異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~   作:せるじお

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第6幕 ワン・シルバー・ダラー

 

 

 

 

 

 

 いささか唐突ではあるが、ちょいと話の筋を横道に逸して、昔語をするとしよう。

 

 

 

 

 

 世の健全(・・)なる男児諸君――聖書読み連中だの何だの、とにかく世間様が清く正しいと褒めそやす生き方をしてる連中――と異なり、私は『前の戦争』が終わって以来、永らく(たがや)すだの(あきな)うだの(すなど)るだのといった真っ当な稼業や、地に根を下ろして所帯を持つといったことから程遠い生活を送ってきた。一箇所に留まることもなく、時には蜃気楼のごとき壁を超えて『あちらがわ』に至るまで世界を彷徨い続け、命を刈り取ることで糧を得てきた。

 

 そんな私が、足を洗って生き方の大部分――全てではない――を変える切っ掛けとなったのが、チェネレとの出会いだった。

 

 燃える馬車、焼ける屍、それらの傍らに佇む黒装束。

 灰被りのような髪に、同色の、すなわち狙撃兵の瞳をした少女。

 

 およそ『こちらがわ』に生まれし者とは思えぬ、不可思議なる少女との出会いは、天使が聖母に救世主を宿したことを告げるが如くに、私へと上手く言葉にすることのできない、言うなれば霊感のようなモノを私に与えた。私は彼女を引き取り、彼女に名を与え、彼女を養っていくことになったのだ。

 

 前の戦争が、あの忌まわしいシャーマンの野郎の軍団が、私の故郷を焼き滅ぼす前の頃、まだ人を殺め道を踏み外す前の私には、父と私の他に姉に幼い妹もいたから、小さな少女と共に暮らすのは初めての経験ではない。ちなみに母は妹を産んで暫くして病気で既にこの世を去っている。父は戦死しているし、姉と妹とは生き別れて以来、もう数十年も会っていない。生死すら定かでないが、姉は私なんぞより余程強かだったから、恐らくは私と違って新しい世の中に上手く合わせて妹と仲良く生き延びていることだろう。

 

 まぁ要するに、幼かった妹の時のようにやれば良いと、そんな風に最初は思っていた訳だ。だがそんなことは全然なくて、当時の私はえらい四苦八苦させられたのだが、特に難儀したのは話が出来ないことに加え文字が通じないこと――などではなく、チェネレの表情がとかく乏しいことだった。西部じゃ文字の読めないやつは珍しくないし、話の通じないやつすら珍しくない。最近じゃめっきり増えてきた大陸(ヨーロッパ)の東の方からの移民連中なんかは英語がしゃべれない奴も多いのだ。

 

 私は西部で切った張ったの稼業をしているから、相手の言葉として出てこない気配だの態度だのを察知するのには誰よりも敏感であるという自負がある。だから他の相手であれば、例え先住民やメキシコ人連中が相手であっても少なくともこっちに害意を抱いてるか否かぐらいは即座に解るのだが、その私の眼力も、チェネレ相手だと最初のうちはまるで通じなかったのだ。あたかも大山火事の後の、動くもの全て絶えた後の灰まみれの荒れ地のように、まるで全ての感情の炎が燃え尽きてしまっているかのように、揺らがないチェネレを前にして、私もただただ戸惑うのみだった。

 

 だが、彼女も別に石や木で出来てるってわけじゃあない。稀ではあるが、チェネレが明確に、傍目に解る形で感情の揺らぎを見せる場面も確かにあった。少なくとも、両手の十指で足りぬ程度には、私はそういう場面を見たが、中でも特に記憶に残っているのが三つある。ひとつは、彼女が最初にアップルパイを頬張った時のもの。ふたつ、彼女がライフルに興味を示し、貸し与えたウィンチェスターを最初に撃ち放った時のもの。みっつ、そのウィンチェスターを手に、賞金首を初めて撃ち殺した時のもの。

 

 

 

 喜悦、興奮、そして憤怒。

 だが今、私が目の当たりにしている彼女の感情は、そのいずれでもなかった。

 

 

 

 そう。

 何故に私が昔語をこうも長々とやったのかと言えば、目の前のチェネレの表情を見て、思わず思い返してしまったからなのだ。記憶の中のどこにもない、全く新しい表情をしたチェネレが、そこにはいる。

 

「――」

 

 マウザーを油断なく構えたチェネレの灰色の双眸は血走り、息はあからさまに荒く、まるで尾を踏まれた猫みたいになっている。ここまで感情を顕にしたチェネレはやはり見たことがない。

 

 私は周囲を窺い、この異常な状況でいかに動くべきかに頭を巡らせながらも、同時に、チェネレのことも考えた。

 彼女はまるで「こちらがわ」の人間ではなく、「あちらがわ」から迷い込んできた存在なのではないかという考え自体は前からあったものだが、それがいよいよ確信に近づいたといった感じだ。今しがた起き上がったオプの反応との比較すれば、チェネレの反応が如何に特異であるか解るから。

 

「……え? あ? ここは? え? え?」

 

 冷酷非情で鉄面皮まピンカートンの探偵殿が、普段ならばまず見せない愉快な表情で、コヨーテに睨まれた羊よろしく固まってしまっているのは、後々まで酒の肴になるこったろう。まぁ無理もない。あの象みたいな化け物に襲われて慌ても騒ぎもしなかっただけ、やっこさんは大したモンだったのだ。だがいきなり辺りの景色が、それも余りに一変してしまって、冷徹な私立探偵にすら、受け止められる容量を超えてしまったのだろう。オプみたいに荒ごと慣れした連中は『心の水瓶』が大きく出来ている場合が多いが、それにしたって入る量には限度ってモンがある。ちなみに心の水瓶っていうのは私の師匠がよく言っていた言葉で、要するに恐怖だの理不尽だのに耐えられる限度を喩えた言葉だ。どれほど長く戦いの場に身を置こうとも、心の容量ってのは決して限りなく広くなることはない。だから自分の水瓶に容れられる量をちゃんと量っておくのが、ガンマンが長生きするための秘訣だ。……とは言え、えてして神様ってのは、こっちの水瓶が内から爆ぜ散る程の理不尽を、坐す天より投げ落として来るのが困りものだが。オプにとっては今度のことが、そうした耐え難き理不尽であったという訳だ。

 

 だがチェネレの見せた表情は、明らかにオプとは事情が異なっている。

 オプと違ってチェネレは、あからさまに、今何が起こっているのかを解かっている様子だった。解かっているからこそ、彼女は目を血走らせ、辺りに警戒感を顕にしている。人ならぬ化け物どもが跳梁跋扈する『あちらがわ』――いや、今やその境を超えて渡ってしまった今となってはこっちこそが『こちらがわ』になってしまったが――に来てしまったことを、それもスツルーム野郎の術によるものであることを理解しているならば、殺気立つのも当然なのだ。

 

 私も頭痛に揺れる頭を堪えながら、床に転がるウェブリーを拾い、チェネレに倣って辺りを警戒する。

 周囲を見渡せば、改めてチェネレが荒ぶるのも解る程に、異様な場所に放り込まれたのだと解る。

 

 天井はニューオリンズのセント・ルイス大聖堂が玩具に思える程に高く、それでいて降り注ぐ灯りはとても屋内とは思えない程に煌々として眩い。その光の源は遥か頭上の、金色のシャンデリアに備わった何か――放つ光の強さ故に、その詳細はここからじゃ解りようがない――だが、取り敢えずランプでもガス灯でもないのは確かだった。アラマとの仕事の際にマラカンドの街で見た夜も輝く石を思い出したが、それよりもずっとずっと強い輝きを放っているのだ。

 

 床は赤い絨毯に隈なく覆われているが、ブーツのごしの感触から、恐らくは石畳であろうことが解る。

 部屋の形状は、実に奇妙なことだが、七角形をしている。街に居ることの少ない人生を送ってきた私だが、それでも七角形の部屋なんてのは実に珍しいことぐらいは解る。白い漆喰壁には窓はなく、その代わりに一面に一つずつ、両開きの金属扉が備わっているが、これもまた実に奇妙な、独特の緑色をしていた。錆びたブロンズに似た色だが、しかしこんな湿ったような光沢を放つブロンズなど見たことがない。まるで海の底から引き上げられた石にこびり付いた、藻のような緑なのだ。恐らくは『こちらがわ』の金属なのだろう。偏執的なまでに細かい仕事な浮き彫りに描かれるのは、頭は魚で体が人間の異様な姿の怪人たちが、蝙蝠と蛸と蜥蜴と人とを組み合わせたような巨大なナニカの周りを踊り狂う様だが、何というか……ただ見ているだけで気分が悪くなるような、背筋が寒くなるような絵なので、慌てて目を離し、オプやチェネレ、そして馬たちへと視線を戻す。

 

 オプはまだ正気に戻れていないのか――それでも、その手にショットガンを構えているのは流石だ――、口をあんぐりと開けて天井を見上げており、チェネレはと言えば、私達以外には誰の影も形も見えないことに当面は危険が無さそうだと思ったのか、さっきまでよりは落ち着いて、しかし猟師と相対した狼のように一分の隙もない。もしも殺気なり敵意なりを察知すれば、即座にマウザーの銃口は跳ね上がり、標的を射抜くだろう。

 

 ライトニング、レインメーカー、そしてオプの連れてきた二頭、ワトスンにレストレードたちはと言えば、慌てる我ら人間どもと違って、平気な面して絨毯の上で暇そうにぶらぶらうろついている。……彼らのほうが余程肝が据わっているのには、少々恐縮せざるをえない。

 

「気付けだ」

「おわ!?」

 

 私は懐に、念の為にと忍ばせておいたスキットルを引っ張り出すと、オプへと投げてよこす。中身は気付け薬代わりのブランデーで、仕事中は酒を避ける私もコイツだけは別だ。こういう稼業をしていると、上物の美酒でもなければ、正気を取り戻すのに手こずる場面に出くわすのは少なくないし、それに質の良い酒は大抵の場所で取引の材料となったりもする。

 

「……」

 

 オプもまた一介のプロフェッショナルだから、一瞬、仕事中に、それもこんな殆ど敵地のど真ん中と言って良い場所で酒を呷ることに対して躊躇を見せた。しかし同時に今の自分が仕事を成し遂げるに耐え得ない状態であることも解かっていたためか、一息にラッパ飲みにする。

 

「落ち着いたか」

「……お陰でね」

 

 お上品にその注ぎ口をハンカチーフで拭った後に、スキットルをオプは投げ返してくる。

 

「それで……どうする?」

 

 ようやくいつもの自分を取り戻したらしいオプが聞いてくるのに、私は肩をすくめつつ言う。

 

「ノックでもしてみたらどうだ?」

 

 例の緑の扉にはその全てに、屋内にも関わらずノッカーが備わっていたのだ。

 七つの扉と七つの高い壁、赤い絨毯に謎めいたシャンデリア……私達を除けば、それがこの部屋の全てだった。つまり事態を進展させたければ、外に出る他はないのだ。

 

 

「……行くぞ」

 

 

 落ち着きを取り戻し、態勢を立て直し、多少時間をかけて今後のことを話し合った私達だが、結局の所、やるべきことは唯ひとつであることに変わりはなかった。あの不気味な扉のいずれかを開けて、外に出なければならないのだ。左手にウェブリーを構えながら、右手でノッカーに手を伸ばす。背後ではチェネレがマウザーを、オプがウィンチェスターのショットガンを構え、怪しげな影が見えたら即座にぶっ放せるように控えていた。

 

 ノッカーは扉の浮き彫りに描かれているのと同じ、魚人間の頭を象っていた。頭だけの意匠であるためか、浮き彫りのソレと比べるとまだマシと言える嫌悪感故に――それにしたって相当なものだが――目を離さずに見ることが出来るが、それにしても、これほど醜いドアノッカーには終ぞお目にかかったことがない。バカ正直に感想を述べるなら、作り手の正気を疑う、といった所だろう。そして、そんなドアノッカー以上に作り手の正気を疑うようなデザインをした扉を、何と七つもこの部屋に備え付けた館の主の正気もまた同様に疑わしく、この先ソイツと出くわすかもしれないことを考えると頗る憂鬱になる。

 

 しかし憂えども(ふさ)げど、結局の所、やるべきことは唯ひとつであることに変わりはない。

 私はノッカーでゴンゴンと扉を叩いたが――やはりというか。耳慣れぬ謎めいた金属音がした――、待てど暮らせど返事はない。チラリと振り返りオプのほうを見るが、やっこさん、黙して頷くばかり。私は意を決してノブを回し、重い扉を体で押して勢いよく開け放った!

 

 

 ……三人揃って得物を構え踏み込んだ先で、私ら三人は拍子抜けし、そして慄然とした。

 視界に飛び込んできたのは、今しがた飛び出した部屋と全く同じ形をした、七角形の部屋だったのだから。

 

 

 冷や汗な流れるのを背に覚えながら、私は躊躇うことなく部屋を突っ切り、反対側の扉を、今度は実に無造作に開いてみた。

 

「――DUCK YOU SUCKER / ――マジかよ、糞ったれ」

 

 またもそんな言葉が、自然と口から漏れ出てくる。

 扉の向こうには、最初の部屋とも、第二の部屋とも全く変わらぬ景色が広がっていた。つまり、高い天井、謎めいた灯り、赤い絨毯、そして七枚の壁と七つの不気味な扉。そしてそれは、他の六つの扉を二組、つまり十二開いてもなお同じだった。

 

 

 人生ってのは、良くも悪くも色んなことが起こる。

 

 

 恐らくは船でも馬でも、そして蒸気機関車でも辿り着くこと能わない「あちらがわ」へと迷い込んでみたり、そこで豚面の悪鬼だの悪の魔法使いだのこの世を滅ぼしうる邪竜だのと戦う破目になってみたりする。私のこれまでの人生は、そうした常軌を逸した出来事の積み重ねに他ならないのだが、そんな私ですら、今度の事態には途方に暮れた。

 

「――『そして女王は御子を生み落とし、御子はアステリオーンと呼ばれた』」

 

 唐突に、オプが何やら昔の本に書いてあるらしき言葉を引用してみせた。それは今や懐かしい、かつての戦友「キッド」を思わせる行いだった。後に私が問うのにオプが答えた所によると、ギリシアとかいう土地の古い古い御伽噺の一節で、迷宮(ラビリンス)に――この言葉自体が、私には未知のものだった――閉じ込められた牛の頭をした怪人の物語の一部であるらしい。

 

 ……私達には角もなければ斑もないが、しかし囚われ人であると言う点は、そのアステリオーンとかいう怪物と確かに同じだ。こいつは困難な事態である。これまでの騒動は結局の所、全て心意気と片手にぶら下げた(ガン)の力で乗り切ったのだが、今度の場合は別の知恵が要る。

 

「……」

 

 懐から一枚の1ドル銀貨を取り出した私は、左の親指にそれを載せて、思い切り弾いてみせる。

 頭上より降りる輝きに、いよいよ銀色に煌々と閃きながら、1ドル銀貨は我が拳の内側に収まる。

 掌の上で翼を広げる、白頭鷲の嘴の向く先を見れば、私から見て左から二番目の扉がある。

 

 ――まぁいいさ。とにかく進むしかねぇんだろよ。

 

 無造作に歩み寄り、私はノブを捻った。

 

 






劇中のオプの引用の原典はアポロドロスの『ギリシア神話』であるが
ここではホルヘ・ルイス・ボルヘス『アステリオーンの家(訳:土岐恒二)』のものに依った

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