異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~   作:せるじお

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第12話 黒潟よりのもの、言葉を覚え、呪詛を吐く

 

 

 

 

 

 

 

 

 おれはふたりの『先生』から、色んなことを習い覚えた。

 『言葉』というやつも、そのひとつだ。 

 

 田舎の百姓の出であるおれは、本来ならば一生『モノ』を知らぬままの人生を送っていただろうし、実際、それでいてあの村とその周りの狭い世界だけで生きていくのならば、何一つ問題は無かった。

 

 だがあの男と出会って外の世界を知った俺は、故郷を飛び出し、そしてリノア師と巡り合った。そして本来ならば知り得なかっただろう数々のことを学んだ。

 

 例えば――あの男は寡黙(・・)だったし、リノア師は饒舌(・・)だった。こういう言い回しも、新たに学んだことのひとつだ。

 

 リノア師は、とにかくよく喋る人であり、しかも相手を煙に巻いて誂うのを好む人だったから、その引用と婉曲、暗喩に仄めかしの洪水から真に役立つ金言を探し出すのは、まさに浜の真砂が一握の砂金を渫うような難事だったし、リノア師はそんな汲々とするおれの姿を見て愉しんでいたようだった。

 

 一方、あの男はと言うと口数の少ない男だったし、陽に灼け砂にまみれ世間に揉まれて固くなった皮膚は動きが少なく、口元は髭で覆われていたため、その表情を窺うことは難しく、異邦人らしい謎を最後まで纏っていて、交わした言葉の数もリノア師と比べればひどく少ない。

 

 けれども、だ。

 

 あの男の少ない口数の中には、ちょうど精霊達へと呼びかける呪文のように、おれの人生を左右せしめる力を持った言葉に満ちていた。

 

 

 PH'NGLUI、MGLW'NAFH、SETEBOS、UMBRIEL、WGAH'NAGL、FHTATAGN……。

 

 

 迫りくる異形のものどもの唱える謎めいた経文に相対するに、おれはあの男が使っていた不思議な言葉を用いた。それは同じ響きでありながら、時と場合によってその意味を変えていたが、それが飛び出すのは決まって窮地や、ここぞという場面だった。つまり、今みたいな場合にはうってつけの台詞だ。

 

 

『DUCK YOU SUCKER』

 

 

 言うやいなや、おれはホイールロックを魚あるいは蛙みたいな醜い面へと、躊躇うことなくぶっ放した。えらく離れた目と目の間、湿り帯びてヌメヌメと灯に輝く広い額へと。魔弾は遮るものもなく突き刺さり、頭蓋を砕いてその中身をぶち撒ける。意外なことに、こんな面であっても流れる血の色は赤らしく、飛び散る肉と合わさって上等な絹のカーテンを穢す。野郎窓のほうへと、手前自身で突き破った窓の方へと背中から斃れていく。

 

 だがおれは仕留めた相手の末路など見届けることもなく、続いて突っ込んできた魚面へと銃口を動かした。

 

 おれの灰色の瞳には、さっきの野郎よりも詳細に乱入者の面相が映り込む。分厚い唇は紫色を通り越して青黒く頬と顎と一緒になって前方に突き出してやがる。頭は禿げ上がって湿った光沢を帯び、塗りつぶしでもしたみてぇに異様に瞳が大きく、鼻は恐ろしく低くて殆ど無いに等しかった。ぐっしょり濡れて水の滴る襤褸から、長い爪が生え水掻き(・・・)のある両掌を突き出し、おれに掴みかかろうとする。

 

 二つ目の引き金に指を掛け、素早く引き絞る。

 

 歯輪が廻り、燧石と擦れ火花が咲く。点された火吹き粉は、銃身に込められた呪符を燃やし、その内に封じられたモノを解放する。赤い魔弾は稲妻のごとく、一瞬で宙を裂き、標的を穿つ。今度の狙い野郎の気色悪い目の玉だった。眼窩に一瞬、向こう側まで見通せる風穴が空いたが、すぐに血溜まりへと、次の瞬間には血の滝へと変わっていく。弾の切れた左のホイールロックで斃した魚面を殴り倒すと、続けて部屋へ飛び込もうとした二匹目掛けて立て続けにぶっ放す。左右それぞれに連中は斃れ、まだ無事だった大窓も枠ごと粉微塵に砕く。硝子が散らばって、続けて乗り込んでこようとしてた魚面連中がたたら踏む。

 

 おれはその隙に退がり、代わってフェルナンが前に出る。一言も口をきくこともなく、例の陰気な面に、右手に剣をぶら下げたこの男は、アントニアの『息子』であり、そして『騎兵上がり』の剣の達人だ。

 

 『騎兵上がり(・・・・・)』――特にこの部分が重要だ。

 だからこそ、やっこさんはあの少々特殊な得物を使いこなすことが出来るのだから。

 

 PH'NGLUI、MGLW'NAFH、SETEBOS、UMBRIEL、WGAH'NAGL、FHTATAGN!

 PH'NGLUI、MGLW'NAFH、SETEBOS、UMBRIEL、WGAH'NAGL、FHTATAGN!!

 PH'NGLUI、MGLW'NAFH、SETEBOS、UMBRIEL、WGAH'NAGL、FHTATAGN!!!

 

 例の謎めいた経文を吼えるように唱えながら、一時止まっていた魚臭い奔流が、また動き始める。割れ窓の外に見えた、魚面の新たな一群、その先頭目掛け、フェルナンは剣を振るった。鋼仕立てのシンプルなナックルガードに、湾曲する長い刀身を持ったサーベルは、見るからに切っ先が尖そうで、コイツに斬られた日にゃタダじゃすむまい。だが、やっこさんと襲撃者どもとの間には、一太刀では到底届かない間が空いている。それでも、問題はない。この新大陸にあって、ましてや『騎兵上がり』であるのなら。先頭の魚面の不幸は、フェルナンの素性を知らなかっこと。

 

 鉈めいた蛮刀を真っ向振り上げ、全く無防備になっている野郎の喉笛に鋭い切っ先が横に走る。仰け反り、得物を取り落とし、血泡混じりの断末魔を上げながら、先頭の魚面が斃れた。後続の連中は呆気にとられ動きが止まる。何が起こったのかも解らず、どうすべきかも理解していない風だった。

 

 無論、切った張ったの最中に、敵手(あいて)が見せた間抜けな様を、見逃してやる義理などあるはずねぇ。フェルナンは更に刃を振るえば、それは鞭みたいに撓って更に二人ほど切り裂き、刻む。

 

 フェルナンが手首を捻れば刀身に纏う血を払い壁に赤い線を描きながら、元の姿へと戻る。一見すると、ただの曲剣でしかないが、つぶさに見れば刀身は等間隔に切れ目が入っているのが見える。牛追い(バケーロ)にしろ遊撃騎兵(モントネラ)にしろ、この新大陸で馬を駆る者はみな、投げ縄と鞭の使い方に長じてるもンだが、そこで拵えられたのがフェルナンの操る『鋼の縄鞭剣(ラソ・デ・アセロ)』だ。細切れ刀身を鋼線で繋いだ伸縮自在の剣は、ちょうど投げ縄や鞭と同じ要領で振るうことができる。当然、それらを操るのに熟達しているのが前提だが、もしそうなら飛び道具並みの間合いで相手を斬り伏せることができる。

 

 おれの見立てじゃ、そんな恐るべき騎兵どものなかでも、フェルナンの腕は特に卓越してやがる。流石はアントニアがわざわざ『息子』にと欲しがった剣客だ。

 

「……」

 

 幽鬼めいた佇まいで、無造作に血塗れの刃をぶらさげたフェルナンに、魚面共が一瞬後ずさり、その事実に自分たちで驚愕し、逆上して湿った雄叫びをあげる。ゴボゴボと泡立つような奇妙な響きを帯びた声を張り上げ、例の経文をまたも唱える。

 

「うるせぇよ」

 

 早合(はやごう)を使って素早く再装填したおれは、フェルナンの肩越しに二丁のホイールロックを釣瓶撃ちにする。更に四匹ほど撃ち倒せば、おれの攻撃に合わせて騎兵上がりの剣客は再び剣を鋼の鞭へと変えて風車のように振り回し、後続の連中を蹴散らしていく。

 

「退くぜ、船で会おう」

 

 おれはフェルナンへとそう言い放ち殿を頼むと、手元も見ずに再装填をしながら――まぁ、おれみたいな腕利きだから出来るこった――アントニアのほうへと目を向け、視線で逃走を促した。

 

 トリンキュラが荷物を抱えている一方で、なんとか出歩ける程度の軽装を纏ったアントニアが憮然とした顔を扇子で隠しながら、しかし小さく頷いた。動きやすいズボンにサンダル、真っ白い綿のシャツを、ボタンも半分ほどしかとめないままの姿だ。髪も結っていないし、胸元もいつもと違った形で限りなくあらわで、こんな状況でも無ければ見惚れていたかも知れない。だがその左手には、このご令嬢もまた魔導の使い手であることを示す小振りの指揮杖が握られている。自然魔術(マギア・ナトアリス)は世に偏在する精霊(アガトス)を使嗾する術ならば、当然、兵を操るが如く指揮杖は欠かせない。指揮杖は燃素(フロギストン)より成る体を持ち、殆ど不可視で時に青白く輝く精霊『愚者の火(フェゴ・ファトゥオ)』が好んで集まるという、船の帆柱を模した形をしていた。彼女がどんな術を好んで使うか、一目瞭然の指揮杖だった。

 

 あれならば、援護射撃のひとつやふたつ軽くこなせるだろう。そう判断し、おれは左側のホイールロックを帯に挿し、代わりにカットラスを抜き放つと、露払いのため真っ先に廊下へと飛び出した。

 

 廊下へと飛び出すと、玄関へと向か――えば恐らく乱入してきたあの魚面連中とまた出くわすことだろう。廊下を響く雄叫びを聞けば、エルフのおれならばその出処ぐらいすぐに解る。

 

 おれ達は裏口を目指して走り出す。寝ずの番を仰せつかる前に、念の為にと屋敷の中をぶらついて間取りを覚えておいて良かった。良い心がけだと自画自賛しておく。

 

「パラシオス師にアルカボンヌ女史はいずこに? あの者たちを探さないので?」

「やっこさんたちなら、自分の身ぐらい、自分でなんとかするだろうさ」

 

 裏口へとアントニア達を誘導しつつ、おれはそんな風に答えた。何も我が身大事で一刻も早くここから逃げ出したいからと、そんな理由で吐いた言葉ではなく、心底言葉通りに思っているだけのことだ。特にアルカボンヌは『早い足(ガンバ・セクーラ)』の二つ名を嘯き、何やら得体のしれない術を使って、現れたり消えたりする有様だから、逃げ足の方も全く問題ないだろう。

 

 その辺りはガウチョの二人組、フィエロのクルスの野郎どもも同様だ。さっきから、屋敷の外で切った張ったしてるらしい罵声怒声に加えて、魚面連中ががなりたてる呪文経文に被さるように、激しいギターの調べが聞こえてくる。

 

 フェエロだ。やっこさんは『歌唄い(パジャドール)』……こんな仕事に雇われる手合だから、当然ただの吟遊詩人なんぞであるわけもない。恐らくはあの魚面連中が何某か呪を為そうとしているのを妨害しているのだろう。クルスの短刀(ドス)捌きは言うまでもないので、やっこさんどもも心配無用だろう。

 

 ならば、おれはおれの仕事をするだけのこった。

 

「……それで? なにゆえお気づきになったのでして?」

「何が?」

「とぼけないで欲しいですわ。あの魚臭い者共が仕掛けて来るより先に感づいてなければ、ああも早くは動けませんわ」

「……」

 

 さて、何と答えたものか。

 夢で見たこと、夢に出くわした輩について詳らかに話すには、状況も悪いし時間もない。

 

「賞金稼ぎの勘ってやつさ」

「……与太話はともかく、詳しくは船に戻ってからですわね」

 

 空気の読める雇い主で助かる。今は話し合うときではないと解っているのはありがたい。

 

「それにしても、なんなんですの、あの魚臭い連中は」

「『淵のものども(ロス・プロフンドス)』だろ? 入り江だの潟だのに住んでる野蛮人の」

「そんなことは解っていますわ。問題はなんでその野蛮人共がいきなり攻め寄せてきたかですわ」

 

 淵のものども(ロス・プロフンドス)とは、今しがた襲ってきたばかりの魚人共のことで、おれはやつらについて詳しくは知らない。と、言うより、連中について詳しく知るものなど、連中自身を除けば極一部に限られているというのが本当のところだ。連中は人気のない海沿いの、常人には住むに適さぬ所に巣食い、風のうわさではこの無法と逸脱の蔓延る新大陸の地にあってすら、世の大半には受け入れがたい淫祠邪教に耽っているという話だ。だが、それをまともに確かめたやつなどいない。そもそも連中の棲む場所と言えば僻地と相場が決まっているからだ。あるいは碩学のパラシオス師ならば何か知っているかもしれないが。

 

「さぁ? あの黄色い服の爺様なら何か知ってるかもな」

「……」

 

 黄衣の老人アストゥルが実に怪しげな輩であったと感じたのはアントニアも同じであったらしく、走りながらもとっさに扇子で顔を隠すが、恐らくは思わず同意が顔に出てしまっていたことだろう。おれの方はと言えば、口先でああは言いつつも、内心気になっていたのは、夢のなかで出くわした、あの顔のない黄衣の巨人と、ヤツに見せられた幻視幻影(ヴィジョン)のこと。

 

 あそこは確かに、海を埋め尽くすほどのあの魚人どもの姿があった。

 

 飽くまで推測、というより単なる直感なのだが、ありゃあたぶん多くの幻視家が見るものと同じように、まだ先の出来事だ。だが現にここが魚人共に襲われているということは、あの見せられた景色に繋がる出来事が、もう始まってるってことなんだろうか。

 

 まぁ――知ったこっちゃない。

 あの黄色い巨人がナニモノだったか知らねぇが、その頼みを聞いてやる義理も道理もない。

 こちとら一匹狼の賞金稼ぎ、ただやるべきことと、やりたいことをやらせてもらうだけのこった。

 

「ああクソ」

 

 走りながら思わずおれが毒づいたのは、無駄に広いこの屋敷の間取りのことだ。裏口までもエラい距離がある。

 

「それにしても、館の使用人たちはどこですの? まるで出会わないのも不自然ですわ」

 

 アントニアと言う通り、既に屋敷内に乱入しているであろう魚人共を警戒しつつではあるが、ほぼ一直線に裏口目掛けて進んでいるのに、とんと使用人にも襲撃者どもにも出くわさない。耳を聾する外からの音から考えるに、既に相当な修羅場になっている筈だから、そうなると中も阿鼻叫喚の地獄絵図になってておかしくはない筈だが。

 

 まぁ、それもまた知ったこっちゃない。罠である様子もないなら、もっけの幸い、さっさと逃げさせてもらおう。

 おれはアントニアとトリンキュラを先導して小走りに進み続けた。屋敷の外では誰かが火をつけたのか窓より赤い光が差し込み、まるで血の海を駆けているかのような有様となる。だが、それとは不自然に対照的に、人気のない廊下のみが続く。

 

 そして遂に裏口までたどり着いたとき――遂に出くわしてしまった。

 

「うぉっ!?」

「きゃっ!?」

 

 唐突に殺気を感じ、不意に足を止めれば、背中に止まりきれなかったアントニアの豊かな双丘がぶつかるのを感じるが、それに色気づいている余裕も今はない。

 

 裏口の敷居を跨ぎ、入ってきた異様に大きな人影。

 そのシルエットはあからさまに魚人であり、それでいて二倍くらいの背丈がある。

 殆ど丸太のような棍棒をぶら下げた手は緑の鱗で覆われているが、蜥蜴人やリザードマンとは違う、テラテラと厭らしい湿った輝きを帯びている。

 さっきまで相対していた魚人ども……あれも相当に凶暴な面相をしていたが、今、目の前にいる野郎の顔は一層禍々しく、一層醜悪だった。

 

「――忌まわしき者共め、セテボスに逆らう愚か者共め!」

 

 その巨大な怪魚人は、いやにバカでかい声で、おれたち目掛けて吠えた。

 

「大鴉の羽で集めたあらゆる沼の毒が、貴様らに降りかからんことを!南西の風に吹かれ皮膚という皮膚を爛れさせんことを!」

 

 そして問わずともその名を名乗り、得物の棍棒を振りかぶりやがったのだった。

 

「我が名はキャリバン! 魔女シコラクスが一子! 主の命によりて貴様らを討つ!」

 

 

 

 

 


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