もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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『Misdirection』の続きです。


『Our Bad Ending』

 長い雨が降り続いている。

 

 依然とは比べ物にならないほどの、短い半年が過ぎた。俺は元の家に帰って来ていた。怪盗団との交流は、もうほとんどなかった。

 

 ただ一人、一二三だけが毎日、毎日電話を掛けてきてくれていた。明日から新しい女流棋戦が始まる話。母親とちゃんと和解した話。最近、神田の教会で鍛錬することが、少し寂しく思えるようになった話。以前より口数が少なくなった俺に、一二三は柄でもなく気丈に明るく話しかけてくれた。

 

 あの一件から、怪盗団という名がメディアに出てくることはなくなった。その理由が、リーダーの脱退だということを世間に知られたら、どれほど目を丸くされただろう。いや、そもそも既に、世間は怪盗団の名を覚えていないのかもしれない。知りたいと思わないかもしれない。今の俺と同じように、世間の人は皆、無気力で無力だった。

 

 あの一件から。俺は全てがどうでもよくなった。全てのものが無価値で、無意味なように思えて仕方がなくなった。だから俺は、ただ規則正しく学校に行って、規則正しく寝て過ごす生活を送った。何人もの友人があの手この手で俺を励まそうとしたが、数か月何も示さないでいたらようやく諦めてくれたようだった。いつも鞄の中に入っていた尊大な黒猫は、いつしかどこかに行ってしまっていた。

 

 どうでもいい。あの時まで彼女が何を考えていたのかなんて、明智が意味深な笑みを浮かべていた理由なんて、パレスがどうして消えていたのかなんて、なぜ彼女があの部屋で横たわっていたのかなんて、電話の目的なんて、一二三が考えた根拠のないただの憶測なんて、若葉さんの研究内容なんて、若葉さんを殺した犯人なんて、一二三が毎日電話を……そうだ。

 

 ただ、一二三だけが気がかりだった。どれだけそっけなく振舞っても、どれだけ無視を決め込んでも、一二三は俺に電話を掛け続けてくれた。そして、自分なりに楽しいお話を受話器越しから届けてくれた。もう、構わないでいいのに。もう、彼女が戻ってくることはないのに。もう、それがどれほど無意味なことだということは分かっているはずなのに。

 

 長い雨が降り続いている。その雨はまだ、止みそうにはない。

 

 

 

 長い雨が降り続いていました。

 

 彼は双葉さんを失ってから、すっかり元気をなくしてしまったようでした。私や真さんが計画して、彼を励まそうと何度も計画を企てましたが、すべて失敗に終わってしまいました。結局、彼の空いてしまった穴は誰にも埋められることはできないようでした。

 

 今彼を無理やり勇気づけることは、かえって元気をなくす結果になるだろう。彼が克服するには、よりもっと多くの時間を掛ける必要がある。怪盗団のみんなも、誰もがそう言いました。でも、私はそうは思いませんでした。そんな言葉を逃げ道にして、彼を諦めてはいけない。むしろ、彼に話しかけ続けなければ、きっと彼は戻ってこなくなるとさえ思いました。

 

 それに。彼は私の初恋の人だから。彼の笑顔を、もう一度見たいから。諦めたくない。諦めるのが、怖い。毎週、いや、毎日彼に電話を掛け続けなければ、きっと双葉さんは浮かばれない。だから今日も私は、彼に自分なりの楽しい話を届けるのです。

 

 ただ。結局彼に言うことができなかった、根拠のないただの推論。あれをもっと早く、思いつけていれば。……そう、ちょうど奥村さんの記者会見が始まった時に、その推論を導くことができたはずなのに。私が彼にその推論を言えてさえあれば、もっと違う結末になったはずなのに。それだけが、心残りでした。でも、やはりもう、双葉さんは帰っては来ない。

 

 長い雨が降り続いていました。その()()雨はまだ、止みそうにはありません。

 


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