異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~ 作:せるじお
祭壇を穢され、踏みにじられ、それを許す神など居ようものか。
ましてや、それを為したのが、表皮に蛆這わし、口の端から腐った涎を垂らす屍人なのだ。
――恐れ慄け。かくて怒りの日ぞ訪れん。
父に言われて昔読んだ聖書の一節には、その日がやってくれば世界の全ては灰燼に帰すと書かれていた。
彼方に見える土と砂が柱となって天へと吹き上げられ四方に散る様は、そんなこの世の終わりを告げているかのようだった。
「っ!?」
『ッッッ!?』
私もアラマも、二人して言葉にならない驚声を同時にあげる。
その訳は、土煙の吹き上がりを皮切りに響き始めた、大いなる異音。
屍人の群れの足音が機関車のようならば、こちらはまるで牛の群れの暴走(スタンピード)だ。
あるいは、途切れなく注ぐ滝の、水の奏でる怒涛の音か。
その源は、すぐに私達の前に姿を現し、私達は再度悲鳴にも似た呻きを漏らした。
言うなれば、生きて動く絨毯だ。それほどまでに、アフラシヤブの丘でのいつぞやの遭遇とは比べ物にもならない数と密度なのだ。蝗人の群れは文字通り大地を埋め尽くし、全速力で己のが神の社を穢した不浄共へと突き進む。
鱗は陽光に照らされて湿度を帯びたような輝きを放ち、例のヤスリ同士で擦り合わせるような不愉快な金属音は、互いに唱和して、聞いている私達の耳を潰さんばかりだった。
『あぐぅっ!』
アラマはと言えば、堪らずとその両耳を掌で塞いでしまう。
対するに私は、前の戦争中に散々聞いた砲声と銃声に耳が慣れていたために体の方は平気であったが、密かに、コートの下で冷や汗をかいていた。
生きとし生けるものならば、どれほどのタフガイでも、怖気を催さずにはいられないような眺め――だが、既に死んだ連中には恐れもなにも無い。
屍人共は、光なき濁った眼で迫る異形の軍勢を迎える。
歩みも止めず、早めるでも遅らせるでもなく、悠然たる行進。至上の訓練を受けた兵士たちでも不可能な、機械めいた規律あるその姿。耳を聾する虫どもの咆哮も、その死せる歩みを止めるには至らない。
死者と虫けら。
2つの軍勢はどちらも躊躇など一欠片も見せず、瞬く間に彼我の距離を消しさって行く。
この世にあってなお、この世ならぬと呼ぶのが相応しい群れ同士が、真正面からぶつかり合う。
――破砕音。
硬い何かが砕け散る音、湿った何かが弾け散る音が同時に溢れる。
私達の見守る前で、二つの軍団の最前列が衝突し、その衝撃でどちらもが逆方向に吹き飛び、崩れ落ちる。
衝撃に腐肉は弾け、鱗が割れる。悪臭放つ血反吐が舞い、耳障りな鳴き声はより甲高く鳴る。
全速力で、なんの躊躇いもなしにぶつかりあえばこうもなろう。だが惨憺たる惨状を前にしても、両軍勢、共にその進撃を止めはしなかった。
――破砕音。
――破砕音。
――破砕音。
屍人も蝗人も、吹き飛ばされ地面に転がる同朋を、乗り越え、跳び越え、踏み潰し、幾度となくぶつかり合う。
瞬く間に骸が――元々そうだったものも、今しがたそうなったものも、互いに重なり合って山のようになるが、どちらも委細も構うことはない。恐れ知らずの真っ向突撃を繰り返すのみ。
『わ、わ、わ』
「……」
凄絶たる有様に、アラマは言葉をなくしている。
銃剣地獄にも既に見慣れた私は、もう呻く言葉もなく、冷徹に戦局を見守る。
かくも正面からの突撃勝負というのは、戦場でも早々お目にかかれるものではない。
当たり前だが、どんな兵士にも恐怖心がある。勇者だろうと死の恐ればかりはどうにもできない。それが、この世に生まれ落ちた者たちの生来のサガというものだ。
それでも兵士たちが待ち構える敵へと突撃ができるのは、戦友たちのため、家族のため、故郷のため、祖国のため、信念のため、正義のため、あるいは金のため……恐怖を抑え込むに足る、勇気の源となる何かがあるからだ。だが、それらとて、死の恐怖を抑え込むだけであって、消し去ることは決してできないのだ。
果たして、屍人も虫どもも、死を恐れぬ突撃を繰り返している。
あるいは既に死せる身ゆえにか、あるいは死を感じる能もなきゆえにか。
我が身が朽ちるを顧みず、ただただ敵へと目掛けて突っ込んでいく。
「……」
私は思案した。
結局の所、“戦闘”というやつは気合の勝負なのだ。要因はどうあれ、先に心が折れたほうが負ける。
しかして、どちらも折れる心もない場合は、いったい如何すべきなのか。
『……動かなくて、よろしいのですか?』
「うん?」
思案を破ったのは、アラマからの問だった。
『まさに修羅の巷といったこの状況……スツルームの魔術師や、かのまれびと達に仕掛けるに好機なのでは、と。そう思ったのです』
「ん」
私は頷きを返す。
確かに、この状況は一見すればチャンスとも見える。だが――。
「そのまれびとどもが、俺達の好きにはさせてくれんさ。連中はただのプロのガンマンじゃなく、元遊撃騎兵隊(パルティザン・レンジャー)のプロのガンマンなんだからな」
そう、連中は今も昔も私の同業者なのである。
ならば、こういう混沌とした状況を利用して、仕掛けててくる可能性は二人も当然考えるはず。ガチガチの迎撃態勢を、既に整えて終えている所だろう。手ぐすね引いて待ち構える相手に仕掛けるほど、私は間抜けではない。
『……なるほど、確かなのです。同じまれびと同士、互いの手の内は知り尽くしている、というわけなのですね』
「そう――」
『? まれびと殿?』
そうだ、と返そうと思って、私はふと考えた。
互いの手の内を知り尽くしている――それは確かだ。だがだからこそ、打てる手もあるはずだ。
「アラマ」
『はい』
私は、新たに思いついた策を実行に移すべく、アラマに告げる。
「例の、地を這う文字で伝えてくれ。キッド、イーディス、そしてあの色男殿にもだ」
ナルセー王のもとに残った連中を呼び出し、私達が成すことはひとつ。
敢えての奇襲。こちらを待ち構えながらも、恐らくは本当に仕掛けてくることはあるまいと、プロらしい状況判断を下すヤツラの鼻っ面に、一発かましてやろうという一手。
「狙うは『頭』だ。一気に終わらせるぞ」
「うへー、壮観、壮観」
『幾つも戦場を巡ったが、こうも凄まじいのはそうはないな』
『……なぜ、こういう仕事ばかり』
呼べば、すぐに三人は翔ぶ様にやって来た。
いまだにぶつかりあう、死者と虫けらとの激突を眺め、キッドは口笛吹き、イーディスは感嘆し、色男は愚痴る。
「早速、仕掛けるぞ」
私は、勢揃いした選りすぐりのプロフェッショナルたちへと向けて、告げた。
昔、メキシコ人と仕事をした時に覚えた、威勢の良い鬨の声。
「Vamos a matar, companeros! / 野郎ども、殺っちまおうぜ!」
かくて私達は、修羅の巷に紛れて、馬を駆けさせる。