異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~   作:せるじお

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第2話 ナイフが煌めけば、歌唄いは弾き語る

 

 

 

 

 自分の生まれ育った村が、『アルメリア』という国の片隅にあったなんて知ったのは、故郷を飛び出し(みやこ)ウルキへと上京した時が初めてのことだった。だが、所詮は砂と土と枯れ木ばかりの国。おれはすぐにウルキも飛び出して、大学のあるサルマンティカへと赴き、そこでもうひとりの先生(・・)と共に数年過ごしたあと、海を超えて新大陸へとやってきた。

 

 そこは脆弱な政府、腐敗した官憲、数え切れない賊徒、貧困、混乱、格差、怨嗟……あらゆる悪徳の全てが入り交じる混沌の大地。秩序など、この片手の指で数えられる程しかない、そんな場所。つまり、おれみたいな賞金稼ぎには、もってこいの場所。

 

 おれは、大狼(ボルグ)のスューナと伴に、限りない数の賊徒をしとめた。そして、ついた渾名が青褪めた馬のエゼル(エゼル・ダス・モルテス)、あるいは灰色のエゼル(エゼル・グリス)。我ながら、実におれらしい二つ名だと感じる。

 

 おれは、賞金を稼がなきゃいけない。

 稼がなきゃいけない、理由がある。

 悪党どもを狩り、泡銭を手にすることが、そのまま、おれの目指すものへの道筋となっていく。

 

 だからおれは、ラ・トリニダーをすぐに後にし、、『コスタグアナ』の地を目指していた。果て無い曠野(パンパ)に覆われたパタゴニア、大河を挟んでその向こうに広がるバンダ・オリエンタル、そして大河を遡った先、パタゴニアからもバンダ・オリエンタルからも北にあるのがコスタグアナだ。

 

 新大陸のどこであろうと、血によって成る報酬の果実を得るためならばと赴くおれだが、コスタグアナだけは殆ど行ったことがない。理由は単純で、稼ぎにならないからだ。コスタグアナはこの新大陸では極めて珍しい、安定した秩序ある国だから、おれの求めるような賞金首も殆どいない。むしろ、おれみたいな胡乱な男が迂闊にあの国をうろうろなんてしていると、有能で厳格、そして冷酷非情と評判の官憲どもにしょっぴかれてしまう。

 

 

 

 そんな国に、何を好き好んでおれは向かっているのか。

 それは、個人的(・・・)に持ち込まれた依頼を引き受けるためだった。

 

 

 

 おれみたいに賞金稼ぎには時折、この手の仕事が舞い込むことがある。自前で賞金を払える地主金持ち御大尽の類が、自分の都合で人狩りを頼んでくるのだ。事情は様々、間男を消してほしいとか、一族の仇への血の復讐(ジャクマリャ)を代行してほしいとか、逃げた裏切り者を始末してほしいとか……依頼人ごとに全て違うと言っていい。この手の仕事は、おおよそ官憲の支払う褒賞金よりも実入りが良いといっていいが、同時に危険である点でも段違いだ。なかには報酬を支払うのを惜しみ、逆にこっちを人殺しと告発してくる輩がいる。下手すれば追うものから追われるものに転げ落ちるハメにもなる。だから依頼を受ける前に、臭いにおいがないか嗅ぎ分ける必要があるわけだ。

 

 おれはラ・トリニダーの『鳩屋』に頼んで、この手の個人的な依頼の受付先になってもらっている。稼業の性質的に、決まったねぐらがあるわけではないから、こうする他ないわけだが、賞金を貰うついでに『鳩屋』によった所、コスタグアナからの招待状と小さな革袋を受け取った訳だ。

 上品な筆跡で書かれた招待状には、詳細は依頼人の屋敷で説明するから、ぜひ来て欲しいということと、革袋の中身である銀貨は旅費として使ってくれといったことが書かれていた。銀貨の枚数を数えてみたが、男一人ボルグ一匹の旅なら充分お釣りが来るだけの額だ。

 当然、おれがこの銀貨を持ち逃げしたところで向こうは手も足も出ない訳だし――無論、そんな恥知らずな真似はしないが――、それでいてこれだけの額をぽんと出す辺り、依頼人は相当に金回りが良いらしい。コスタグアナからの仕事というのも実に珍しくて心惹かれるものがあったので、おれは取り敢えず依頼人と会ってみようと決めて、一泊もせずにラ・トリニダーを後にした。金貨でいっぱいの財布を抱いて、この街で夜を明かす気ももとよりなかったのでちょうど良かった。賞金稼ぎという稼業を続ける上で重要なのは、一番危険なのは賞金を稼ぐときではなくて、賞金を手にした直後であるということを理解しておくことだ。さもなくば狡猾な街の悪党どもに、賞金どころか命まで横取りされるのだから。

 

 ちなみに、『鳩屋』というのは大工と職人の神ウルカヌスを奉じる者たちが拵えた、歯車とばねからなる黒鉄(くろがね)の絡繰鳩を使って、手紙なんかを遠くに届けたりするのが仕事の連中のことだ。そのほとんどが海を渡ってやってきたズグダ人で、ズグダ人の商人どもと同様、金の匂いのする所にはどこにでもいて、この新大陸でも大きな街にいれば必ず一軒はこうした『鳩屋』がある。ヤツラは金に汚いが、しかし契約はきちっと守る。おれみたいな一匹狼が仕事をする上では、欠かせない相手だった。

 

 ラ・トリニダーからコスタグアナの(みやこ)スコーラまでは、最短コースを選べば七日程度で辿り着くことが出来るが、しかしおれは仕事と仕事の合間ぐらいは行楽気分でいたかったから、敢えて人通りの少ない回り道をして、まる十日かけてゆっくりと行くことにした。懐具合は頗る良いが、それを楽しむためには一工夫が要るもんだ。盗人(ぬすっと)掏児(すり)強盗には事欠かないのがこのパタゴニアという国なのだから。

 

 さて――回り道をした甲斐があって、八日目まではまるで揉め事がない、気楽な旅路になった。

 広大なパンパと晴れ渡った青い空を楽しみながら進み、宿に入れば腹いっぱい飯を喰らった。賞金首を追跡する時なんかはマトモな寝床どころか飯にすらありつけないのも珍しくないから、こういうときは反動からか余分に食いすぎてしまう。

 

 ――『酒を飲んで良いのは、絶対にここは安全と確信した時だけだ。もしこのルールを破れば――酔いつぶれるより先に棺桶のなかで寝ることになる』

 

 おれはあの男(・・・)から教わった生き残りのための鉄則を、今も守り続けている。

 もともともエルフ男は押し並べて酒に強いほうじゃないから、なおさらだった。かといってべつに酒が嫌いな訳じゃないし、せっかく財布は金貨で膨らんでいるのに、良い葡萄酒に酔えないのも癪だったりする。だから腹いせに、波波注がれた(マテ)と山盛りの炙り肉(アサード)をたらふく楽しむのだ。スューナも、ご相伴にあずかれて、ご満悦の様子だった。

 

 そんな飲んで食ってばかりの旅も九日目、いよいよコスタグアナとの国境(くにざかい)が近くなり、ゆっくり旅してきた迂回路もついに本筋に合流する。人通りが一気に増えて、比例するように胡散臭い連中もわんさかだ。つまり行楽気分もここまでで、そろそろ仕事へと切り替えなくちゃならない。

 その日の夜をここで明かそうと、選んだ宿へと入れば、部屋より先に一階の酒場で早めの晩飯を食らう。パタゴニアに限らず、この手の宿は一階が酒場や賭場で、二階か別棟が客室になっていることが多いが、ここもそういう類のひとつだった。おれは迷うことなく一番奥、背中を取られる心配のない角の席を陣取る。ここならば入り口を見渡すこともできて、怪しげな連中がやって来てもすぐに分かる。

 親父に、大声で軽めのものを注文する。大飯食らいの時間はもう終わりだ。街道沿いの宿屋でおおっぴらに金を使う所を見せれば、必ず厄介事が舞い込む。早めの時間を選んだのも、他の客との同席を最小限にするための工夫だ。実際、おれ以外の客は三人程度で、揃ってまだ日が落ちる前から酔いつぶれている有様だった。

 

「ほれ」

 

 給仕の婆さんが持ってきたのは、黄色いシチューで、トウキビに豆、臓物に玉ねぎをごった煮にしたやつだ。丸いパンもセットでついてきたので、こいつを千切って浸しながら、手早く飲み込んでいく。

 うむ。中々に濃くて精のつく味だ。コスタグアナに着けば仕事なのだから、こういう料理がおれには丁度いい。

 

 おれはしっかりと料理を味わいつつも、しかしできるだけ早く食べ終わるように気をつけた。

 もう暫くすれば日も落ちて、団体様の客もやってくる時分だ。そういうのとは出くわしたくはなかった。

 

 だが。

 だが、しかしだ。

 

「――っっっ!?」

 

 料理の濃い匂いや酒臭さを通り抜けて、おれの鼻を突く臭いは、忌まわしくも嗅ぎなれたモノ。

 まるで掃除を数日間さぼった家畜小屋みたいな、鼻が曲がるような異臭。

 

 ギョッとしておれが入り口を見れば、騒がしい声を伴って団体様が軒先を潜った所だった。

 数は十人。いずれも薄汚い身なりで、揃って黒い庇の広い帽子に色とりどりの襟巻(バニュエロ)、かつては鮮やかだったろう色も霞み端も綻びた貫頭外套(ポンチョ)、足を守る行縢(むかばき)用の腰布(チリパ)、泥や水を捌けるためのフリンジのついた緩やかなズボンと、判で押したように同じような格好をしている。

 

 おれは、連中に聞こえないように舌打ちした。

 厄介な連中が来たもんだ。よりにもよって『草原の民(ガウチョ)』の一団とは。しかも――。

 

「……」

 

 おれの目は、草原の民(ガウチョ)どものなかでひときわ背の高い影に釘付けになった。悪臭のもとも、そこだ。

 無駄にでかい図体。この上なく醜い豚面。穢に満ちた緑色の肌。

 見間違えるはずもなく、草原の民(ガウチョ)のうちのひとりは、糞忌々しいことに、おれの大嫌いなオーク野郎だった。

 

 おれは、ふたたび小さく舌打ちをした。

 せっかくの飯が、これで最悪のものになったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おれは、追加で酒を注文した。

 それも、葡萄酒よりもずっと強い蒸留酒(ジン)を一瓶まるまるだ。

 無論、鉄則破りにはちゃんとした理由があって、酒もなしに席に長居するのは不自然だし、かといって足早に席を立てば草原の民(ガウチョ)どもの注意をひいてしまうからだ。

 

 ――草原の民(ガウチョ)

 

 おれにとっては、この上なく厄介な相手だ。

 無法者ならば始末すればいいし、堅気者ならばやり過ごせばいい。

 だが、ガウチョはそのどちらでもなく、同時のその両方でもある、斑色の存在なのだ。

 

 パタゴニアの国土の大部分を構成するパンパは、この上ない牧草地であり、従ってこの国では家畜の放牧が盛んだが、荒野や草原を住処とし、この家畜共の面倒を見るのが牧童(ガウチョ)どもなのだ。

 雨風も凌げず、灼熱にも晒される過酷な稼業だから、自然と頑丈で荒っぽい連中ばかりになる。力こそが全ての稼業だから、前歴も一切問われない。脱走兵だろうが、人殺しだろうが、賞金首だろうが、関係ない。人種も種族も来歴もぐちゃぐちゃな、まさに斑色な存在。加えて、家畜を曠野で扱う連中だから、自然と馬の操縦や刃物の使い方に熟達し血にも馴れていて、修羅場鉄火場にも躊躇なく飛び込む無鉄砲さを身に着けている。だからひとたび戦争内乱となれば、主である軍閥地主(カウディーリョ)の号令一下、その私兵となって獰猛剽悍な騎兵ともなる。仲間意識が強いかと思えば、些細なことで血を見る喧嘩に興じ、虚仮にされたと思えば仲間殺しの決闘も辞さない――こうしてあげつらえば、つくづくトンでもない連中だ。それでいて一応は堅気の括りに入るから、どうにも対処に困る。

 

 前に一度、こんなガウチョどものなかに紛れ込んでいた賞金首を狙ったことがあったが、その時はお仲間のガウチョの一団も相手取らなきゃならなくて、散々な目にあったもんだった。

 こんな連中を前に迂闊な様を見せて、厄介事を起こすのはゴメンだ。だが、オーク野郎の悪臭はおれには耐え難いもので、酒なしではどの道、到底やっていられない。

 

「……」

 

 ジンをちびちびとやりながら、視線はそらしつつ聞き耳は立てる。

 ガウチョ共の会話を盗み聞き、席を自然に立つ機会を探る。

 そこで解ったのは、このガウチョどもは一つの団体様ではなく、八人のほうの団体と二人組は互いに無関係でたまたま同じタイミングで酒場に入ってきただけらしいということだった。ちなみに糞ったれのオーク野郎は二人組の片割れで、相方は対称的に背丈の小さいコボルト男だった。

 

 おれは、その姿に、微かな引っ掛かりを覚える。

 

 小柄なコボルトのガウチョは、その身を黒い毛で覆っていたが、これはとても珍しいことだった。コボルトの毛の色は白か灰が普通で、たまに茶色を見かけることはあっても、黒のコボルトと実際出くわすのは、おれにとっても初めてのことだった。

 だが――おれのなかで記憶が囁くのだ。黒いコボルト……何か、前に聞いたことがあった筈だ、と。しかし、どうにも思い出すことが出来ない。ジンのせいで頭がボケているのだろうか。

 

『――コスタグアナまであと少しだ』

『スコーラから街道沿いに――』

 

 それでも、エルフならではの耳の良さを駆使すれば、連中がボソボソと小声で囁き合う言葉の、その一部ぐらいは聞き取ることができた。どうやらこの二人組は流れ者のガウチョであり、おれと同じくコスタグアナへと向かっているらしい。

 

 この二人組の姿を密かに窺えば窺う程に、おれのなかに不安というか懸念と言うか、まぁそういった感じの感情が膨らんでくるのを感じる。

 

 喧しく大声で叫び合い、酒に酔い卑猥な冗談を飛ばし合う八人のガウチョどものほうは、明らかに地元の牧場主に雇われているただの田舎者どもだが、あの二人は同じガウチョでも種類が違う。自然と人為、その両方から生み出される数々の辛苦を潜り抜けた、辛抱強く寡黙で、必要に応じて饒舌で、そして貫頭外套(ポンチョ)の下に隠した抜身の刃のような、一見隠された、しかし確かにそこにある危うげな気配を纏った、老狐のような古ガウチョだった。

 

 おれは、この二人組のことが気にかかった。

 穢らわしく悍ましいオーク野郎に、珍しい黒毛のコボルト野郎の古ガウチョ二人組。

 こんな二人が、よりにもよってコスタグアナに向かっているという。よもや、牧童としての仕事を探しに行くためとも思えない。だとすれば、こいつらがあの国へと赴く目的はなにか――おれは、それが知りたいのだ。

 

 おれは聞き耳を立てて、より詳しく二人の話を聞こうとした。

 聞こうとはしたが、目的を果たすことは出来なかった。

 

「――クセェなぁ」

 

 本当に不意に突然に、そんな言葉が横から飛んできた。

 みれば、酔いも回って調子づいてきた例の八人ガウチョのひとりが、これ見よがしに鼻をつまんで見せながら言ったのだ。

 

「んとだ、くせぇくせぇ」

「鼻が曲がりそうだぜ」

 

 これに、やはり酔っ払って調子づいた他の連中も次々と同調を始める。

 ガウチョ達はニヤニヤと嗤いながら、揃って目を向けるのはオーク野郎の豚面だった。

 

 おれは個人的な事情からオークどもが吐き気するほど嫌いであるが、それを差し引いても連中の体臭は種を問わず鼻が曲がるような臭いをしている。そのことを他種族に嘲弄されるのも珍しいことではない。ましてやガウチョという連中は酔っ払うと決まって騒ぎを起こす連中なのだ。同じガウチョ同士であろうと関係ない。下手すれば仲間同士でからかい合い、それが原因で血を見るのもありふれたことなのだ。

 

「……」

 

 しかしオーク野郎はと言えば一瞬、自分を馬鹿にした連中に眼を向けたかと思えば、ただただ黙って無視するばかりだ。古ガウチョだけあって、短気短絡単純馬鹿なオーク野郎には珍しく、若造共のさえずりなんぞは気にかけないということか。

 

 だが、酔いも回って気も大きくなっていたこの馬鹿どもは、オーク野郎の無言を萎縮と捉えたらしい。

 

「おい親父! この宿は酒場に豚を入れるのかよ!」

「豚が人の飯を食って酒飲んでやがるぜ!」

「人様の椅子と机が豚の臭いで汚れるじゃねぇか!」

「ぶひっ! ぶひっ! ゴッゴッ!」

 

 次々と聞くに堪えない嘲り声が鳴り響き、しまいにゃ豚の鳴き真似をする奴まで出てくる始末だ。

 声には出さないが、オークとコボルトの二人組の気配が、静かに危うさを増していく。

 

 つまり、おれにとっては好都合ということ。

 

 喧嘩が始まればその隙に、静かに出ていけば面倒事も避けられる。――そんな風に考えていた。

 

「――」

 

 出し抜けに、コボルト男が立ち上がった。

 それは余りに自然体で、気負った所はまるでなく、その足で便所にでも行きそうな、そんな格好だった。

 おれすらもが――ジンに酔い始めていたせいだろうが――、一瞬虚を突かれた。酔っぱらい共などは、コボルト男が立上ったことすら最初は気づかなかったようで、やつがその小柄な体に似合わぬ大股で、滑るように近づいてきた所で、今更驚き馬鹿面を浮かべている有様だった。

 

 嫌な音が、鳴る。

 

「ごべぇっ!?」

 

 その頭をテーブルに叩きつけられたガウチョが、くぐもった悲鳴を漏らす。

 

「てめぇ!?」

「なにしやが――おごびゅっ!?」

 

 そいつが机の上を鼻血で汚しながら、力なく床へと崩れ落ちた時、ようやくガウチョ達は現実へと立ち返り、慌てて立ち上がろうとするが、すかさず黒いコボルトの拳が奔り、新たに床に転がるガウチョがひとり、いやふたりだ。

 仲間を一瞬で三人も叩きのめされて、酔いも流石に醒めたのか、ガウチョ達はポンチョの裾をまくりあげ、自身の得物を抜こうとするが、それすらも黒いコボルトのほうが素早かった。既に抜き放たれた白刃を突きつけられて、男たちは一様に青ざめた。

 

 黒いコボルト男が手にしているのは、ガウチョの得物としてはありふれたモノであったが、まるでサーベルのように長い刃渡りの、U字型の鋼鍔のついた特徴的な『大刀(ファコン)』だった。

 

 『大刀(ファコン)』。

 それはガウチョであれば誰でも、腰帯の背の側に差してる長いナイフのことだ。

 長さが1コド――肘から中指の先までの長さのこと――未満の刃渡りを持つ『小刀(クチーヨ)』や、両刃の『短剣(ダガ)』と違って、片刃で長い刃渡りの、鍔と柄が備わったものを指す。家畜を解体(ばら)すのにも、人を(ばら)すのにも使える万能の道具であり、ガウチョという人種を象徴する武器であって、パンパで生きていくにはなくてはならない代物だ。

 

 黒いコボルトがファコンを構える姿は実に堂に入っていて、かなり殺しに馴れているのが一目で解った。

 対する今や五人組になったガウチョどもは泡食って慌てるばかりで、格の違いもまた、一目で明らかだ。

 

 ――ここでようやく、おれはこの黒いコボルトが誰であったかを思いだした。

 直接見るのは今が初めてだが、噂だけは何度となく聞いている。黒いコボルトの短刀(ドス)使いの話は。

 

「――っ!? おい、こいつまさか!?」

 

 間抜け五人組もおれと同じ噂を聞いていたらしく、その渾名を上ずった声で叫ぶ。

 

「『黒い蟻(オルミガ・ネグラ)』! 間違いねぇ! こいつは『黒い蟻(オルミガ・ネグラ)』だ!」

 

 ――黒い蟻(オルミガ・ネグラ)のクルス。()賞金首のガウチョ。

 今は恩赦を受けて堅気に戻ったはずだが、ファコンと投石、そしてコボルトならではの鼻の良さを武器に暴れまわった筋金入りのアウトローだ。今は賞金首でないから、おれにとっては過去の男であって、だからこそ思い返すのに時間がかかったわけだ。

 そのコボルトにしては珍しい黒毛と、他の種族に比べるとあからさまに小さな体躯より黒い蟻(オルミガ・ネグラ)と呼ばれるが、しかしこの黒蟻は牙に毒を持つ恐ろしい怪物だ。舐めてかかったヤツラは、みんな地面の下だ。

 

「――ほんとうだ! まちがいねぇ、黒い蟻(オルミガ・ネグラ)だ!」

「マジかよ!? 冗談はよしてくれ!?」

 

 自分たちが無自覚に喧嘩を吹っかけた相手が、何者であったかを知った愚か者どもは、今更ながら恐れに顔を歪め後ずさる。相対する黒いコボルトが持つものと同じ得物を背中に差しているのも忘れて、ただただ恐れおののく姿はガウチョらしからぬ哀れさだった。

 

「抜け」

 

 これまでずっと無言だった黒い蟻(オルミガ・ネグラ)が、平坦な声で言う。

 素手の相手をナイフで殺すのはガウチョの流儀に反するからだろうが、しかし数で勝るはずの馬鹿五人は意味のない喘ぎを漏らすばかりで、まるでなすすべを知らない。

 

「抜け」

 

 やはり平坦な声でクルスが呼びかけるのに、阿呆五人は互いの顔を見合わせ、遂に真ん中の奴がおずおずと進み出ると、へつらいの笑みを浮かべながら

 

「いや、俺らも、まさか相手があの有名な黒い蟻(オルミガ・ネグラ)とはつゆ知らず……あんたの相棒を馬鹿にしたのは謝ります。謝りますから、どうかご勘弁を――」

 

「抜け」

 

「後生です、後生ですぜ! そうだ! 今日は給金の支払日で、財布も温かいから、何とかこれでご勘弁――」

 

「抜け」

 

「ま、待ってくだせぇ! あんた相手にナイフでやりあっても殺されるだけでさぁ! 悪口は謝ります! 金だってだします! だから何とか許して――」

 

「抜け」

 

 しかし黒いコボルトは、なんと言われようと抑揚のない声でこう返すのみ。

 コボルトは人やエルフなんかに比べると毛で表情が解りにくいのだが、そのファコンの切っ先には、隠しきれない殺気が宿っている。間違いなく、このコボルトには愚かな田舎者共を許す気はない。ガウチョは名誉を重んじる生き物で、それを穢されたと感じれば躊躇なくファコンを抜き放つが、相棒であろう、あのオーク野郎の名誉のために黒い蟻(オルミガ・ネグラ)のクルスはそれをした。

 

 名誉――オーク野郎の名誉。

 オーク野郎に、名誉だって?

 それは、この上なく、悪い冗談だ。

 

 無口だが、母の亡くなった家で、愛情深く育ててくれた親父。

 そんなおれの面倒を見てくれた、まるで肉親のような隣のアズラの所の兄貴。

 ひょうきんで世故に長け、色んなことを教えてくれた、斜め向かいのエリフ爺さん。

 

 みんな殺された。

 嬲り殺された。

 あの、オークの山賊どもにだ!

 

 ――おそらくは、ジンなど飲んだのが悪いのだ。

 酔いが、嫌な思い出を呼び起こし、頭のなかでぐるぐると回りだす。

 魔女が煮詰める鍋のなかの毒液みたいに、心のなかで憎しみが膨れ上がり、濃さを増す。

 

「おい」

 

 おれは、言ってから後悔した。

 酔いが自制心を外していなければ、間違いなくこんなことはしなかった筈だから。

 だが、おれは横から口を挟んでしまった。馬鹿野郎どもが、そして黒い蟻(オルミガ・ネグラ)がおれのほうを見る。

 

「そこまでにしとけ」

 

 喧嘩に口を挟んだ以上は、もう腹をくくるしかない。

 鉈刀(カットラス)の柄頭に右の掌を当てながら、俺は立ち上がる。

 左手のほうでは、まだ中身の残ったジンの瓶の、その細い首を握る。

 

「――邪魔する気か?」

 

 細く低い声でクルスが言うのに、おれは答えず徐々に距離を詰めていく。

 静かにカットラスを鞘から抜き、右手にだらりとぶら下げる。

 

「そいつらの言うとおりだぜ」

「なに?」

「確かにテメェの相棒は臭ぇんだよ。鼻が曲がりそうだぜ」

 

 挑発を交えながら、間合いを詰める。

 酒場の喧嘩や決闘においては飛び道具はご法度だ。素手か、刃物か、あるいはその場にあるものでやる必要がある。

 

「……吐いた唾は飲めねぇぜ」

 

 やつは言いつつ、背中を馬鹿どもにとられないように、立ち位置を変える。

 なるほど、やはり歴戦の古ガウチョだ。あんな馬鹿ども相手にも、気を抜くようなことはしない。

 

「それはこっちの台詞だぜ。かかってこいよ――」

 

 刃物を使った勝負なら、おそらく向こうに分があるだろう。

 おれはあくまで射手であって、短刀(ドス)使いじゃあないからだ。

 ならば、知恵を使って、ヤツの優位を奪うまでのこと。

 

「――犬っコロ」

 

 おれは、コボルトが言われるのを一番嫌う呼び名を投げかける。

 黒い蟻(オルミガ・ネグラ)のクルスは、何事も返さず、ただ眼を細めた。

 歴戦のガウチョだけに、怒りにかられ、安い挑発にのって仕掛けてくるようなことはしない。それでも、ヤツはおれに対する殺意を固めた筈だ。必ず、向こうから仕掛けてくるだろう。それを、おれは迎え討つまで。

 

「……」

「……」

 

 おれとクルスは、無言で見つめ合う。

 ヤツは肩にかけていたポンチョを左手に巻きつけ突き出し、長いファコンの刃をその後ろに隠す。典型的なガウチョの短刀(ドス)使いの構えで、左手のポンチョは時に盾に、時に目くらましにと、多様な役割を果たす。

 おれは半身の構えをとると、手首を返してカットラスの刃が上に向くようにかざした。敵の刃を受けるための防御の型だが、我が身で隠した左手に握ったジンの瓶は、いざというときの隠し玉にとっておく。投げつけることもできるし、一撃分ぐらいは盾の代わりもするだろう。向こうからすれば、刃以上にこっちが気にかかるかもしれない。

 

「……」

「……」

 

 おれとクルスは、なおも無言で見つめ合う。

 お互い戦いに手慣れているから、うかうかと仕掛けるようなことはしない。

 こういう場合は、先に我慢ができなくなったほうが負けるようになっているから、尚更だ.

 

 馬鹿なひよっ子ガウチョどもに、酔いつぶれていたはずの他の客たち、給仕の婆さん、しまいにゃこういう時仲裁すべき酒場の親父までもが、おれたちの立ち会いを固唾を呑んで見守っている。

 

 ああ、糞。

 なんでおれは、こんなことをやっているんだろう。

 こんな馬鹿どものために、短刀(ドス)使いと命を張って決闘に興じるなんざ、まるでおれまでガウチョになったみたいだ。馬鹿げてる。馬鹿げてる。あれもこれも、全部ジンが悪いのだ。

 

 そんなことを胸の内でボヤきながらも、眼は一瞬たりともクルスの野郎からは逸らさない。

 やつもまた、それは同じであって、動きには隙ひとつ見えやしない。やはり、易からざる敵だった。

 

「……」

「……」

 

 殺気に満ちた嫌な沈黙はなおも流れ、来たるべき刃と血の時を待つのみ。

 もしもこのまま対峙を続けていたならば、必ず、そうなっていたことだろう。

 

 そうはならなかった。

 鳴らされたのは刃のぶつかり合う音でもなく、肉が裂け、血が流れる音でもなかった。

 

 不意に響いたギターの音に、おれもクルスも思わず鳴る方を見る。

 そこで、世にも珍しいものが目に入る。

 

「――喧嘩は渡世に咲いた華。されど今はまだ、その時節に非ざれば」

 

 今までずっと、沈黙を守ってきたオーク野郎だった。

 その膝の上には、使い古されたギターがのり、弦にはオークならではの太い指がかかっている。

 

 オークが、ギターを?

 あの野蛮野卑で風情を解さぬ、下卑下劣なオークが?

 音楽を?

 

「ならば奏でよう、今宵に相応しい歌を。静かな夜に、相応しい歌を」

 

 おれの戸惑いをよそに、オーク野郎はギターを奏で、歌った。

 

 

 

 酒香り、くゆる

 星もなき、夜よ

 鳥さえも、鳴かぬ

 素晴らしき、夜よ

 

 ならばこそ、歌う

 静かなる、歌を

 ならばこそ、歌う

 静寂(しじま)なる、歌を

 

 

 

 オーク野郎は、静かに奏で、歌う。

 八音節四行からなる歌は、典型的な即興詩(コプラ)の様式で、韻も踏まれ見事な調べだった。

 その緩やかな音と声を聞けば、自然と蟠っていた殺気も消えて、気づけばおれも含め、みな聞き入っている。

 おれもクルスも無意識のうちに刃を下げてしまっていて、もう戦うような空気でもなくなった。

 一曲終わる頃には、もうさっきまでの殺伐とした気配が嘘のようになる。

 

「……」

「……」

 

 オーク野郎と目があった。 

 およそオークらしくない、穏やかで、凪の湖のような瞳がそこにある。

 

「――っっっ!?」

 

 形容し難い敗北感が、胸を突く。

 いたたまれなくなったおれは、酒場の親父に銀貨を投げつけると、足早に立ち去ろうとする。

 扉に手がかかったところで、振り返りもせずに、オーク野郎に問う。

 

「名前を、聞いておこう」

 

 すかさず、ヤツは答えた。

 

「フィエロ。歌唄い(パジャドール)のフィエロだ」

「フィエロ、か」

 

 その名前を噛み締め、おれは敷居を跨いで外に出た。

 

「もう二度と、その面は見たくないぜ」

 

 最後に、そう言い捨てながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外で寝ていたスューナを起こして、人気のないパンパのど真ん中でジンを呷る。

 久方ぶりに酔いつぶれたおれは、スューナを枕代わりにして眠りへと逃げ込む。

 オーク野郎、フィエロとかいう野郎の、あの眼。

 あれを忘れたくておれは、とにかく酔い、とにかく寝入る。

 

 夢と、いずれコスタグアナで始まる新たな仕事が、嫌な気持ちを忘れさせてくれると、そう信じて。

 

 だが、そうはならない。

 今はまだしらないが、おれは再び、あの二人組に相まみえることになる。

 しかも望みもしない長い付き合いが待っている。

 

 そのことをパンパの真ん中で、夢へと落ちていくおれは知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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