もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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10/7『Last Surprise』

 身を隠せられるような、ちょうどいい遮蔽物もない。立場が優位になったり不利になったりするような、地形の起伏もない。平べったい砂漠の中で行われたのは、素直で愚直な力と力のぶつかり合いだった。

 

「ぐ……」

 

怒りに任せて放たれた攻撃は、凄まじいものだった。

あらかた全ての攻撃を避けて、チャージ直後のメガトンレイド。防御姿勢を取っていても、確実に相手に突き刺さる。

今や無抵抗にその場で倒れている始末だった。いつでもトドメを刺すことができる。破けた黒い服から確認できる傷はとても痛々しかった。

それでもなんとか立ち上がろうと地面に手をつく。が、数秒も経たずに力が入らなくなる。そして、完膚なきまでにボッコボコにされた相手を恨めしげに見つめている。

 

俺が。

 

「……まじか」

 

Aは思ったより強かった。無尽蔵にペルソナ「ロキ」を出し続けても、全く疲れた様子も見せずに、見たことがない大技を繰り出してきた。片や俺は、ハリティーの持つ小気功と、武見妙に土下座して割り引いてもらった「貼る中気功」で何とか誤魔化せている程度だ。

 

「仲間をずっと頼っていのが仇になったね。君一人じゃ、何にもできない。一人で今までやってきた僕には勝てる訳がない」

「……」

 

ぐうの音も出ない。モナやスカルの助けなしに、シャドウと相対したことだって記憶にない。そもそも俺一人ではAには勝つことができないことなんて、始めに一発Aから大技をお見舞いされた時から、分かりきっていることだった。

 

「……まだ、まだ」

 

それでも、勝敗が見えていても俺は、Aに背を向けることはできない。

 

「……はぁ」Aはため息をついた。「しつこいなぁ。君はもっと、クレバーな人だと思っていたんだけ、ど!」

 

Aは俺の脇腹を蹴った。俺は声を出すこともできないまま、強制的に体勢を変えさせられる。……腹から聞こえてきた鈍い音からして、多分一本、いや二本はやられたかもしれない。

無抵抗に干上がっているだけなのに、本気で蹴りを入れるなんてAもなかなかどうしてひどい奴だ。前言撤回、彼は全然いい奴なんかじゃない。

 

「俺の、は、ら……」

 

俺の腹は都合のいいサンドバッグなんかじゃない。と言ったつもりが、余りにも胸への衝撃が大きくて言葉に詰まる。上手に息を吸うことすらもできない。

 

「僕に勝てないことは分かってるはずなのに。なかなかどうして、諦めの悪い人だ」

「勝てる、とか、負けるとかじゃ、ないよ」

 

何とか、思っていることをAに伝える。吸うことのできる空気の量はまだ少ない。

 

「お前がしたことに、俺がただ、許せないだけだ」

「したことって……若葉さんを殺したことかい?」

「ああ」と俺は言った。「お前にとって、それは朝飯前のことだったのかもしれない。でも双葉にとっては、とても決定的なことだった。重くて辛い、悲しいことだった。お前のしたことは、若葉さんの人生を断っただけじゃない。……双葉の中の時間を止まらせることにも繋がってしまった」

 

双葉はまだ、あの時間の中に取り残されている。大切な母親を失った時間という名の亡霊に取り憑かれている。

そして双葉は、その亡霊を祓うよりも、自身に亡霊が憑いていることを忘れることを選んだ。

俺は、双葉が選んだその選択を間違いだとは思っていない。心の中の亡霊を祓うことは難しくて、もっと苦しいことだからだ。

だから俺は待つことにした。双葉が、過去と向き合えるような大人になるまで待つことを選んだ。

でも、時間切れはすぐそこに迫っていた。

 

「双葉のパレスを生んだ元凶は紛れもなくお前だ、A。それに、この問題は今も進行中だ。だから許せない。それにお前を見逃してパレスに向かったとしても、双葉に会わせる顔がない」

 

いや。

Aが全て悪いわけじゃないことは分かっている。拗れに拗れを重ねたような双葉の今の状況は、今の今まで見過ごしていた俺の責任でもある。

だから今言ったことは、半分本気で、半分当てつけだ。

理屈の上では、Aがしたことは一つのキッカケで過ぎない。でも理屈と理性だけで自分の感情をコントロールできるほど、俺は大人ではない。

 だから。

 俺はどれだけボロボロにされても、生きてる内は立ち上がることを選んだ。

 

「……ぐっ……」

 

 全身が痛い。でも、上半身より、足は思ったより動かせられる。手をつく。体を持ち上げる。両足が震えているのを、なんとか堪える。体を起こす。ふらつく頭を必死の思いで止める。胸が詰まる。脇腹の辺りがようやく、痛みを訴えてくる。痛い。痛いけど、足はまだ動かせる。

 

「だから」Aは言った。「双葉さんの所に行っても、意味はない。……もう、嫌われてしまったんだから。それとも何、君、もしかしてストーカー気質があるのかな?」

 

 やっぱりうるさいし、知らなかった。そんなこと、いくらでも謝ればいい。鼻水を垂らそうが、どんなに女々しい事を言おうが、俺は双葉を諦めるつもりはない。非の打ちどころがない土下座の角度や、至高の言い訳なんかを考えるのは後だ。

 

「……そう、か」

 

 Aの声はもう聞こえなくなっていた。それほど俺の集中力は研ぎ澄まされていた。その勢いのまま、詰みから逃れるための試行に没頭していく。

 

「それならもう……」

 

 双葉が待っている。双葉がパレスで待っている。なら俺は、助けないといけない。

 

「引導を渡してあげよう」

 

 だから俺は、考える。窮地を脱する方法を。考える。双葉が幸せになれる方法を。考える。一二三を思わず唸らせるような方法を。考える。幸せなハッピーエンドを迎えられる方法を。

 でも。

 右足に、力が入らなくなった。

 鼓膜が揺れる破裂音が耳に残っていた。

 Aが取り出した物の銃口から、煙が出ていた。

 俺はそのまま、前へ倒れる。

 はずだった。

 

 

 

「――見つけた」

 

 

 

 でも、倒れなかった。僕は誰かに抱きとめられていた。それはどこか頼りない、小さな身体だった。月の光に照らされる、オレンジ色の髪が見えた。

 

「遅くなった。やられたのはコイツか? 二秒で片、付けてやる」

 

 夜の砂漠に負けないくらいに冷え切った声で、その少女は。

 佐倉双葉は、そう言った。

 

「……!」

 

 勇ましさに満ちた彼女の目を見て、俺は絶句した。走馬灯だと思った。死期を悟った俺の頭が、「まあまあそれなりによくやったよ」とでも言うように、気を遣って過去の双葉の映像を流してくれているのだとさえ思った。

 でも、こんなに、自信に溢れる双葉の姿を、俺は見たことがなかった。

 

「本当に、双葉……なのか? どうやってここまで……?」

「一二三に連れられて来た」

 

 ほら、あっち。と言って、双葉が指し示した場所には、原型を想像できないほどにひしゃげたボティーを携えた車が文字通り横たわっていた。フロントは見事に大きな凹みを作っていて、所々に沢山の擦り傷が残っている。

 その中から、咳をしながら這い出てくる一二三の姿があった。マスクと頭の被り物を外して、最早忍び装束としての役割を果たせていない怪盗服を着た大和撫子。普段の奇麗に整っていた髪が乱れていることから鑑みれば、一二三は相当の壁と苦難を乗り越えて、ここにいることが伺えた。

 

「ピラミッドの、内部構造って、思ったよりも複雑だったんですね」

 

 言いながら、ボコボコになった自慢の愛車、兼自身のペルソナをさすって労わる一二三。

 

「B級ライセンスが取れる日も近そうです」

「……一二三、頂上で蹲ってた私を、あの車で迎えに来てくれた」

 

 まじか。

 え、車? 車で来た。一二三が、パレスの中をフルスロットルで、突っ切って来てくれた。

 

「あ……」

 

 俺は、Aと相対した時に見えた、砂塵のようなものを思い出した。ピラミッド、つまり双葉のパレスを目指しているように思えた、一筋の竜巻。

 あれは、一二三の車が巻き上げていた砂ぼこりだったのか。

 それと、俺のスマホに来ていた、一二三からの着信。結局出なかったのだけれど、あれは一二三がたった一人で行った推理を、俺とすり合わせるつもりの連絡だったのではないか。

 つまり。

 一二三は、又聞きの情報と自分の頭だけで。

 双葉がここにいることを割り出して、ここに来てくれて。

 Aと相対している俺を見て、戦闘ではなく、補助要員である一二三がAとの戦闘に参加しても焼け石に水だと判断し。

 真っ先に双葉のパレスへと向かったのか。

 

「一二三……できる」

 

 それはもう、できるとかできないとかの次元では語れないような気がした。

 結局のところ。

 俺はなんにもできなかった凡才で。

 双葉と一二三は、なんでもできる天才だったということだろう。

 

「平気なのか?」

「あ、う、うん。ダメか?」

「あ、いや、そうじゃなくて」と俺は言った。「パレスとか、ええと、色々……それに、その姿……」

 

 よく見ると、双葉は見たことのないスーツに身を包んでいた。首のてっぺんから手足の先まで覆っている、黒を基調とした服。腕の部分や下半身にはダボついた生地が使われているのとは対照的に、上半身には双葉らしい体のラインをありありと確認することができる――いや、今は子細に双葉の姿を鑑賞できる時間はない。

 けど、その服って。え。

 まさか。

 

「しかも、アタックフォルムだ」

「アタックフォルム」

 

 じゃあ、ディフェンスフォルムとかもあるのだろうか。

 でも、そうか。双葉は、もう。

 

「心配かけた」

「……そうか」

 

 俺は、その言葉に。

 

「そうか」

 

 どれほど救われただろう。

 

「そそんで、えー、あー、ちょっと、言いづらいんだけど……」

「?」

「今まで、その、ありがとな! 感謝しかないし、それに、私のことをずっと見守ってくれてたこと、今なら言われなくても分かる。……だから――」

 

 その時、何かが終わる気配があった。

 忘れられる訳がない。四月九日。あの日から、積み上げて、時には崩れ落ちそうになって、よくないものを溜め込んで、バラバラに散らしたりした結果、歪な形となってできたよくわからない何かが。

 一陣の風が吹いた。風が双葉の橙色の髪を揺らした。

 月明かりの下、大きな眼鏡を掛けて、パッチリとした睫毛を携えながら、不敵に笑ってみせた双葉の表情は、多分、いや絶対に、今後の人生で忘れることはないだろう。そう思った。

 その時、何かが終わる気配があった。

 そして、新しい何かが始まる、その瞬間だった。

 

「――今度は私が、カレシを守る番だ」

 


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