もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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鬱展開注意。選んだ選択肢に従ってお読みください。
また、ネタバレ防止のため、書いてくださった感想は全て書き終わった後に返信させていただきたいなと考えています。


10/7『Misdirection』

>奥村やみんなが気になる。

 

 

 

 

 

 春や、みんなとの話し合いが終わり、電車でルブランまで戻ってくると、なぜかマスターが肩を落として座っていた。

 

「今日はもう、閉められたんですね」

 

 ドアノブに掛けられた板が、『CLOSE』と書かれていたことが気になり、俺は言った。

 

「ああ。ちょっとな」

 

 とマスターは言った。心ここにあらず、といった感じだ。

 そっとしておこう。そう思った俺は、奥まで行って階段を上った。元気がなさそうに見えた双葉が気になる。一段、二段と足を階段に乗せていると、

 

「双葉はいねぇよ」とマスターは言った。

「え?」

 

 双葉が、いない?

 

「ああ」とマスターは言った。「以前、双葉を俺が引き取る前に、住まわせていた奴がいてな。ああ、ほら、あれだよ。前、俺に金せびってた胡散臭いやつ。あいつだ」

 

 金せびってた胡散臭いやつ。俺は、少し前に奥村パレスから帰ってきたときに、マスターに言い寄っていた陽気な初老男性を思い出した。

 

「あいつがまた来た。双葉は二階にいたから、当然俺たちが気になって降りてきた。双葉に……ひでぇことをさせていたのに、あいつはなんとも思ってないように、双葉に話しかけた。それで……双葉は……」

 

 ちょっと、思い出しちまったらしい。とマスターは言った。

 

「あいつの顔と声を見るなり、双葉が頭を手で押さえて叫びだした。怖い、怖い、ごめんなさい……ってな。どれだけ双葉を呼んでも、あいつの声にも俺の声にも反応はしなかった。ただあいつが、あいつだけが双葉を見て笑ってたよ」

「それで、双葉は」

「突然、双葉が走って外に出てった。追いかけて扉を開けた頃には、双葉の姿はもうなかった。あいつは放っておいて、俺は家に帰って双葉を探した。でも、いなかった。玄関にも、居間にも、鍵が開いてた双葉の部屋にもいなかった。寿司屋にもいなかった。四茶の駅前にも、駅のホームにもいなかった」

 

 眩暈がした。階段を駆け上がった。でも、マスターがいない間に帰ってはいなかった。俺は鞄を床に置いて、階段を下りた。

 

「お前の元に行ってると思ってたんだが。そうか。ダメだったか。……でも、そのうち――」

 

 俺はマスターの話を最後まで聞かずに、ルブランを飛び出した。双葉が行った場所。逃げた場所。俺はかつて双葉と行ったところを思い出していた。

 でも一つ、気になることがあった。俺は駅に向かいかけていた足を強引に回して、方向転換を切ってルブランに戻ってきた。

 

「おじさんが、来たのは」と俺は言った。「何時ですか」

 

 マスターは、奥村の記者会見が始まった時刻の、ちょうど半時間前の時間を言った。俺は一つ頭を下げて、また夜の中を走りだした。

双葉が電話をくれたのは記者会見が始まった直後。おじさんが来て記憶を思い出したのだとしたら、あの意味深な電話にも納得がいく。しかしそれなら、記者会見が始まる前に電話が来てもいいはずだ。三十分後、思い直して電話を寄越したとも考えられるが、少し違和感が残る。歯車がかみ合っていない感覚があった。

今更後悔が胸に押し寄せてきた。双葉のスマホに電話を掛けながら、そんなしょうがない感情は胸に押しとどめた。

 

 

  何度も双葉に電話を掛けた。しかし双葉は電話に出なかった。

 一緒にコーラを飲んだコンビニのベンチに行った。富士の湯に行った。秋葉原に行った。しかし双葉はいなかった。

 終電の列車の中で、いつまで経っても返信が来ない双葉のLINEをぼうっと眺めていると、一二三から連絡が入ってきた。もしかしたら、同じ車両にまだ人がいたかもしれない。しかし俺は、そんな事も気にせずに通話ボタンを押していた。

 

「いたか?」

「……いえ」

 

 ほとんど事情を説明していないのに、一二三は二つ返事で神田の教会に向かってくれた。何も聞いてこない一二三の優しさが、ただただ温かかった。

 

「そうか」と俺は言った。「ごめん、ありがとう。また事情は説明するし、お礼も――」

「あの」

「?」

「私のことは、お気になさらないでください。それよりも今は、双葉さんのことが先決です」

「……そうだな、ありがとう」

 

 何度目か分からない、その感謝の言葉を俺は一二三に繰り返した。

 

「帰ってもう一度、四茶の辺りを調べてくる。もしかしたら家に、帰っているかもしれない」

「そうですね、その可能性が高いです」

「一二三もそう思うか?」

「はい」と一二三は言った。「……他のところを探し回った今だから、言えることですが」

「……うん」俺は頷いた。

 

 その言葉は、もし双葉が四茶にいなかった場合、一二三でもお手上げだということを意味しているような気がしてならなかった。

 

「それじゃ。おやすみ」

「はい。それでは――」

 

 一二三がそう言ったのを確認して、スマホを耳から離そうとした時だった。

 

「あの」

 

 と、とても小さな一二三の声がスマホから聞こえてきた。

 

「どうした?」

「……………………」

「なんだよ」

「……いえ、あの」と一二三は言った。「すみません。今、言うべき話じゃありませんでした。根拠のない、ただの憶測だったんです」

「なにを……」

「それでは。……しばらくはまだ、起きていますので」

 

一二三はそう言い残して、電話を切った。ポツンと一人、俺だけが電車の中に取り残された気分だった。ふと電光掲示板に目をやると、『もうすぐ 四軒茶屋』という字が浮かび上がっていた。

少し待って、俺は電車を降りた。気が付けば佐倉惣治郎宅の前にいた。

 マスターから借りた合いかぎを使い玄関に上がった。人の気配はなく、明かりもついていない。いるとしたら、自分自身の部屋だろう。

 ギッ、ギッ、ギッ……と足を出す度に鳴る階段の音にちょっとだけ寒気を覚えながら、微妙に冷えた木の感触を足で味わう余裕もないまま、二階につく。

 ドアノブを回した。鍵は閉まってなかった。

 

 

「双葉?」

 

 

 いた。電気もつけないまま、ベッドの上に横たわっていた。俺はホッとして、膝から崩れ落ちそうになった。

双葉からの応答はない。

 

「いや、その」と俺は言った。「ごめん。あの時ちょっと、色々あってさ。あんまり、双葉のことを考えられてなくて。本当にごめん」

 

 

 俺は、電車の中でずっと考えていた言い訳を双葉に話した。双葉からの応答はない。

 

 

「行けるよ、明日。行こう。絶対行こう。あ、ほら、探してるときに思ったんだけどさ、秋葉原って、あんまり双葉と一緒に行ったことがなかっただろ? だから案内してほしくって」

 

 

 俺はたまらず電気をつけた。でも、双葉は。

 もしかして、寝てる? 耳をすませて聞いてみたが、規則的な寝息は聞こえてこない。だとしたらまだ、双葉に拗ねられているということになる。

 

 

「いや、ほんとに、悪かったって。でもそこまで、拗ねなくてもいいだろう?」

 

 

 俺は双葉に近づいた。

近づいて、双葉の肩をゆすった。

びっくりするくらいに脱力していた双葉の体に、俺は驚いてしまった。耐えられなくなって、俺は双葉の体を揺らし続けた。そして、ついに俺は、

 

 

 

 ベッドに、血が染み付いていることに気付いた。

 

 

「え……ぁ……」

 

 

 後ずさる。何かが体に当たった拍子に、俺は尻餅をついた。双葉が大事にしていたパソコンが、けたたましい音を立てて床に落ちた。

 何が起きたのかは分からなかった。何が起こったのかさえ、分からなかった。

 

 

「さく、ら…………ふたば」

 

 

 けどたった一つだけ、分かることがある。

 

 

『候補が見つかりません』

 

 

 もう、何もかもが手遅れだった。何もかもが時間切れだった。

 

 何時間経っただろうか。俺は震える足で立ち上がり、双葉を仰向けに寝かせ、眼鏡を外して、

 

 奥村とよく似た表情を浮かべた双葉の目を、そっと閉じた。

 


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