もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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5/15『One』

『私の好きなアニメの円盤が発売されている。どこかで買ってきてほしい』

『……ダメだ。店頭販売で付録が付くから、なるべくネットでは買いたくない。頼む』

『自分、で……?』

『それは無理な相談だ。頼む』

『難しい』

『やだ』

『……ありがとう。助かる』

『では』

 

 五月十五日。

 双葉とLINEを交換した翌日。

 双葉との距離をゆっくりと縮め、そっと歩み寄ろうと誓った俺の決意をかわすように、さっそく双葉から連絡が掛かった。

 ただ、肩透かしを食らったとか拍子抜けをしたというような気持ちはなく、双葉からアクティブに連絡をくれたという事実には、顔の頬を緩めざるを得なかった。今まで扉越しに会話をしていた甲斐があったな、とモルガナと言い合って、ひっそりとガッツポーズをした。

 それに加えて、双葉にとっては大事であろう頼み事。LINEを交換した数日は『今日はいい天気だ』とか、『元気?』みたいに控えめなやり取りと交わすことに終止するのが定石だと言う。しかし、そんなこまごましい過程をすっとばしての頼み事。

 これはきっと、双葉が俺に対してはもう、無用な言葉は交わすまいと、かすかに信頼してくれている証拠に違いない。

 だから、余計な詮索はせずに、ただそのリクエストに応えてあげるというのが最適解なのではないだろうか。何も不必要なことは言わずに、任務を遂行することが、俺に課せられた使命なのである。

 それはただのパシリなんじゃねーのか、というモルガナの突っ込みには無視をきめて、俺は秋葉原を目指して今、電車に揺れていた。

 田園都市線を使って渋谷を過ぎ、表参道で東京メトロ銀座線に乗り換える。神田まで、本で暇をつぶした後、最後は山手線。都会特有の入り組んだ路線の構造は、やはりどこかメメントスを彷彿とさせる。

 

「まあなー」

 

 鞄の中でゴソゴソと動くモルガナ。視界が狭い鞄の中では、平衡感覚を掴むことが難しらしく、いつも登下校の帰りは気分を悪くしていたけれど。

 最近はもう慣れたらしく、俺の教科書が吐しゃ物色に染まる心配をせずに済んでいる。

 

「やっぱり慣れって大事だな。お前も、もう東京の生活には慣れてきたんじゃないのか? 怪盗の方も、リーダーとして肝が据わってきたようにも思える。ワガハイが見込んだだけはあるな」

 

 それは見込み違いだ……というより、皆それぞれペルソナを持っているのだから、肝が据わっていない人なんていないと思うけど。

 そんな益体の無い雑談をしていると、電光板に『秋葉原』の文字が浮かび上がった。どうやら、そろそろ着くようだ。

 ともかく。

 俺は、モルガナを連れて秋葉原に来ていた。目的は勿論、双葉から頼まれた買うため。東京にはTSUTAYAなりなんなり、アニメのDVDを取り扱っているお店は沢山あると思うけれど、ここにあるのは確実だろう。それに、双葉の趣味に一度触れておくというのも、大切な気がしたから。

 それに……他の目的も、ないわけではなかった。

 

 

 

 

 無事お目当ての物を買い、その後少し辺りを散策し、駅まで戻った。メイド喫茶やたいへん露出度の高いアレ等を取り扱った店にも立ち寄ったけれど、俺とモルガナは終止圧倒されるばかりで、特筆すべきものはなかったので割愛する。しかし、メイド喫茶のオムライスの値段は、流石に高すぎるのではと思った。

 お腹がいっぱいになるまでサブカルを堪能した俺達は、そのまま行きとは逆の電車に乗って、そして神田で……降りる。

 しばらく歩いた後、俺たちはある教会の前で足を止めた。とんがり屋根の頂上に十字架、白を基調とした外壁に左右対称な窓の位置……と、何の変哲もないそれだ。

 DVDを鞄に入れてしまったために、そこから出ざるを得なかったモルガナと目を合わせながら、俺は昨日の会話を思い出していた。

 

『棋士か……いいじゃねえか。ワガハイ達はチームだから、戦略を学ぶにはうってつけの相手だぜ!』

 

 モルガナを足にいさせながら懸垂をする謎の体操を終えて、ベッドに横になりながら、双葉から聞いた有名な棋士の話をしていると、そんな返事が返ってきた。

 東郷一二三から学ぶことがたくさんあるんじゃないのか。だから、噂の通り神田へ行けば会えるかもしれないぜ、と。

 確かにその場の戦局をきちんと理解して、咄嗟に良い戦略を練れるスキルを身に付けることは大事なことだろう。血迷って竜司の猪突猛進な案を採用してしまっては、いつ失敗してしまうか分かったものではないし。

 しかし、モルガナはそう簡単に言うが……単純な話、知りもしない俺に将棋を教えてくれるなんて普通ありうるのだろうか。ネットで聞けば、彼女は女流棋士の範疇を超えた美貌の持ち主らしく、ファンやアンチも掃いて捨てる程いるようだ。そんな彼女が見ず知らずの学生を懇意にしてくれるとは、あまり思えないが。

 

「くっくっくっ……それについては大丈夫だぜ」

 

 なんだと……まさか、何か秘策があるというのか。

 

「毎日銭湯に通っているからな……今のワガハイ達に、死角はないぜ」

 

 ……期待して損した。

 ともかく。

 そんなこと、今気にしてもしょうがない、か……噂の教会に彼女がいるかどうかも、まだ確かめていないわけだし。それに、その噂が本当だったとしても、そこまで噂されているというのなら、東郷がいつまでも教会にいるというのも忍びない話だろう。きっと、場所を替えているに違いない。

 いないことをモルガナに言って、さっさと帰ってしまおうと意気込む。そして、その教会の扉をあけた。

 ……。

 やはりシンメトリーな配置になっている椅子に、人がまばらに座っているのが見えた。各々俯くなり、ただ座っているなりして、この教会の一部になっているような錯覚を覚える。

 そんな景色を見ながら、前へ前へと進んでいく内に、俺ははたと、ある事に気付いた。

そもそも俺は、東郷一二三の顔を見たことがなかったのだ。

彼女の情報は殆ど双葉の口から得ていたから……ネットで確認することを、すっかり忘れてしまっていた。

しかし、そんな間抜けな心配は、椅子の上に()()()を乗せていた彼女を見つけたことで雲散霧消した。

 サラッとした黒髪のロングヘアーに、金色のおもりがついた、花柄の装飾品を髪に留めている。

 

「あれがハンドスピナーってやつか?」

 

 違う。確かに似てはいるけれど、あれはどう見たって花柄だろう。

 ともかく。

 目の辺りは、俯いている彼女の前髪でうかがい知ることはできないけれど……いかにも大和撫子といった風情だ。

 ……。

 ……絶対、この人だよな……。

 危機管理というか……分かりやすすぎる。

 一方で彼女は将棋に集中しきっているらしく、俺が前に立っていても表情一つ崩すことなく、盤面をじっと見つめている。そのまま何も言わずに帰ることもできそうだが……モルガナが彼女を見て、目を光らせてしまっている以上難しい話のようだった。

 よし……、と気合を入れなおして、改めて東郷一二三らしき人物を見る。

 やはり右手を顎に当てたまま、一向に動く気配がない。そんな沈思黙考を絵に描いたような表情は、間違いなく美形の内にはいるだろう。『美人過ぎる女子高生』とかいうお触書きは、なるほど確かにそのようだった。これでは、相当の数のファンがいるに違いない。

 ……ということは、やっぱりこの教会に押しかけに来る人も多いだろうから……嫌な顔をされて、軽くあしらわれてしまいそうだ。そもそも、今将棋に打ち込んでいるのだから、もし話しかけると迷惑なイメージを持たれてしまうかもしれないじゃないか。それなら、まだ待っておいた方が……。

 

「だーっ! もう早く行けよ! なんでそこで優柔不断になんだよ!」

 

 いや、少し待って欲しい。俺は機が熟す瞬間を待っているんだ。そこまで焦らなくても、機はあちらからやって来るはずだ。

 

「機が熟すもクソもあるか! いつまで待つつもりだよ、日が暮れちまう!」

「……ここは、動物の持ち込みは禁止なんですが」

 

 そこまで急く必要はないだろ……ん?

 誰だ、今の声。

 声がした方に目を向ける。すると、目の前にいた彼女は、今まで凝視していた将棋盤には目もくれずに、俺の鞄をついっとたしなめるように見ていた。

 

「……私の前に立たれているということは、何か、御用があるのでしょうか」

 

 落ち着き払った、芯のある声を投げかけて、彼女は厳しい表情のまま、俺に目線を移す。

 五月十五日、こうして、俺は東郷一二三と出会った。

 


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