ライヒアラ騎操士学園。
そこは、フレメヴィーラ王国最大規模を誇る学び舎。初等部から高等部まで、幻晶騎士を操縦する騎操士以外にも多岐にわたる人材を育成する総合教育機関。
だが最近、そこに別の側面が加わっていた。
「……難儀ですね。まだ完成度が足りません」
「そうか? 十分実用には耐えるレベルだろう、銀色坊主」
その名は銀鳳騎士団。
遠征訓練時に遭遇しかけた師団級魔獣ベヘモスへ喧嘩を売った挙句勝利を収め、その後生徒たちの助力を得てなんと幻晶騎士に新機軸の改良を施し劇的な成果を上げた若き奇才、エルネスティ・エチェバルリアが団長を務める騎士団であった。
彼らは今、更なる新型幻晶騎士の開発に取り組んでいる。
国王から申しつけられた銀鳳騎士団のお披露目。その場で見せつけるための新型機である。
エルネスティは、興奮した。
そりゃあもう素敵な機体をもって人々の度肝を抜いてやろうと、幻晶騎士の歴史上類を見ない設計を行い、実現に取り組む。
その結果は、半ばまで成功したと言っていい。数々の困難こそあったが機体自体は完成し、複雑ながら動力系統、操縦系統もクリア。追々改良の余地は多いにあるが、ひとまず国王の御前に晒すに恥じないだけの出来になったと、鍛冶学科に所属しエルネスティの荒唐無稽な夢である幻晶騎士開発に力を貸すダーヴィドは思っている。
「ええ、実用には十分です。実用には。ですが僕が求めているのはもっとこう……優雅なんですよ! 今でも確かに機動力では通常の幻晶騎士を上回っていますが、言うなればそう、刃馬一体! トロンべっていうか、その名のごとく駆けよっていうか!!」
「……わかった、わかったぞ銀色坊主。お前がここじゃないどこかを見てるのはよーくわかったから、とりあえず現実に帰ってこい」
ダーヴィドはため息とともにエルネスティの肩を叩く。
よくあることだ、もう慣れた。彼らの団長は紛れもなく天才なのだが、同時になんかもう紙一重の向こう側までイっちゃってるんじゃないかな、と思うのもまた事実なわけで。
「おっと、失礼しました。幻晶騎士本体は問題ありません。現時点ではこれがベストでしょう。改良の余地があるとすれば制御系です」
「そりゃわからんでもないけどよ、そっちは先が長いぞ? 下手に変えて、改良したつもりが不具合の山になって直すのに一晩かかる、なんてのはよく聞く話だ」
ともあれ、団長殿はご不満の様子。
どうやらこの新型機、まだまだ理想とする領域には届かないのだという。ダーヴィドの目からすれば、既に形からして異形。それがまともに動くようにまでこぎつけたのだから、それだけでさえ幻晶騎士開発史に名を残すこと確実とさえ思えるのだが。
「ええ、そのことはイヤと言うほどわかっています。……なので、協力を仰ぎましょう。この道のスペシャリストに。というわけでちょっと誘ってきますね!」
「あっ、エルくん待って! 私も一緒に行くー!」
「……そうか、また
ダーヴィド、涙をこらえる。
なんかいつの間にやらエルネスティの片腕的なポジションに収まってしまっていることに不満はないが、アレにこの道へ引きずり込まれる誰かが増えるだろうことに多少の感慨を抱くほどには常識人なのだった。
せめて、その相手がエルネスティを気に入るか、あくまで外部協力者に踏みとどまれますように。柄ではないと思いながら、ガレージの窓から見える小さく、しかし抜けるような青い空に祈った。
まあ、その祈りは届かなかったのだが。
◇◆◇
吾輩は転生者である。名乗るほどの者ではない。
生まれかわりを経験する前は、21世紀の日本を生きる立派な社畜。
上司への恨みとたまの酒、そして幼少期からどっぷり耽溺したオタ的なあれこれを糧として、命燃やすぜしていた。
死に様はよく覚えていない。普通に道を歩いていたらいきなり空が見えた気がしたので、多分車に跳ね飛ばされるか何かしたのだろう。痛みを感じなかったのは良かったのか悪かったのか、まあ今はどうでもいい。
その後気付いたときは病院かと思ったらさにあらず、見えたのが知らない天井だったのは当然として、なんか見覚えのない人種が次々に視界に入って来た。
まず顔立ちが日本人ではなく、髪色もバラエティに富んでいる。あぁこれもしかして、という疑惑が確信に至るまでそう時間はかからず、俺が生きていた時代から数百年は遡るだろう生活様式、見覚えのない草花、控えめに言って聞き覚えのない言語に晒される中で最近流行りの異世界転生だと確信した。
ネットもねえ。アニメもねえ。娯楽もそれほどありはしねえ。
そんな世界で生きていけるのかと恐れおののいたのも今は昔。なんだかんだと楽しく生きてくることが出来た。
俺が生まれついたのはド辺境の農村。
建物は少なく、森が近く畑しかなく経済の概念があるかどうかさえ怪しいレベルの村だった。
だが、だからこそ楽しい。
村にいた同年代の子供たちと野山を駆け回って遊びまわり、その中で年の功と溢れる若さを併せ持ったことでとりあえずその心を掌握して地位を確保。
なんか気付いたらみんな子分みたいになっていたので、さっそくそいつらをまとめて猿でもわかるさんすう教室を開講。文字は読めなくても数学は変わるまいということで四則演算くらいは身に着けさせた。
……いやだって、放っておいたらどう考えてもどん詰まりになりそうだし、そうでなくてもたまに来る商人や代官からの徴収でちょろまかされてそうだしね!
とまあ、こんな感じの幼少時代を過ごした。
村にいた頭のいいお姉さんから文字の読み書きを習ったり。
前世では日本語とグロンギ語とオンドゥル語のトリリンガルだった俺からすればたやすいことよ。
親にバレると土になにするかと殴られるから秘密で作ったたい肥をこっそり土に混ぜたり。
収穫量の増大は寿命と人口に直結するからね。いずれ俺が家を継いだ暁にはこの村を豪農だらけにしてやんよ。高まれ、俺のT〇KI〇力!
と、暢気していられたのは田舎であることも手伝って俺があまりにもモノを知らなかったから。
この世界は決して人間に優しくない。ただ生きる、それだけでさえ困難なほど過酷な地。
人の爆発的な繁栄を許さない、人を超越した生命。
その名を「魔獣」と呼ぶ。
魔法を使う獣、ゆえに魔獣。
大小強弱の差はあれど、こう呼ばれるものたちは総じて人より大きく、生身の人間がどれだけ束になっても敵うようなものではない。
村が魔獣に襲われたのは、8歳の時。
正直そのとき何がどうなったのかはよく覚えていない。
断片的な記憶を辿ると、いくつかの情景が浮かぶ。
大声を張り上げる大人たち。
燃える畑。
土の味がしたのは転んだからで、転んだ理由は俺の体がすっぽり収まるほどに大きな足跡が地面に刻まれていたから。
そして、見上げた俺を睨んだ大きな目。
目が合った。多分死ぬ。二度目だけど、怖いなあ。
そんな感情とかいろいろごちゃ混ぜになったスライドショー。
しかし最後はいつだって。
『獲物みーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっけぇ!!!!!』
――シャギャー!?
そんな魔獣に飛び膝蹴りをかます、巨大な騎士だった。
これが、俺と幻晶騎士との初めての出会いでしたとさ。
この世界には、人類より強大な魔獣がいる。
後に知った俺の生国、フレメヴィーラ王国は人類生存圏が魔獣の生息地と接する最前線。そこで人々が生きるために生み出された魔獣に対抗しうる力。
かつて親しんだ単位で身長10mほど。魔獣と同じ目の高さで向かい合い、戦う鋼の勇者こそが、幻晶騎士なのだ。
これまたあとで知ったところによると、このとき魔獣に対して華麗なシャイニングウィザードをキメたのは俺が住む村を含む一帯を治める領主さまだった。
魔獣襲来の報告を受けて出陣……というか、幻晶騎士が大好きで口実を見つけては出撃するようなお人で、この日も特に理由もなく幻晶騎士で領内をパトロールしていたところ、魔獣の襲撃を発見して大喜びで討伐に来たらしい。
単騎で。
領主なのに。
被害状況確認に来た副官的な人の話によると、パトロールというかほぼ脱走だったのだとか。それが日常茶飯事だというのだから心労はいかほどか。
「休んでいる暇はないぞ副官、出撃だ!」
という感じで連れ回されたこと多数、と語っていた。
魔獣の被害にあった小僧にさえ愚痴らなければいけない副官さんのストレスが真剣に心配だ。
まあそんなわけで畑の大部分が燃えたとはいえ大半の村人は無事。
副官さんの胃痛と引き換えに村は守られ、領主さまはこんな感じで魔獣が出るや即片付けてくれるからと領民からの支持も厚く、税の免除その他の被災者支援もしてくれたおかげでそこそこ平和な日々が戻って来た。
……かと思ったのだが。
「お前、中々才能ありそうだな。ちょっくらライヒアラ行って幻晶騎士について勉強してきなよ」
「えっ」
この世界、魔法の才は極めて属人的な物で、俺のような普通の農民に資質が認められることもある。
領主さまはあんな感じとはいえ極めて優秀な騎操士。俺の中にある資質を見出だして、この国でも最高の教育機関たるライヒアラ騎操士学園に俺を送り込んだのでありましたとさ。
この世界、王が国を治めて貴族がそれを支える程度には中世しているが、幻晶騎士を操縦する騎操士になりうる資質を持っていれば貴賤を問わず訓練の機会が与えられる程度には切羽詰まっているのだとか。最前線ってつらいね。
学園での生活は、中々に刺激的だった。
当たり前のように闊歩する幻晶騎士。前世で知っていた天を突くビルと比較してすら巨大な城、城壁、学園都市。
ここ10年近く田舎暮らしが染みついた身には目もくらむような大都会で、そこでいろいろ学ぶ生活というのも悪くなかった。
時々無性に土いじりが恋しくなるけど。忘れないうちに肥料やら水路作りやらため池作りやらしたくてたまらないけど。
だがそれも少しの我慢。ここで幻晶騎士について勉強して戻れば、領主さまからいろいろご褒美がもらえるはず。そうして俺は故郷の村に錦を飾るのだ。
とりあえず、魔獣対策のために軍事用一辺倒である幻晶騎士を家畜を越えた農業機械として使えるようにする方法とか考えようかな。
量産機を払い下げてもらうのも魅力的だけど、戦闘用としての機能がどうしても農業には邪魔になる。ならいっそ農作業に必要な機能だけを付けた新型なんてどうだろうか。少なくとも考える価値はある。
そう考えて、学業にいそしんだ。
同級生の真面目なエドガー、気障ったらしくチャラいディートリヒ、おっぱいの大きいヘルヴィなんかに実技を教えてもらったり、鍛冶学科に顔を出して幻晶騎士の構造や整備を学ぶ傍ら、図書館にも足繁く通ってこちらでは主に制御系の勉強をしたり。
とりあえず、街道やなんかと違って道が不安定な場所でも行動しやすいように四脚機の可能性と、もし仮に幻晶騎士が手に入るとしても中古でガタが来てるやつだろうから、出力を補うために複数のエーテルリアクターを使ってでも出力を上げる方法を考えてみよう。
――そんな生活を初等部からずっと続けていた平穏無事な学園生活。それを壊すのもまた、外から来たモノだった。
「ふむふむ……なるほど!」
「……ん?」
きっかけは、声。
高さからして後輩。男のものとも女のものともつかない綺麗なそれが図書館の中に響き、視線を吸い寄せられた。
そして見た。
熱心に本を読む、とんでもない美少年を。
一瞬美少女かとも思ったが、アレは男だろう。幻晶騎士に関する本をキラキラした目で読んでるし。まあ、アニメだったら女性声優が声を当てそうだなーとは思うけど。
微笑ましいことだ、と俺は笑う。俺もかつてあのように勉強に邁進したし、毎年新入生が入って来る時期になると数人はああしている。その中で学年を重ねてなお続けるもの好きはさすがに少ないが、いずれにせよ希望に満ちた学園生活を期待しているようで何よりだ。
おそらく貴族の出だろうあのお坊ちゃんが、この学園で良い経験を積んでくれることを祈るばかりだった。
……まあ、すぐにそんな祈りは撤回する羽目になるのだが。
「んっ……はぁ……すごぉい♡」
「……んん?」
再び自分の勉強に熱中することしばし。
今度も声が、それもなんかいかがわしい声が聞こえて思わず顔を上げた。
おい待てまさかありえないよな、と思いながらも出所に顔を向ければ、そこにはさっきと同じ位置に、おそらく読み終えただろう本を山と積み上げてさらに別の本に取り掛かっている例の美少年が。
……なんか、エロい表情を浮かべていた。
紫銀の髪がさらりと揺れる。頬はまるで恋する乙女のように紅く染め上げられ、花弁を思わせる唇が朝露に濡れたように光っているのは、小さな舌がなぞったからか。
瞳はうっとりと細められ、瞬きの度に長いまつげが瞳を覆う涙の幕を弾いてきらめく。
なんだあれ。まさか、この図書館に隠されているという噂のえっちな本を見つけて堂々と読んでいる猛者なのか。
一瞬そんなことも思ったが、すぐに違うとわかった。
「あぁ、なんて素敵な本なんでしょう。上から下まで丸裸じゃないですか……!」
と、やはりえっちな本かと思うようなことを言いつつ手に取り、頬擦りした本のタイトルがちらりと見えた。
分厚い表紙にタイトルを押しされた、「幻晶騎士応用構造学概論」。100年に渡り新型機の開発が停滞していることと引き換えに、溜まりに溜まった現行機の実験と実用、開発者の知見と騎操士の体感、ナイトスミス達の整備に基づく経験則に至るまで、あらゆる知識を網羅した良書だ。俺も1年くらい前に読みました。
確かに、彼の言う通りあの本の中では丸裸になっている。幻晶騎士が。
応用の名がつく通り、この書の内容を我が物とするためには幻晶騎士の構造や操縦感覚についての知識と経験が必要とされるが、それらを兼ね備えた者には素晴らしい知識を与えてくれる。
……無論、間違っても新入生があっさり読み下せるものでもなければ、えっちな本でもないです。
そういえば、聞いたことがある。今年の新入生にやたらめったら優秀で、妙に幻晶騎士が好きな生徒がいると。学園長の孫であり、人呼んで「エチェバルリア家のヤベー奴」。たぶんあの子だ。
「……見なかったことにしよう」
だから、アレは多分触れちゃダメな奴なんだと思う。
そんな美少年のエロい表情を垂涎モノの愉悦顔でガン見してる図書館の住人達もいるにはいるが、俺にはさすがにレベルが高すぎだ。
その後、さらにしばらくして。
「ドヒャアアアアアアア!!!」
「……」
ああ、ついにか、と俺は思った。
見るまでもなくわかるが、見ずにいるのもそれはそれで怖い。顔を動かさずにちらりと目だけで絶叫の出所を見ると、もう完全にイっちゃった目で、そしてすさまじい勢いでノートになにがしか書き綴っている美少年がいた。
どこぞのマンガ家のような完全トリップ。きっと幻晶騎士をキメ過ぎたのだろう。彼が現実に戻ってこれることを心から祈りつつ、ちょっと遠くの席へと逃げた。
触らぬ神に祟りなし。近づかないに限るのだ。
――もっとも、神の側から触って来るなら避けようもないと、この時の俺は知りもしなかったのだが。
農業用に便利な四脚機の制御術式は机上の理論レベルながらそれなりの形になってきたので、ここらで一つ複数のエーテルリアクターを直列高出力化するための下調べとして既存のエンジン出力について調べ、まとめていたとき。
「なに書いてるんですか? せ・ん・ぱ・い♡」
「おふぅ!?」
耳の穴の中にするりと入り込む、熱い吐息と甘い声。一瞬で全身に鳥肌が立ったのは、小悪魔系後輩的なナニカに誘惑された歓喜、ではなく多分獣の顎に捕らえられた恐怖から。
椅子の上で飛び上がり、耳を押さえながら振り向いたら、そこにいたのは目を爛々と輝かせ、椅子と机に手足をかけて覆いかぶさるようにして俺の手元を覗き込む、割と小柄な美少年。
ついさっきまでイっちゃってたエチェバルリア家のヤベー奴くんであった。
ちぃっ、書物のみでは飽き足らず、いかにも独学で幻晶騎士について学んでるっぽい先達にまで食指を伸ばして来やがった!?
「ねえ、教えてください。先輩が何を考えているのか、どんな未来を見ているのか。すぅ、はぁ……っ。匂いで分かります。きっと先輩も、今まで誰も見たことがない幻晶騎士をその目で見て、その手で操るために学んでいるんですよね?」
ひぃ、エスパーかこいつ。目の中にハート浮かべながらハァハァしながら寄って来るんだけど! コワイ! 誰か男の人呼んでー! 俺も男だけど! この子も男だけど! 多分!
「先っちょだけ、先っちょだけでいいですから!」
「や、やめ……アッーーーーーーーーーーー!?」
そして、この後幻晶騎士についてすげえ話し合った。
ひとしきりマシンガントークをしたあと落ち着いた彼が名乗ったところによると、彼はエルネスティ・エチェバルリアというらしい。やはり例のヤベー奴で、噂通り、あるいはそれ以上の逸材だった。
これが俺とエルネスティくんとの出会いであり、その後も三日にあげず幻晶騎士の構造やシステムについて教えたり教えられたりすることになった。
それだけで済んでくれれば、よかったのに……っ!
◇◆◇
「ふぅ、平和だ。やっぱりこうして静かな環境で勉強するに限るね。激しい喜びはいらない。そのかわり深い絶望もない、植物のような心こそが農業には重要なんだよ、うん」
図書館の静寂は何物にも勝る財産だ。
ライヒアラの図書館は極めて実用的な知識収集の場であるため、ただ調べ物をする、本を読むだけではなく周りの迷惑にならない程度の声量の会話は必要なものとして黙認される。
……まあ、最近の俺はエルネスティくんに絡まれてアレコレ話しているうちにヒートアップした彼のとばっちりで司書さんに怒られたりもするんだけど。
ともあれ彼との交流は悪いことばかりでもなく、既にしてそこらの中等部生程度とは隔絶した知識と発想、やたら滾っている行動力で新型機を開発したとかなんとか。そんな彼からのフィードバックもあり、四脚型のシステム面は大幅に改善されつつある。
実物はまだ作ってないけど。まあその辺は卒業して村に帰って、お上の目が届かなくなってからこっそりやる方がいいだろう。幻晶騎士ラボラトリの顔を潰すわけにもいかないし。
この学園で学んでいるとはいえ、俺はあくまで一農民。その誇りと立場は忘れずに立ち回らないと。
それこそが平和。それこそが平穏。
オラ、この学園を卒業したら村さ帰って今度こそ実家の農業継ぐだよ。
それが夢だった。
そうなるはずだった。
しかしそれは、人の夢と書いて儚いもので。
「せんぱ~い♡」
「……あぁ、またか」
俺の平和を断ち切るギロチン、エルネスティくんの声が響いた。
ちなみに、彼が俺を呼ぶときの声が甘えた感じであればあるほどヤバいというのが経験則で、この日は俺の農業センスが過去最大級のヤバさを告げた。
……よし、逃げよう。
「あっ、先輩なぜ逃げるんです!? ちょっとお話があるだけです! 多分先輩にとっても耳寄りな!」
「エルくん待って……っていうかあの先輩足速っ!? 私達でも普通じゃ追いつけないってどういうこと!?」
前世でついぞ遭遇することがなかったキャッチセールスの謳い文句よりも信用できない言葉が飛び出した。
ばさばさとノートを引っ掴んで席を飛び出したのは正解だったと言わざるを得ない。フハハハ、捕まえられるものなら捕まえて見るがいい年不相応に小柄なお貴族様よ。田舎暮らしで鍛えたこの足腰、騎操士としての鍛錬でさらに磨きをかけられたのだからそう簡単に捕まりはひでぶ。
「もー、いきなり逃げるなんてひどいですよ。ちょっとだけ、ちょーっとだけお話聞いてくれればいいんです。大丈夫、損はさせませんから……ね?」
「ぐっ、ぐえっ、ぐおぉ……!」
何が起こったのかわからないうちに、気付けば俺はヘッドスライディング。立ち上がろうにも背中にかかるゆさゆさした重みのせいで身動きが取れない。
チクショウこの後輩、図書館の中だってのに魔法使って一気に飛んで来やがった!
しかも人の背中でなんか体を揺らして遊んでいると来たもんだ。そういうのは親戚のお兄さんとかにしてもらいなさい!
「ああっ、先輩がエルくんとお馬さんごっこしてる……! 羨ましい! 代わってください!」
「……君、女の子としてそれでいいの?」
図書館のなめらかで冷たい床と頬擦りさせられている俺の目の前に、ずさーっと滑ってきたのはエルネスティくんと同年代らしき女の子。そういえば、エルネスティくんのとこには彼と同じくらい魔法に長けた同級生の双子がいるとかいないとか。その片割れだろうか。
でも君、土下座じみた姿勢で俺と同じように床へ頬をつけてまで目線を合わせ、マジ顔で頼んでくるのは、お兄さんどうかと思うな。
「アディからも説得してください。今、僕たち銀鳳騎士団が行っている新型幻晶騎士の開発に、ぜひとも先輩のお力を貸して欲しいんです。……僕も、ディートリヒ先輩たちも先輩のことを高く評価しています。それに先輩が目指しているこれまでのものとは異なる幻晶騎士の開発という目的にも合致していますから、そちらにとっても悪い話ではないと思いますが。ね? お願いします。今なら、ドサクサ紛れに先輩が望む機体を一機作る権利もプレゼントしますから」
「お願いします!」
あ、これ逃げられない奴だ、と俺は察した。
もとより狙った獲物は逃さずどこまでも執拗に追い続けるタイプであることは、幻晶騎士に向けるエルネスティくんの異常な愛情、または私は如何にして心配するのを止めて農業を愛するようになったのか、的に考えて明らかだ。
ちらりと背後を振り返れば、卑猥は一切ない女の子座りっぽい感じで俺にまたがるエルネスティくんがにっこりと笑う。
俺の学園生活の全てとも言えるこのノート渡したらそれで満足してくれないかな。……ダメだろうなあ。
ため息を一つ。
祈りは天に。
拝啓、田舎の父さん母さん。そして俺をライヒアラに放り込んでくれやがった領主さま。
村に帰って畑を今の3倍くらいに広げるのはもう少し先になりそうです。
◇◆◇
こうして、一人の男が銀鳳騎士団に加わった。
騎操士学科の生徒でありながら幻晶騎士の構造や整備にも精通した変わり者。農村出身のド平民であり、なんか妙にマイペースだった男が、エルネスティに手を引かれて加入した。
銀鳳騎士団の面々はいかなる勧誘が為されたのか、団長が浮かべる満面の笑みを見て大体察し、生暖かい励ましと共に彼を迎え入れた。
団長直々の勧誘は伊達ではなく、当時既に十分な稼働を果たしていた新型機、人馬騎士たるツェンドルグの完成度向上に貢献。機動力や安定性、その他諸々の制御系統に彼が独自に研究した理論と術式を組み込むことにより、大幅な改良を見せた。
その功績をもって、銀鳳騎士団内で純粋に彼自身の発想と設計に基づく完全新型機の開発権を与えられるという破格の報酬を受け取り、彼もまた幻晶騎士開発史に名を残すこととなる。
「農作業用には悪路を歩いたり馬力が必要だったりするからね。でも幻晶騎士レベルの器用さじゃ雑草取りもできないし、人型の手はいらないかな。だから、完全四足の獣型にしました。幻晶騎士とは呼べないし……
「すごいです! とりあえずライオンの顔つけましょう! なあに、爪を四本にしておけば王家に対する申し訳も立ちます!」
「団長ー、新しく作った
「なに作るんですかナニ企んでるんですか機動力ですか幻晶獣機にブースターつけるんですかだったらついでにブレードもつけましょう!」
「……いや、これと翼があればそれなりに長距離飛べるんじゃないかなって。たぶん積載量はそんなでもないから、今の段階じゃ武装は乗せられなくて団長の趣味には合わないかもだけど、実家へ帰りやすくなるかなーなんて」
「戦闘機と来ましたかイヤッフー! もちろん僕はそういうのも大好物ですよ! あぁんもう、先輩ってばいつもいつもそうやって僕の心を弄んでっ!」
「人聞きの悪いこと言わないでくれるかな!? 最近アディちゃんが俺を見る目が、貴族の奥方たちに大人気な恋愛小説の嫉妬に狂った女の目みたいになってるんだからね!?」
「出来たー」
「なにが、出来たんですか? こっ、これは……! エンジン!? まさか、
「お、おう。最近俺が何か作るや否や首に抱き着きながら現れるのやめてくれない? いやあ、これがあれば村で使ってる荷車の馬力を増せると思って」
「いいですね! じゃあついでに履帯作って回転腰部作ってそこに幻晶騎士の上半身乗せましょう! 先輩、開発お願いします!」
「おい。……おい」
当人もそのうち乗り気になったことに加え、自分の中にはない発想に興奮する変態であった団長のお気に入りとなってしまったことも一因だったのだろう。
こんな感じであれこれ作り、気付けばエルネスティ以上のゲテモノ開発者として世間に知られるようになっていた。
だが、彼の不幸はここからだった。
後に勃発し、セッテルンド大陸を揺るがす大西域戦争。
その中で彼は目を付けられる。
「……なんです。なんですなんですなんです! 鬼神のみならずあの……鳥は!? 私のレビテートシップより速い!? 高い!? そんなもの、許されるわけがないぃぃぃ!!!」
彼は知るだろう。
後の歴史において「東のヤベー奴」と語られるエルネスティ・エチェバルリアの外付け変態アイデアボックスとして。
同じく「西のヤベー奴」として知られるジャロウデク王国の天才オラシオ・コジャーソの目の敵として。
なんやかんやと追い回され、故郷の村の開拓に戻るまで想像の10倍くらい時間がかかることになることを。
「俺は、農業がしたかっただけなのに……!」
「ああっ、なんか先輩がさらさら崩れ落ちていく幻覚が!?」
◇◆◇
「ちょっと! 砦の中庭を耕しちゃダメだって言ったでしょ!? あなたの畑はあっち!」
「ハッ!? す、すまないヘルヴィ。土を見ると畑を広げたくなるのはオラみたいな農民の倅の本農だでよ」
「都合が悪くなると故郷の言葉で誤魔化すのもやめなさい」
がんばれ転生者。
この世界の農業事情は別にお前の双肩にかかっていたりはしない!