魔王降臨 暴虐の双角竜   作:丸いの

4 / 18
4. 暴君への羨望

「何だかなー……さっぱり解らない」

 

 見張り矢倉の上で僕は愚痴を吐いた。何故かと言えば単純だ。それはこの暑い中、直射日光が照らす中で見張りなんてしなきゃならないかって事だ。

 

 今僕がいる場所はこの街の監視塔だ。まあ塔なんて堅っ苦しい名前が付いているけどその実ただの矢倉だ。上からのお達しにより、今日は砂漠方面を普段以上に熱心に監視中だ。果たして何かあったのか、そんなことは一切聞かされていない。僕たち監視員は、ともかく何らかの異常がないのかを見つけるのが仕事なのだ。因みに実際に監視しているのは僕の使い魔である鷲のヒュールだけど。

 そのヒュールは今、砂漠の中でも気候的な意味で一番の危険地帯である砂原へと飛んでもらっている。時折送られてくる彼の視界を見て、僕はどこに向かわせるかをその場その場で指示するのだが、別にこれは屋内でも可能な事だ。所長曰く「監視とは矢倉の上で集中力を切らさずに全周囲の光景を瞬時に認識すること」らしい。彼は監視を匠の仕事か何かと勘違いしているのではないだろうか。

 そんな彼の指示で炎天下の屋外に僕は放り出されている……と、何か動きがあったのか。ヒュールから念話が入ってきた。

 

"ヒュール?何か見つかったのかい?"

"ええ、今私は砂原の上空を監視しているんですが……どうも何かが動いた気がして。あ、映像送りますね"

 

 彼の念話からすぐ後に、目を瞑ったその網裏に空高く舞う彼の視界が同期する。ぼんやりとした暗闇の中に浮かび上がるは、一面砂色の世界だった。細かな砂の海で埋め尽くされた、僕たち人間が踏み込むことは出来ない広大な砂丘領域。そんなところで何かが動いたということは、果たして砂嵐でも起きたというのだろうか。

 

"うーん……このだだっ広い大砂原で? 小規模の砂嵐とかじゃないのかな……監視を頼んでいる僕が言うのもあれだけど、気のせいじゃないかなあ。わざわざそんな所で生活している魔物なんていなかったと思うけど"

"いえ、何かが動いたというよりも……むしろ砂全体に動きがあったというかなんというか……少しの間だけですが見た感じ砂嵐って訳ではないんですよ"

 

 彼とて僕の使い魔になってから数年は経過しており、この手の監視業務も板についたものだ。そんな彼がそう言うのだろうから、もしかしたら本当に砂嵐以外の何かがいるのかもしれない。

 

"まあ一応報告はしてみるよ。ヒュールはまだ監視は続行できそう?"

"正直辛いです。何たってこの炎天下ですからね"

"んじゃ今すぐ帰還してね。おいしい物用意しておくから"

"了解しました。期待してますね"

 

 ヒュールはとても賢い。使い魔にしてから半年で念話での意思疎通が叶ったのだ。当初、魔力量の少ない僕は碌な物を呼び出せないと散々言われてきたが、結果は大満足だ。確かに高位な魔物は来なかったけど、一生の友達を手に入れることができたのだ。今日はちょっと無理をさせてしまったから早い所所長に連絡してヒュールの為に市場で何か買ってこないと。

 

「局長ー!! 報告です!!」

 

 こなれた風に矢倉の梯子を駆け下り、矢倉の中で地図と睨めっこしている局長の元へと急いだ。

 

 

* * *

 

 

 凡そ三時間ぶりか、俺はまた高級感溢れる部屋にまで来ていた。正午を大分過ぎたということで朝よりも日光が奥まで差し込み、先ほどとはまた違った雰囲気が感じられる。改めて見直してみると……おお、ブルジョワジー。鮮やかな紺の絨毯や木目のくっきりした、でも表面に光沢の走る机、年代を感じさせる大きな古時計などなど、世間の平均とは明らかに違う物が悪目立ちしないようにさり気なく置かれている。

 統括は結局ハンスに付いてきた俺の姿を見て少し訝しんだ後、どこか諦めた感じで部屋に招き入れた。俺もそう簡単に引き下がるつもりは無いんだぜ。俺たちを椅子に座らせた後、統括は向かいに座り、真っ黒な大きい本をちょうど両者の間に置いた。その表紙に書かれたタイトルは、"生態不明の龍の生態"。何だソリャ。

 

「よく来てくれた、ハンス・ルベルド……そして先程ぶりだな、ネイス・ウェイン」

「すまんねェ。面白そうだからコイツも連れてきちまったが、まあ良いだろう?」

 

 少しの間の後、やれやれといった調子で彼は頷いた。もとより梃でも動かぬつもりでいたのだから、この流れはニーガにとって歓迎すべきものだった。

 

「……別に良いか。では早速だが、昨日ネイス・ウェインが砂漠地方である"竜"を発見したのだ」

「ああ、そりゃもう聞いてるぜ? 火炎龍を一撃で下した化け物だろう?」

「……ネイス・ウェイン。一応私は情報統制を掛けているつもりなので軽々しく漏らさないで貰いたい」

 

 統括は俺をカッと睨みながらそう言った。確かにこれがハンスではない別の冒険者だったら結構な問題になっただろう。なので俺は素直に謝ることにした。

 

「はい。思慮が至らず、すいませんでした」

「まあ、宜しい。今後は気を付けるように。で、本題だが……ハンス・ルベルド。貴方は10年前によく似た状況にあったようだな?詳しく話を聞かせて貰えないだろうか?」

「やっぱりそう来たか……あの"一角竜事件"だな?」

 

 "一角竜"。冒険者稼業を始めてからそんな名前の魔物については終ぞ聞いたことが無い。果たしてそれが今回の件とどう関連しているのか。

 

「その通りだ。この資料の最後の方にその絵が載っていたんだが、ネイス・ウェインの話の"竜"によく似ているのだ」

 

 統括はそう言い、机の上に置かれた重そうな本を開いた。重厚な表紙が机に当たり、パラリパラリとページが静かに捲られていく。垣間見える挿絵はどれもこれも神聖っぽいものである。正直な所、俺の見た"竜"に似た物がここに記載されているとは到底思えない。

 

「貴方が10年前に倒したのはこの竜だな?」

 

 統括がページを捲る手を止め、そこの絵を指し示した。そこに描かれているのは、今までの伝説感丸出しの神聖チックなモンスターの絵ではなく、妙に現実的な姿で天に向かって吠える一体のワイバーンの姿だった。褐色に近い全身像に、天に伸びる一本の長い角。細かな差異は確かに認められるが、大まかなシルエットについては確かに似ている。その細かな違いと言えば、精々体色や角の数位だ。これは今回の"竜"の同族か何かだろうか。

 

「ギルドの連中こんな胡散臭い本に資料を残していやがったんだな……ああそうよ、確かに俺が10年前この竜を倒した冒険者だ。まあ仲間と一緒にだがな」

「それでは一体どのようにして倒したのだ? この竜は説明を見る限り相当巨大であり、今回の一件にも繋がるものはあるだろう」

 

 そんな統括の言葉を、こともあろうかハンスはいきなり笑い飛ばしやがった。ギョッとして思わず彼の姿を見つめるが、すぐに彼はその表情を引き締めた。

 

「ハッ、統括さん、前もって言っておくよ。俺がやった方法は多分今回の竜相手には通用しない」

「……一体どういう事だ?」

「簡単さ。格が違い過ぎるんだよ。記憶の限りではアイツは凡そ体長20メートルはいってたっけかな。それだけでもアホみたいな大きさだが、今回の竜はそれを遥かに上回っているそうじゃないか」

 

 俺が見た奴の体格は、記憶違いでは無ければ彼の言う大きさを二回りは上回る。改めて考えれば、確かに最早ギャグの領域だ。

 

「それでも、通じる所はあるのではないのか?」

「まあ確かに有るかもしれない。だが甘いな。正直言うと俺たちの10年前の勝利は、窮地に陥った俺たちの一種の賭けだったのさ」

 

 そうしてハンスは10年前の戦いを話し出したが、要約するとこんな感じか。

 

ハンス達四人の冒険者は砂漠にて竜に戦いを挑んだ。しかし状況は悪く、戦士の剣撃や魔道師の魔法は共々分厚い甲殻で阻められてしまった。急遽逃走に転じるも、体格の大きな竜からは逃げ切ることなど出来ずにこう着状態に。そこでハンスが竜を砂巨虫の生息地へおびき出す事を提案。生息地はちょうどその場所から近かったのでその案は即採用された。

 地面に穴を掘り、地下で生活する砂巨虫の巣穴は、上を人や普通の龍種が通る分には問題無い位の頑丈さだが、この竜相手にはどうやら耐えられなかったらしく、上手い事竜は地面に半身を埋まらせた。突然の衝撃に竜はもがく事しかできずに、その隙に詠唱を終えた二人の魔道師が大魔術を弱点と思われる首に叩き込んで無事に倒すことが出来た、との事だ。

 

「あそこで竜が地面を早々に抜け出していたら俺は今ここに居ない。不意打ちでも無い限り、あの竜は倒せなかったよ」

「……なるほどな。今回の、大型の矢倉を超す体格の竜にその戦法を仕込むのは少々危険が過ぎる」

「少々なんてモンじゃねえ。精々深さ人間三個分位しか無い穴にどれだけの時間その巨体が埋まっているか分かったものじゃ無い。第一そこで仕留められなかったら即人生終了だ」

 

 その笑顔とは裏腹に、ハンスの意見は全てが的を突いていた。彼の話を信じるならば、スケール感を落としたとはいえそれでも化け物級のモンスターに挑んだのだ。言葉端から感じる重みが、それに説得力を持たせる。

 

「ふむ、では率直に聞かせて貰おう。貴方は今回の竜はどこかのパーティーで討伐することが可能だと思うか?」

 

 その言葉を受けて一瞬ハンスはキョトンとした後、急に腹を抱えて笑いだした。

 

「カハッ!! 何言ってるんだアンタ!! 10年前の一件だって当時強豪と謂われた2つのパーティーが全員死亡、崩壊しているんだぜ? それだというのに2回りも巨大にした悪魔に勝てるパーティーなんぞこの街に居るものかよ」

「……どう言う事か説明してくれるかね?一応この街に高位の冒険者が揃ってる中で断言できるその理由を」

 

 ハンスの言葉は、言ってしまえばこの街の冒険者全てをこけ下す、そしてそのトップに君臨する統括の顔に泥を塗るようなものだ。若干統括の目付きが鋭くなるが、全く気にした風もなくハンスは統括を正面から見つめなおした。

 

「別にこの街の冒険者が雑魚揃いなんて言う気はねェよ。むしろ個々の戦力でいえば俺なんて何も意見できねェし。で、理由だな? ネイスにはさっき昼飯食っている時に言ったが、まあもう一度言わせてもらう。どんな勇者譚にあてられたか知らんが、昨今の冒険者は魔物という物は対等的に戦う物と考える傾向がある。勿論彼らは魔物は自身よりも格上の存在と捉えている。しかし本心では同じ土俵でぶつかり合うべきだと考えているんだ」

 

 一旦ハンスは言葉を切り、「その通りだな?」と目で統括に告げた。対する統括も思うところがあるのかゆっくりと頷き、先を促した。

 

「その考えは適量なら別に悪いとは言わない。しかし最近はいくら何でも過多気味だ。確かに冒険者の力量は上がってきているが、それと共に魔物達に対する考えが甘くなってきたんだ。いくら殺す覚悟死ぬ覚悟が出来てようが、自分の腕を過信したままでは碌な人材にはならない。この街にはそんなパーティーばかりだ」

「確かにその傾向は有るが、しかし……」

 

 統括の言葉が詰まる。その瞬間を、ハンスは逃がさなかった。

 

「しかしも案山子も有るものかよ。断言してやる。真正面から戦うしか能の無い奴はあんな竜相手にまともに立ち回れる訳が無い!!」

 

 最後の方は半ば怒鳴りながらハンスはそう締めた。だが顔をすぐにニヤニヤした笑みに戻し、また口を開いた。

 

「まあ確かに倒せるパーティーは"今は"居ない。だが別に倒せないとは言ってないぜ?」

「ほう、これを機に新しいパーティーでも設立して貰うと?」

「まあそんな感じだ。俺やネイスみたいに一人で活動している連中の中には少数だが冒険者の"普通"に毒されてない奴がいるし、希望を捨てるのはまだ早い」

 

 そう言うと、急にハンスはニヤニヤとした顔をクルリとこちらに向けてきた。

 

「何なら別に今作っても良さそうだなあ、ネイス。圧倒的な相手に向けて足掻くのは俺は結構好きなんだが、お前はどうだ?」

 

 一瞬ハンスの言ったことが理解出来なかったが……どうやら今俺はお誘いを受けているらしい。色々あって冒険者稼業を始めてから早5年、俺は殆どパーティーに誘われたことが無かった。なんでも龍操士は他のメンバーと組み合いにくいらしい。しかし今は、俺基準から見てマトモそうな人間から真っ当な誘いを受けている。急すぎるし、場所もアレだが断る理由は無い。それに組んだらあの"竜"へ挑む事が出来るかもしれない。あの霊峰の上から俺を見下す存在にだ。

 

「奇遇だな。俺も裏をかいて戦うのは大好きだ」

「ほお、そいつはよかった」

 

 統括の目の前だが俺らはガシッと互いの手を取り合った。その様子を少し呆れた様に見ていた統括はやれやれと言った感じで口を開いた。

 

「全く……私が言うのも変だが一応ギルドのトップの前では礼儀を慎むようにしろ。それにまだ貴方達の即興パーティーに依頼するなんて決まってない。まだ理事会との折り合いが全く付いていない状況でぬか喜びはしないように。まあ、今日は有難う。実際に戦った者からすれば、今のままでは全くなってないという事か。考えておこう」

 

 統括は喋り終えると、椅子から立ち上がり俺らを見つめた。

 

「とりあえず一旦はその"竜"に関する依頼については凍結処置を行うこととする。パーティーと言う存在自体が固定観念の温床みたいだからな」

 

 うんうんと頷いた後、ハンスも立ち上がった。

 

「最低でもそれくらいはして貰えねえと今日ここに来た意味が無くなっちまう。勿論俺とネイスの即興パーティーを贔屓してくれ」

 

 最後に俺が立ち上がった。長い間ではなかったものの、少し凝ってしまったようで節々が痛い。

 

「まあまあ、ともかく今日は話を聞かせて貰って有難う御座いました。期待して待ってます」

 

 この言葉で会談はお開きとなった。両者共々お辞儀をして、俺らは後ろの立派な扉からこの部屋を後にした。扉が閉まる直前に後ろを振り返ると、統括はすっかり考え込んでしまっているようで、顎に手をあてて顰め面をしていた。

 

「なあネイス、さっきはノリでああ言っちまったがきちんと聞いておく。お前は本当にその竜と戦いたいのか?」

 

 唐突にハンスがそう聞いてきた。そう言われると、俺は実際の所どうなのだろうか。遭遇してからまだ1日、別に親が殺されたなんてバックストーリーなんてある筈も無い。しかも命が惜しくて戦わずして逃げ出してきたのだから今更戦いたい理由なんて、普通に考えたらあるわけが無いのだ。

 でも実際はどうだ。先程ゴンゾのパーティーが行ったと聞かされた時、あの"竜"への恐怖と共に、俺はまた何か別の感情を抱いていた。そう、ほんの一かけらの羨望だ。もしかして、俺はどこか心の奥底であの"竜"に憧れているのではないのか。全てを己の身一つで跳ね除けるあの砂色の怪物に。

 

「何だか変なんだがな、戦いたいよ。あの時逃げ出したような人間の言うようなことじゃないけどさ」

 

 一度言葉を切り、そして何故だか分からないが不思議と笑顔が浮かび上がってくる。自身の根拠のない戦闘意欲だとか向こう見ずな望みだとかがひどく可笑しいものに感じられる。たぶん己の理性的な側面が、それらの説明できない欲求を笑い飛ばそうとしているのだろう。

 

「……すごく変なことを言うようだが、俺はあの"竜"に惹かれたみたいなんだ。あんなに恐ろしいと分かっているはずなのに、でも倒したい……これじゃあ俺が嫌う勇者思想と一緒じゃないか」

 

 魔力を体力で圧倒する、馬鹿馬鹿しいまでの強さを誇る、雄々しい巨体。昔から魔力が足りないと散々言われて、半ばコンプレックスになっていた俺にとって、その戦い方は強く心の中に刻みつけられた。そう、俺はあの"竜"に憧れたんだ。最悪とも言っていいようなあの状況の中で恐怖と共に心に刻み込まれた憧れ。自然と自嘲気味になる言葉端の中であいまいに笑う。その変な笑顔を、ハンスは真正面から受け止めてくれた。

 

「……俺も解るさ。俺も10年前、有力な連中が次々と屠られてんだっつうのに、あの一角竜に憧れたんだよ。アイツは俺に格上と戦う事の恐ろしさと素晴らしさを伝えてくれた。今でも目を瞑ればあの戦闘が頭の中に蘇る」

「今回は更に格上だ。一体乗り越えた先には何が待っているんだろうな……って取らぬ狸の皮算用か」

「違いねぇな。まだ俺らに斡旋されるかなんて欠片も決まってないんだ。ともかく今はテンション上げて行こうぜ?」

 

 少し強くハンスは俺の肩を叩き、目の前を指し示した。通路の奥のドアの向こうから聞こえてくる喧騒。もうギルドの酒場は開店したようだ。今はまだ太陽が傾き始めたような時間帯だが、別に良いだろう。会話のネタも尽きそうに無いだろうし。

 

「ちょっと、今日は羽目を外すか」

「おうよ!!」

 

 俺たちは互いに馬鹿笑いしながら酒場への扉を開けた。いつもは微妙にうるさく感じる騒ぎ声など全く気にならない程に、俺の心は軽やかだった。

 

 

* * *

 

 

 夜の砂漠は昼間とは全く違い寒冷地と化す極端な場所である。暗くなった空に、砂漠特有の乾燥した空気もあってか、満天の星空が広がっていた。そして天を走る天の川は、大砂原の地平線の奥まで伸びている……筈であった。

 

 大砂原のど真ん中に聳えた巨大な岩壁が、天の川の流れをプツリと断ち切っていた。周囲に他に岩など無く、ただそれのみが大砂原の中で一つだけ存在している。その巨壁は、ゴツゴツとした砂色の表面で月や星の光を反射している事もあり、夜の闇の中で小さくは無い存在感を放っていた。

 

 所々ヒビの入ったその岩壁はまるで"本当はそこには何も無かった"かのような、不気味な雰囲気を感じさせる。

表面に付着した砂が自然さを感じさせ、周りに何もなくただ一つで存在している所が不自然さを感じさせる、ある種異常な光景。自然さと不自然さを併せ持ったその壁は、突如として砂漠の完全な静寂を打ち消した。

 

 地面が揺れ、周囲の砂が流砂の如く細かく動き出す。

 

 突然の地響きが大砂原に響き渡り、聳えていた岩壁が動き出した。いきなり揺れだした岩壁は、付着した砂が振り落される中、ゆっくりと地響きと共に地面へと埋まっていく。何かに引きずり込まれるというよりもむしろ岩壁に意思があるかのように、岩壁はただゆっくりと沈んで付く。

 

 見る見るうちに大半が砂に埋まり、押しのけられた砂が周囲に岩壁を覆うようにして溜まっていく。小さな砂は、昏々と湧いてくる砂に押しのけられて外へ外へと流れていく。そしてとうとう岩壁の頂点まですっかり沈んでしまった。沈みゆく岩壁に巻き込まれたきめ細やかな砂が、まるで液体のようにして渦を巻きながら地中に引き込まれていく。周囲に盛り上がった砂は、今度はその流れに乗って中心へと集まっていく。そして頂点が少しだけ見えるといった具合まで沈んだ岩壁を完全に覆い尽くした。

 しかし岩壁が見えなくなっても地響きは止まらず、砂の流れも止まらず、まるで何かがそこにあったと主張し続けるかのように残り続けた。

 

数分後、地響きは止み、大砂原には再度静寂が訪れた。なだらかに広がる砂原の中心、こんもりと砂が溜まっている事以外はただただ普通の夜の砂原と大差はない。天の川は障害物が無くなったことで地平線の奥まで続き、星々は変わりなく輝き続ける。そこに一陣の風が吹いた。それは溜まった砂を吹き飛ばし、辺りと同じ平たんな地面へとならした。

 

 不自然さは完全に地中に隠れ、自然さだけが一帯を支配した。まるで"何もそこに無かった"かのような、ごく自然な光景が広大な大砂原に広がっていた。誰がその光景を見ても、岩壁が聳えていたという光景を想像出来ないくらいの美しい夜の砂漠が残った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。