異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~   作:せるじお

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第10話 黄衣の紳士

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ほれ、どうした。喰え喰え喰らえ』

 

 テーブルの上に、これ見よがしに拡がれた、鍋、皿、鉢、盃の数々。

 それらの中には、ぎっしりと、ぎゅうぎゅうに、色とりどりの料理が詰め込まれている。黄色く炊かれた米には鶏肉がこれでもかと載せられ、鍋は白葡萄酒で蒸された黒い殻の二枚貝で一杯で、これら以外には角付きウサギ(ジャッカロープ)の丸焼きに、炙られた塩漬けの魚、山盛りの香草、血入りの豚肉腸詰め、大海獣(ケートス)のベーコン、赤く煮られた豆、そして澄んだ湧き水に赤白の葡萄酒……改めて、目をしばたたかせて、食い入るように現実離れした光景に現を抜かす。

 

『歓迎の祝さ。今夜はたんと喰い給え。――明日からは粗食でこき使わせてもらうがね』

 

 紫の瞳はいたずらっぽく輝き、美しい口元は三日月のような弧を描いて、そこからカラカラと軽やかな笑い声が飛び出てくる。おれは彼女の軽口に応じる余裕すらない。腹が裂けるほどに、たらふく喰う――そんな贅沢は、滅多に味わえるもんじゃない。せいぜい村の祭りの時ぐらいのもので、故郷を飛び出して以来、食うや食わずの日々を送っていたおれにとって、これほどの御馳走は眼に毒なほどだった。

 

『……どうした? 要らないのなら私が貰うぞ?』

 

 おれは引き金を弾かれたように飛びつき、貪ろるように喰った。ナイフだのフォークだの、その手の代物は使ったことは愚かマトモに見たこともなく――そんなおれでも匙だけは使ったことがあったが、テーブルの上にあるような銀色に輝く金属製ではなく木のスプーンだった――、素手で皿の上の御馳走に掴みかかり、そのままガブリついた。脇目も振らず、大海獣(ケートス)のベーコンに齧りつき、赤く煮られた豆を喉へと流し込み、山盛りの香草を合間にそこそこ挟みつつ、角付きウサギ(ジャッカロープ)の丸焼きは骨までしゃぶり尽くした。

 

 ふと、視線を料理から外せば、対座するリノア先生が完璧な所作で、鶏肉の載った黄色く炊かれた米を平鍋より椀へとよそって、事実に上品に匙で口へと運んでいるのが見えた。おれはおれの両手を見つめる。色んなソースと食材とが混ざり合って、まだら模様になった指、それらが詰まって黒色に変じた爪。……己の下品さと浅ましさに、恥ずかしくていたたまれなくなる。

 

『いいさ、焦ることはない』

 

 彼女はそんな私に優しげに微笑みながら、こう告げたのだ。

 

『ゆっくり学んでいけばいいさ、時間だけはたっぷりとあるのだから』

 

 ――残念ながら、時間すらたっぷりとは、ありはしなかった。

 だが、僅かな間であったとしても、おれは彼女から色々と学んだんだ。

 

 そう、例えば。

 

 

「エゼル殿――いかがなされたか?」

 

 

 この手の宴の際の、食事の作法とか。

 

 

「――いや、なんでもねぇよ」

 

 

 おれは黄衣の老紳士に、葡萄酒が波々と継がれた硝子杯をかざしながら応えた。恐らくは酒のせいだろう、若干の間、意識が過去へと飛んでいたらしい。仕事中は飲まないのがルールだが、招かれて注がれた酒に手を付けないのも無作法だ。だから飲むフリだけ見せて、僅かに唇を湿らせた。

 

「それで? 何の話だったか」

「エゼル殿がエルベル=オエステなる死体蘇生者の賞金首を、地下墓地に追い詰めた件ですよ」

「ああ、そうだった。あの屍術師の最後なんて傑作だったゼ。なんせ、自分で蘇らせた連中に八つ裂きにされてだな――」

 

 聴衆に受けが良くなるようにと、内容を脚色し、捏ね造り拵え盛りまくった手柄話を吹聴しながらも、おれは右斜め向かい――いちばん良い上座席に座った、賓客たるアントニアの席の隣――に座った老人、この館の主たる男にそれとなく視線を送り、警戒を解くこともなく観察を続ける。

 

 

 

 ――ロベルト=アンブロジオ=アストゥル。

 

 

 

 霧の中から、突如として出現したこの老人は、そういうふうに名乗った。

 都会風で庇の狭い帽子、首に巻いたネッカチーフ、チョッキに上着、そしてズボンに靴……黒いシャツと以外はことごとくが黄色い。頭頂から爪先までを漏れなく黄色い装束で覆った、異形の老人である。鶴みたいに細長い体躯の持ち主で、形よく整えられたヒゲに覆われた口からは、奇妙に甲高い、まるで狭い谷間を吹き抜ける風みたいな声が飛び出してくる。その双眸を蔽う緑色の丸い色眼鏡も相まって、対面する者をどこか不安にさせる所のある怪人物だった。

 

 

 

『我が館が食客たる、占星術師(マゴス)の見立ての通りだ。待ちかねたよ異邦人、久方ぶりの、まっとうな(・・・・・)来訪者だ』

 

 

 

 アストゥルなる老人はにそう告げると、大河の支流が流れ込むハリ湖――えらく水色が濃く、殆ど黒と言って良い暗さで、底はまるで見えない――のほとり、カルコッサなる地へとおれたちをいざなった。

 

 こんな内乱に咽び泣く地には似つかわしくない、色の好みはともかく完璧な礼装をした紳士――つまりは御大尽のお出迎えだ。見知らぬ地を旅する者ならば、地元の有力者の誘いを無視する不作法はあり得ない。ノストローモ号は老紳士を船に上げ、小舟をひいて支流を下った。

 

 果たしておれたちは信じがたきもの見た。

 湖畔に佇むその館――やはり黄色い館であった――は、あり得ざる程に整然たる様を保っていたのだ。

 

 そしておれたちは今、やっこさんの屋敷で晩餐をとっている。輝き石の柔らかい光に照らされて、おれたちは細長いテーブルを囲み、こんな内乱に呻きのたうつ深紅の大地では、お目にかかれるとも思わなかった御馳走を囲んでいる。山盛りの炙り肉(アサード)パン生地包み揚げ(エンパナーダ)、溢れんばかりの牛肉のトマト煮込みソースをかけた大皿いっぱいの馬鈴薯団子(ニョキス)……塩っ辛い保存食か干し肉か、豆ばかり食べてきたここ数日のことを思えば、双眸や臓腑の毒になりそうな豪勢さだ。

 

 おれは切りの良い所で話を区切ると、炙り肉を一切れとって、ナイフとフォークで食べる。食べつつ、改めて晩餐を囲んだ面子をそれとなく観察する。

 

 扇子で口元を覆いつつ、お上品に黄衣の老人アストゥルと談笑するアントニア。普段の傲慢さはどこへいったのやら、流石は大荘園(エスタンシア)の領主様といったところか――まぁその地位も叔父どもに脅かされて暫定的なものにすぎねぇんだがね。

 パラシオス師にアルカボンヌは、アストゥルの隣と斜め向かいに座り、こういう席には慣れているのか、他に席についてる連中、アストゥルの館の住人たちとそつなく話しいる。おれはと言えば一番下座について、そういう連中の様子を眺めてるって訳だ。なお、リザードマン用心棒のエステバンは念の為にとノストローモ号に残り、アントニアの『息子』で騎兵上がりのフェルナンと、メイドのトリンキュラは静かにアントニアの背後に控えている。では、フィエロにクルスのガウチョ二人はどうかと言えば――。

 

 

 ――ギターの調べ、唱和するバイオリンの響き。

 

 

 どこからともなく聞こえてくる音色は、不本意ながら、宴に華を添えてくれると言わざるを得ない。だが、当人たちの姿はこの食堂の中にはない。筋金入りのガウチョである連中には、屋根の下で優雅な晩餐を上品にとるなんて考えは毛ほどもないのだ。各々蒸留酒(ジン)をひと瓶ずつ、それと炙り肉(アサード)を皿一杯に貰うと、さっさと館の庭へと出ていってしまった。恐らくは宵の無聊の慰みに、楽器を奏でているのだろう。それにしても意外なのは、パジャドールたるフィエロは当然としても、クルスの野郎にもバイオリンの嗜みがあったことだ。それも腕前も中々のもので、時々聞き入ってしまって我ながら憮然となる。

 

「いやはや、それにしても見事な腕前。どうせなら中に上がればいいものを」

「全くですな。しかし彼らはガウチョですからな」

 

 どちらも気取った鼻にかかった声で相次ぎ言ったのはこの館の住人たち、占星術師ベイロイスに夢占師ロバルディだ。館の主たるアストゥル曰く、この館が異様なる安寧を保っているのは、ひとえにこの連中のお陰とのことだった。

 

「ルドヴィグ=プリンの方程式、ナコト式の五角形……それに、カルデア人の知恵に拠りし星占いとアルテミドロスの流儀にもとづく夢判断とを加えれば、かなりの精度で未来を覗き見、迫りくる危機を避けうるのだよ」

 

 ――とは、アストゥルの弁。その話っぷりから察するに、恐らくはこの老人自身が魔導に通じているとみて間違いはない。匪賊偸盗魑魅魍魎(ひぞくちゅうとうちみもうりょう)瀰漫猖獗跳梁跋扈(びまんしょうけつちょうりょうばっこ)するこのバンダ・オリエンタルにあって、この黄色い紳士の館は不自然なほどの安穏を保っているのだから。

 

 この優雅な晩餐は飽くまで一例に過ぎない。

 

 館を取り囲む、定規で引いたように整えられた生け垣。『イペー・アマレーロ』の木――やはり黄色い花を咲かせる――が咲き乱れる庭園。黄色い漆喰に、やはり黄味がかった屋根瓦には欠け一つない完璧な佇まいで、どうしてここが内乱に咽び泣く深紅の大地のど真ん中だと信じられよう。当人の言う所によれば、アストゥル老人は平々凡々な一地主に過ぎないということだが、いかんせん、どうにも信用がならねぇぜ。

 

「――時に、アストゥル様」

 

 おれら客人と館の住人たちは、それでも和やかに飲み食らい、実に宴はたけなわとなった。その、最中だった。出し抜けに、アントニアが問いかけたのだ。

 

「トラパランダ島、あるいは、プロスペロ=“コンセリェイロ”=メディオラヌム――この名前に聞き覚えはございます?」

 

 あからさますぎて、一種芸術的なほどに、空気が凍りつく。占星術師ベイロイスに夢占師ロバルディのふたりは顔を見合わせ、黄衣の老人アストゥルはわざとらしい咳払いをする。

 

「……はて、近頃、めっきり耳が遠くなりましてな。もう一度おっしゃって頂きたい」

「いえ。大したことはございませんのよ。ごめんあそばせ。それより、この館は実に見事で――」

 

 アントニアは扇子で口元を隠しつつ、当たり障りのない話題へと展じた。

 しかし、おれも、アントニアも、パラシオス師も、アルカボンヌも、恐らくはフェルナンとトリンキュラも、おれたち一行全員は確信したのだ。この館には『なにかある』、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「部屋の前で、寝ずの番をしなさいな」

「お守りも報酬のうちに入ってるのかい?」

 

 アントニアはおれの軽口に対し、ピシャリと扇子を我が手に叩きつける仕草で応じた。余計な口を叩くなという意味なのは明らかだ。

 

「もし――」

 

 アントニアは口元を再び開いた扇子で覆いつつ、お嬢様はズイとおれのほうへと身を寄せてきた。金髪の巻毛、豊かな胸がゆさと揺れる。

 

「気づいているのでしょう?」

「……まぁね」

 

 余りに色々と不自然で、余りに色々と不可思議だ。

 あの老人は本当は何者で、一体全体何が目的なのか。何のためのにおれたちを歓待したのか――当人曰く、久方ぶりにお目にかかった真っ当な人間だからだそうだが――胡散臭いにも程がある。

 

「寝室ではフェルナンとトリンキュラに見張らせますわ。あなたは扉の前に控えていてくださいな」

 

 おれたちは老アストゥルの申し出に従って、館で一泊することになった。随分とマトモな寝床で寝ていないから、実に魅力的な提案で、断る理由も見つからない。パラシオス師とアルカボンヌにも、それぞれ一室が割り当てられ、実に気前がいい。

 

 かといって、油断はできず、用心は欠かせない。

 ここは、バンダ・オリエンタルなのだから。

 

「……追加報酬をいただけるので?」

「見くびらないでくださらない?」

 

 アントニアは、胸の谷間よりエスクード金貨を一枚取り出すと、投げ渡してくる。

 

「承りましたぜ、お嬢さん」

 

 そいつを受け取ると、おれはおどけて礼をひとつ。

 アントニアは扇子の向こうで鼻を鳴らし、割り当てられた部屋へと消えた。

 おれは扉に背を預け座り込むと、鋼輪点火式短銃(ホイールロック・ピストル)の手入れを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――不意に、目が覚めた。

 寝ずの番のはずが、いつのまに眠りに落ちたのだろう。不甲斐ない事実に毒づき、立ち上がって辺りを見渡した時、おれは言葉を失い、呆然とした。

 

 残酷なまでに深く黒い夜空。

 そこに怪しく輝く星々。

 延々と続く灰色の荒野。

 そびえ立つ捻れた円柱の数々。

 

 そして、おれを見下ろす、黄衣の怪人。

 おれの身の丈3つ分ほどの巨躯を持ったソイツは、全身を黄色いトーガで覆い、頭巾をかぶっていて、その顔は陰となっていて窺い知れない。

 

 その怪人は、唖然としているおれに、名状しがたい声で話しかけてきたのだ。

 

 

『よく来た来訪者。お前に会いたかったのだ』

 

 

 と。

 

 

 

 

 


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