もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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10/3『Eye』

「やるぞ! ゲーム!」

 

 双葉がここで暮らし始めたからと言って、特にこれといって変わったことはなかった。

 朝に双葉とマスターが作ってくれたご飯を頂く。昼食までの間、話したくなったら適当に喋りつつ、双葉は最適なアルゴリズムの導出、俺は図書室から借りてきた本を読む。昼に双葉とマスターが作ってくれた以下略。

 同棲という二文字から想像されるような、めくるめく桃色的展開なんてなかった。というか、マスターが下の階で目を光らせている以上、変えられるものも変えられない。一つ変わったことをあげるとするならば、一日の四分の一を過ごす場所が、ベッドからソファになったくらいのものだ。

 

 

「よし……なんとか動いたな」

 

 双葉が大きなカセットをゲーム機器に挿入すると、『豪血寺一味』という字がデカデカと書かれた画面が表示された。最近日本でも脚光を浴びつつある、対戦型の格闘ゲームだ。

 双葉はもっと、複雑で解像度が高い、最新型のゲームをしているイメージがあったから、わざわざレトロゲームを選んできたのは、かなり意外だった。

 

「ふっふーん」と双葉は言った。「分かってないなー。レトゲーの良さ、今日はその身に叩き込んでやる!」

 

 ふしゅー、と、荒い息を鼻から吐いて、双葉は一方のコントローラーを掴んだ。そして、チラチラと俺を見ながら、隣の椅子に座るよう目配せしてくる。俺も俺でゲームの快楽に溺れてしまいたかったが、しかし。

 

「双葉」

「ん?」双葉は首をかしげた。

「今日は、月曜日だ」

 

 学生は、学校に行かなくてはならない。

 

「あー……」と双葉は言った。「昨日、一昨日ってずっと遊びっぱなしだったから、すっかり忘れてた。まだ、夏休み気分が抜けてないか?」

 

 もう夏休みが明けて一ヶ月も経つぞ、とついつい言いたくなったが、双葉はここ最近ずっと夏休み気分を味わっているのに気づいたので、指摘するのはやめておいた。

 

「で、でもさ。一戦だけやんない? 一回だけなら電車間に合うかもだし、仮に遅れたとしても、そんなにダメージ入んないし」

 

 これ以上ない名案だとばかりに、双葉は大げさに頷いている。俺も同調して首を縦に振りたくなる、衝動をなんとか抑えた。双葉の遊びや行動にできるだけ付き合うのが当面の俺の目標であることは確かだが、甘やかしてばっかりなのもそれはそれで問題だろう。あと、俺はあまり遅刻くらいしてもいいという考えはもっていない。秀尽学園への登校初日で遅刻してしまったことには、ひとまず目を瞑っておくと幸せになれる。

 

「いや」と俺は言った。「今は、難しい。ゲームなら、いつでもできるだろう?」

 

 その後、双葉がしぶしぶ頷いて、そしてこの会話は終わるのだと俺は思っていた。日頃のやり取りと変わらない、たわいのない話だと思っていた。

 

「……学校の方が、大事?」

 

 けれど俺に向けられたのは肯定の言葉なんかじゃなく、双葉の怪訝そうな目だった。

 

「え?」

「私より?」

「そういう問題、じゃ」

 

 質問の意図を考えるより前に、俺は頭の中で適当な理由を探していた。

 

「ないよ。マスターはマスターだし、俺は学生だ。だから、マスターはルブランを経営しないといけないし、俺は学校に行かなくちゃならない義務がある」

「そ、そんなの」と双葉は言った。「高等教育は、別に義務なんかじゃ――」

「ああ、ああ。そうだな」

 

 双葉に変な理屈を捏ねくり回される前に、俺は機先を制して言った。

 

「でもさ、ええと、ほら、皆が心配するから。竜司は常習犯だから何とも思われないだろうけど、俺が『双葉とゲームをしてたら遅くなった』なんて、正直に言う訳にもいかないし」

 

 どこにでも踏み越えてはいけない境界がある。俺はまだ朝の冴えない頭で、ひとまず双葉を甘やかさない境界を、そこに引くことにした。

 

「だから、分かってくれ、双葉」

「うぅ……」

 

 いつしか双葉は、目に涙さえ浮かべていた。どうして双葉はそこまで心を乱しているのか。分からない。途端に罪悪感が芽生え始めてきた。でもここで許してしまっては元も子もない。でもでも、双葉を泣かせてしまうことだけは絶対にダメだ。

 

「じゃあ、約束」

「約束?」双葉は俺を見た。

「うん、約束」

 

と俺は言った。

 

「もうすぐ今、手を焼いていることは終わる」

 

 今週の金曜日に前倒しになった、奥村の記者会見の予定を俺は思い出した。

 

「終わったら双葉の好きなところに連れて行こう。家でゲームをしても、将棋をしてもなんでもいいから」

「うん……うん、分かった」

 

 ようやく双葉が顔を上げて笑顔を見せてくれた。

 

「約束」

「うん、約束」

 

俺は恥ずかしながらも指切りげんまんをして、それからルブランを出た。電車はギリギリ間に合う時間帯だ。急いで走らなくては。

 

「双葉の目、笑ってなかったぞ」

「……気のせいじゃないかな」

 

 鞄から聞こえてくる声を振り切るように、俺は四軒茶屋駅まで走り続けた。

 

 

 

 

 

「やあ」

 

 乗り換えの電車を待っていると、不意に後ろから声を掛けられた。

 

「ああ」

 

 俺は手を上げて、彼に気付いている意志を伝えた。

 

「奇遇だね、こんなところで会うなんて。今日はいつもと乗った電車が違ったのかな?」

「ああ、うん」

 

 言いながら、高校生探偵として知られている明智吾郎は、愛嬌のある笑みを浮かべた。笑顔の練習をしているのなら、そんな誰からも好かれそうな笑みにも納得がいく。でも、その屈託のない表情が天然ものなのだとしたら、彼は人に好かれるためだけに生まれて来たのだと誰かから言われても、頷かざるをえないだろう。

 

「いやぁ」明智は笑ったまま、俺に言った。「それにしても、最近は涼しくて過ごしやすくなってきたね。仕事柄、この黒い手袋はつけておくようにしているから、夏はあまり好きじゃないんだけど」

「ああ、うん」

「君はどう? 一年間ずっと、ある季節のまま時が止まったとしたら、どんな季節だったらいい?」

「え? あ、あー。えっと」

 

 淀みの無い、流れるような明智の話術に、俺は一瞬思考が遅れてしまった。それにしても、明智のようなコミュニケーション能力の高い人は、どうしてこんなに話題を出すことがうまいんだろう、と素朴に不思議に思う。彼からはもっと、学ぶべき部分がありそうだ。

 と、全く関係のないことを考えている間、回答を準備する時間が過ぎていった気の利いたことを思い付く暇もないまま、

 

「ああ、うん、どうかな。やっぱり、季節は沢山あった方が楽しいと思う」

 

 と、捻りもなにもない、残念な言葉が俺の口から絞り出されていた。ううん。

 

「うん、そうだね。あはは……やっぱり、君から学べることは多いよ」

 

 明智は神妙に頷きながら、俺の平凡なゴロを肯定してみせた。明智の性格からしたら、俺が何を喋ろうとも、頷いてくれていたのかもしれない。いい奴すぎる。明智のそんなたらし性によって、心を奪われた女性の数は計り知れない。

 

「あ、そうだ」突然思いついたように、明智は言った。「折角会ったことだし、聞いておこうかな。この前の問いに対する、答えをね」

「問い?」

「うん」と明智は言った。「君にとっての、正義とは何?」

「ああ」

 

 と俺は言った。俺は前にした明智との会話を思い出した。そういえば――、

 ――そんな質問を、前にもされたような気がする。

 

「ほとんど、受け売りに近いんだけど」

「うん、何?」

「……いや、やっぱりやめておく」

 

流石に、『守りたい人を、何がなんでも守り切ること』なんてそんな恥ずかしいこと、誰の前でも言えるはずがない。

 ……秋葉原で出会ったお姉さんは、今でも元気にやっているだろうか。

 

「なんだよ、つれないなぁ」明智は肩をすくめた。「結構、君とは親密になっていたと思ったんだけどな」

 

 苦笑いの明智に、俺は照れ笑いで返した。

 いや、けどまあ、そうか。

 

 明智と二人で喋ることは実際、あまり()()()()()()()()()ような気がする。

 

「ま、いいけど。聞いたのも、それなりに前のことだったしね」

 

 意外にも、明智はあっさりと引き下がってくれた。それは明智の踏み込まないキャラ故のことなのか、それとも単に興味がないだけなのかは分からなかった。

まだ電車が来るまで時間があった。もう一つくらい、話題を出すことができるだろうか。明智にリードされてばかりでは申し訳がない。何か話題を、ええと……そうだな。

 

「奥村」「え?」

 

 咄嗟に思いついた単語を口にした。そこからなんとかまとまった話題にしようと、頭で文章を考える。

 

「ええと、ほら、記者会見」と俺は言った。「前倒しで、今週の金曜になったらしいな」

「ああ、うん、そうだね」

 

 来週の月曜日に開かれる予定だった、オクムラフーズ社長、奥村邦和の記者会見。前々から開かれると予告されていたことだったが、最近、予定を四日早めたその日に行われるらしいということが、ニュースで流れていた。

 

「でも、よく知ってるね」

「まあな」

 

焦って変なことを言わないように、俺は努めて冷静を装って言う。

 

「やっぱり、見るのかい?」

「いや、ええと、どうだろう」と俺は言った。「遊ぶ約束……というか、予定があるから。行った先で見ることになるかもしれない」

「行った、先?」

 

 ここで明智は、まるで初めて俺の言うことに興味を持ったように、突っ込んで訊いてきた。あまり声高々とリークすることはないかもしれないが、変に隠したってしょうがないだろう。俺は握りこぶしを頭に乗せて、ネズミのマスコットの真似をしたつもりになる。

 

「あはは、ああ、なるほど」明智は笑ってくれた。「そりゃ随分と、楽しそうな予定だね」

 

 どうやら場を湿らせずにやり過ごせられたようだ。一難が去ったことに胸を撫でおろしていると、遂にお待ちかねの電車が来た。コミュ強と話をするのは確かに楽しいが、双葉や一二三と話しているときの軽く十倍はエネルギーを持っていかれる気がした。俺は別れの挨拶とばかりに手を上げて、そそくさとその電車に乗った。

 

「じゃあね」

「ああ、じゃあ」

 

 明智が視界から消えていく。すると、ゴソゴソと鞄の中から物音が聞こえてくる。

 

「アケチの目も、なんだか笑っていなかったぜ」

「……ダウト」

 

 これ以上、悩み事を増やさないで欲しい。だからそれもやっぱり、気のせいに違いないのだ。

 車内は相変わらず人でごった返している。その中で、椅子に座れていないことに何故かイライラしている自分に気付いた。

 

「……」

 

 なんとなく眉間を揉んでみる。そう言えば、イライラの原因の殆どは睡眠不足だと、どこかのエライ人が言っていた気がする。

 今日は早く寝よう……。

 




モチベーションが死んでいたので、気つけにとP5Dを購入しました。双葉かっこかわいい。だがしかし、一二三がいない。

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