異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~ 作:せるじお
生きていれば、腹も減る。
故に、その日の糧の為に、餌食を得ねばならない。
ましてや道なき道を行く旅先とあれば、いよいよそれが重要になる。
スコープを覗き込めば、昨日の夜見たのと同じ怪物が映り込んでくる。
ちょうど、運の悪い野の獣を棍棒で殴り殺している所だった。
鹿に似たその獣の頭蓋は、一撃で粉砕されて、冗談のように目玉や血肉を撒き散らす。
あんなのに殴られてよく、傍らの少女は軽いけがで済んだもんだと不思議に思う。
『……』
大ガラスのアラマ、という名の銀髪の少女が、その金色の瞳を好奇心で一杯にして、私の背を見つめてくるのをひしひしと感じる。獲物を狙い撃つ瞬間は、どうしても銃口の先だけに集中してしまう。背中を曝すのはあまり気持ちが良いことではないが、まぁ仕方がない。
「――」
私はスコープの向こう側に意識を向けた。
狭い世界を過る十字線の先では、牛頭の怪物、ゴーズがしとめたばかりの餌食を喰らっている所だった。
人は食事中は無防備になる。そこで背中を撃たれて、冷たい土の下に眠るはめになったガンマンの話は珍しくもない。そして、それは獣とて同じなのだ。
深呼吸を一つして、呼吸を止める。
手の震えが止まり、射線は一直線に定まった。
あの怪物は頭が牛であり、恐ろしい怪力を持ったデカブツである点を除けば、人間と構造に変わりがないらしい。
だから背中越しに、心の臓を狙う。
その為には分厚い筋肉を貫かねばならないが、この得物ならば不可能ではないだろう。
私はゆっくりと引き金を絞り、機を待つ。
不意に、奴が立ち上がって周囲を警戒する。
こちらの殺気を感じたのだろう。だが距離が離れすぎていたその元が解らないのだろう。
頭を上げて、周囲を見つめている。むき出しの背中が、私の視線の下に曝される。
私は最後のひと押しを引き金に込めた。
反動、銃声、白煙。
僅かな間が空いて、銃弾が標的に突き刺さる様が見えた。
巨体が震える。しかし、手応えが浅い。
「チッ」
私は舌打ちすると、素早く撃鉄を再び起こし、その下のブリーチロックを引っ張り開けた。
ブリーチが開くと同時に、まだ熱く白煙吐く薬莢が飛び出してくるのを、私は手袋越しに受け止めた。
薬莢は再利用するのだ。コートのポケットに押し込み、次弾を取り出す。
――レミントン・ローリングブロックライフル。
50口径弾を使うこのライフルは後装単発式だ。連射速度は今日日はやりのウィンチェスターに比べれば劣るかもしれないが、弾薬の強力さと信頼性ならば段違いで、何より私の得意とする遠間の撃ち合いでは最適だった。バッファローハンティングなど大型の獣を狩る者たちの間でも、愛用する者は多い。
愛用のエンフィールドをエゼルに譲った私は、代わりの得物を手に入れる必要性があった。
できればイギリス製にしたかったのだが、諸事情あって国産のこのライフル銃に落ち着いた。
実のところ、英国製への未練は断ち難かったので、そちらはそちらで結局手に入れることになったのだが、そいつの出番は別の機会になるだろう。
私は次弾を装填し、ブリーチロックを閉じた。これで射撃準備は完了だ。
スコープを再度覗き込み、痛みへの怒りに震える獣へと照準を合わせる。
次は細かく狙わない。この大口径弾を二発も受けて生きてられる獣は早々いない。
土手っ腹に曖昧に狙いをつけて、私は引き金を弾いた。
今度こそ、牛頭の怪物はくたばって、草原の上にぶっ倒れた。
昨日食べたのと同じ麦粥を喰らって、かなり遅めの昼食とした。
相変わらず麦粥は美味かった。元が化物の血だと思うと妙な感覚だが、臭い古びた干し肉よりかは良い。
『まれびとの武器は凄いものなのですね! ああも離れた所から相手を狙い撃てるのは、歴戦の弓手かはたまた魔術師か。何よりも素晴らしいのは間合い以上にその素早さです。白煙があがったかと思えばもう相手には当たっている! いったいどういう原理なのですか! どんな道具、触媒を用いれば、かくのごとき地上の雷霆を拵えることがですか! 』
とまぁのべつ幕なしに話しかけてくるのが大ガラスのアラマだ。
そんなに珍しいのか、そんなに面白いのか、彼女はこちあるごとに私に問いかけ、色々と聞き出そうとしてくる。
好奇心に金色の瞳を輝かせ、まるで珍しい石を見つけた子どものように私を見てくるのだ。
私は稼業の性質上に、自分について語ることはほぼ無い。自分を晒すことは、寿命を縮めることになりかねない。
所がこの少女はそんなことは構わずに質問と感嘆の洪水を浴びせかけてくる。
まだ一日程度の付き合いだが、私は既に疲労困憊していた。
「……飯も済んだ。行くぞ。夜も近い」
私は強引に彼女の問を遮って、出立の準備に取り掛かった。
これ以上問いても無駄かと思ったのか、話し出すときと同じ唐突さで彼女はピタッと黙り込んだ。
鍋をしまい、火に土をかけて消し、野の草を食んでいたサンダラーの鞍へと飛び乗った。
私は今、サンダラーに乗ってはいない。
小娘に歩かせて、自分が馬に跨っているというのは様にならないからだ。
彼女も最初は恐れ多いといった感じで断っていたが、私が乗れと強く言うので、結局こうなった訳だ。
サンダラーは不満げだったが、私はその鼻面を撫でてなだめた。
幸い彼女は馬の乗り方をよく知らないので、鞍に横向きに腰掛ける、いわゆる横乗りをしていた。
手綱をひくぶんには、こっちのほうが楽だった。
『いつか必ず教えていただきますからね! より整然と隊伍組んで進め! 戦いの術を磨くは、牡牛を屠るもの、ミスラの御心にかなう行いですからね!』
何やら言っているが、私は無視して手綱を引いて進み始めた。
まず目指すべきは、人のいる町だった。
丘を3つほど越え、小さな森を2つ抜け、砂と岩ばかりの荒野を進めば、遂に目当ての街にたどり着いた。
『あれがマラカンドです。このレギスタンの地の都にあたる街です』
アラマは、例の二匹の蛇と翼の杖で、彼方に見える街を指して言った。
レギスタンとは「砂の地」という意味らしい。
その街は、砂と砂利と岩の荒野の真ん中に、確かにあった。
「……」
私は、その街を見た時、思わず言葉をなくしていた。
それは、とても美しい街だった。
空は抜けるように青く、その空を頂く家々の屋根もまた青い。
空と大地の境目が、曖昧になるような青の街だった。
街を覆う外壁や、家々の基礎は日干し煉瓦で作られているが、その白や薄い茶と、空や屋根の青が好対照を為していて、くすんだ土の色すら輝いて見える。
街の中央には空に負けない青色の水を湛えた湖があった。おそらくはオアシスなのだろう、その周りに大勢の人影が群れているのが、離れたこの丘の上からもよく見えた。
『青の街マラカンド、と世の人は言うそうですが、まさにその名の如くに、ですね』
私は黙って頷いた。青の街、全くもってふさわしい名前だ。
道をゆっくりと進んでいくと、同道する人影が徐々に増えていく。
いや、人影というのは必ずしも正確ではないかもしれない。あからさまに人ならざる影も数多いるからだ。
例えば今傍らを通り抜けて先に言った栗毛馬の上には、どう見ても蛇頭の怪人が乗っかっていた。
さらに言えば私達の後方には、狼のような顔した毛むくじゃらの姿も見える。
「……」
私は帽子を目深に被って、驚きの顔が表に出ないように努めた。
ここでは私は余所者だ。下手なトラブルは御免こうむる。
『ここマラカンドはズグダ人の造った都です。ズグダの民はあきんどの民です。ここにはあらゆる人が集います』
隠したつもりが、アラマには顔が見えたらしい。そんな風に私に講釈をひとつ、私はいよいよ帽子を深く被った。
数を増す同道人達の列に混じって、私たちは市壁の門を潜った。
門の両端には、武装した番兵らしいのが立っていて、市内に入る人の列を監視しているが、道行く人の数は膨大だ。実際、どの程度見張りの役割を果たせているものやら。あるいは面倒事起こさない限りは、取り立てて取り締まる気も最初からないのかもしれない。
商売柄からくる習慣で、その得物だけは記憶にとどめた。
閉所でも使い勝手の良さそうな小槍を持ち、短弓を腰に下げている。
槍はともかく、短弓は注意を要するかもしれない。
市内に入れば、そびえ立つような家々の高さにまず圧倒される。
遠目にも青い屋根を持つ四角い家々は塔のように高いなとは思っていたが、いざ中に入って下から見れば圧巻だった。東部のニューヨークのような、ヤンキーどものたむろする大都市に比べればどうだかは解らないが、西部の丈の低い建物に目が慣れきった私には、まるで覆いかぶさってくるような感覚すらある。
家々は殆ど隙間もなく並び立ち、ひしめき合い、道は極めて狭い。
にも関わらず路傍には行商が筵を広げて商売にいそしんでいるために、道の混雑具合は凄まじいものだ。
商談らしい言葉や、客引きの言葉が飛び交い、聞きなれぬ単語の数々が左右より降り注ぐ。
私はとにかく今は無心に、アラマの導きに従って街のなかを進んだ。
『この街に来るのは始めてですが、道順は伝え聞いて覚えていますので大丈夫です!』
とは彼女の弁だが、確かによどみなく彼女の道案内は続き、不意に家屋の林と雑踏から抜け出して広場に出たときには、私は正直ホッとした。
ここに来るまではずっと、少しでも空き地があれば、そこに行商がたむろする有様であったのに、この広場とくれば不自然なぐらいに人がいない。
磨かれた石が敷かれた地面は陽光を浴びて輝き、反射光は広場を囲む3つの建物を照らしていた。
この3つの建物は、これまで見てきた細長い方形状の日干し煉瓦づくりとは、全く意匠が異なっていた。
3つの建物はいずれも台形型で、その表面はくまなくラピスラズリの青色で塗られている。
広場に面する形で門が設けられ、その上部をアーチ部分には、何やら紋章めいた図像が描かれていた。
私から見て左側は月と星が、正面には蛇がのたくったような文字らしきものが、右側には三角形をいくつも組み合わせた複雑な図像が備わっている。
アラマは正面の建物を杖で指して言った。
『あれが私が最初の目的地である「文字の館」です。左側は「星の館」、右側は「数の館」になります。レギスタンのみならず、この辺りでは最高の学者達を揃える学府なのですよ!』
言うなり彼女は馬からぴょんと降りると、相変わらずの唐突さで「文字の館」とやらに向けて駆け出した。
私はもういい加減慣れてきたので、ため息もつくことなくのろのろと彼女の後を追った。
『たの――』
アラマが門の前で呼びかけようとした所で、ひとりでに門は開いた。
彼女がパチクリしている横に私がやって来れば、門の奥から独りの女が歩み出てくる所だった。
『お待ちしていました、大ガラスのアラマ、そして彼方より来るまれびとのかた』
鈴のなるような蠱惑的な声が、その美しい喉から漏れた。
栗色の髪をした、豊かな肢体を緩いローブで包んだ女は、アラマ同様に先の折れたとんがり帽子を被り、同色のマントを纏っていた。
『私は太陽の使いのフラーヤ。あなたがここに来ることは、既に解っていました。歓迎の用意も整っております』
そう言って彼女は私のほうを見た。
否、彼女は見てはいない。ただ双眸を向けただけだった。
彼女の両目は、白く濁っている。彼女は盲目であった。