もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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10/31『Unrest』

「……つつ」

 

 床の冷えた感触で目を覚ます。朝起きた時に体に毛布が掛けられていないと、心細く感じる機会が増えた。

秋。

確かベッドに潜り込んだ時は、しっかりとこの体に掛け布団を巻き付けたはずなのだが。

 それなのに、こうしてベッドから滑り落ちた先にある、寝床と呼ぶには心許ないカーペットで目を覚ますのは何故か。

 それは。

 

「……ぐぅ」

 

寝床を共にする同居人が、信じられないくらいに寝相が悪いから。

 

 

 

 

 手探りで探し当てて、手に取った眼鏡を掛ける……と、想定していたより度がキツくて少しふらつく。同居人の眼鏡だった。間違えて掛けてしまったそれを、所定の場所に戻してから、改めて自分の眼鏡を掛ける。

 ハッキリ言うと寝覚めは最悪だ。なんなら寝た時よりも疲れが溜まっている気さえする。昨日の俺は明日、つまり今日の課題を終えるために少しだけ夜更かしをしてから寝床についた。寝床についた時、その同居人はまだパソコンをカタカタやっていた。

 つまり、後から二人兼用のベッドに入って来てから、俺が巻き付けていた掛け布団を奪った上、ベッドから蹴り落としたということになる。許せない。

 

「……くぁ」

 

 と一つ欠伸をしてから、食パンを二切れトースターに放り込む。俺のは二分、双葉のは少し多めの二分半焦げ目をつけてから取り出して、バターをナイフでさっと塗る。自分のものより少しだけ焦げた双葉の食パンには、コーヒーシュガーを掛けてやる。

 それから、もう秋だと言うのにも関わらず、大胆に腹を出した同居人に声を掛ける。反応はない。今度は肩を少し揺すってみる。反応はない。

……ただのしかばねのようだ?

 

「……んんー?」

 

 あ、しかばねじゃなかった。モゾモゾと掛け布団と共に寝返りをうった数秒後、うっすらとその大きな瞳を少しだけ覗かせる。

 

「ぁに?」

「何、って? 朝だ、双葉。起きて」

「……ぅふぐふん」

「……あと五分?」

「んん」

「焼いたパン、冷めるよ?」

「んぁー」

 

 前もって焼かれていた食パンに対して不満の声をあげる双葉だったが、時すでに遅し、だ。

 シュガートーストは焼きたてを好む双葉には、この手に限る。

 のそのそとベッドから這い出て来て、俺が一度間違って掛けた眼鏡を手に取る双葉。今日はちゃんと自分の足で食卓の椅子に座るようだ。

 

「……食パン、焼きすぎ」

「……ん? あぁ」ぶすっとした顔の双葉を見て、彼女の感情を判断する。「ごめん、次からは焼く長さは二分二十秒にしてみる」

「替えて」

「え?」俺は言った。「俺のと?」

「ん」

「いいけど……」

 

 砂糖ついてないぞ、と俺が指摘する前に、双葉は二人の前にある二つの皿を取り換えた。

 俺は回ってきたシュガートーストを手に取って食べてみる。……案の定もの凄く甘い。もの凄く甘かったが、血糖値の上がらない朝にはちょうどいいのかもしれない――と、納得することにして、いつものより少しだけカリカリの食パンを処理していく。

 

「……甘くない」

「……」

 

 しかし。

 朝が弱いとはいえ、双葉の機嫌が今日は拍車をかけて悪い気がする。

 ……もしかして、アレか? アレの日なのか? だとしたらしょうがない。変に刺激するのは火に油を注ぐようなものだから、あまり話掛けないでこうか。

 と、苦渋の決断を行ったのにも関わらず、双葉は俺に絡んでくる。

 

「お砂糖取って」「うん」

「部屋寒い。なんとかして」「うん」エアコンのスイッチを入れる。

「…………………ねぇ」「うん……うん?」

 

 俺は顔をあげた。相槌または謝罪が使えない呼びかけに戸惑って、俺は双葉の顔を見た。

 朝起きた直後特有の、虚ろな表情はそこにはなかった。もう目は覚めきっているようだ。その代わりに、怒りかそれとも悲しみか、色んな感情がない交ぜになった表情で、情けない寝ぐせのついた俺を見ていた。

 

「私を……怒らないの?」

 

 双葉は俺に聞いた。双葉は……、

 どうしてそんなことを聞くんだ? 双葉は俺に怒って欲しいのか? だとしたらそれは何故? そもそも今日はどうしてそんなに機嫌が悪いんだ? どうして。

 どうして双葉は、そんな悲しい顔をしているんだ?

 俺は頭の中で溢れ出した問いに、どこから手を付ければいいか分からなくて、悩んでしまう。

 でも、なにか、言わないと。

 

「双葉、」「なんでもない」

 

 だから、何かまとまったことを聞く前に、双葉に機先を制されてた。

 

「ごめん、なんでもないから。……わ、忘れ、て」

 

 双葉は席を立つ。今どんな表情をしているのかはもう、長い前髪に隠れて見ることはできない。

 双葉は戸惑う俺を置いてけぼりにして、せかせかと服を着替え始めた。

 

「ちょ、ちょっと」俺も慌てて席を立つ。「急にどうしたんだよ、双葉」

「なんでも、ない」

「なんか、俺、やったか? だったら、謝らせて欲し……」

「っ、だから!」双葉は俺を見ずに、声を荒げた。「なんっ、……でも、ないって」

 

 言いながら、双葉は手早くお気に入りのジャケットに腕を通して、そのジャケットに財布を仕舞った後、そそくさと扉の方向に向かって行く。

 

「今日……夕飯、いらないから」

 

 そう言い残して、双葉はアパートを出て行ってしまった。

双葉に渡した食パンは、一つも口が付けられていなかった。

 

 

 

 

 

 三日前、奇跡的に身長が1cm伸びて、150cm代の仲間入りを果たしたとかで浮かれていたはずなのに、今日は打って変わって……だ。

でも。

 この秋の空模様のように移り気な双葉の心象に悩まされていてもしょうがない。今日は二コマ目から取っていた講義がある日だ。さっさと残された二枚の食パンを平らげて、大学へ向かう準備をしようか。

 食べて、講義に必要な教科書累々を鞄に詰め込んで。

 

「……う、く」

 

 なんとか胃から食パンだったものがせりあがって来そうな感覚を我慢しながら、アパートを出る。空気はすっかりと冷えていた。これから更に寒くなるという事実だけで寒気が……。

 大学の門を通ってから、数分歩いた先にある建物に入って、講義のある部屋まで向かい、真ん中より少し後ろ目の席に陣取る。案の定双葉の姿は見当たらない。そもそも講義に出なくても大体分かるとかなんとかで、双葉が出席数が単位に響かない講義に姿を見せることは稀だ。

 

「あ、あのっ」

 

 趣味がプログラミングなのも考えもので……うん?

 

「先輩」

「うん? ……あ、」

 

 振り向くと、赤い長い髪をポニーテールで纏めた、なんだか見覚えのある顔がこちらを覗いている。

 たしか名前は、よし――、

 

「昨日は、その、ありがとうございました」

「ああ」俺は言葉を選ぶ時間を掛けずに言った。「昨日財布を落として、路頭に迷っていた子」

 

 昨日、大学の講義を終えて、双葉の待つアパートに帰ろうとしていた頃。

 同じ場所をしきりに行ったり来たりしている学生を見かけた。

 おもむろに屈んだり、キョロキョロと視線を彷徨わせている様子から見るに、何かをこの近くで落としてしまったらしいと。

 そして、話しかけたのだった。

 

「もう警察には伝えた?」

「あ、や、まだでして……というか……」

「そっか」

「それで、その……返すお金のことなんですけど」

「ああ、うん」俺は頷いた。「全然、財布が見つかった時とか、いつでもいいから」

 

 そのキョロキョロしていた学生に声を掛けると、アパートに一度帰ってから初めて、いつも入れていた鞄のポケットの中に、財布が入っていないと気が付いたことを話してくれた。

 それから一緒になってその財布の捜索を続けたものの、一向に見つかる気配すら現れず、その学生のお腹から『ぐぎゅるる』と大きな音が出たのと同時に、捜索は中断された。

 

「それがですね……お恥ずかしい話なんですけど」

「?」

「鞄の別のポケットの中に入ってまして……財布」

「……お、おお」

 

 それから近くのファミレスに移動して、ひとしきり食べた。

 ひとしきり食べた……というか、ひとしきり食べているところをずっと見ていた。

 まさかあのお腹に、カルボナーラとナポリタンとペペロンチーノ一人前が、体積を増すことなく入るなんて。

 保存の法則が崩れた瞬間を目の当たりにしてしまった。

 

「それは……なんというか」俺は言葉を選んで言う。「不幸中の幸いだったね」

「いや……本当……すみませんデシタ……」

「ああ、話は戻るけど。……本当に返さなくてもいいんだよ?」

「いえ、それはダメです」彼女はキッパリと言った。「私、借りは返す主義なので」

 

 ああ、そういえば、ファミレスで食事を交わした時も確か、そのようなことを言っていた。

 それが二十年そこらを生きて来て培ってきた主義なのだとしたら、俺が口を出す権利もないだろう。

 なるほど。と俺は頷いておいた。

 

「そこで……その、もし先輩がよかったら、なんですけど……」

「?」

 

 一呼吸置いて、赤髪の彼女は言った。

 

「今日の夜って、ご予定ありますか?」

 




P5R発売日投稿ずさー
お久しぶりです。
あと2話続きます。
短い間になりますが、よろしくお願いいたします(_ _)

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