その日の夜は嵐だった。
ニュースによれば台風が直撃しているらしく、外は大雨に強風。木製のボロ屋はそれらに負けていないが耳障りな軋みを上げている。雨戸を閉ざしているので風も雨も入らないのは分かっているが、何かの拍子で家が壊れるのではないかと不安に駆られる。その不安を消すために強めの酒を割りもしないでそのまま呑みくだす。予定では朝になれば台風は通り過ぎるらしいので、眠気が来たらそのまま眠ってしまうつもりでいた。
それを遮ったのは扉を叩く音だった。雨や風、ボロ屋の軋む音に負けない程に力強く戸が叩かれる。こんな日に誰かと思い、同時にこんな状態の時に山奥に建てられている我が家に来るのだから只事では無いとも考える。
念のために〝
「ーーーよぉ、久し振りだな
「その声……蓮葉か?」
来訪者の正体は友人で〝
それに安堵し、〝
「待った、それはそのままにしておいてーーー〝
「〝
〝
「そう。この嵐で何とか巻いたけど、直ぐに追いかけられると思う」
「〝
「何でやらかしたことが前提なんだよ……知らない。子供産んで自宅療養してたらいきなり奇襲かけられた。お父さんは殺されたし、旦那も足止めするって言って別れたっきり。多分……もう死んでる」
「
「流石にあの人でも〝
漣家に婿入りした友人ーーー旧姓
「……だったら何でここに来た?身を隠しに来たにしては龍二を連れてこないのはおかしい」
「言っただろ?子供を産んだってなーーー私が囮になる。だから頼む
、この2人を守ってくれ」
そう言って蓮葉は外套を脱ぎ捨てる。その下には産着に包まれた2人の赤ん坊が襷の様な物で蓮葉の身体に縛り付けられながら眠っていた。まだ幼い、恐らくは生後一月二月と言ったところ。
「〝
「そうか……この2人が……」
蓮葉の家の事情を知っているからこそ、この2人が彼女たちが望み続けていた〝
漣の歴史は長い。蓮葉によると、一番古い文献でも千年以上昔の物が見つかる程に。そして漣の家は常に強さを求めていた。独自の理論と技術を編み出し、生涯鍛錬と言わんばかりに研鑽を続け、戦う事を日常の様に考えている生粋の修羅たち、それが漣の一族。
しかし、どういう訳だか漣の一族には〝
そんな漣で、ようやく〝
「妊娠して私みたいな人でなしが本当に親になって良いのかなんて真剣に考えてた。今思えばあの頃は軽く鬱ってたな……でも、2人を産んで、初めて母乳を与えた時に実感したんだよ……私がこの2人の母親なんだってね」
「……だから、死ぬつもりか?」
「あぁ。私はこの2人の事が可愛くて、愛おしくて、大切で仕方がない。だからどんな事をしてでも守るって決めてるんだ」
「……そうかよ」
そこまで言われて断れる筈がない。蓮葉から手渡された2人の赤ん坊を優しく、壊れない様に慎重に受け止める。子供の頃に近所の住人から子守を頼まれて以来赤ん坊には触れたことは無かったのだが、その時の事を覚えていたらしく自然に受け取る事が出来た。蓮葉の手から離れたにも関わらず、2人の赤ん坊は愚図ること無くスヤスヤと眠っている。
「ハハッ、中々豪胆だな。お前に抱かれて呑気に寝てる」
「〝
「当然。女の子の方が姉で
「灯火に不知火ね、どっちとも名前に火が付いてるな」
「全くの偶然だ。教え合った時にこんな事があるんだなって笑い合った」
その時の光景なんて簡単に眼に浮かぶ。出産に疲れながら身体を起こして灯火を抱き抱えている蓮葉、不知火の事をおっかなびっくりしながら抱いている龍二。それはとても自然な光景でーーーもう二度と見れない光景だった。
「……それじゃ、2人の事頼んだよ」
「あぁ、任せて逝け。少なくとも一人前になるまでは俺が守ってやるから」
「ーーーありがとう、
最後に悲しそうに笑いながら蓮葉は外套を被り直して嵐の中に飛び込んでいった。漣の気配遮断は
それと同時に〝
初めは蓮葉を入れてこの異界を作り上げようとしたのだが、彼女は〝
家の周囲が異界になった事で嵐の影響から遠ざかった。
だけど、これが蓮葉とのーーー初恋の女性との最後の別れだと思うと涙が止まらなかった。
「ハッ……ハッ……ハッ……!!」
嵐の中を全力で走る。視界は大雨で悪くてほとんど見えず、強風で身体を揺さぶられ、足元はぬかるんでいて全力で走れる様な状態では無い。
それでも走る。それでも
僅かに見える光景から見えない光景を想像して頭の中に思い描き、体勢を崩されそうな強風を利用して更に加速し、直感で最善のルートを導き出して足を取られる事なく地面を蹴る。
ガキの頃は何でこんな事をしなくちゃいけなかったのか疑問だった。
普通の子供の様に遊ぶ事をせず、ただ狂った様に強さを求める漣と言う家が、強くあれ強くあれと
だけど、灯火と不知火を産んで初めて抱いた時に生きていて良かったと思った。私みたいな奴でも母になる事が許されるんだと教えてくれたから。
だけど、こうして〝
「ハッ……ハッ……ハーーーッ!?」
突然足元が
私は自分の強さを理解している。普通の人間相手ならば無双出来るくらいには強い。しかし、〝
舌打ちをして、体勢を整えて走り出そうとしてーーー爆発が私から足を奪った。
「あーーーッ!?」
突然に片足を失った事でバランスを保たずに顔から倒れそうになる。そのまま倒れても、2人はもういないから私が痛い思いをするだけで問題にならない。しかし〝
「ーーーようやく追いついたぞ、漣の女」
暗がりから現れたのは〝
「あらあら、ただの人間の私を捕まえる為にこんなに集まるとはお前たちも暇だな」
「子供を出せ」
「話聞けよ」
使徒の男は話しかけても反応せずに淡々と私の外套を剥ぎ取る。しかしそうしても中にあるのは私の身体だけ。2人の姿は見えない。
「……子供をどこにやった」
「ハッ、教えるかよ」
教えては2人を新城に渡した意味が無い。中指を立てながら唾を吐き捨てる。他の使徒は見るからにこの安い挑発に反応したのだが、この男だけは一切反応を見せない。
「まぁ良い、貴様から吐かせればーーー」
「それをさせると思ってるのかよ」
挑発の為に立てた中指、それを
こいつらはあの2人だけではなく、私も狙っている。正確に言えば私たち漣の身体をだ。実家を強襲され、抵抗した父さんの死体を持ち帰っているのを見てそれを知った。
ここに来る途中に私の身体の中には
多量の出血により暗くなる視界、止まりつつある心臓の鼓動を聴きながらーーー
「ーーーその意思、見事だ」
ーーー掛け値無しの賞賛を最後に聴き、視界が真っ白に染まった。
それが今から17年前の話。誰にも知られる事なく闇へと葬り去られた前日譚。
そして17年後、無才の少年と紅蓮の少女が邂逅を果たした事により彼らの英雄譚は始まる。
故に、これは英雄譚に非ず。英雄の存在を望みながら自身では英雄になれないと悟り、英雄を望んだ1人の修羅の物語。