魔王降臨 暴虐の双角竜   作:丸いの

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12. 超戦略的撤退

「やっぱりそううまくはいかねーモンだな……この化け物め」

 

 彼らの眼の先、ようやく此方を向いた"竜"を冷や汗を浮かべながらもハンスは睨めつけ、真紅の剣を汗で濡れた右手で握り直した。過去に相手取り討伐へと至った一頭の魔物と、今現在彼らと対峙する片角の魔王。体格こそ似ているものの、しかしその威圧感は全く違う物であるとハンスは理解させられた。

 彼にとっては一角竜こそが今までの彼の人生の中では最強の敵であり、そして自身が超えることの出来た最大の壁であった。しかし今目の前に聳えるのは、一角竜と比較してしまえば壁などと言う生易しい物ではなく、高く切り立った断崖絶壁であるかのようにさえも感じてしまう。

一角竜もその戦闘力は大概な物であったと彼は記憶しているが、この"竜"はそれを超えた、正真正銘の化け物として一行の前に立ちはだかっている。

 

「アイツなら……アイツにならば爆音の一つでも響かせれば隙の一つくらいは作れたのによ。これが格の違いって奴か」

「貴方の言うアイツとは、一体誰の事ですか?」

 

 同じく半ば引きつった顔で"竜"を見つめるレーナがハンスの呟きに反応する。白く綺麗だった長髪はすっかり砂埃で汚れてしまい、額はびっしょりと冷や汗で濡れてしまっている。しかしそれを払い落そうともせずに、彼女も眼前の化け物へ杖を構え、何時でも攻撃が出来るようにと準備を終えている。

 

「いやァな。昔あの化け物よりも二回りくらい小さい、まあそれでも十分過ぎる化け物を相手取った事があってよ……ちょっと思い出に浸ってただけだ。これが噂に聞く、走馬燈って奴かもしれねェな」

 

 その暴虐的とも思える程に雄々しい巨体とは裏腹に、玉石の如く綺麗な翠色の双眼がハンス達を射抜く。砂色のシルエットから見える翠色の二つの点は、"竜"が決して自分たちを路傍の石などでは無く、紛れもない敵であると認識している証であると示し、排除するべく敵に向けて立ち竦まんばかりの威圧感を放つ。何人もの騎士たちがその剣を無意識のうちに震わせ、もはやその切っ先は碌に敵に向けられてすらも居ない。そんな彼らの様子を瞬時に把握したハンスは、大きく息を一つ吸い込んで叫んだ。

 

「焦るなァ!! 今は俺の指示に従え!! 戦うのではなく撤退を優先させるぞ!! 今のこの戦力じゃ、怒らすことは出来ても、傷を付けることが出来る事かも疑わしいからなァ!!」

 

 決して"竜"から目を逸らさずに、そして大きな声でハンスは指示を飛ばす。剣を向けたまま、腰を引かせずに撤退を指示するというのは矛盾しているのかもしれない。しかしその弱腰ではない姿勢が、一行の信頼を集める助けにはなったようだ。

 

「……ああ、ここは貴様の指示の通りに動こう。お前らも文句は無いな!?」

「ヘヘッ、オッサン。アンタみたいな話が早い奴は助かるよ」

 

 "竜"を前にしてほとんど硬直してしまっている護衛隊の面々に喝を入れる部隊長を見てニヤリとした笑みを浮かべると、ハンスは深く呼吸をした。大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐く。生暖かい空気に混じっていた砂埃によって口の中がざらつくが、むしろそれが彼の冷静さを引き立てた。

 

「ふん……あくまでも俺の中の最強さんは一角竜なんだよ。そう易々と更新されてたまるかっつーんだ。この化け物め。だからそのイメージを崩さない為にも、今はテメェの相手なんぞしてやんねェよ!!」

 

 規格外の"竜"の巨体を全て視界に納める程にまで目を見開き、向けられる翠色の眼光を逆に睨み返すと、砂埃が目に入るのも厭わずに、大声で彼は言い捨てた。ハンスは真紅色に染まったショートソードを握りしめている右手の甲で大雑把に冷や汗を拭い取りながら、もう片方の腕をまるで背後に居る一行を庇うかのように大きく横へ突き出した。

 

「いいかねェちゃん。奴に絶対に魔法を当てるな。これだけは必ず守れ。善処じゃない、徹底しろ。良いな?」

「ええ、分かりましたが……それではどのようにして撤退する時間を稼ぐのですか?」

 

 汗を拭うとと共に武者震いで口の端を歪ませて震わせるハンスは、この場で使える撤退の術を瞬時にあまたへ浮かべていき、その内容を喋りながら撤退手法の取捨選択を同時並行で行う。

 

「奴がどこまで引っかかってくれるか怪しいが……ともかく閃光魔法に加えて煙幕をばら撒いて隠れる――否、それは悪手だ。ならばこの場から撤退できるか、それとも奴が興味を無くすまで根気よく繰り返す……早い話が根競べだ。ねェちゃんには負担を強いるが、頼めるか?」

 

 頼むとは言っているものの、その言葉は彼女が作戦をこなすのが可能であることを確信した上での確認作業であるかのようにレーナに伝わった。そしてレーナも、この非常事態で不可能だと甘えを言う気は欠片も起こらず、一瞬の迷いなく大きく頷き、ハンスはそれを見てニヤリとした笑みを浮かべた。

 

「そんでもってこれがもしもの時の手製の煙幕だ。数は五つ、範囲はそこそこ、この街道の幅ならば覆える。そして煙の濃さは抜群だ。もし魔法での煙幕が頼りないならこれでサポートをする」

 

 ハンスは腰に巻かれたベルトに水筒と一緒に糸で括り付けられた球状の濃緑色の煙幕弾を左手で触りながら言った。大きさは握り拳と同じくらいだろうか、その内の一つをベルトから引きちぎり、そして汗で濡れた手で握りしめる。指の間からは煙幕弾に繋がった縮れた導火線が見えており、いつでも着火出来るようにとハンスはそれを出来る限り伸ばした。

 

「ふん……奴は待ってはくれないそうだな」

 

 作戦と言うには相当にお粗末な物。騎士たちの対人戦における撤退と比べると余りにも大雑把過ぎる。しかし現状での最善策は、ただ我武者羅に障害物をばら撒くこの作戦に他ならない。対人戦訓練で騎士たちが培った小細工をしようと、敵はそんなものに引っかかる程軟な存在などではないのだから。険しい顔を浮かべていた部隊長は、此方にと視線を向けて唸り声を漏らす"竜"を睨めつけ、そして震える足を無理やりに押さえつけた。

 

「まあ流石にまだ本気で殺しには来ないだろうさ……さてと、そろそろおっ始めるか」

 

 此方の出方を伺ってたのか、今まで立ち止まっていた"竜"は、野太く発達した足を上げ、此方へと第一歩目を踏み出そうとした直前。決して"竜"からは目を逸らさずに、そして決して恐怖を抱かずに。皆の意識が崩れてしまわぬように。ハンスがまるで挨拶でも告げるかのような軽い調子で言った。

 

 瞬間、レーナが素早く詠唱を開始し、騎士たちは一斉にレーナを護るように囲い各々武器を構える。そして先頭に立つハンスは水筒の口を素早く開けて、導火線の先を湿らした。

 

「皆さん、目を瞑って下さい!!」

 

 "竜"の大きな大きな一歩が砂の大地に付くよりも早く、詠唱が完了し、杖の先から抑えきれなくなった光が漏れ出した。そして天高く杖を掲げ、"竜"の目線が一瞬向くその間際。最後の発動の言葉と共に、大規模戦闘で使われるほどの閃光魔法が炸裂し、辺り一帯を眩い白光で照らしつくした。

 

「さあ、行くぞ!!」

 

 腕で閃光を遮りながら、薄く空けた視界の先では"竜"が突然の光に驚いている様子が映っている。逃走開始の合図に皆が一斉に駆け出し、一目散に街の方角へ向けて走り出した。これから長く続くであろう"唯の逃走劇"の開幕は好調だ。ハンスは眩い光が一帯を照らしつくす中で、薄く口元を歪めた。

 

 

* * *

 

 

「彼らは大丈夫だろうか……姫様をグラシスへ届けたら私も早く戦場へ向かわなくては……!!」

「……騎士様も大概にしつこいですね。さっきから何度同じことを口にしているんですか」

 

 一心に空を駆け抜ける森緑龍イト。彼の体格は人間と比べると非常に大きく、大の大人三人を縦に並べてもまだ御釣りが来るほどだ。だがいくら体格が立派であろうが、勿論世の中には限度という物が存在する。具体的に言うならば、今自分たちが彼に強いている状況は結構無茶だという事だ。

 

「グルル……!!」

「ほら、頑張れ!! 後少しだ、外壁も見えてきたぞ!!」

 

 先頭に俺、そして後ろに第三王女に王国の護衛騎士隊の青年。後にも先にもこんな状況になるのは今だけだろう。まあ乗っている人間の地位は関係なしに、今イト上には三人跨っている。そう、三人だ。装備の重さを含めたらかなりの重さに行くのではないか。

 段々とふらふらと飛び始めたイトに、若干冷や汗が浮かぶ。最初から少し不安な気はしていたものの、やはり彼にはこの重さは結構きついのではないか。いつも一人で乗っていたからイトがどれだけの重さに耐えられるかをすっかり失念してしまっていた。

 

「後少しでグラシスへと着きます。到着したら殿下には直ぐにギルドの方へと向かって頂きます。宜しいですね?」

「……はい」

 

 背後に居る第三王女はすっかり口数が減ってしまっている。返答も力の無いもので、彼女の心の内を表しているように感じられる。こうも王家の人間の内面を推し量るのは不敬かもしれないが、多分不甲斐ない気持ちで一杯なのではないだろうか。

 自身の力ではどうにもならず、部下を置き去りにして逃げなくてはならない状況。自分もあの"竜"と遭遇した時は迷わずに逃げ出したが、置き去りにするような仲間も居らず、だから彼女の気持ちの様は完全には推し量りきれない。しかし彼女が悔しさを感じているという事だけは分かる。

 

「……安心しました」

 

 彼女はそんな悔しさを感じている。しかし俺はその状況に一種の安堵を覚えていた。つい口から出た言葉に対する返答は無く、ずっとうるさかった騎士の青年も何故か静かにしている。

 

「お忍びでうちの街に来ているという事を聞いたときはどんなわがままな姫かと思っていましたが……心配して損しました。わがままだけの人間だったらこんなに悔しさを感じませんよね。あまつさえ自分だけ助かって喜ぶ人間だったらどうしようかと思ってましたよ」

 

 口下手な自分の口から、下手すれば不敬罪を問われてもおかしくはない言葉が驚くほどスラスラと出てくる。

後ろで自分と一緒にイトに乗っている王族は、権威に溺れたような、言ってしまえばよく噂話で聞くような悪徳貴族とは正反対の、責任感を兼ね揃えた人なのだろう。

 

「彼らの心配をなさっているのは分かりますが、大丈夫でしょう。俺の仲間は結構すごい奴でしてね。言葉端はあんな有様ですが、それでも彼らを無事に撤退させてくれるでしょう」

 

 段々と街の壁が近づいてくる。監視矢倉の姿もぼんやりとだが確認できるほどにまで近くに来れたようだ。

上空にも関わらず、砂が混じる熱風は健在のようで、言葉が途切れ静かになった中でも相も変わらず細やかな砂が時々当たる感触が頬から伝わってくる。

 

「……信じます。護衛騎士隊の皆も凄い人たちなんですから」

「そうですよ!! 彼らなら私が居なくとももう問題無にあんな化け物から逃げれますよ!! ……私が、居なくとも……うぅ」

 

 あまり大きな声ではない返答、それに引き続き騎士の変な宣言が背後から聞こえてくる。彼はあの騎士団の中では地位は下の方だったのか、それとも単にアホなんだろうか。第三王女がやっとまともな返しをしてくれて、少しではあるが肩の荷が降りたような気がする。このまま街に到着するまでずっと無口なままというのも少々辛いから助かった。

 

「ええ、信じましょう。そして皆が帰ってきたら精一杯出迎えましょうね……ん、あれは……?」

 

 皆の雰囲気が少し柔らかくなったのを感じとり、そして見慣れたグラシスの街並みが後少しと言うところで、視界の端に何かが映った。今まで岩山で遮られていて見えなかった街道上に、どうやら何かが居るようだ。良く目を凝らすと、自分たちが向かう方向とは正反対に、街道上を十数頭の馬が駆け抜けている。皆がかなり速い速度で走らせているのか、彼らが通った後には地面が遮られるほどに砂煙が舞っているのが確認できた。

 

 茶色の毛並みの馬たちに跨る集団は、すれ違いざまに確認してみると皆それぞれ異なる鎧を身に着けている。街の警備兵では無く、自身と同じ職の冒険者達だ。しかし一般的なグループの人数を大きく上回る、パッと見ても十人を容易く超える冒険者達は一様に同じ方向を目指して街道を駆け抜けていく。みるみる内に彼らは街道を進み、イトの速さと相まってか彼らの後姿しか見えなくなった。

 

「彼らは……正規に依頼を請け負った他の冒険者でしょうね。依頼内容は殿下の一行を救出するという物だったが……」

 

 彼らの顔に浮かぶ表情までは確認することは出来なかった。もしかしたら使命に燃えた険しい顔だったかもしれないし、もしくは強者の姿を一目見ようという好奇心を押し出した嬉々とした表情だったかもしれない。本当に彼らは一行を救出するに留めるのだろうか。下手に手を出さないだろうか。そして仮に手を出してしまったとして、それが逃走の障害になってしまったら。

 

「……大丈夫だと良いが」

 

 一人零すその呟きに誰も答えてはくれず。俺は腹の中がざわめく様な、そんな気色の悪い感覚を覚え始めていた。


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