異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~ 作:せるじお
何度も言うが、私には学がない。
絵を愛でる習慣もなければ、像に見惚れるようなこともない。
芝居は――時々見るが、西部の町に来るような劇団の程度などたかが知れている。
読み書きの内、読むほうは問題ないが、読書家では無論ない。新聞は時々読むが、その程度だ。
つまり何が言いたいかというと、芸術の素養なんて全くないのが私なのだ。
――そんな私ですら感動するほどの美しさを、アフラシヤブの丘は持っていた。
魂が吸い込まれそうなほどに澄んだ青空の下、死者の都は静かに佇んでいた。
苦痛なほどの静寂。
僅かにそよぐ微風と、アラマやイーディス、色男に私の息遣い以外に音はない。
時が止まったような世界で、悠久の時間のなか、恐らくは変わらなかったであろう景色がそこにある。
ブルーの背景へと突き出された、日に焼けた土色の、数え切れないほどの列柱。
遠い昔に打ち壊され、壊されたままの姿を留める石壁。
その壁に刻まれた、恐らくは古代の軍勢を刻んだであろうレリーフ。
翼を生やした、人面獅子身の異形の像。
柱の先端に据えられた鳥面獅子身で、やはり翼を生やし、ロバのような耳を立てた神像。
最早出迎えるものも無くなった門の数々。
生まれてこの方、こんな風景には出くわしたことがない。それだけに私の感動はひとしおだった。
しかし、私以外の三人にとっては、この美しい姿もありふれたものでしかないのだろう。
見惚れるでもなく、三人は黙々と廃都へと歩みを進める。
アラマが途中で振り返り、私を呼んだ。
『まれびと殿? いかがされましたか?』
「……いや、なんでもない」
私は置いてきぼりにされまいと、サンダラーに早足を促すため、その尻をポンポンと叩いた。
遺跡に近づくつれ、こいつがいかに巨大かということが解ってくる。
丘の斜面に張り付くように形作られたアフラシヤブの廃都は、恐らくはかつてはお大臣の類の住処であったろう大廃墟と、下々の連中が住んでいたであろう廃屋群から成り立っている。
丘中腹の一番日当たりの良い場所に廃王宮が威容をたたえ、それを目指すように一本道が走り、その両側には小廃屋が立ち並んでいるのだ。
私たちは、丘の一番麓、廃都アフラシヤブの入り口にまでやってきていた。
そこには門があった。高く大きな門があった。
かつてはナルセー王の王宮のように鮮やかに彩られていたのだろうが、今ではすっかり色褪せて、僅かにその名残をとどめているにすぎなかった。
まず最初に案内役の色男が、次にアラマが、さらにイーディスが、そして最後に私がその門を潜った。
「――?」
違和感。
私は振り返るが、誰もいない。
周囲に視線を巡らせても、私達四人の他は影ひとつ無い。
『どうかしたか?』
先頭の色男が胡乱げに私を見て言うので、首を横に振りながら返事する。
「いや、ただの気のせいだろう」
一瞬、誰かの視線を感じたような気がしたのだが、まぁ思い過ごしであろう。
天に鳥一匹とて飛ばず、地には蜥蜴一匹這う姿もなかったのだから。
門をくぐって暫し土剥き出しの道を進む。
主の命もとうに絶えた廃屋の合間を真っ直ぐに歩む。
私の気分は落ち着かなかった。
左右の崩れかけた壁や窓の背後に眼をやって、その裏側に誰か、いや何か隠れてやしないかと注意を払う。
――見られている。
そんな気配が、消えない。
遠くからスコープや双眼鏡で見られている訳でもない。
ここは開けた場所で、しかも陽は高く遮る雲もない。必ずレンズに陽光が反射して解るはずだが、それもないのだ。
『……』
イーディスも私と同じものを感じ取っているのか、居心地が悪そうにしきりに左右を見渡している。
『おかしいな……おかしい』
色男も、しきりに首を横に振ってぶつぶつ呟いている。
『何がおかしいのですか?』
ただ独り脳天気な様子のアラマが、色男に問いかけた。
『……化物の類の姿が、まるで見えん。前に来た時、ここはゴーズ共の巣になっていた。だから金目の物を探すのをその時は諦めた』
「何だ。前に来たことあるというのは、要は墓荒らしか」
私が皮肉っぽく口をはさむも、色男は応じず、半ば自分に対し言うようにアラマに答え続ける。
『単に姿が見えないだけならともかく、痕跡もないのは妙だ。ゴーズ共は喰い方が汚いから、餌食の跡があちこちに転がるものなのだが……』
言われて私も地面を色々と探すも、確かにしゃれこうべ一つ転がっていない。
ここ数百年、獣一匹訪れていないように地面はキレイで、砂と土以外は何もなかったのだ。
「……道の先のお屋敷の主がメイドでも雇ったんじゃないのか? お庭が汚れちゃお客様に失礼ですってな」
『茶化すな。死霊の類が湧いたのやもしれんのだぞ』
……死霊とな?
何やら色男がまたぞろ気にかかる単語を出してくれば、イーディスが珍しくギョッとした様子で、嫌悪に表情を歪めている。
「お化け(ブギーマン)が苦手とは意外だな」
『うむ。多少はカタナで祓うことも出来るが、やはり血も肉も骨もない手合はどうもな……得意ではない』
私としては冗談のつもりだったのだが、イーディスは大真面目に大仰に頷くものだから、却って戸惑った。
流石は「こちらがわ」といったところか、どうやら死霊というのは迷信でも喩え話でもなく、極々当たり前に化けて出て来るものであるらしい。そう気がついた時には、私もイーディスと似たような面になっていた。……流石に幽霊を撃ち殺した経験は私にもないし、何より鉛玉が通じない相手にどう対処すれば良いのか。くそったれめ。こんなことなら普段からもう少し信心深くしてりゃよかった。
『しかし死霊のおかげで魑魅魍魎共がここから姿を消したとなると……極めて好都合なのです!』
私が小さく十字を切っている横で、他と対照的に相変わらず能天気で前向きなのは大ガラスのアラマだった。
彼女は脚を止めた色男を悠然と追い抜いて、一行の先頭に立ち、振り返り言った。
『いよいよもって急ぎましょう! 死霊がいづるのはどの道日も落ちた後ですから、なおのこと手早く王宮を探らなければ! ほら、皆さん急いで急いで!』
例のリャマもどきに軽く鞭をくれて急かしながら、ひょいひょいとアラマは王宮へと進んでいく。
その余りにもの無警戒さに、しばし私たちは呆けたように彼女の背中を見つめていた。だが何というか、大真面目に心配していたのがアホくさくなってきたので、私は鼻で自嘲気味に笑うと、アラマの後を追いかけ始めた。
結局、イーディスも色男も八本脚馬で私達のあとを追った。
『ここから先は歩きですね』
「みたいだな」
道の終点、丘中腹の廃王宮の入り口でアラマは一足先にリャマもどきから降りて先に一休みしていた。
かつてはここを訪れた者たちのための馬場として造られたらしい広間の先には、街の入口のそれを遥かに凌ぐ立派な門がでんと控えていた。石壁に横向きに彫られた、例の翼の生えた人面獅子身の異形の化物が二匹、見つめあう姿の真ん中に、ぽっかりと中への入り口が開いている。王宮の規模を思うと、入り口が妙に小さく見えるのは、あるいはそう易々とは王宮へと入らせないためか。主亡き今、その理由は杳としてしれない。
『目当てのモノとやらはその奥か』
『はい。言い伝えによれば、ハカーマニシュ家のダーラヤワウシュの造り給いし王城の最奥に、失われし古の書があるとのこと!』
追いついてきたイーディス達が八本脚馬から降りるのに合わせて、私もサンダラーより降りた。
こちらを見つめてくる我が愛馬の横面を撫でながら、鞍に繋いだロールケースを開き、目当ての得物を引っ張り出す。ハウダーピストルとレミントン・ローリングブロックを私は手に取った。
『……書以外に出てきたブツは頂くからな。道案内の駄賃だ』
『それは言うまでもなしです! ここまでの先導、まことに感謝の限りがありません!』
どちらを使うかを思案し、ハウダーピストルを選ぶ。
右手に馬鹿でかい短銃を持ちながら、左手にライフルを持つのは利口とは言えない。
私は、アラマの方を見て言った。
「おい」
『え?……!? わ、わ、わ!?』
私はレミントン・ローリングブロックをアラマへと投げれば、彼女は慌てて長物を掴み取った。
彼女は呆けた表情で、何度もライフルと私の顔を見比べるので、言ってやった。
「両方持つのは骨が折れる。荷物持ちくらいはしてもうぜ」
ハウダーピストルをひらひらさせながら私が言えば、アラマは再度私の面とレミントンの間で視線を行き来させれば、パァっという音が聞こえてきそうな満面の笑みで、彼女ははい!と大声で返事した。
何が嬉しいやらわからんが、まぁ、まれびとを特別視する彼女ならばこそ、ライフルを丁重に扱ってくれるだろう。
人面獅子の門を越えて、私たちは朽ちた王宮の最中を進んでいた。
相変わらず人気もなければ、獣の一匹の気配もない。
通りすがりの美しいレリーフを横目に見ながら、私たちは奥へ奥へと歩く。
肩にハウダーピストルを載せながら、左右前後を警戒しながら、私は歩く。
七丁のコルト・ネービーのうち、腰元に吊り下げた一丁からは、の撃鉄留め――ホルスターに付いている、撃鉄に輪を引っ掛けて動かないようにする暴発防止の紐――も既に外してある。
肩の力を抜きつつも、すぐに銃は抜けるように緊張の糸を張る。 どこから攻撃されても、即座に反撃できるように、視線を回し、気配を探る。
――誰かに、いや「何か」に見られている。
そんな感触が消えない。最初の門を潜った時から、ずっと止まらない。
いや、むしろ強くなっている気すらする。
イーディスもそれを感じているのか、既に愛用のカタナを僅かに鞘より僅かに晒して、即座に抜き放てる姿勢を保っている。色男のほうも、得物のクロスボウには矢を既に番えてあった。
「……」
『……』
『……』
『……』
一同、黙したまま前進を続けた。
王宮は恐ろしいほどに広く、幾つもの門柱を潜り、幾つものレリーフを通り過ぎ、幾つもの神像を見送った。
気づけば、王宮の最奥まで私たちはたどり着いていた。
驚いたことに、濃密になる気配に反して、相変わらず影より他に友もない。
『……あの奥です。恐らくは、玉座の奥の祠にこそ、失われし秘伝の書が!』
不思議なことに、王の間と思しき大広間の奥には、外への出口が備わっていた。
小走りに向かうアラマを私達が追いかければ、果たして出口の向こうには、王宮の背後の丘の頂上と、その斜面をくり抜くように掘られた古びた神殿があった。
神殿の門は青く塗られ、その塗料はアフラシヤブの他の場所と異なって色褪せていない。
青い壁面には金色の何かで、獅子だのドラゴンだの、その他形容し難い化物の図像が描かれていた。
確かに、見るからにここは重要な場所だ。お宝の一つや二つ、隠してそうな気配がある。
色男が下品に舌なめずりをして、私に見られていたことに気づいて咳払いをした。
私は、それに苦笑しながらアラマに続こうとして――彼女を呼び止めた。
「おい」
『はい? いかがなされました、まれびと殿』
アラマが振り返る。門しか見ていなかった彼女は気づかなかったが、ちょうど蟻地獄のように、地面に砂が吸い込まれたかと思えば、急転、全く逆に砂が盛り上がっていたのだ。
アラマの背後で、砂がさらに盛り上がる。人の身の丈ほどになったかと思えば、その砂の内より、蝗めいた異様な面が姿を現した。ノコギリのような顎門をむき出しにした顔は、どう考えても友好的ではない。
私は再度叫んだ。
「伏せろ!」
『!』
アラマが身を伏せれば、蝗頭への射線が開く。
金属を擦り合わせるような耳障りな声をあげる化物目掛け、私は言い放った。
「DUCK YOU SUCKER / 黙れ、糞ったれ」
二つある引き金の一方を絞れば、犬の頭のような撃鉄が落ちて、雷管を叩く。
雷管が火を吹けば、銃身内部へとそれは伝わり、込められた火薬に灯る。
猛烈な勢いで爆ぜる火薬の勢いに、散弾が押し出され、銃口より一斉に吹き出した。
至近距離故にさして散らぬ散弾は、一発も逸れることなく、蝗の化物へと突き刺さり、その体をふっ飛ばした。
絹を裂くような悲鳴を上げて、化物は砂地へと叩きつけられた。
『蝗人(マラス)!?』
アラマが顔を上げて叫ぶのを合図にでもしたのか、私達の四方を囲むように、一斉に砂が盛り上がり、夥しい数の蝗人が、その姿を現した。
私は一番連中が固まっている場所目掛けて、ハウダーピストルを向けた。二つ目の引き金に指をかける。
――異音! 蝗人が一斉に叫べば、私も応じて吼えた。
「うるせぇ!」
再度散弾がばらまかれ、今度は何匹かの蝗人を一度に薙ぎ倒す。
その様を最後まで見届けることなく、私はハウダーピストルを投げ捨てながら、腰元のコルト・ネービーを抜いた。
私が持つ七丁のコルト・ネービーのうち、ただひとつ、金属薬莢弾使用に改造(コンバージョン)されたコイツは、そのグリップにガラガラヘビの意匠を埋め込まれていた。
撃鉄を起こし、振り返りながら、そっちよりこちらへと駆ける蝗人を狙った。
まずは、一発! 銃弾を胸に受けて、蝗人はのけぞるも、一発では足りず、再度走り出す。
ならば、くたばるまでぶち込むまで!
右手はやや位置を下げ、左手は撃鉄へとかかっていた。
引き金を弾きっぱなしにしながら、ハンマーをあげれば、即座に落ちてシリンダー内の雷管を叩く。
一発、二発、三発、四発、五発!
扇を仰ぐように素早く撃鉄を起こし続ければ、まるで往年の回転式機関銃(ガトリングガン)のようにコルトは銃弾を吐き出した。
ファニングショット。至近距離からに六連発を浴びれば、化物の鱗もひとたまりもない。
今しがた私に殺られた一匹が斃れると同時に、私は叫んでいた。
「走るぞ!」
アラマが、イーディスが、色男が、私の声と背中に従って揃って駆け出した。