魔王降臨 暴虐の双角竜   作:丸いの

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13. 統括者の本音

 巨体が大地を踏み荒らす音、聳え立つ岩壁が崩れ落ちる音、耳を掠める向かい風の音、激しく動く心臓の鼓動の音。全てがぐちゃぐちゃに混じり合わさり、弾け飛びそうになる逃亡者たちの理性を無理やりに抑え込める。息継ぎと同時に砂が入り込み、口を閉じる度に普段ならば不快に思うであろうジャリジャリとした刺激を感じ取っても、今の彼らにはそれを気にするような余裕は無い。懸命に腕を振り、地面を蹴って、一行は街道の出口を目指し続けていた。

 

「次!! 行きますッ!!」

 

「了解!!」

 

 走りながら詠唱を終わらせたレーナが自分を囲うようにして走る周囲の騎士たちに大声で合図を出した。右手に持った細長い杖の先からは、準備が出来た事を示す様に淡い白光が漏れ出ている。彼女の合図を聞いた騎士たちは瞬時に足を止めて、意味は無いにしろレーナを庇うようにして各々の武器を構えて、後ろへと振り返った。

 

 彼らの目の先には白い煙がまるで霧のように立ち込めており、その煙の中からは地響きと共に絶え間なく岩壁を砕く大きな音が聞こえてくる。どれ程の威力で岩壁が破壊されているのだろうか、衝撃で弾け飛んだ石が彼らのすぐ傍にまで飛んでくる。彼らが走り続ける街道は、人の大きさからしてみれば特に狭くは無く、むしろ大きいと言っても良かった。竜車が二台並んで走行してもお釣りが来る程だ。しかし人などよりも余程大きく、矢倉のような規格外の大きさの者からすればどうだろうか。

 

「チッ……この猪野郎め、無理やりに追いついてきやがる」

 

 息を少し切らしながら、ハンスは腰に付けられた煙幕玉を握りしめて呟いた。

 強烈な閃光で目を焼かれ、その上霧の中にいるかのような濃い煙幕によって完全に視界を奪われても、"竜"は諦めることなく彼らをしつこく追い続けていた。天然の台地の境目に作られた街道は決して真っ直ぐとは言えず、所々曲がりくねっている。とんでもなく巨大な体でこの狭く蛇行した道を目も見えず、加減をしないで追いかけた結果が今の状況だった。

 何度も何度も街道を挟む岩壁にぶつかり、そしてその度に2本の巨大な剛角や頑丈な翼で岩壁を砕き、角が真正面から刺さってしまった時は、強引に頭を振りぬき巨大な岩盤を破壊し大穴を開けた。"竜"が通過した後に残された街道は、まるでこの場で激しい砲撃戦でも行われたのかと思ってしまう程にまで破壊されていた。

 街道を吹き抜ける風によって煙幕から放たれた白煙が少し晴れ、煙の奥で暴れまわる巨大なシルエットが次第に明らかになっていく。砂色の巨体は未だに一行の位置が掴めていないのか、角を生やした頭を振り回しながら此方の場所を探っているようだった。

 

「"光よ!!"」

 

 二本の剛角が此方を向く寸前、レーナは煙の向こうに聳え立つ"竜"に向かって詠唱を締めた。

 締めの一言と共に構えた杖の先に輝く白光は突然沸騰するかのような勢いで膨れ上がり、街道を照らす陽の光すらも凌ぐ輝きで周囲一帯を照らした。光の勢いは凄まじく、一瞬で周囲から影という影は消え失せ、すぐ傍に居たハンスや騎士達は杖とは別の方向を向いていたにも関わらず思わず目を閉じてしまった。目蓋を通してまで強烈な光は彼らの目に届き、明るさの余り鳴ってもいない衝撃音までも聞いたような錯覚に陥る者も居た。

 凄まじい明るさの光は白煙を通して"竜"にも届いた。辺りに漂う白煙の中から目を凝らして一行を探していた彼の緑色の双目に、少しは軽減されてはいるが、それでも強烈な光が襲い掛かる。既に2度程白光に目を焼かれてはいる物の、再度視界を奪うには十分過ぎる明るさだった。

 

 "竜"がよろめきながら堪らず呻き声を漏らす。光から目を守ろうと甲殻に覆われた目蓋を閉じるが、その目蓋の裏でも白光の衝撃の残り香が彼の目を刺激し続ける。

 巨体の進撃が止んでから、レーナが構える杖の先から光は段々と失われ、魔法の発動前と変わらない尖った先端が姿を現した。勢いに負けていた太陽の光は、ようやく邪魔する物が居なくなり、白光に変わって周囲を照らし始めた。

 

 光が収まったのを確認したハンスは、腰に紐で括り付けられていた煙幕玉を引きちぎった。そして砂埃にまみれた小さな水筒の蓋を開けた。手に付いた砂煙が水筒からこぼれた水滴で泥状にるがそれを気にすることも無く、中に満たされている水で導火線の先端を濡らし、煙幕玉をしっかりと握りしめた。

 

「おまけだッ!!」

 

 湿った先端部から炎が出始めると同時に、彼は思い切り煙幕玉を投げつけた。砂礫が転がる街道上を1回2回とバウンドし、一行と"竜"との中間地点に煙幕玉は転がっていく。

 

「援護します!!」

 

 レーナは更に杖を振り上げ、短い詠唱を終わらせて新たな魔法を発動させた。一瞬淡い光を放った尖った杖の先からは冷気を伴った霧が溢れ出す。それたは砂埃が漂い乾燥した大気の中を舐めるように流れ、拡散していく。放射状に広がる霧は白煙を上げ始めた煙幕玉も取り込み、双方の煙で辺り一面の砂色の風景が一転し急速に白で染まっていく。背後から緩く吹き付ける風にも乗り、再度"竜"の視界は閃光と白煙で覆われた。

 

「奴との距離は順調に開いていくな……行くぞ!!」

 

 魔力の消耗で少しふらついたレーナを支え、騎士隊長が皆に指令を出した。巨体は立ち込める白煙の向こう側で未だ視界が戻らないのだろうか、岩壁を粉砕する音が彼らの耳へ届く。騎士たちは号令と共にレーナと取り囲み、一斉に走り出した。

 "竜"との距離が近くなったら閃光魔法と煙幕で相手の足を止めて、また距離を離す。この方法は撤退し始めてから既に三度目に上っていた。ハンスの額に冷や汗が浮かぶ。幾ら獰猛な魔物とは言えども、此方が直接危害を与えずにしつこく逃げているならばいつかは追いかけるのを諦めるだろうと思っていた。しかし"竜"は未だ諦めず、しつこく縄張りに侵入した者たちを追いかけているのが実状だ。腰に括り付けられた煙幕玉の残りは2個。既に半分を切った生命線へと目をやり、憎々しげに舌打ちをした。 

 

 曲がりくねった台地の谷間の街道と閃光魔法、そして霧の魔法と煙幕玉。この全てが揃って初めてこの撤退は形を成す。街道を抜けた先に広がるのは、岩が所々に転がる開けた荒れ地。そこへ到達するまでに逃げ切れなかったら自分たちの命の保証は存在しない。広い草原では巨体の暴虐を遮る物など存在せず、残った煙幕玉を投げつけても白煙はすぐに風に吹かれて開けた大地には留まらないだろう。

 

(谷間を抜ける前に逃げ切れればこっちの勝利だ……諦めるな!!)

 

 ハンスは強く心の中で自分に呼びかけた。未だ谷間の出口は近くなく、今の調子で問題なく行けば次の煙幕玉を使うか使わないかという所で"竜"と自分たちの距離は安全圏まで広がる事が可能であろう。此処まで来て負ける訳にはいかない、いってなるものか。彼は懸命に振る拳を一層強く握りしめた。

 

 

* * *

 

 

「ネイス・ウェイン、ただ今戻りました」

 

 酒場の扉を勢いよく開けて、まず最初に帰還したことを大きな声で宣言した。

 いつもならばそれほど多くは無い冒険者達が食事をしていたり、あろうことか昼間っから酒を煽っているような緩い空気が流れている筈の酒場は、張りつめたような雰囲気で覆われている。カウンター前に立つ普段はいない筈の街の自警兵達が戸を開けた瞬間に此方に鋭い目線を飛ばし、まだ若いと思われる新人の冒険者も机の前に掛けながら緊張した表情で此方を見つめる。

 

 彼らの目線を気にしながら後ろを付いて歩く二人の救出者を先導し、長い机の間を進み、目的の人物が居るカウンターの前へとたどり着いた。自警兵達もそうだが、今自分の目の前の人物も普段ならばこの酒場には居ないが、この緊急事態だから彼が居ない筈がない。栗色の長髪を揺らす長身のエルフの男、このギルドの統括であるニーガが目を細くしながら佇んでいた。

 

「ご苦労だった、ネイス・ウェイン。一応確認させて貰うが、後ろの二人の他にも襲われている者は居るのだな?」

「はい。少なくとも、彼らを含めて計七人があの"竜"の急襲を受けていました。残りの五人は未だハンスが率いて撤退中です。そして救出したのは第三王女殿下と見張りの護衛騎士です」

「そうか……後ろの二人、前へ出てきて貰えますか?」

 

 後ろの二人、王女と若い護衛騎士の方へと統括は目を向けた。口調自体は敬語であるものの、その声は底冷えするように冷たい物で、彼らに向ける目線は刃物のように鋭い。しかしそれを前にしても王女と騎士は表情を変えずに前へ出て、その目を見つめ返した。

 

「王女殿下とその護衛の騎士殿ですね。伺いたい事は山ほどと有りますが、今はそれどころでは無いのは貴女も重々承知していることでしょう、殿下」

 

 自分へ向けられている訳では無いのに、体の芯から冷えそうな雰囲気が彼の言葉から発せられる。彼の蒼い目は一層細くなり、静かに冷たく燃える怒りをこれでもかと言う程に表している。

 

「……はい、重く承知しています」

 

 しかし自身よりも二回りも幼い筈の王女は、ニーガの絶対零度の視線を向けられても怯まずにしっかりと言葉を返した。この彼女の反応にニーガは細くしていた目を少し見開いている。彼女もやはり幼いとは言えども今回の一件への責任を感じているのだろうか、落ち着いた対応に内心で感心してしまった。

 

「今貴方達に出来る事は何も、何一つだろうとありません。貴女方には応接室の方へ待機していただきます。宜しいですね?」

「……分かりました」

 

 短くそう述べて固い表情で小さな手を握りしめる彼女と騎士から目を逸らし、ニーガは脇に居る2人のギルドの職員へと合図を出した。

 

「では殿下と騎士殿、此方へ」

 

 ニーガの脇に控えていた職員達は、カウンターの中から出て来て小さく会釈をすると、彼らを酒場の奥へと連れて行こうと歩き出した。連れて行かれる二人の足取りは重く、酒場の中にいる全ての者たちからの視線を背中に受けながら、先導する職員たちの後をゆっくりと歩いていく。そして酒場とギルドの本部を隔てる扉に職員が手を掛けた時、今まで押し黙っていた騎士の青年が此方へと振り向いた。

 

「姫様は……姫様は信じておられる。私の仲間とあの冒険者が皆無事にいきて帰ってくるのを心から信じている……だから彼らが帰ってきたときには姫様に真っ先に知らせて欲しい」

 

 決して大きくは無い声でそう言い残すと、彼らは職員の後を追いほの暗い扉の向こうへと消えて行った。古い木の軋む音を残しながらゆっくりと扉は閉じ、完全に彼らの姿が見えなくなった。

 

「……その言葉を自分の口から言えないようじゃ、あのお転婆娘はまだまだ大人になりきれてはいない。だがまあ、人間の成長も早いものだ」

 

 ニーガはぼそりと扉の方を見ながら呟いた。冷淡な雰囲気は既に纏っておらず、彼は疲れた様子で大きくため息を吐き、改めて此方へと向かい合った。

 

「待たせてすまない。さて、これから此方から君に命じるのは一つだけだ。君達が出発した後に別働隊として依頼を請け負った冒険者達が騎士達を救出する為に既にここを発ったが、もしもの事が起きたら……出来る限りの人員を救出してくれ」

「……もしもの事ですか。統括は彼らに"竜"の危険性を示したのですよね?」

 

 その問いかけに、彼は間髪入れずに大きく頷いた。

 

「当然だ。無論下手に手を出すなとも伝えている。本来ならば少ない人員で早急に事を済ませたかったが、街会議では救出対象が王族関連である以上、人員は出来るだけ多い方が良いという決断になった。しかし人数が増えた分、君や私が危惧する冒険者と"竜"の衝突が起きるかもしれない。それを出来るかぎり防いでくれ」

 

 どうやら、今回の裁断については彼自身の意志よりも大きなものが動いてしまっていたようだ。例えこのギルドの長たる彼でも、それを支援する立場であり活動の場を与える街の上層部が言う意見をすべて無視することは敵わない。

 

「……全く、君達にはいらぬ迷惑を掛けるな。すまない」

 

 彼はそう言うと深々と此方へと頭を下げた。彼、ないしはその上層部の言い分も分からなくはない、救出対象が王族、下手をしたらギルドに向けられる王国からの眼は厳しいを通り越した敵意にすら変化しかねない。常識的に考えるなら、この案件を少数メンバーで解決しようというのは少し無理があるのだ。俺にだって決定者がいたずらに被害数を大きくしたいなどと思うはずが無い事は分かる。

 

 しかし、なんだ。こう他人に謝られるのは酷くむず痒いものだ。加えて相手は普段はあまり表情を変えないと思われるギルドのお偉いさん、というかトップ。街の会談にすら顔を連ねるスゴイ人。そして自分はAクラスの下の下で冒険者をやってる若造。なんだこの格差は。

 それとなく周囲を見回してみると、自警兵達は唖然とした表情で固まっており、いつの間にかカウンターの向こう側にいた受付嬢は何かあり得ない物を見たかのような顔をしている。先ほどから酒場は静かだったが、今の静けさは何か質が違う物に感じてしまう。

 

「ええとっ、あの、大丈夫です。あの"竜"には個人的にもちょっと見逃せない相手ですし、それに面倒な依頼だって今回が初めてでは無いです。なので頭を上げて下さい」

 

 そうだよな? そこで目を逸らす受付嬢よ。"竜"との遭遇の切っ掛けとなった火炎龍討伐の指令はお前が無理やり俺へと斡旋したのを忘れてはいないぞ。しばらく彼は頭を下げていたが、再び上げられたその目には普段の印象とは違った力が込められていた。

 

「犠牲となる者を一人でも出したくない。これが、私の願いだ。頼んだぞ、ネイス・ウェイン」

「分かりました、ニーガ統括」

 

 言葉と共に出された出を固く握り返す。彼がエルフという種族であることや今までのイメージから、統括は常に冷静で冷やかな人物だと思っていたが意外とそうではないようだ。

 

 もう何も言う事は無い。これからは自分の出来る事をやるだけだ。さあ、まずは今も"竜"から逃げているであろう、ようやく出来た最初の仲間の手助けだ。あの図太い性格だ、矢倉のようなデカさの化け物に追い回されていても、ノリの良い悪態でもついているに違いない。俺は入ってきた時よりも軽い足取りで酒場の出口へと向かっていく。開け放った扉のから吹き付ける砂埃混じりの風は、心なしかいつもよりも不快には感じなかった。


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