もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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9/28『Monologue』

『…前が―したんだ!』

 

 カレシといる間だけ、あの日のことを忘れることができた。

 幻聴も、いつの間にか聞こえなくなってた。

 だから、ずっとこのまま、忘れることができるんじゃないかって、思ってた。

 

『なんだ、…の目は!』

 

 コンディションは、最悪だ。

 あまり、十分に睡眠を取れない。頭を空っぽにして寝ようと思っているのに、どこからか、いつか聞いた、私を傷つける声が湧き出てくる。必死で目を閉じて、耳を塞いで、カレシのことだけを想って、そして、朝が来ている。最近は、そのループの中に私はいた。

 そのループから抜け出すための、条件式は分からない。けど、日に日に体調は悪くなってる。『ゲームのやりすぎだ』って言い訳してるけど、そろそろカレシも気付き始めてくる、気がする。

だって、私のカレシだからな! 彼女の体調の悪さを気付く程の甲斐性は、あってしかるべき! うん。

 

『貴方がこ…したのよ!』

 

 これが、また聞こえてくるようになったのは、異世界があることを知った時。で、スマホの画面から異世界の景色を見た時だ。

 流石に、全部までは思い出すことはなかったけど。

 私を苦しめている原因を、全然ハッキリじゃないけど、なんとなーく、ボンヤーリと、頭は思い出し始めてる。

 ま、なんでも覚えちゃうことの弊害的な? それを見せつけるために、図書館で見て覚えた棚の本の並び、今でも忘れらんないし。

 それと。

 そうじろうが、私が今いる部屋に住み始める前の話と、今に飾ってある写真立てを見せてくれないのと、中々カレーを作ってくれない理由を教えてくれないことが、その原因と繋がってることも。

 なんとなーく、分かり始めてる。

 

『―す気味わ…い……』

 

「う……うぅ……」

 

 頭が痛い。怖い。どれだけ頭を掻きむしっても、この声は消えてなくなってくれない。

 でも、カレシがいる。カレシを想う数だけ、カレシが傍にいる時間だけ、声が遠くなる、気がする。

 カレシが笑顔を投げかけてくれる度に。

 唇を合わせてくれる度に。

私を抱きしめる度に。

 私がニオイを嗅ぐ度に。

 温もりを肌で感じる度に。

 あの声を、あの記憶を、忘れたままでいられる。

 

『人ご…し!』

 

 だから、ずっと、このままで。

 今のままで。私が想う、カレシのままで。

 ……とかなんとか思っちゃうけど、大丈夫、いつか本気出す!

 

 

 

 

 

 

「双葉」

「なになにー?」

「何か、俺に隠してないか」

「ぶべらっ」

 

 と。

 別に、強いて何もしていないのに、双葉は殴られた時のような悲鳴を上げた後、口の中に含んでいたメロンソーダをぶちまけた。俺は慌てて、店の机に撒かれた緑色の液体を、紙ナプキンで拭く。……最近、紙ナプキンが有能に働いてくれているな。

 

「ゲッホ、ゴッホォエッ! なん……のはな、シゲェッホォ!」

 

 平和なこの世で発されたとは到底思えない、殺伐とした断末魔をあげ続ける双葉は、ブンブンと首を振りながら、俺の質問を否定している。どうやら、何にもないということらしい。

 閑話休題。

 『バック・トゥー・ザ・ニンジャ』。それが、今日俺たちが四茶の映画館で観た映画のタイトルだ。ここ現代日本で、『忍者なんているはずがない』と、国内外を問わず言われ続けている中、世を忍びながら生き続けている忍者の末裔が、ひょんなことから戦国時代へとタイムスリップしてしまう。織田信長、木下藤吉郎等の有名人と出会いながら、自らの動きを光速にまで近づけることで、自力で現代へと戻ろうとする、とんだやべーカルトムービーだ。

 ともかく、そんな映画の興奮覚めやまないまま、ルブランへと帰ってきた俺たちは、『バック・トゥー・ザ・ニンジャ』の感想を語り合っているのだった。

 

「あの映画、軽く50回は見てるけど、やっぱ音響は映画館じゃないとな。そう思うでしょ?」「ああ。それよりも、隠し……」

「え、ええ、SFはな、『いつか実現するかもしれない』夢物語……つまり、『希望』なんだよ! ……分かるか?」

「……」

 

 あくまで、隠していることは言わないつもりらしい。まあ、今聞く必要もない……か。映画について語っているところに、水を差すのも悪いし。

 俺は、双葉からの質問に「なんとなく」と返すと、双葉は「……ホントに?」と、疑わしい目でこっちを見てきた。あんまり信じてくれていない。

 

「でも、あれだなー」いつもより饒舌になった双葉は続けて言う。「過去に戻れたり、未来に行ったりするのって、なんか、ドキドキする」

「それは、まあ」

 

 分かる。小学生の時に、猫型ロボットが出てくるアニメを見て、未来や過去に想いを馳せるほどの情熱は、流石に今は持っていないけれど。

 

「胸が、高まる」

 

 頬杖をついて、何やら考える仕草を取っている双葉。心なしか、顔がニヤついている。

 いつか失うはずの情熱をずっと持ち続けられる人が、大成するのかもしれないな、と、今双葉を見てなんとなく思った。

 

「…んまー、流石に、体ごとは無理だと思うけど」

「うん?」

「電話を、昔の自分に掛けることなら、ワンチャン、ある?」

 

 双葉は首をかしげる。聞かれてももちろん分からないので、負けじと俺も首をかしげる。

 こうして首のかしげ合いが始まり、双葉の首の角度が直角になりつつある中で、埒が明かないからと、俺はなんとか質問を捻り出そうと頭を回す。もちろん、首をかしげたままで。

 

「音だけ、過去に送ることはできるのか?」

 

 音は実体のないものだ、と俺は思っている。だから、実体がある体を過去に送ることよりかは、難しい気がしたのだ。

 

「分かんない。でも、電気信号に変えればいんじゃね?」

「電気信号?」

「うん。……暇だったら、フーリエから説明する、けど」

「……フーリエ?」

 

 誰? と聞いてしまえば最後、双葉の口が止まらない予感があったので、俺は素直に「遠慮しておく」と言った。

 別の質問を考えよう。

 ……。

 

「もし、昔の自分に電話を掛けることができたら……いつの自分に、何を言いたい?」

 

 俺は、一歩踏み込む。

 カウンターの奥を覗いてみると、マスターは居眠りをしていた。寝たふりをしている可能性もあるかもしれないが、まあ、聞かれたところで、どうってことはないはずだ。

 

「……やっぱり」

「うん」

「給食で出てくる苺、ケチャップついてるから注意しろ……とか?」

「……」

 

 マジか。

 そんなに根に持っていたのか、それ……。

 食べ物の恨みは、いつまで経っても消えないらしい。気を付けよう。

 

「カレシは?」

「え?」

「何、電話したい?」

「うーん……」

 

 色々な選択肢が、頭をよぎった。昨日の自分に、ベッドの角に足の小指をぶつけないよう気を付けろ、とか。いつかの自分に、スキンヘッドの酔っ払いに絡まれている女性を助けたことは、間違いじゃない、とか。宝くじの当選番号とか。

 

「半年前の、自分に」

「んー」

「焼きそば、一人分多めに作っておいたほうがいい、とか」

「んへへ」

 

 双葉は全身を弛緩させて、笑った。あ、双葉の舌、メロンソーダで緑色になってる。

 

 

 

 とまあ、そんな感じで。

 双葉が若葉さんのことを覚えていないということが分かったり、本当に寝ていたらしいマスターが作ってくれたオムライスに舌鼓を打ったり、時間がゆったりと進んでいる気がする、と双葉に言うと、いきなり相対性理論の話を持ち掛けられたりした後、当然、俺は佐倉家まで双葉を送ることになった。

 玄関前で、双葉の「サラダバー」を聞いた後、来た道を引き返してルブランへと戻る。

扉を開けると、一人、常連さんがルブランに来てくれていた。マスターの目の前を通っても、俺には目もくれずに新聞とテレビのニュースを交互に見続けている。俺がすぐマスターの家から帰って来ると予想はしていたのかもしれないが、ルブランに来た人が、客である可能性を微塵も信じていないかのような立ち振る舞いだ。別にいいけど。まあ、俺自身も、ルブランに二人以上のお客さんが入っているところは、あまり見たことがない。

 大丈夫かな、色々と。と、俺が余計な心配をしていると、マスターは唐突に口を開いた。

 

「……あ」

「?」

「悪いが、これ、双葉んとこに持って行ってくれ。渡しそびれちまった」

 

 そう言って、頭を掻きながら比較的大きな紙袋を差し出した。何が入っているんだろう。

 俺は素直に頷いて、チラ、と紙袋を覗いてみる。マスターが咎める様子はない。

 ……。

 うみゃあ棒、お徳用……。

 懐かしいな。

 

「どうしても食いたいって、うるさくてな。頼むよ、な?」

 

 マスターは、コーヒーを飲んで一息ついているお客さんに視線を向けた。客がいるから、ここを動けない。だから、お前が持っていけ。マスターはそう言いたいようだ。

 双葉はもう外をほぼ不自由なく出られるようになったのだから、別にマスターが買ってくる必要はない。でも、買ってきてあるものはもうしょうがない。と俺はひとまず納得することにして、ルブランを出た。

いつもと変わらない、短いみちのりを歩く。段々と、日が短くなっている。そして、佐倉宅が近づくにつれて、自分の足取りが少しだけ、重くなっていることに気付いた。

 そう言えば、双葉も双葉で、さっき俺が見送った時も、あまり自分の家に帰りたがっていないように思えた。その理由が、今の俺にはなんとなく分かるような気がした。最近、双葉に元気がない理由も、ハワイの、ホテルの一幕のことも。

 俺の予想が、もし本当に正しかったら。そう思うと、足取りが重くなるのもしかたがない、気がした。

 すぐに着く。そして、マスターから借りている合鍵を鍵穴に差して中に入る。一応玄関から、ここにいるはずの人の名前を読んでみるが、案の定返事はない。双葉は、自分の部屋ではヘッドフォンを耳に当てがっていることが多い。俺は観念して、少し冷たくなってきた階段を昇った。

 

「……――っ」

 

 最初は、くぐもった声が聞こえて来た。押し殺しているのか。それとも、他の誰かに聞かれまいと抑えているのか。俺は不安になりながらも、歩みを進める。

 

「うっ……ぐぅう……」

 

 その声は。

 ハワイで聞いた、何かに怯えているような声で。

 半年前に聞いた、誰かの苦しそうな声で。

 俺は、無意識にその扉を開けていた。

 

「……! な、な……!」

 

 双葉が、椅子に座って蹲りながら、驚きで目を開いている。が、俺は気にも留めずに双葉に近づいた。

 

「……双葉」

「ど、ど、どうして……」

 

 そんなことは、どうだっていい。

 俺は、うみゃあ棒(お徳用)が入った紙袋を部屋に落として、双葉に話しかける。

 

「どうして、は、こっちの台詞だ。何があった?」

「……なんでもないよ」双葉は首を振った。「なんでもない」

 

 ルブランで聞いた時に続き、あくまで双葉は白を切るつもりのようだ。でも、流石にこの状況では見逃せるはずがない。その事は双葉自身がよく分かっているつもりなのに、母親に怒られたときの子供のように、口をキュッと結び、部屋の隅っこで体育館座りをしている。

 

「……そうか」

 

 それなら。双葉が教えてくれないのなら、アイツに教えて貰うしかない。俺はスマホをポケットから取り出して、黒と赤の、歪な模様のアイコンをタップして――、

 

「……っ! やめ――」

「佐倉双葉」

 

 ――音声を入力した。画面に、『ヒットしました。』という文字が表示される。

 ……前に調べたのは、確か夏休み手前だっただろうか。でもその時は、双葉の名前を入力しても、検索結果が出ることはなかった。

 その理由が、今なら分かる。双葉がすっかり、若葉さんや、過去に関する記憶を忘れていたから。でも今は違う。双葉は少しずつ、思い出し始めている。消滅したはずの認知の歪みが、また双葉の前に現れ始めているのだろう。

 

「どうして、何も言ってくれなかった。こんなに……しんどくなるまで、言ってくれなかったんだ。もう双葉は、思い出してるんだろう? 若――」

「やめて!」双葉は叫んだ。「……やめて。これ以上、何も言わないで。お願い」

「何を……」

「誰にも、思い出したくない過去はある。……誰にも、触れてほしくない、過去も、ある」

 

 それは、もっともらしい一般論だった。でも。

 

「そんなこと言ってられる場合じゃ、ないだろう? 双葉が何を思って、俺に何を隠しているのかは、ええと、俺はあまり賢くないから、分からないよ。でも、このままじゃ、ダメだってこと、は、誰にだって分かる」

「……嫌」双葉は、俺に視線を合わせてくれない。「嫌、なの」

「双葉も、もう分かっているはずだ。自分の過去と、向き合う必要が。……それで……」

 

 一つ、言いたいことはあったが、あくまで予想に過ぎなかったから、やめておいた。

 

「……とにかく。辛いかもしれないけど、ちょっと、頑張ってみよう? 大丈夫、俺だけじゃ頼りないかもだが、一二三や、皆がいる。全然、心配することは……」

「いや、って!」

 

 双葉は、目を閉じた。声色には、明らかに、拒絶の意志が感じられた。

 

「嫌って、言ってるじゃん。トラウマは、あるかもだけど、向き合うにも、時間が掛かる……でしょ? 強制するとか、マジ、やめて。私が、元気になるまで、待って。……正義を、押し付けないで」

「……っ」

 

 双葉の為を想って言っているんだ、とか。

 これ以上、待っていられない、とか。

 どうして拒絶するんだ、とか。

 いくらでも、双葉に言いたいことは思いついた。

 でも、それらの言葉から、双葉を傷つけること以上に、何か意味を見出すことができなかった。

 今、目の前にいるのが双葉以外の誰かだったら、そうか、と打ち切って、この場から立ち去っていたかもしれない。

 そんな女々しいことを言っているのが竜司だとしたら、みぞおちにお友達パンチを繰り出して、一発KOを狙っていたかもしれない。

 でも、俺は冷たく返すことも、何か敵対的な行動に出ることはどうしてもできなかった。だから俺は、ただ何も言わず、立ち尽くすことしかできない。

 

「……出てって」

 

 双葉の、突き放すような言葉に突き動かされるように、俺は部屋から出て、扉を閉じて。

 その場で、へたり込んでしまった。

 かさり、と音がなる。うみゃあ棒(お徳用)を、双葉に渡せていないことに、今更気付く。

 

「俺は」

 

 何をすべきなんだ? 今すぐパレスに行って、双葉の認知の歪みを取り除いてあげることか? トラウマを克服する準備ができるまで、待ってやることか? 何も言わずに、何も持ち出さずに、ただじっと見守ってあげることなのか?

 双葉に、何をしてあげられる? 双葉にとっての幸せってなんだ? 正義を押し付けるって、なんだ?

 

「……くそ」

 

 分からない。分からないことが多すぎる。人生の中で一番、頭の中がゴチャゴチャしている自信がある。自分が怒っているのか、悲しんでいるのかさえ分からない。

 佐倉宅を後にしながら、おもむろにうみゃあ棒(お徳用)をビニール袋の中から取って、包装や何やらを強引に開けて、口に放り込む。

 あんまりおいしくなかった。でも、サクサクと音が鳴っている時だけ、頭のゴチャゴチャを忘れることができた。


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