闇派閥が正義を貫くのは間違っているだろうか   作:サントン

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バベルは悪魔の不興を買い、倒壊する

 やがて日が暮れて、夜が近付く。

 カロンは荷車に転がした四人、リュー、デルフ、アラン、ビルにステータス封印薬を打ち、口元のガムテープを解く。

 カロンはデルフに笑いかける。

 

 「お前ら、ついてるんだかついてないんだか。普通の奴らだったら、邪魔にしかならないから消すはずだったんだけどな。」

 

 デルフは渋面を作り、応える。

 

 「ファミリアに戻ったら、俺達の仲間はたくさん死んでたよ。俺は間違えた。こんなことならお前らの手伝いをするべきじゃなかった。………ちくしょう。」

 「死んでもか?」

 「………ああ、死んでもだ。」

 

 この世は滑稽な喜劇。

 彼らが彼らの正義で命を懸けて民衆を守っても、民衆は彼らを消耗品としか見ない。

 

 ガネーシャも苦しんでいる。自分達の眷属が消耗品として見られていることを。しかし、ガネーシャは理解している。価値観を覆すには、長い時間と正当な道のりが必要なことを。闇が存在するのはその土壌があるからであり、時代が必要ないと判断すれば消えていくものである。

 

 そしてガネーシャですら、耐えきれなかった。

 実は一つの嘘がある。ガネーシャは苦痛に耐えて兵を動員したのではなく、苦痛に耐えきれなかったから兵を動員した。

 価値観と戦うには、我慢強さが何よりも重要だというのに。今はまだ自衛の時期だとそう判断していたはずなのに。闇との戦いは、本来は人々が自発的に決意しないと意味がない。ガネーシャですら眷属を大量に喪失した苦しみに耐えきれなかった。価値観を正してから本格的に闇と戦うという重要な過程をすっ飛ばしてしまった。そこを飛ばしてしまうと、闇はさらに深く昏くなるだけである。

 

 衆生の主が、苦悩しないわけがない。ガネーシャは、いつも心の中で泣いている。だから普段あんなにも明るい。明るくないと、闇に囚われてしまうから。眷属が迷うから。衆生の主は、衆生のためにいつも必死に虚勢を張っている。

 

 欠陥だらけの人の世を、それでもガネーシャは深く愛している。

 

 「そうか………だがお前がいまさらどうしようと、何を望もうと、お前らは生き残ることになるよ。無駄に死んでも仕方ないだろ?」

 「………。」

 

 リューはデルフに問い掛ける。

 

 「………あなたにも正義があるのですか?あなたのそれはあなたの正義ですか?」

 「………あん?正義なんて大層なモンじゃあねぇよ。俺達ゃ民衆を愛するガネーシャ様の眷属だ。俺達には俺達なりの民衆や仲間を守りたいっていう願いがあるってだけだ。」

 「そうですか………。それは他の何物よりも大切なものなのですか?」

 「ああ、当然だ。」 

 

 他の何よりも大切なもの………それはきっと正義なのだろう。ガネーシャファミリアの三人にも確固たる正義が存在した。

 私の正義とは何なのだろうか?

 リューは彼らに問う。

 

 「………正義とは何ですか?」

 「あん?あんた確か全滅した正義のアストレアの生き残りだろ?俺達よりもあんたの方が正義には詳しいはずだろう?」

 「………。」

 

 カロンはリューとデルフのやり取りを見ている。

 リューは正義がわからない。彼女は悪が何かどころか、正義が何かもわからなくなっている。

 ハンニバルとバスカルはカロンに貰ったタバコを燻らせている。

 アランとビルは無言のまま。

 やがて辺りは夜の帳が落ち、闇の動き出す時間がやってくる。

 空には雲間から覗く僅かな月明かり。乾いた風が微かに流れていく。

 

 ◇◇◇

 

 「それではバスカル、計画の決行を頼む。お前はクレインの下へと行き、あいつをここまで連れて来てくれ。道中は敵に細心の注意を払うのを忘れずにな。」

 「ああ、わかった。」

 

 バスカルが頷く。

 

 「ハンニバル、アンタは周囲の警戒を行ってくれ。俺は自分の計画の立案を最後まで詰めることにするよ。」

 「わかった。」

 

 ハンニバルも頷く。

 カロンは計画を詰めに入る。

 

 ーーさて、と。計画の骨組みは決まっている。後は最後まで詰めるだけだ。細かい人員の配置も考えよう。計画を詰めて、なるべく最上の結果へ持っていくための行動を起こす。それにしても………計画を立てたとしてもつくづく予定通りには行かないものだ。

 

 カロンはガネーシャの三人組を見る。

 彼らは完全なる予定外。リューが今、ここにいるのはカロンのミス。

 

 ーー予定を万全に立てたつもりでも、常に予定と違うヶ所や裏目が存在する。まさかこいつらが俺達の下に帰って来るとはな。シャケでもあるまいに。しかし今の状況は当初からの推移を見れば上々だ。まあぶっちゃけ俺達の現状を冷静に考えれば、詰んでさえいなければ上々なんだがな。しかしやはり、今ここにヴォルターがいないのが何よりのマイナスだ。ヴォルターさえいれば、あいつの蟲の魔法さえあれば、俺達の行動は劇的に選択肢が増えていた。しかしそんなものは考えても何にもならない。今できる最善の策を考えよう。

 

 ーー1人当たり二カ所、計八ヶ所に油を仕込む。ここは八ヶ所という数にはこだわる必要はない。だいたいそれくらいの数だというだけだ。俺とハンニバルとクレインはそのうちの一ヶ所ずつに火を放つ。昨日クレインがすでに一ヶ所は油を仕込んでいる。残りの六ヶ所はバスカルが火を点けて回る。バスカルはバベルから離れながら火を放つ。俺達の火を点ける場所は取り敢えず二カ所確定している。確定している一ヶ所はバベルだ。確定しているもう一ヶ所は、逃げる門の近くだ。バスカルは火を放ちながらオラリオで暴れ回り注意を引く。

 

 ーー周りの目が火事とバスカルに向いている間に、俺とクレインとハンニバルの三人は力付くで外へと出る検問を抜ける。そして、後はひたすらに、ただただ遠くへと逃げる。遠くへと逃げれたら………それは逃げた後に考えるしかないか。取り敢えずは計画をうまく進めることが最優先だ。

 

 ーー計画はどの程度上手く行く?俺達はどれほど成功をつかみ取れる?どこに落とし穴が存在する?懸念事項は………あるが………しかし他には取れる道は………いつまででも今のオラリオに隠れ潜む事は出来ない。敵がそれを赦してくれるとは思えない。それを考えればやはり決行をせざるを得ないという結論しかどうやっても出ない。

 

 ーー………さて、結論を再確認したら、ここから考えるべきは人員の配置だ。誰をバベルに回すか。誰を門の近くに配置するか。どうすればよりスムーズにことが動くか。

 

 カロンはタバコに火を点ける。

 無意識に煙りを吸いながら、カロンはどこまででも思案しつづける。

 

 ◇◇◇

 

 「待たせたな。至るところにやはり検問が仕掛けられている。時間がかかってしまった。」

 「そうか。やはり計画を上手く行かせられるかどうか………非常に厳しいな。」

 

 バスカルとクレインがカロン達と合流する。

 

 「クレイン、地図はあるか?」

 「ええ。これ、どうぞ。書くものもあるわ。」

 

 クレインはカロンに、四枚の地図とペンを手渡す。

 

 「さて、計画の決行はそこの四人に次のステータス封印薬を打ち込んだタイミングだ。今からおよそ二時間半後になる。そのタイミングでそいつらを俺の魔法の縄で縛り、計画を決行する。」

 

 カロンは捕われの四人を見る。

 カロンは彼らに告げる。

 

 「お前らは、二時間半後に俺の縄で縛られる。しかしさらにその三時間後には、ステータスが戻るはずだ。そうしたら好きにしろ。俺達は勝手に逃げる。さて。」

 

 カロンは仲間の三人を見る。

 

 「………俺達の行動を起こすときだ。泣いても笑っても、今日の行動が俺達の先行きを決定的にする。覚悟は良いか?」

 「「「ああ。」」」

 「まずはクレイン。」

 「ええ。」

 「お前はオラリオの東と南東の二地点に油を仕込んでくれ。南東の方には火も点けてくれ。そしてそのまま南の辺に潜伏。」

 「わかったわ。」

 

 カロンはクレインに油を仕込む地点が書かれた地図を渡す。

 カロンはクレインに渡した地図の二カ所の大きな黒点を指差し、最後に小さな黒点を指差す。

 

 「次にハンニバル、お前はオラリオの北と北東に油を仕込んでくれ。少し遠いが頼む。お前は北の方に火を点けてくれ。」

 「………。」

 

 ハンニバルは黙ってカロンを見る。黙って地図を受けとる。

 

 「バスカル、お前は俺達のために死んでくれ。断るなら今のうちだ。」

 「問題ない。」

 「お前の地図はこれだ。お前が油を仕込む地点はその中でも大きな黒い点、オラリオの南と南西だ。他の点はお前が火を点けて回るべきヶ所だ。注意点は、行動が夜間になるために地図が見れない可能性があるということだ。しかししばらく暴れ回れば敵もそれに気付くし、火も回ってすぐに辺りは明るくなると考えられる。火を点ける最初の数地点は暗記しておいてくれ。」

 

 バスカルは地図を見る。カロンは説明を続ける。

 

 「バスカル、俺達は南の門から抜けるつもりだ。門には強力な冒険者がいる可能性がある。俺達はそれぞれ仕掛けた油の片方に火を放ち、南へと急ぎ向かうことになる。だからバスカル、お前には無理を言うが、南門の敵を何とか引き付けてくれ。そして南から北に向かって行動してくれ。バベルには近づかずに迂回しろ。」

 「ああ、任せてくれ。」

 

 バスカルは答える。

 カロンは辺りを見回す。

 

 「そしてそれぞれ行動が終わったら、その南の黒い点に集合することになる。火を点ける時間は統一した方がいいだろうな。発火時間と待ち合わせ時間は片道にかかる時間を考慮して、俺が今から決める。万一敵に見つかった場合は相手を確実に消せ。これが今夜の作戦だ。決行は説明に時間がかかったからおよそ後二時間後か。文句がある奴はいるか?」

 「ああ、大ありだ。」

 「どこに文句があるんだ?ハンニバル。」

 

 ハンニバルはカロンへと近付き、地図を奪い取る。

 

 「やはりお前が自分で危険な場所を担当していたか。」

 

 ハンニバルはカロンの地図を見る。カロンの地図の担当はバベルだった。

 

 「お前の地図は、こっちだ。」

 

 ハンニバルは自分の担当する方の地図を渡す。

 

 「ハンニバル………。」

 「カロン、クレイン、お前らは俺を待たなくて良い。置いていけ。バベルは生半可な火ではすぐに消し止められるだけに終わる。バベルに居座るのはフレイヤの奴らだ。奴らのやばさは俺ですら理解している。」

 

 ハンニバルはカロンを見る。

 

 「………さよならだ。カロン。お前達は俺を待つ必要はない。」

 「ハンニバル!!どうしようってんだ!」

 「俺は長くお前に助けられた。俺はヴォルターの暴力からお前を庇ったが、それはお前を引き込んだ罪悪感による俺の自己満足に過ぎない。俺はお前に与えられたものを少しでも返したい。俺にはフレイヤの奴らを足止めする手だてがある。」

 

 足止め。ハンニバルはレベル5だ。真っ当な手段でフレイヤの連中を足止めできるはずが無い。

 明らかに死ぬつもりだ。誰だって、わかる。

 

 彼らは理解している。自分達のやり取りが、安い茶番であるということを。彼らは多くの屍の上に立ち、これから多くの人を巻き添えにしようとしている。それなのに、たった一人の仲間の命が惜しい。この上なく滑稽だ。

 それでも悲しいものは、悲しい。

 

 「ハンニバル!やめろよ!そんなんでお返しになんてならねぇよ!」

 「カロン、お前は目が曇っている。俺とクレインを死なせたくないあまり、フレイヤの奴らのやばさを甘く見ている。わかるだろ?」

 「………。」

 「フレイヤが総出で来たら、俺達は瞬く間に全滅だ。僅かな火力では、バベルの火はすぐに消されちまう。バスカルもすぐにやられちまう。お前だって、本当はわかってんだろ?」

 「………。」

 「俺に任せておけ。俺はお前の兄貴分だと考えてきた。兄は弟が出来ないことでも、できるものだ。」

 「………。」

 「お前は考える男だから、どちらが正しいかわかってるな。俺を待つな。お前らは二人で逃げろ。お前のその考えつづける力でどこまででも、追っ手が着かなくなるまで、迫り来る運命などというわけのわからないものからどこまでも逃げきってくれ。」

 「………アンタは臆病だと思ってたんだがな。」

 「まあそれは否定せんがな。ここに来てそうも言ってられんだろ。それに俺にだって全く逃げられる可能性がないわけではない。ただ、お前らよりそれが少しだけ低くなるだけだ。………差し当たっては、俺にお前が持ってるタバコをくれ。」

 「俺も分けてくれ。」

 「私にも頂戴。」

 

 バスカルとクレインもカロンからタバコを受け取り、四人は吸う。

 カロンはハンニバルの横顔を見つづけ、ポツリと呟く。

 

 「ハンニバル、塔とは縦長の高層の建築物ゆえに非常に不安定な建物だ。………爆薬を使用するつもりなら、その前に内部の支柱を破壊しておくべきだ。フレイヤの連中に気付かれたいように慎重に。」

 「………わかった。任せておけ。」

 

 やがて、作戦決行の時間が来る。

 

 ◇◇◇

 

 「それでは作戦を行動へと移す。わかってるな。」

 「「「ああ。」」」

 

 カロンは仲間の三人を見る。

 彼らは皆我慢強く、用心深い。こと工作に関してはスペシャリストと言っていいだろう。

 

 「………ハンニバル、バスカル、さよならだ。」

 「ああ、またな。」

 「次はもっと良い人生を送りたいもんだぜ。」

 

 ハンニバルとバスカルは笑う。

 

 「クレインも決して油断するなよ。顔が知られてなくても細心の注意を払え。どこに敵がいるかわからない。」

 「ええ。」

 

 カロンとクレインの視線が交錯する。

 

 「さて、と。」

 

 カロンはリュー、デルフ、アラン、ビルを見る。

 

 「お前らはこれからステータス封印薬を打って縛って放置する。それにしても………。」

 「………ムニャムニャ。」

 「どうしてこのエルフはこうも緊張感がないんだ!?なんで今このタイミングで爆睡してられるんだ!?なんでこうも幸せそうな寝顔なんだ!?今からテロが起こるんだぞ!?」

 「………それは敵であるはずの俺達も同感だよ。」

 

 デルフが答える。

 リューは、この日まで散々寝入りばなを叩き起こされていたため、睡眠不足でまさかのこの日この時に熟睡していた。

 カロンは四人にステータス封印薬を打ち、魔法の縄で縛る。

 

 「………まあアホエルフはほっといて。さて、今から状況を開始する。各自油樽を持て。行くぞ!」

 

 四人は両肩に樽を抱え、ダイダロス通りの壁の上を走る。

 

 ◇◇◇

 

 ーーそれにしてもやはり巡回している人間が多いな。見つかったら敵を消すしかない。今のオラリオではハンニバルやバスカルであっても一切の油断は出来ない。やばい敵にあったらそこでおしまいだ。

 

 カロンは行く手に最大限の注意を払う。物陰に潜み、先の道を警戒し、少しずつ少しずつ進んでいく。

 

 ーー一般人がこの時間帯だとまるで出歩いていない。まあ………当然か。つまり俺達は見つかったら即敵だとばれるということだ。仲間は心配だが、自分の成功をさせることに集中することが何よりも肝心だ。

 

 カロンは一区画、一区画、少しずつ進んでいく。

 

 ーー報告を上に上げられてしまったらおしまいだ。雲霞の如く敵が湧き出てくることになる。ゆえに見つかったら即座に相手を消すほかない。ヤバい奴らに見つからないことを、祈るしかない。

 

 夜空には星が瞬き、空気は乾燥している。流れていく乾いた風。火事日和だ。

 天の時には恵まれた。

 

 彼らの心は一つ。必死さは折り紙付き。ただ彼らの目的に向かって命すらも惜しまずに進みつづける。

 人の和にも恵まれた。

 

 惜しむらくは、彼らは長きにわたり、暗い穴底に住みつづけた。オラリオは彼らの住家ではない。

 地の利だけには恵まれない。

 

 彼らは必死に闇に紛れ、目的へと邁進する。

 

 ◇◇◇

 

 ーーさて、ここがバベルだな。やはり近くで見るとデカイもんだな。

 

 ハンニバルは上を見上げる。

 ハンニバルの両肩には樽がある。ハンニバルの火を点ける場所はバベルのみである。火を点けるヶ所は一カ所のはずなのになぜ彼は樽を二つも持ち出したのだろう?

 彼の樽には油が入っておらず、替わりに別のものが詰められるだけ詰めてある。

 

 ーーさて、と。後やることは、と。

 

 ハンニバルはカロンが来たときのことを思い出す。

 

 ーー最初は俺より幼いただのガキだと考えてたが、あのヴォルターに口答えする案外肝の座った奴だった。済まないな、カロン。真っ当に生きれたかも知れないお前をこんな訳の分からない状況に巻き込んで。お前は案外根性があったから、大成してたかも知れないのにな。

 

 ハンニバルは暗闇に紛れ、バベル内部へと消えていく。

 事態が動くまで、彼は弟分のことを想いつづけながら。

 

 ◇◇◇

 

 ーー私の仕掛けは終わったわ。後は少し待つだけ。

 

 クレインはすでに仕掛けが終わっていた。

 彼女は、比較的近所に配置されていた。

 

 ーーカロンの配置が一番遠いところ。無事に戻って来ることを祈るわ。

 

 悪党でも何者かに祈りを捧げる。

 彼女は果たして神に祈るのか?悪魔に祈るのか?祈る対象はそもそも存在するのか?

 それは彼女しか知らない。

 

 ◇◇◇

 

 ーーさて、と。

 

 バスカルは遠くを見る。暗闇に聳えるバベル。人生最後の自由でゆっくり使える時間。

 

 ーー地下に逃げた当時はこの風景が恋しくて堪らなかったが、人間なんでも馴れるもんだな。今となっちゃあ、仄暗い地下の拠点が恋しいものだ。

 

 バスカルは静かに時間を待つ。

 

 ーー俺とレンは地獄行きか。ゲイルは良い奴だったからな。天国に行ってるんだろうな。済まないな。俺達が三人揃うことはもう、永遠にない。俺の人生の先もない。まあゲイルもレンもすでに死んでるから問題ないか。

 

 バスカルはレンが出頭したことを知らない。

 

 バスカルはカロンからひそかにちょろまかしたタバコを懐から出す。

 くわえて火を点ける。暗闇に僅かに燈る明かり。流れていく煙。

 

 ーー済まねぇな、カロン。他の奴らはまずいまずいと言ってたが、俺はこれ気に入っちまった。どうせ俺達は最悪の連中の集まりだ。窃盗くらいは大目に見てくれや。

 

 バスカルはオラリオの片隅で静かに煙りを燻らせる。

 

 ◇◇◇

 

 「火事だああぁぁーーっ!!」

 「複数ヶ所で、大きな火の手が上がっているぞ!消して回れーーっっ!!」

 「放火魔がいるぞ!奴は北へ向かった!!」

 「どうすんだ!?消火を優先すんのか?放火魔を追うのか!?」

 「新たに火の手が上がったぞーーっっ!!」

 

 オラリオは混乱へと陥る。

 大慌てするガネーシャの眷属達。慌てて協力に馳せ参じる他のファミリアの人間達。

 窓から外を見て愕然とする一般人。彼らは急いで自分の家から避難する。

 

 そして唐突に場面はバベルの最上階へと切り替わる。

 

 「オッタル、下界が騒がしいわ。」

 「………出て来ましょうか?」

 「ええ、お願いするわ。」

 「あなた様の御心のままに。」

 

 オッタルが出陣する。

 

 ◇◇◇

 

 カロンは時間をかけて目的地へと到達する。北の目的地で火を点ける。

 カロンはその後に足早に集合地点へと向かう。

 

 ーーこちら側の工作をクレインに任せておけば、帰り道は顔が割れてないために楽だったが、まあ行きの大変さを総合するとやはり俺で正解だろうな。後は火事にみんなが集中して、俺が気付かれないことを祈るばかりか。

 

 ◇◇◇

 

 ーー私の役割は終わったわ。後はカロンを待って、門から抜けるだけ。私は顔が割れてないけど火事にも関わらず落ち着いてその場を動かない人間なんて不審極まりないから隠れてましょう。……そうだわ。折角だから身を隠しながらの有効な時間の使い方があるわね。その辺で先々何か役に立ちそうな物をいただきましょうか。

 

 クレインは人目を避けて、集合地点近くに潜む。彼女は火を点けた後は辺りを見回し、火事で人の居ない店の中へと入っていく。

 

 ◇◇◇

 

 ーーさあて。俺がどれだけ人目をひけるか。どれだけ逃げ回れるかが鍵になるな。そら、逃げ惑え。

 

 バスカルは頻繁に火を放ち、時折逃げ惑う民衆に紛れながら時間を稼ぐ。

 北上しながら油を仕込んだ地点に火を放つ。

 

 ーーなるべく長い時間強い敵が出て来ないと助かるが、まあそれは期待薄かな。

 

 バスカルはすでにたくさんの冒険者に追われている。

 

 ◇◇◇

 

 ここはバベルの足元。ここまではまだ火の手が回っていない。

 暗闇に同化する精強な冒険者達。

 ここでは今、一部のすでに街中に出ていた眷属を除く出陣直前のフレイヤファミリアが揃っていた。

 

 ーーふむ。

 

 オッタルは辺りを見る。

 オッタルは僅かな間、思案する。

 

 「………お前らは先に行け。」

 「どうしたんだ?」

 「………俺は気になることがある。」

 

 気になること。

 単純に全員出撃したら、バベルの防衛が手薄になってしまう。

 彼らは美の女神の信奉者、フレイヤの命令を聞き、フレイヤの安全を何よりも最優先に考える。

 

 仲間は先に行き、オッタルはバベルの周辺の確認を行う。

 

 ーーむ。

 

 バベルの入口の裏手に、暗闇に紛れて樽に座る一人の大男。辺りは暗くて非常に気づきづらい。

 彼はのんびりとオッタルを見ている。

 

 ーー確か手配書で見た男。名前はハンニバル。俺達の標的だ。

 

 オッタルは即座に敵だと判断する。大剣を片手に、敵に突っ掛かる。

 対するハンニバルは、オッタルを確認したときにはすでに詠唱を始めている。

 

 ーー敵の魔力が高まっている。なんらかの魔法を使うつもりか。だが、なんら問題ない。

 

 「ストーンスキンっっ!!」

 

 ーーむ?

 

 ストーンスキン、ハンニバルの隠し持つ短文詠唱の魔法である。ごく僅かな時間、自身の防御を劇的に上昇させる魔法。ハンニバルが切り札に爆薬を用いる理由は、この魔法と相性が良いためであった。爆薬が炸裂する瞬間、自身の防御力を上げるという切り札。

 

 しかし、ハンニバルは今すでに切り札を使用してしまっている。オッタルの一撃は、魔法を使用せねば堪えきれない。

 

 オッタルの敵を両断するはずの大剣は、肩から袈裟にハンニバルを切り裂き腹部で止まる。

 主君のフレイヤの住家を敵の血で汚すのを嫌ったオッタルは、ハンニバルの首を締め上げてその場からどかそうとする。

 ハンニバルは体から止めどなく血を流し、口から血を吐きながらなおも嗤う。

 

 それは悪魔が最期に残す呪詛。

 悪魔は喉を掴まれ肩から腹まで裂かれながらなおも呪いを遺して逝く。

 

 「バベルは天に住まう神々の怒りのみならず………地の底に潜む悪魔の不興も買っている………悪魔が呼び出す地獄の業火に焼かれて………バベルは完全に倒壊する。」

 

 ーー何が!?

 

 オッタルは血の臭いと目前で喋る敵に気を取られて硝煙の臭いに気付かない。

 すでに導火線に火は点いていた。

 

 ◇◇◇

 

 「見つけたぜ。テメエ青い目の悪魔だな。わざわざ手間をかけさせやがって。覚悟しな。」

 

 ーー炎の四戦士!クソッ!出て来るのが余りにも早い!こいつらすでに街中にいたのか!

 

 カロンは火事を起こした帰りに、ガリバー兄弟と遭遇してしまう。

 ガリバー兄弟、別々の武器を使用する四人組。レベル6相当の実力者に、カロンは手も足もでない。

 カロンは勝ち目がないことを理解して、一目散に逃げ出す。

 

 「ははは。オラッ、逃げろ逃げろ!どうせ他の敵も俺達の仲間が仕留めてるよ。テメエら、よくもここまでまあ引っ掻き回してくれたな!」

 

 ーー俺は、必死に生きる!

 

 ガリバー兄弟は後ろから迫り来る。

 カロンはたとえ逃げきれる目がなくとも、どこまでも逃げつづけることを決意する。

 

 ◇◇◇

 

 ーー一体何が!?

 

 オッタルは何が起こったのか理解できない。わかるのは、自分の耳が聴こえず、自身が体から大量の血を流していることだけ。それが今の彼に認識できたこと。

 そしてオッタルは衝撃で飛んでいた少し前の記憶が戻って来る。

 

 ーー敵にやられたのか!?馬鹿な!?敵はせいぜいレベル5相当のはずだ!?なぜ俺はここまでのダメージを喰らっているんだ?

 

 オッタルは理解が追いつかず、辺りを見渡す。

 

 ーー俺は確かバベルの側にいたはずだ!?しかし今はそこから少し離れた場所にいる!?居たはずの敵もいない!?!どういうことだ!?あれは、一体何が起こったんだ!!

 

 そして、オッタルは驚愕する。

 

 バベルが酷く抉れている!

 ハンニバルが密かにリヴィラから隠しつづけてきた切り札の爆薬。ハンニバルは跡形も残らない。レベル5の耐久特化を粉々に吹き飛ばすほどの炸薬量。

 バベル内部の支柱はすでに破壊してあり、爆破の衝撃を受けて徐々に自重に耐えられなくなり傾いていくバベル。

 

 ーーフレイヤ様!!

 

 オッタルは自身の傷を省みずにバベルに走り寄り、倒壊しつつあるバベルを支える。

 

 「ぬおおおおおぉぉぉぉっっ!!!」

 

 オッタルは力の限りを振り絞ってバベルの倒壊を留めようとする。

 しかしなおもどんどん傾き行くバベル。

 

 「おおおおおおおおっっっっ!!!」

 

 バベルの傾きはどんどんまして行く。

 

 「おおおおおおおおおおおあああぁぁぁっっっ!!!!」

 

 やがて傾いたバベルの屋上付近から一つの人影が地面へと落下して来る。オッタルはそれに気付かない。そして落ちた場所から天に向かって立ち上る光の柱。

 

 ーー馬鹿な!?ステータスが消えただと!!フレイヤ様!?フレイヤ様っっ!!!

 

 オッタルは絶望を感じる。

 そのままバベルは、オッタルの上へと倒れて行った。

 

 ◇◇◇

 

 「オラ!もう逃げねぇのか?雑魚の癖に時間をかけさせやがって!」

 

 ーークソッ!!

 

 カロンは暗く狭い道で逃げ回りながらガリバー兄弟の四人に思い思いにいたぶられる。

 カロンのステータスには耐痛覚が付いている。体中を痛めながら、なおもカロンは必死に敵に背を向けて逃げる。

 

 「オラ!喰らえや!」

 「ヒャッハッハ。こいつしぶとくておもしれーな。」

 「ほれほれ!」

 「まだ逃げるのか。いい加減諦めろや!」

 

 ガリバー兄弟は思い思いにおもちゃをいたぶりつづける。

 カロンは剣で斬られ、鎚で叩かれ、槍で刺され、斧で裂かれ、なおも必死で逃げつづける。

 

 「全くしぶてぇヤローだぜ。まるでゴキブリみてぇだな。」

 「ああ、違いねぇ。ゴキブリはさっさと片付けねぇとな。」

 「オラ、早く死ねよ!」

 「オ、オイ。待てよ。あれ、見ろよ!」

 

 彼らの一人が突然彼方を指差す。彼は遠くで何かが爆発したような音を聞き付けており、そちらの方へ視線を向けていた。

 四人はそちらを見やる。指差す先には暗い中僅かに見える徐々に傾き行くバベル。

 

 「マ、マジかよ!」

 「フレイヤ様!」

 「オ、オイ!ステータスが消えたぞ!フレイヤ様が!」

 「どうする?どうするんだ!?フレイヤ様!!」

 

 フレイヤが天界へと帰還した事を理解したガリバー兄弟は錯乱する。

 カロンは彼らを一瞥すると、ポーションを懐からだして飲み込む。

 そして、その場を去って行った。

 

 ◇◇◇

 

 ーー何があったんだ?俺にとっては凄く助かるけど。

 

 バスカルは火を放ちながら逃走する。彼の背後には夥しい数の冒険者。しかし、先ほどまで先頭を走っていて今にも追いつかれそうなはずだった、フレイヤファミリアの中枢、ヘグニとヘディンが存在しない。バスカルには、彼らが脱落して行った理由が理解できない。

 

 ーーまああいつらがいなくてもこれだけたくさんの敵に追われていたらどうにもなんないな。そこそこの実力者もたくさんいるし。

 

 バスカルは火炎を放ちながらいつまでもどこまでも、逃走しつづける。

 必死に逃げ回る彼は、いつの間にかオラリオから象徴とも言えるバベルが無くなっていることに気付かない。

 

 ◇◇◇

 

 「何事ですか!?」

 

 リューはびっくりして飛び起きる。

 

 「うん?どうしたんだ?」

 

 デルフが突如飛び起きたリューに返答を返す。

 

 「いえ、今突如爆発音が聴こえた気がしまして。」

 

 リューはその長いエルフの耳で、遠くバベルで大量の火薬が炸裂した音を聞いていた。

 

 「うん?確かにお前の言う通りなんか少し音が聴こえた気がしたが、そんなに大きな音じゃなかったぞ!?」

 「そうですか………私の気のせいですか?」

 

 ◇◇◇

 

 ーーハンニバル。

 

 カロンは遠くバベルを見やる。

 

 カロンには即座に何が起こったのか理解できていた。そのやり口は、かつてカロンがどうすればオラリオに復讐ができるか考えていた方法そのものである。

 フレイヤが天界に帰還したということは、フレイヤの側に彼女の眷属が居なかったと言うことだ。彼女の眷属が側に控えていたならば、彼らはフレイヤを抱えて倒壊するバベルから逃げ出すことが可能だったであろう。強兵が本丸を離れた隙に、周辺ごと本丸を破壊するというあまりにもえげつない悪魔らしい手法。バベルを倒壊させるほどの爆発ならば、仮に巻き込まれていたら耐久特化のハンニバルであっても跡形も残らないだろう。

 

 ーーしかし、今は考えることよりもひたすらに向かうことだ。ひたすら集合地点に向かって進みつづけ、門を抜けてオラリオから脱出する。俺は仲間達の死を無駄にするつもりはない。俺は生きつづける。生きて、少しでも良い道を探しつづける!

 

 カロンはただひたすらに歩き、待ち合わせの場所へと向かう。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 ーー痛い、ああ、痛い。頭がずきずきする。左目も見えない。失明してしまった。ああ、頭がどうしようもなく痛い。僕は?ああ、思い出した。そうだ、僕は仲間を全滅させた憎い相手を皆殺しにするためにここまで戻ってきたんだった。あいつらを皆殺しにするために、泥を食んで、ろくに動かない体で地面を這って、奴らがリヴィラに戻ってきた時に逃げ延びたんだった。許さない、赦さない、決して逃がさない。ああ、頭が痛い。ポーションも効かない、万能薬も効かない。ああ、あいつらは今、どこにいるんだ?なぜ周りは赤いんだ?まあ、どうでもいいか。取り敢えず、頭が痛くて堪らない。

 

 ◆◆◆

 

現状

ヴォルター・・・死亡

ハンニバル・・・死亡

レン・・・捕縛

バスカル・・・別行動

生存者

カロン、クレイン


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