「何か、この世が終わる時のような表情をしていらっしゃいますが」
「別に?」
神田。一二三がいつもいる教会。
なんとなくこの教会に行って、なんとなく一二三と将棋をしている風に見せかける。一二三は、対局をしている人の心の具合を読む、ある種の異能的な何かを持っているから、今日は努めて、定石通りに指すことを心掛けていた。
が。
「いいえ。嘘です」
「……」
見抜かれている。バッチリ、俺が今色々と不安定であることを、読み切られていた。まあ、正直なところ、騙し通せるとは思っていなかったが。
別に、弱っているところをまざまざと見せつけるために、ここに来た訳じゃない。
今、双葉が抱えていること。この問題に対して、何をどうすればいいのか、全く分からない。だから、その為の相談。俺は、数日前に貰った、『一二三相談カード』を早速切ろうとしていた。まあ、一二三の問題が解決していなくても、俺は一二三に助けを求めていたに違いない。
「それで、何でしょう」「え?」
「何か、私に聞いてほしいことが、あるんですよね」
「……」俺は、眼鏡をあげる仕草をした。「まだ、何も言ってないんだけど」
話が早くて助かる。と、小説お決まりの文句の一つを言おうかどうか迷ったが、やめておいた。
俺は、駒を打つ手を止めずに、俺が今持ちうる限りの情報を提示した。確か、すこし前までは指したまま話すことさえ辛かったんだっけ。そう思えば、着々と、俺も成長している気がした。まだ、一二三と双葉に、平手で勝った試しはないんだけど。
さて。
俺は、夏休みの時にマスターから聞いていた話や、夏祭りに聞いた話を、順に思い出した。
双葉が幼い頃、若葉さんという母親をなくしているということ。その死を、全て自分の所為にしていた……こと。しかし、あまりにも辛い経験だったからか、その記憶を今はなくしてしまっているらしいということ。記憶をなくしているということについては、8月21日、つまり若葉の命日に、双葉がいつも通り俺と話していたことから、ほぼ確定だといっていいだろう。
また、パレスが出現する条件は、悪いことを企んでいるかどうかではなく、認知が歪んでいるかどうかだということ。7月の下旬ごろ、アプリで確認してみると、双葉のパレスはなかったということ。
若葉さんが『認知訶学』という学問を専攻していたこと。若葉さんの死は、自殺をではなく、他殺かもしれないこと。その可能性を、双葉には告げていないこと。
そして最後に、双葉が過去と向き合うことを拒絶していること。
……。
ややこしい。ややこしすぎるが、一二三なら理解してくれるだろうと、変な安心感がある。
「ふむ……」一二三は、さして顔をしかめるでもなく、考える素振りを見せた。「これが、貴方の知り合いの知り合いが置かれている、状況ですか」
「そうだ」俺は即答した。「俺の、知り合いの知り合いの話だ」
因みに、ほぼ確実に、一二三はこのお話が、双葉であることを知られてしまっているだろう。そして、俺も、一二三に悟られていることはなんとなく分かっている。だから、この知り合いの知り合いの話……という下りに、あまり意味はない、と思う。
それでも、一二三が無理やり話を合わせてくれているのは、きっと、一二三が優しいからだ。
「異世界……彼女の名前に、メメントスの反応はあったのでしょうか?」
「ああ」俺は、双葉の部屋に行った時のことを思い出した。
一度、試したときには、アプリで双葉の名前を言っても反応はなかった。しかし今、現実や夢の中でさえうなされて、思い出しかけているならばヒットするんじゃないかと思い、もう一回、試してみたのだ。
そしたら、ヒットした。しかも、パレスだ。双葉パレスが、認知世界の惣治郎宅に存在していた。キーワードが『墓場』であることが分かるのも、そう時間は掛からなかった。
「話は変わりますが」「?」
「この話……皆には、伝えましたか?」
「……」
「……そうですか」
俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、一二三は目を閉じて、ゆっくりと頷いた。
それからしばらくの間、一二三はずっと目を閉じたまま考えていたようだ。一二三の頭の中で、どのような読みと想像が入り乱れていたのかは、俺が到底知りえるものではないだろう。そして、俺がどれだけイイ感じに年を取っても、今頃繰り広げられている思考の速度には到底追いつけないであろうことは、想像に難くなかった。
「……一番、手っ取り早い方法は」と一二三は顔をあげた。「やはり、双葉さんのパレスを攻略することでしょうね」
一二三は続けた。
「今すぐ、竜司……さんや、真さんにグループで連絡を入れて、集まって、認知世界へ侵入すること。その選択がどう転ぶのかは分かりませんが、今の状況に終止符を打つことができる」
ジ・エンドです。と一二三は言った。
「ですが、今の状況を続けるというのは……正直、疑問手だと思います。彼女は、放っておいてほしいと言っている。そして貴方も、あまり多くの人に伝えたくない。分かります。ですが、私達ができることは、彼女を改心させること……つまり、パレスを攻略することしか、方法がないのではないでしょうか。貴方一人でパレスを攻略するなんて、もってのほかですし。……私を含めたとしても、攻略なんてとてもできませんよ……」
一二三が言っていることは、どこまでも正しい気がした。きっと、俺達が結集すれば、双葉のパレスは攻略できる。パレスが果てしなく遠いのも、モナカーを使えばきっとたどり着けるだろう。そして、そこにいるはずのシャドウ双葉を倒せば、きっと。
「え、いや、まあ、はい。そうですね」と一二三が何故か、あちらこちらに視線を彷徨わせている。
「? どうした?」と俺は言った。
「えー、ええと、その……最近、私のペルソナが、進化? したんですけど」
「ええ?」
初耳だった。
「レベルがあがったんでしょうか」
「レベリングシステムだったのか、あれって」
「通信交換した覚えも、ありませんし……」
「ペルソナを?」
もっとなんか、こう、大切な切っ掛けが……あぁ、なるほど。あの時か。
いや、しかし、どうして今そんな話になったんだ? 俺は、モナカーの話しかしていないはずだったが……。
「ああ、そのことなんです」と一二三は言った。「サンゾウの姿は、触れられないシルエットだったのですが、どうやら新しいペルソナは、触れるし……乗ることもできるらしいん、です」
「なるほど」と俺は言った。
触れられることもできるし、乗ることもできるペルソナ。以前の俺だったら驚きのあまり卒倒していたかもしれないが、ヨハンナを持つ真が加入している今、驚くべき点はないだろう。
「それが」と一二三は言った。「どう見ても、車の形をしていて」
「ええ」と俺は言った。「まじか」
車の形をしたペルソナ。それは即ち、モナカーという便利なスキルを持つ、モルガナのリストラを意味する。なんてことはないが、それにしたって、最近のモルガナは肩身の狭い思いをしすぎな気がした。帰ったら、何か好きなものでも奢ってあげよう……。
「ああ、でも」と一二三は言った。「スポーツカーなので、ええと、定員は二人だけなので。その、モナさんの活躍が、減ることはないかと」
「なるほど」と俺は頷いた。
話が逸れすぎた。戻そう。
俺は、一二三に今の状況の説明をした。それを打破する解決策として、一二三は『双葉のパレスを攻略する』という、素直な案を提示してくれた。一見非の打ちどころがない、真っ当な意見だ。
でも。
「でも」「?」
「その選択が、本当に双葉にとって幸せなのだろうか」
「……」
俺は顔を上げる。一二三は、俺のことをじっと見ていた。「聞かせてください」と、一二三がその目で語っていた。
だから、俺は考える。今思っていることを言葉にしようと、考える。そして。
口を開けた。
「パレスは、きっと、春も加入した俺達なら、攻略することができる。双葉の幻聴や、幻覚だってきれいさっぱりなくなると思う」
俺は語る。
「でも、その時に必ず、双葉は過去と向き合わなくちゃならない。それが、どんなに辛くて、悲しい過去でも。……一二三は、過去の自分と向き合えたんだよな? ……『シャドウ一二三』という名の。俺も、昔やらかしてしまったことを、ちゃんとそれが正しいことだったんだと、ようやく最近思えるようになってきた」
俺は語る。
「双葉はまだ、向き合いたくないと言っていた。……まだ、一二三のように、強くない。そして、あの時俺が一二三に言ったように、双葉に言ってやれる勇気がない。双葉が、自分の心と二度と向き合ってくれなくなるかもしれないから。……酷い記憶を思い出して、双葉の心が、壊れてしまうかもしれないから」
「……っ、じゃあ」
一二三は、手をキュッと握っていた。
「どうする、つもりなんですか。このまま、双葉さんが苦しんでいるのを、黙って見ているんですか」
「そうだ」
「……!」
「俺達は、何もしない。双葉の過去に、何も一切干渉しない」
「それでは、意味がありません。双葉さんの――、」
「その代わり、双葉が忘れられるように、話して、沢山将棋をして、色んな所に連れて行く。認知世界や、怪盗団のことも、もう話さない」
「いや、ええと」一二三は首を振った。「はっきり言って、双葉さんの記憶力は化物です。……すぐに忘れられるとは思いません」
「でも、完璧じゃない。実際、俺と出会ってからしばらくの間は、全部忘れられていたように思う」
「ですが、状況の改善が見込まれません。現実逃避は、毒にはならないかもしれませんが……薬にもなりません」
「……」
俺は少し、黙ってしまった。
「……時間さえ稼げば、それでいい。心の準備ができるようになるまで、待てばいいだけだ。希望的観測だけど、その間に忘れてくれるかもしれない。……人は忘れるから、生きていられる……と、誰かが言っていた」
「私は、それでも双葉さんを救うことが、正しいと読みます」
「俺は、自分の正しさを双葉には押し付けたくない」
それきり、一二三は俺から目を逸らしてしまった。苦々しい表情を浮かべて、荒れに荒れた盤面を見つめていた。
「……やっぱり」と一二三は言った。「双葉さんの意思に関係なく、今すぐにでも、パレスを攻略して……改心させてあげたい」
「……意思に、関係なく?」確かめるように、俺は一二三を見た。
「はい」一二三は頷いた。「双葉さんは今、トラウマとは向き合わずに、忘れようとしているんですよね? 改心させることは即ち、双葉さんにできている腫れ物を直で触るようなものです。……もしかしたら、双葉さんに嫌われてしまうかもしれません」
「き、嫌られ……」
「しかし、嫌われることによる対価はあります」俺の反応を待たずに、一二三は続けた。「今、改心させてあげることは、対症療法でもなんでもない、根本的な解決です。そして手間が掛からない。嫌がられても、改心させた後なら、双葉さんが考え直してくれるはずです」
……。
双葉が、俺を袖にする覚悟で突撃する。まさに当たって砕ける、ハイリスクハイリターンの荒技だ。
「問題は、あなたに、それを行う勇気が――」
「ないよ」即答だった。「あるわけないだろ」
流石にここで、愛する人のためならどうたらこうたらと言って、一二三に格好をつけられるほど、俺は達観している人じゃない。
女々しい考えかもしれないが、それは……いや、女々しい以外にないか。
そして一つ、一二三の話を聞いて、分かったことがあった。
結局のところ。
俺はただ、怖いだけなのだ。
これ以上、双葉から拒絶されることが。
これ以上、双葉のつらい表情を見ることが。
怖くて、たまらない。
正しさがなんだ、押し付けるがなんだ。俺は、麻倉パレスで苦しむ一二三に、真実と向き合えと、あれほど話したじゃないか。
そんな彼女に口をつくなんて、余りにもおこがましい。
「……結局」気づいたことを、俺は、二文字で纏めることができた。「俺のエゴだということか」
「そうですね」頷いて、一二三は意外にあっさりと俺の言ったことを認めた。「でも一つ、勘違いしないでください」
「勘違い?」と俺は言った。
「人それぞれの指し方があります、ので。今私が挙げた一手は、貴方の棋風とは異なっています。……最善手ではないかもしれませんが、きっと貴方に相応しい手が……あるはず、なんですけど」
早口でまくし立てながら、一二三は額に皺を寄せた。将棋をしている時でさえ滅多に見せない、珍しい表情だった。
「……難しい。本当に、難しい」一二三はさらに、俺に聞こえるか聞こえないかくらいの声量で、一人呟いた。「将棋と人生、異なる点を一つ挙げるとするならば、持ち時間の明確さなんです。今、逼迫した状況にあるのか。それとも余裕があるのか。秒読みで、もっともらしい手を指し続けるしかないのか。じっと盤面を見てさえいれば、自ずといい手が思い浮かんでくるのか。手がかりがない以上、自身の第六感を信じて、行動に出るしかない」
だから、貴方の考えを、支持します。と、一二三は言った。
「残念ながら、私は貴方ほど、双葉さんのことは知りません。私より多くのことを知った上で、貴方がそうだと思うのなら。……私は否定することが、できません」
と一二三は苦笑した。
「一二三」と俺は言った。が、その先の感情を、言葉にすることはできなかった。
でも、一二三の笑顔を見て、憑き物が落ちた感覚がある。ただ俺は、一二三に俺が想っていることを認めてもらうために、ここまで足を運んだのかもしれなかった。
「ですが」
「?」
「将棋も人生も、どちらも状況を濁すための……対症療法なら、あります」
と言った一二三の頬が、心なしか朱に染まっている気がした。
それが決して勘違いではないことを、俺はかなり後になって知ることになる。