もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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5/15『Two』

「用がなければ、帰っていただけませんか? 今、研究に励んでいる身ですので」

 

 東郷はそう言って、怜悧な目をもって俺を見る。

 その目で射貫かれたような気持ちになった俺は、なるほど確かに、多くの試合を勝ち抜いてきた歴戦の勇者のような威圧感を東郷に対して抱いた。目の前にある将棋盤を除けば、ただ座っている制服姿の女子高生に見えなくもない。しかし、その現実離れした目力は、ただの女子高生ではないことを示す何よりの証左だろう。

 けれど……。

 随分と不用心なファーストコンタクトになってしまった。くどいけれど、俺は神田には東郷がいないと踏んで来てしまった訳で、東郷の詳細なプロフィールは勿論、もしあった時に話すようなネタすら用意できていない。

半ば藁にも縋るような気持ちでモルガナが入っている鞄に目をむける。

が、DVDでスペースが限られているのにも関わらず、モルガナは行儀よく、ひっそりと息を潜めているようだった。……どうしよう。

 

「あの……」

 

 ……マズいな。このままでは、猫を鞄に詰め、何も言わずに目の前で立ち尽くしている変質者だと認識されてしまう。彼女の顔色を窺ってみれば、その冷ややかな表情から、こころなしか訝し気なそれへと変貌しているような気がした。

 なにか……そう、とりあえず、何かその場をやり過ごせるようなことを言わなければ。

 でも、全く喋ることを準備していないから……ええい、ままよ!

 

「君が、一二三ちゃん?」

「……」

 

  恐らく、俺の深層意識化では、この緊張を崩すためにカタ過ぎない言葉を選んだつもりだったのだろう。他人事のように言うが、一応同い年なのだから、これくらいの冗談は許してもらえると思ったのかもしれない。

 しかし、突然訪れた窮地に、ほぼ反射的に俺の口から放たれたその言葉は、前で右手を顎に当てている彼女の表情を固まらせるには、十分すぎるそれだった。

 

「……」

 

 自分から出た実に頭の悪い発言に、血の気がサッと引いてゆく感覚を覚える。目も当てられない今の現実の逃避として、下宿から今日までの事を思い出していた俺は、初めて()()と会った時もこんな状況だったっけ、とボンヤリ思い出していた。

 

「……帰ろうぜ」

 

 鞄の中から聞こえてきた声に、俺は無理やり現実に引き戻される。

 そちらを見ると、憐れむような目で、モルガナはこちらを見ていた。ムカつく顔をしている……。こんな状況になってしまった責任はお前にもあるんじゃないのか、と俺は東郷のそれにも負けない目でモルガナを睨む。

 けど……モルガナの言う事は一理あった。これ以上何かを言ったとしても、墓穴を掘ってしまう事は目に見えている。実際彼女は……あれ?

 東郷はきっと俺を蔑むような目で見ているに違いないと思っていた。しかし今は、謎が解けたと言わんばかりに目をしばたかせている。

 

「もしかして、貴方……私のファン、ということなのでしょうか?」

 

 もう一度ちゃんと、彼女を見る。

 そこには、先ほどの棋士の威圧感は鳴りを潜めた――普通の、物憂げな女子高生がいた。

 

 

 

 

 

 

 

「あの……すみません。将棋を指している時は、その……周りが見えなくなってしまって」

 

 東郷はそう言って、本当に申し訳なさそうに眉を八の字にした。健気すぎる。聖人君子なのではないかと思ってしまう程の、懐の広さだった。いつもこんな感じで彼女のファンに対応しているのだろうか。彼女が教会で指すことが珍しい事ではないのなら、その、恐らく俺みたいにここへ来てしまうファンも多いだろうから……自分のことを棚に上げるようだけれど、正直大変そうだ。

 

「え……? あ、そうですね。ですが、私を通じて将棋に興味を持って下さったのであれば……無下な態度も取れません。あと、その……純粋に、嬉しいですし」

 

 駒を将棋盤にビシッと打ち付ける仕草をしながら、落ち着いた笑みを俺に見せる。……神対応、だな。ファンが多い理由も頷ける。

 よし。

 東郷の性格を大体は掴めたところで……本題に入ろう。正直、将棋という仕事の邪魔をしてしまったことには多少の罪悪感はあるけれど……ここは多少強引に攻めないと難しい局面のように思う。

 そもそも、他の手段が思いつかなかったというのもあったが。

 

「……はい? 私を……将棋の師匠に、ですか。……いまいち、おっしゃっている意味が分からないのですが……」

 

 打ち付けていた手を止めて、その右手をそのまま顎にもっていく東郷。どうやらその仕草が、彼女が考えている時の癖なようだ。

 もちろん、彼女が動揺するのも無理のない頼みなことは自覚している。逆の立場なら、見ず知らずの同い年くらいの男の人に、見返りもなしに将棋を教えるなんて考えられないから。竜司なら「……ナメてんのか、ああん?」なんてドスの聞いた声をもって一蹴するに違いない。……竜司が頭を使うゲームをしているなんて姿は想像しづらいけれど。そもそも、将棋のルールすら知らなそうだ。

 閑話休題、俺が稽古を付けてくださいと頼み込んだのは、やはり他に現実的な手が思いつかなかったからに他ならない。

 俺が東郷から得たいことは、もちろん異形のモンスターと戦う際に有効な戦術などだ。それを直截的に言ったらドン引きされることは目に見えているし、その辺りをボカして説明したとしても、東郷にとっては何の話だか見当もつかないだろう。

 だから、戦術を教えて欲しいということに焦点を当てると、やはり東郷の指す将棋を学んで、それをモンスターとやり合う時にも応用できるような形にしていくことが、一番の正攻法なのだと思った。将棋はただの遊びだなんて豪語した双葉の言い草にはとりあえず目を瞑るとして……、とにかくその方法なら、彼女から情報を聞き出せるはずだ。

 それらをなるべくオブラートに包んで、東郷に交渉を仕掛ける。

 

「……私の指し方に、興味を抱いたと……そうですか。そう言ってもらえると……ありがたいです。あ……では、ダークインフェルノ飛車なども……ご存じなのでしょうか」

 

 ……?

 今、聞きなれない横文字が聞こえてきた気がするのだけれど……。

 

「な、なんでもないです! ええ……なんでもありま、せん」

 

 何故か頬を赤くした後、「しかし、師匠……ですか……」と考える体勢を取り、沈思黙考といった様子で唸り始める。

 

「……」

 

 どうやら長考しているようだ。

 ……そういえば、ダークナニガシとは一体何の話だったんだろう。どこか、中学校時代のアレコレを彷彿とさせる――、

 

「それでは……」

 

 ――響きだったな、と思っていた時。

 考え込んでいた東郷は、ようやくその顔を上げて俺を見た。

その表情は随分と張り詰めていて、目が座り、眉毛がキリリと険しいものとなっている。さっきまでの、比較的穏やかなそれとは似ても似つかない表情。その一瞬の変貌に、俺は思わず生唾を呑み込んだ。

 

「申し訳ありませんが、将棋の世界とは則ち、一握りの才能と一握りの努力家が織りなす宴……あなたにその資格があるのかどうか、僭越ながら私が確かめさせていただきます」

 

 滔々と、実に流ちょうに東郷は話した。

 

「六枚落ち、一手二十秒の早指しで。それで貴方に、将棋を教えるに足るるかどうか、見極めさせていただきます。それでよろしければ」

 

 温かみを根こそぎ落としたかのように、冷徹なその言葉が俺の肌を撫でる。鞄の中にいるモルガナもきっと、ブルブル震えているに違いなかった。

 けれどここで引き返し……あるいは、そのまま圧倒されっぱなしでは終われない。乗りかかってしまったからには、中途半端は許されないと思うから。

 余計な事は考えまいと、俺は意識的にかぶりを振って、その後首肯した。すると彼女も同じく頷いて、俺の了解を認識した素振りを見せる。

 東郷が深呼吸をする。吸う息が心なしか震えているように思えるのはきっと、武者震いからだろうか。

 真剣。本気。真摯。

 初対面の相手にも、将棋のルールさえ分かるかどうか分からない人でも、真剣に向かう覚悟。東郷が、いつもどんな世界を渡り歩いてきているのかが垣間見える。

 ……本気で潰そうとしてきていることを、疑う余地はなかった。

 それならば俺も、倒すつもりで挑まなければ。彼女のその覚悟に、真摯に向き合うぐらいの気概は見せなくてはならないようだ。

 そう俺は結論付けて、彼女が作り出この一瞬で作り出した緊張感に呑まれそうになりながらも、しっかりと彼女を見据えた。

 

「参ります」

 

 こうして、東郷との、入門を掛けた勝負が始まった。

 


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