輪』。
しかもつける指を変えれば別の顔へ変化する!
どれくらいの値打ちがするか。
なんとなんとアスラ金貨1万枚はくだらない!
これから活動するにあたって全く以って渡りに船なアイテム。
尚且つ、鑑定料の報酬として欠損した腕を治すことに周囲も納得できる程の代物。
それを老人から貰った。
これを偶然で片付けるのは危険だというのはロキシーもエリスも同意見だった。
俺がそう動くことが『ヒトガミの意図』であるという可能性。
だがそれがどうした。
俺はやりたい事をやる。
その結果がヒトガミの思い通りならあの老人がヒトガミの使徒だと判るだけ。
オルステッドが使っている転移ネットワークに残した報告書にも書いておいたのだから、問題があるならすぐにでもその旨連絡が来るだろう。
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そのような検討の結果、次の目的地は王竜王国とした。
王竜王国に行って紛争地帯や帝国の動きを探る。
「つまり王竜王国には1人で行くという訳ですか?」
「まぁ指輪は1つしかないので仕方が無いと思います」
と不思議そうに投げかけるロキシーに言い返せば、
「待ってよ。
もう1つおじいさんから貰ったんでしょう?」
とエリスも不満気に指摘する。
「あっちは何の変哲もない指輪だったよ」
「エリスさんが言いたいのは姿をコピーするためのペアリングの事ですよね。
ルディの書いた日記にも同じ魔道具の存在が示唆されていました」
「確かにアスラ王国の王族が1つ、その他に世界のどこかにもう2つ存在しているはずです」
アリエルが使っていた物。
ガル・ファリオンが使っていた物。
アレクが使っていた物。
合わせて3つは存在が確定している。それを探せ。
老人が指輪をくれた意味はそれだと言わんばかりにエリスが頷く。
「しかしアスラから奪ってくる訳にもいきませんし、残りの2つはどこにあるのか判りません」
「魔道具は人工物。
どこかに工房があるということですよね?」
「それはそうですが」
どこにあるのか考えた事も無かった。
便利なアイテムだから集めても良かったはずだ。
「夢の中のルディは魔法三大国とアスラ王国にはかなりのコネクションがあったはず。
つまりネリス魔道具工房とアスラ王国の工房には無いと言って良いでしょう」
「アスラ王国以外の国の秘密工房辺りが一番怪しいですが、今は失われた技術ということも有り得ます」
「じゃぁ、在るとしたらアスラはそこと取引したんじゃない?」
「仮定に仮定を重ねすぎています。
調べるにしても、もう少し情報が必要になるでしょう」
「そうですね」
沈黙。
「やっぱり僕が1人で行くしかないのでは?」
「ダメです」
「ダメよ」
「何か当たりが強いですが」
「ルディが1人で行くのは絶対にダメです」
「だからなぜ」
「判らないの?」
「……判らないな」
「あのねー。
シルフィだったら良いけどね。
1人で王竜王国に行ったりして、全然別の新しい奥さん増やして戻ってきたら困るでしょ?」
「んぎっ。
何を根拠にそんなことを言うのかな……エリス君は」
「ルディの夢日記。
そこに書かれていることを理解すればそれは有り得ると思います」
「あーと、その……そうかな?」
「絶対に」
「絶対です」
こんなやり取りのせいで俺はまだ王竜王国には行っていない。
代わりに2人の意向を汲んで各地のルード商店に変化の魔道具を探させながら、その傍らでベガリット大陸ラパンにルード商店の支店を開設して魔力付与品の出物を探していた。
ラパンに行く途中、少しショッキングな事件があった事は……まぁ別にいいか。
そして秋の終りに妹達の5歳の誕生日を盛大に祝って、家族にとって2度目の冬が到来しても目当ての魔道具は見つからなかった。
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長い冬。
今年からはアイシャとノルンも朝の鍛錬場所の確保を手伝っている。
5歳の誕生日に親達から薫陶を受けた彼女達は『家のお手伝い』を始めているのだ。
アイシャもノルンも魔術で身体を温めながら体力づくりとして雪掻きをする。
雪掻きが終わるとノルンはそのまま木剣を振る。アイシャは剣には興味ないらしく、ゼニスやリーリャの手伝いのために台所へ行き、水の生産や暖房代わりの魔術を使う。大学に行く前にこれだけ魔術を使っても授業ではそれなりに優秀らしい。流石だ。
朝の鍛錬に話を戻せば腕の回復以来、パウロもエリスも日毎に強くなっている。
まずパウロについて。
特筆すべきは負傷前に比べて癖のない『光の太刀』を繰り出せるようになったことだろう。
理由は単純明快。
元々、パウロは利き手である右手に比べて左手の筋力が劣っていた。
闘気の加減も練り易さは右手に意識があり、利き手でない左手は補助の役割をしていた。だが右前腕を失い、利き手でない左手だけで1年間、日常生活と戦闘訓練を行ったことでそれが治った。
逆に回復直後は負傷期間中に付いてしまった右手を庇う動作があった位で、その癖も抜けてしまえば一皮剥けた強さを手に入れたと言っても良いのではないか。
対するエリスは成長期に入り、胸も随分大きく……ではなくて、剣士としての力がまるで身体の成長期に呼応するように実に伸びやかに育っている。
彼女は卓越した攻撃予測能力と冷静な判断力を見に付け、相手がどのように動くのか、いつどこに力を入れているのか看破する。そしてどのように動けば有利を取れるのか瞬時に判断し、実行できるし、実行するだけの闘気の扱い方もまた身に着けつつある。そのお陰で、剣は猛々しくも柔らかな動きをするようになった。まるで小さくて黒くないギレーヌだ。ま、格上相手ではそれも効果半減だが。
さてそんな2人が打ち合えばどうなるか。
元来この手合せに勝った負けたは無く、手合いの中で何かを試し何かに気付くためにある訳だが、それにしたってエリスの連戦連勝、パウロの全戦全敗が続いているのは興味深い事ではある。
半年ほど前までお互いに良い勝負をしていたはずの2人の力量にここまでの明確な差が付いたのには鍛錬の方向性の違いがある。
エリスの鍛錬は基本的に手合いの中で問題点を見出し、それに対する解決方法を模索するというスタンダードな方法だ。スタンダードであるが故に最も大きな課題を解決するし、成長率が大きい。
一方のパウロは課題を見つけると、それに対する解決方法を探すところまではスタンダードと同じだが、そこから答えを幾つも探して技術に昇華する。つまり説明可能なレベルまで分解し、組み立て直し、また別の方法で分解し、組み立てる。それを満足いくまで繰り返す。
他から見れば同じ所で足踏みしているように見える作業かもしれない。
パウロの鍛錬方法は当初、シルフィに技術を伝えるための物だろうと考えていた。それについては暫く辞めておいた方が良いとアドバイスもした。
その心は感覚派の彼なら成長の壁にぶつかるまでセンスで強くなった方が早いだろうと考えたからだ。
だがパウロは分かっているのかもしれない。
成長の壁にぶつかった時、必要になるのはセンスではなく技術・理論であると。
そして気付かせてやりたいのだ。
エリスが壁にぶつかった時、何が必要となるかを。
そんな父親の姿にノルンは何やら不満らしいが、俺からすれば娘や息子が見ている前でも真摯に鍛錬する彼の姿は高評価ポイントだ。
兎に角、お互いが切磋琢磨できるなら、どのような研鑽方法であろうとも俺は何度も口を出すべきではないと心から思っていた。
そして時間は過ぎていく。
--
数日して。
「また来たカポ!」
「随分景気が良さそうだな」
「商売は順調カボ!」
嬉しそうに挨拶と世間話をこなすカボちゃんは以前よりずっと仕立ての良い服を身に着けている。立派な店を構える女主人といっても言い過ぎではないだろう。
であるからして、その言葉は本当にその通りなんだろうなと納得が出来る。
「それはそれは。
仲間の皆にはちゃんと給料を払えているかい?」
「当然カボ!
ルーデウス様に用意して頂いたお仕事は最高カポ!」
カボちゃんの言葉通り、俺は彼らに新たな仕事を与えている。
当初は相場確認の仕事を、その後はデネブの研究所の建築を手伝っていた彼女らだが、建築が終わった所で問題が発生した。彼女らはまたルード商店の仕事を手伝いたいと申し出たが、この世界の情報伝達速度はとても遅く、為替も固定制なので相場が大きく変わるのは作物の不作が起こった場合くらいなので、既に魔法三大国の相場確認の仕事がなければ彼らに頼みたい仕事は無かったのだ。
かと言ってやる事がなければまた勝手に動いて厄介事を持ってくるだろう。
それでは困る。
何か、何か手間が掛かって普通の人はやりたがらないような物は無いか。
俺は頭を捻った。
すぐに良い案は出てこなかったが、自宅の居間で過ごすノルンが魔術教本を写本しているところに出くわして、そこではたと考えた。
頭の中を巡ったのはマリアやテレサの仕事ぶりだ。
カボちゃん達にも同じ仕事ができるのではないか。
例えば、魔法大学が所蔵する本の写本をしても良い。
本は消耗品だ。大学などでは原書ではなく写本を棚に置くことも多い。
いけるか? いやいける。これは商売になる。
確信をもって大学に掛け合ってみれば、やはりというかなんというか二つ返事で快諾を得た。
どうやら魔法大学に国語と算数の教科書を納品している実績で、ルード商店は本を盗まないだろうという信用を持っているらしい。
これを受けて俺はカボちゃん達に作業場と材料を与え、写し取った新品の本を魔法大学に納品させている。
同時にルード商店にも同じ物を1冊納品させ、転移ネットワークに『図書館』を作る計画を始めている。
まぁその話は置いておくとして。
「それで今日の用事は何かな?
何か困り事かい?」
「デネブ様からのご連絡があるカボ!」
「何か研究に進展があったとか?」
「違うカボ。
実はパウロさんが鑑定したっていう指輪を見た記憶があるらしいカボ!」
「あぁ、それなら変化の指輪だろう?」
「もう1つの方カボ!」
「残った方は確か何の変哲もない指輪だって」
「あの指輪は魔力付与品でも魔道具でもなかったカボ」
「だったら」
「あれは長耳族の印章だそうカボ」
「ほう……」
長耳族の印章。確かにあの指輪には丸い装飾が付いていて凹凸のある図柄が彫り込まれていた。もしあれに朱肉を付けて紙に捺印すれば判を押す事ができるだろう。
「それでデネブさんは他に何か言っていたかな?」
そう訊くとカボちゃんは悪い笑みをした。
全く同じ顔をデネブがしたのを真似ているに違いない。
「『これが長耳族の里の誰と取引できる印章かは判らないけれど、私みたいな
「デネブさんがフロントに立つとまた面倒事が起きる気がするけど」
「相手も女性なら大丈夫カボ」
「ん、それって……」
「あ、これは言っちゃいけなかったカボ」
ほほう……。
なーにが『誰と取引できる印章かは判らない』なのだろうか。
要するに、デネブはこれで誰と取引できるかを知っているのだ。
ま、それで俺が困ることはないか。
「良いでしょう。
デネブさんには印章による取引を許可するよ。
研究予算の範囲内でなら細かいことは言わない。
またどうしても予算を越える買い物をしたいときは事前に相談するように。
あ、あともし変化の指輪が手に入るなら調達を頼みます、と伝えて欲しい」
「判ったカボ!」
会話から十数日後、俺の手元には欲しかったペアリングが2セットとその代金の請求書が届けられた。
かなりの金額だったがミリスの王札支払いだったので、手持ちの王札でダブついていたものを消費できたと考えれば悪くはない。
漸く道具は揃ったのだ。
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どこかボンヤリとした顔つきにそばかすのある素朴な少年ルダイ。
長髪を纏め、ローブに身を包んだ少女レキ。
剣を佩き、軽鎧で身を固めた短髪のエイリ。
人族の少年少女3人が王竜王国首都ワイバーンを歩いていく――
なんてモノローグから語り始めても良い程に
自宅での雑事を終えて昼食後からのスタートとなった調査。
ルード商店の裏口から大通りに出たところで受ける強い日差しに思わず手を翳しながら空を見上げる。
ワイバーンは夏の陽気、曇天続きのシャリーアと比べると別世界だ。
訪問先を決める訳でもなくぶらぶらと歩いていた俺達は結局、冒険者ギルドの扉を叩いた。
余所者が情報を得るならやはりここが一番怪しまれずに済むだろう。
帝国だけを調査している素振りを見せないように話を聞いて回り、世情や噂話に儲け話を集めていく。
そうして手に入った情報を整理すれば思いがけず帝国関連の情報が手に入ったように思える。
その帝国関連情報の中でも特に多かったのは帝国に併合されずに生き残っている小国ヴァーケルンの情報だ。
ヴァーケルンは紛争地帯の南東端。つまりシーローン王国から北上したところにある国。
前世においてアスラ王国の資金援助を受けてシーローンに攻めて来た国……のさらに東にある国だ。
縦長に海岸線に沿って成長したこの国はA級以上の冒険者を厚遇で迎えて国境線の維持に努めているという。
冒険者をまるで自国の兵士のように使役しているように感じるが、バクシール公爵の話を合わせて考えると、世界に展開している冒険者ギルドとはやや趣きが異なっているとしても仕方がない事なのだろう。
それともそんな風に違いを感じる俺が特異なのだろうか。
情報をくれた冒険者達はその手の不信感があるようには見えなかった。
ちなみに『
またヴァーケルンにはミリス教導騎士団も兵力を結集しているらしい。
全軍が撤退したと思っていたが、話から察するにヴァーケルン内のミリス教会を防衛するという建前で兵を残したようだ。
ミリス兵たちは都市内に入り込んだスパイを掃討し、治安維持に貢献しているのでヴァーケルン国内は思ったよりも安全だとか。
だとしても冒険者として長く生きようと考えるなら慎重に、分相応な範囲で活動すべきだ。
小国のヴァーケルンを助けようとする命知らずな冒険者がいるようには思えないし、いたとしても長生きは出来ないだろう。
……と考えていたのだが。
彼らの噂話からすると、どうやら話は違っているらしい。
「そっちの嬢ちゃんはAランクでこっちのお嬢ちゃんはBランク。
若いのに結構やるねぇ。
これならいつかは
「ムリムリ。そう簡単な訳ねぇよ。
あれに選ばれる奴等は若くしてSランクになるし、AランクやBランクの時期から名前が売れてる奴等だと聞く。
ラパンやシーローンの大迷宮を単独で攻略するとか、紛争地帯で名を挙げる奴しかお呼びがかからないらしいぞ」
俺達と同卓して色々と情報を教えてくれる魔術師の男がもう一人の剣士の男にそう話を振る。
ダブルエス? 俺が頭の中で疑問符を付けて口を挿む前、
「SSランクって何よ」
エリスが話に食いついた。
「おぉ! SSに興味があるのか?」
「冒険者ランクの最上位はSランクの筈です」
ロキシーも話の輪に入るらしい。
俺は黙って話の展開を見ていた。
「ふっふっふ。
ここらの冒険者ギルドじゃそうだが向こうは特別さ」
「向こうって紛争地帯?」
「あぁ。
あっちは血の気の多いクエストもあるからな。独立して色々やってるって話だ」
「Sランクより上の好待遇ということでしょうか?」
「待遇の面ではどうだろうな。
仕事の難易度に比べたら大した金は払われないって話だぜ。
まぁランクが存在する以上、SSランクでしか受けれない難易度の高い仕事があるんだろうな」
「俺は別の話を聞いた。
何でもSSランクに昇格するとギルド秘蔵の魔力付与品や伝説級の魔道具を貰えるんだってよ。
中にはユリアンの魔剣の1つを貰った奴もいるってぇ話だ」
「アスラ金貨10万枚はくだらないって言われてる剣をギルドがポンっとくれるかねぇ」
「SSランクにはそれだけの価値や信頼があるって話かもしれないぜ?」
「どうだかねぇ」
どうにも眉唾な話だ。
だが火のない所に煙は立たぬでもある。
SSランクが勇者であるところの北神と互角に渡り合う程強いと考えるよりは、前線に出てくる北王くらいの戦力に互するという方が現実的だろうか。それも帝国の戦力や配置図が手に入れば判ることだ。
全部こいつらの嘘だって方が話は簡単なんだが、ならなぜそんな嘘を吹聴して周っているのかという所を考えなくてはならない。
シャリーアに戻ったらその辺りのことをロキシーやエリスと議論することになるだろう。
それとザントポートのギルドに無かった転移行方不明者表も目にした。
俺が記憶しているよりは並べられている人数はずっと少なく、ところどころ斜線が入っている。
想定通り、時間のスケアコートがあと2日長く持たせられれば逃げようとした者達は皆助かったかもしれないが……。
いや言うまい。
あらゆる状況に対応可能な計画は存在しない。
計画とは想定した状況と目標に対してのみ有効だ。
目標とは即ち仮定である。
仮定を組み立てるために計画を用意すると言っても良い。
故に組み立てる諸要素は信ずるに値する物のみで構成されなければならない。
その屋台骨に対して信の置けない物を配置することは計画全体の曖昧さ、即ち仮定の曖昧さを意味する。
目標に曖昧さを残す事が全てにおいて悪い訳ではないが、フィットア領の住人10万を領外に導くという目標は明確であったのだ。
ならば計画の諸要素は全て明確でなければ不適格だ。
だからこそ時間のスケアコートが直前で引き延ばし可能な時間を8日に短縮したなら、あれはもう不測の事態だった。
むしろ8日が実際にはさらに短くなる可能性すらあった。
スケアコートはあの状況にあって8日という算定を間違わなかった。
不測の事態の中で最低限の仕事をこなしたのだ。
だからこそ俺の大事な人々は守られたと言えよう。
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暗くなる前にラノアへ帰り、家族と普段通りに過ごした翌日。
2日目は昼前からワイバーンに行き、王城の外周を見てそれから猥雑な中心街を散策し始めた。
この街に道はあっても用途地域という概念が存在しない。
だから北神流の道場の目の前に剣神流の道場があったり、冒険者向けの宿屋の隣に貴族の邸宅があったりする。
ちょっと汚いくらいの方が部屋は居心地が良いと俺も思うので、整然としていないこの街が好きだという者も少なくないだろう。
街の外れまで街道を歩くと、そこには馬車屋があった。
俺が足を止めて職人が作る車輪を覗き込むと、ロキシーも目を向けた。
「中々良い木を使ってますね。
この辺りは密林地帯が近いからでしょうか」
「さぁどうでしょう。
きっと密林地帯は物騒なので樵ギルドは街道沿いの森から木材を採ってきていますよ。
それよりも王竜山脈からとれる金属のおかげで他の地域の馬車よりも留め具が発達しているように思います」
俺が見ているのは車輪を作っている親方の横で、ネジを作っている丁稚の姿だった。
丁稚の座る机には万力のような機械があり、ネジとなる鉄棒を固定するための四角い砥石のような物が付いている。
そこに丁稚が鉄棒を固定し、右手前に備え付けられたハンドルを回すと万力となっている右砥石が前方へと動いた。
それに合わせて鉄棒も砥石の間を転がり、鉄棒からは細かい線状の鉄くずが削りだされる。丁稚が万力を緩めて鉄棒を取り出せばネジが出来上がったのが判る。
丁稚はそれを雌ネジにとりつけて具合を確認してから、同じように雄ネジが山となった場所へと新造のネジを追加した。
なるほど。良く見れば砥石のような長方形の塊にはネジ山を切るための筋が斜めに入れてある。
それを両方から押し付けつつ転がしていくと均一にネジ山を作ることが可能という訳だ。
俺が考案した方法とは違う方法なので、また何かの時にはこういう知識が参考になるかもしれない。
覚えておこう。
「そういえばですが。
夢の中では、この時期に馬車の故障で足止めを食らったと書いていましたね」
「えぇあれは時間調整みたいなものでしたけど」
「本当にそれだけだと思いますか?」
「馬車についてはそうだと思います」
「他の出来事はどうでしょうか」
「……特にこれといって閃くものはないですね」
「そうですか」
「あぁでも」
そう言うとロキシーは少しだけ高くなった俺の目線を伺うように目線を上げつつ、顔には疑問符を間違いなく漂わせている。
「久しぶりに米を食べようかと思います」
俺の言葉にロキシーは何も返さなかったが、疑問符は雲散霧消していた。
それも当然と言えば当然だ、と思う。
彼女が読み込んでいる夢日記に確実に抜かりなく事細かく米の素晴らしさを明示したのだから。
やり取りの間、エリスは暇だったらしく小さな厩舎に並んだ馬をみにいって近くに居た
何を話していたかは知らないが「やっぱり馬も良いわね!」と呟いている辺りに嫌な予感しかしない。
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「何か良い店ある?」
踵を返した俺達から米を食べるという大方針を聞いたエリスはそう質問していた。
「通りの向こうのパブはいかがですか?
昔に来たときに食べて、ランチがとっても美味しかったのを覚えています。
腕が落ちていなければお勧めですよ」
そう答えたロキシーが、「あ、もちろんメニューにはお米料理がありますよ」と付け足したのは俺の表情が険しくなるのを避けられなかったからだろう。気を遣わせてしまったことは顔を平静に保つための努力義務違反だといえる。
そして夢日記に不備があったと遅まきながら気づく。
永らく食していなかった米料理をどのように味わうべきかという70数年ぶり2度目の体験に対する配慮が欠けていたと判断せざるを得ない。
それも生食文化がこの世界において悪食であるからということが争点になるのだろう。
あの慣習を現世界の人々が理解し得ないのは仕方のないことに違いない。
前前世の世界とは生食文化が存在する世界であり、近代の他国の文化を尊重しようという流れがあった最中でさえ、許容し難く拒否反応を示すことが理解されうる文化だったことを勘案すると、現世界においてどこにも存在しない文化――大胆に推測すれば現世界の古代人が火を手に入れた歴史過程の中で不用の烙印と共に淘汰した文化――は、当然に許容し難く拒否反応を示すに然り。
だが、だがだ。
シンプルイズベスト。あの食べ方には他を寄せ付けない魅力がある。
現世界において、久しぶりとなる『米料理を食す』という行為を実行するにあたり『店で食す』という選択肢を選ばせない程の魅力がある。ただそれが俺の我儘であることも間違いない。
エリスの王竜王国で初めて摂る食事、ロキシーが数十年ぶりに食べたいと思った懐かしの味。
それらを台無しにして俺に付き合うことはないだろう。
「あの、ルディ?」
「あぁ。ええっと僕は遠慮します。
宜しかったら2人で行ってきてください」
「何よ。
ロキシーが薦めるお店で嫌な体験でもしたとか?」
「そうではなくて、久しぶりに食べる米には必要な儀式があるのですよ」
「儀式? まさかあの頭にパンツを被る……」
「え? どういうこと?」
「しませんよ。そんなこと」
我が神は突然、突拍子もない事をおっしゃる。
そんな変態染みた行為をなぜ俺がやると思ったのだろうか?
思考回路がさっぱりわからないぞ。
まさか、あれを? 馬鹿な。絶対にバレる筈の無い秘密のノードに……
いや、今はそれは考えから切り離そう。
変な想像をされる前にはっきりと言ってしまう方が良い。
「少し特殊な食べ方なので2人の口には合わないと思っているだけです」
途端、並んだ2人が顔を見合わせて訝し気に
俺はそういうリアクションをするだろうと判っていた。
それでも俺はアレが食べたいのだ。
さっきも考えたが、それは単なる我儘で、正直に言って健康上もお勧めしかねる。
無理して2人が俺と同じものを食べる必要はない。
「本当は私達に内緒でどこかに行く腹づもりではありませんか?」
「そんなことは絶対にありません」
「本当ですか?」
「本当です」
「内緒じゃないなら、どこに行くかはっきり言いなさいよ」
「……市場に行って食材を買い込んだらルード商店で自炊します」
「ルディが料理をするんですか?」
「そうです」
「どんな料理なのです?」
「その……店のメニューにはないモノです」
片手を腰に手を当てたエリスは「水臭いわねぇ」と呟く、まぁ確かに水臭いかもしれない。
「美味しいので?」
「お勧めはできません」
「でもルディはその食べ方が好きなのですよね?」
「そうですね」
「ならばその食べ方を教えてもらっておいた方が良いでしょうね。
旦那様の好きな料理は知っておくべきです」
「それもそうね!」
ロキシーの言葉はエリスにも納得できる物だったらしい。
同意のために何度も頷いている。
「つまり2人も僕と同じものを食べたい……ということですか?」
「そうよ」
「そうです。後、どんなに美味しくても独りで食べたらきっと味気ないですよ」
独りだとしても旨いものは旨いのだが、それは宗派の違いのようなものかもしれない。
「判りました。なら付いて来てください」
俺は説得を諦めた。