もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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9/10『Dependence』

「ひぇぇぇええぇええぇぇ」

 

 という、けたたましい緊急用避難サイレン、いや、双葉の叫び声で目が覚めた。

 顔を起こすと、俺の顔が型取られたベッドのシーツと、珍しく裸眼の姿で、驚きの表情を浮かべている双葉が目に入った。どうやら、彼女を寝かしつけた後、そのまま自分も寝落ちしてしまったようだ。

 ゆっくりと立って、無理な体勢で寝たことによる弊害か、凝りに凝った体をほぐすため、一人ラジオ体操を開始する。「おはよう」と俺が話しかけると、「お、おう」と、呆けた声が返ってきた。

 

「じゃなくて! ……な、なな、なんでいんの?」

 

 ……え? それは、双葉からLINEをもらったからで……。

 

「それは覚えてるけど……けど、来たことは、知らない」

「……え?」

 

 うーん。嘘を吐いているようには見えない。ということは普通に、ド忘れしているということなのか?

 まあ、その内思い出してくると思うけれど。寝る直前のことや、途中で起きたことのことは確かに、俺もあまり思い出せないことはある。しかしそれも時間の問題だ、ほら、段々と双葉の顔が赤くなってきて、「き、昨日のことは忘れろ! いいな?」と俺に話しかけて――、

 

「……うーん?」

 

 ――こない。

 

「本当に忘れたのか?」「うん、サッパリ」

「本当に?」「マジだ」

 

 双葉はやけに自信ありげに答える。記憶力には自信がある双葉がそういうのだから、多分そうなんだろう。双葉にとっては、あまり思い出したくない記憶だと思うし。

 ……と、簡単に片づけてしまっていいのか、これは。 ここでしてしまったこととか、その、なんというか、色んな意味で。

 

「ま、LINEで伝える手間が省けたから、よし。今日、午後から自由時間だな? ここに集合しよ?」

 

 と言って双葉は、手に持っているスマホの画面を押した。すると間もなく、俺のスマホに双葉からLINEが来たという連絡が入る。トーク欄に貼られたURLをタップすると、自分の現在地と共に、マーカーが入れられた地図が画面に表示された。そのマーカーは、近くのビーチを指し示しているようだ。

 流石の、双葉のスマホの使いこなしようには拍手を送るとして……何気なく今、『午後から自由時間だな』と言っていたけれど、どうして修学旅行の予定を双葉が知っているんだ? 自分たちが泊っているホテルの場所の特定されているのも不思議だし、相変わらず双葉の情報網の広さは計り知れない。双葉、恐ろしい子。

 ふと、枕の傍にあるデジタル時計を見ると、ホテルのロビーに集合するちょうど三十分前を指し示していた。それまでに部屋に戻って、簡単な朝食は済ませておきたい。……双葉は、何を食べるんだろう。

 

「もちろん、これ、だ……」

 

タメを作りながら双葉は、シャカシャカと音がなる、円柱状のブツをバッグから取り出した。ここに来ても、か……まあ、なんとなく予想はしていたが。マスターがちゃんとした食事を作ってくれていなければ、双葉の体はボロボロになっていたに違いないことは、想像に難くはない。

 部屋に戻ると俺は言って、双葉に背を向けて……俺は立ち止まり、振り返る。「ん?」と頭にハテナマークを浮かべながら、蓋をべりべりと剥がしている双葉。

 うん。一応、言っておこう。そのまま言わないというのも少し、不誠実な気がするし。

 俺は208号室に来てから寝るまでのあらましを、双葉に語った。もちろん、双葉が悪夢を見ていたことは、できる限り伏せながら。

 お話しが核心に迫ってくると、双葉は真っ赤な顔をして「マジか!」と言ったのと時を同じくして、ベリィ、という汚い音を立てながら、蓋と箱が完全に分離していた。湯切りの時、どうするつもりなんだろう、と、俺は他人事のように考える。

 露出したUFOに躊躇なく熱湯を流し込みながら、「私は聞いてない。だから……再戦を要求する!」と双葉は言ったが、「朝にするのは刺激が強すぎる」という理由でお断りをした。ぶいぶい言いながら頬を膨らます双葉を今度こそ背にして、俺は扉へと向かった。そのドアを閉めたとき、竜司の言う通り、俺は筋金入りのチキン野郎なのかもしれない、と思った。

 

 

 

「よ、ようカレシ、奇遇だな?」

 

 何の演出なのかは分からなかったが、双葉はさも『たまたまハワイで俺と出会った』風を装いながらベンチに腰かけていた。この手の殆どは聞いてもよく分からない理由が働いているのだけれど、双葉には尋常じゃない頭脳を持っているから、意外と侮ることはできない。

 とりあえずそのノリに従うことにして、おっ、と少し驚いた表情を見せながら、二人並べば少し余裕があるくらいのベンチ、つまり双葉の隣に座る。

 かなり長い間待ってくれていたのだろうか。だとしたら、クーラー慣れしている双葉にとって、この環境はさぞかし辛かっただろう。

 ……でも、あれ?

 

「暑い。ルブランに帰って、浴びるくらいオレンジジュース飲みたい」

 

 そう言っている割には、意外と汗、かいていないな。

 

そんな俺の疑問に、双葉は「ん?」と首を傾げると、「んあぁ」と変な声を出す。

 

「ずっとクーラー暮らしだったからなー。自分の身体、ついに汗を掻くことを忘れた、らしい」

 

 なるほど。汗の掻き方までは、流石に覚えていなかったということか。

 

「そゆこと! ……でも、おかしい。昔、給食で苺が出て来たとき、私の苺にケチャップを掛けて食べさせたクラスメイトの名前と顔と住所とそいつが取ってた国語のテストが赤点だったことは、ちゃんと覚えてるのに……」

「……」

 

 今日の朝食を思い出すようなノリで(UFOだが)、双葉は言う。……そっとしておこう。

 ……いや、本当にそっとしておくべきなのか、これは。

 

「……」

 

 俺は何気ない風を装って、双葉の目を盗み見る。いつもアンバランスな眼鏡を掛けているから忘れられがちだけれど、皆が想像しているよりかは少しだけつぶらな瞳が、水面に反射した光を更に反射してキラキラと光っている。刻一刻と変わる、瞳に映る景色はさながら万華鏡のようで……あれ、俺は今、何をしようとしてたんだっけ。双葉の瞳に見惚れている内に、忘れてしまった。

 

「ね」「ん?」

「なんかいい匂い、しない?」「んー……」

 

 言われてみれば、確かに。食欲をそそられるニンニクの匂いが、鼻孔を刺激した。そのニオイの出どころを探すべく首を回すと、ある一台のキッチンカーが目に止まった。側面にでかでかとエビのロゴマークが貼られていることから考えると、これは……ええっと、ガーリックシュリンプ……だったか? 真が広げていたハワイの雑誌に、そんな単語が載っていたような気がする

 

「……ぐぅ」

 

 双葉の腹の虫がなった、ように見せかける双葉自身の音真似が、実に正確な振動数と長さで口から繰り出される。そのクオリティの高さに免じて、二つ買ってあげようか……。

 

「食べるか?」と俺が聞くと、

「……うん。あんがと」と言い、顔が伏せられた。見えてはいないだろうが、その反応に俺は二回ほど頷いておいた。

 

 

 

 

 「オニーチャンタチ、ニホンジン?」と片言の日本語で話しかけてきた店主に、「あ、ああぁ、えと……ぅ」と双葉はコミュ難を、そして俺は持ち前のアドリブの弱さを余すことなく発揮した。怪盗団の話になり、日本で流行っているという旨のニュースを見たと言っては、皆がエビを好きになれるよう改心させておいて、と店主に頼まれた俺たちはただうんうんと頷いた。しかしその愛想笑いを好意的に受け取ってくれたのか、店主から、ガーリックシュリンプを大サービスされてしまった……。いくら日本人が多いとはいえど、ここはアメリカ。もちろんアメリカンサイズでの大盛りを受け取り、肝を冷やした俺だったが、

 

「ひょゆ(余裕)ー!」

 

 と、ガーリックシュリンプを頬張りつつ、「大丈夫か?」と声を掛ける俺に双葉はそう言った。ムチムチブクブクと大きくなっていく双葉の腹を、俺は黙って見ていることしかできなかった。

 そして食べ終わり、たわいのない話を繰り広げたり、止まったり同じ方向を見つめたり、驚異的な速さで双葉の腹の体積が小さくなっていく怪奇現象に、目を丸くしたりして。

 俺たちはビーチを眺めながら、二人で異国を楽しんだ……。

 

 

 

 海と空が、隣にいる彼女の髪の色に染まった頃。

 双葉の助力もあり、遂にガーリンクシュリンプを食べ終えた俺たちは、初めに座ったベンチに戻ってきていた。

 くぁ、と、一つ、双葉が大きな大きな欠伸をこぼす。不意に緩んだ涙腺から、眠気を告げる涙が零れ落ちる。

 

「うー」と、双葉は唸った。「眠い。飛行機でも一杯寝た。でも、ダメだった。ハイバネーションの時に起こされるのはやはり、キツイな」

 

 ハイバ……なんだって?

 

「ハイバネーション。冬眠とか、あとは……えっと、シャットダウンする前に、前買ったメモリからハードディスクに一時的に――」

 

 その後、少しの間パソコンについての蘊蓄を披露されたが、あまり理解した気にすらなれなかった。

 

「――で、えっと、私……寝て、中々起きないことが、結構ある」

 

 一二三と将棋をした時のこととか、つい数日前の時のことか、と俺が聞くと、双葉は「うん」と言い、頷いた。

 

「あれ、自分で起きることができない。だから……飛行機を予約していた当日に、そうじろうに無理矢理起こしてもらった。でもやっぱり、死ぬほど眠たかったから、そうじろうの車に乗って、そのまま飛行機に入って、寝た。それでも、眠気は覚めなかった。だから、カレシが来る前に寝ちゃったのも……そのせ、い」

 

 途中で喋ることすらも億劫になってきたのか、双葉は中途半端に口を開いたり閉じたりしながら、俺の肩に寄りかかる双葉。その肩から、さっきから強く胸を打っている鼓動の音を聞かれていないだろうかと、内心ハラハラする。

 

「私ね、今が一番幸せ」

 

 そんな焦りを他所に、双葉は言った。俺は体勢を崩さないように、細心の注意を払いながら双葉を見る。瞼はゆったりと閉じられていて、そこから夕焼け色の涙が溢れている。

 

「一二三がいる。私を見てくれる、怪盗団の皆がいる。そうじろうも笑ってくれる。で、やっぱり一番に、君がいる。君以外、他には何もいらないって、時々思う」

「それは……」

「うん、分かってる。それは、君が望んでいる答えじゃない。でも」

 

 そこで一つ、双葉は言葉を区切った。首を少し動かすようにはしたが、それはただ、俺に預けている自分の首の位置を、調整しただけのようだった。

 

「……でもね、時々考えることがある。例えば目が覚めたら、一二三が居なくなってる。例えば目が覚めたら、そうじろうが居なくなってる。そのことに私は、君の胸に飛び込んで泣いてる。小さい時から泣きまくって、それはもう本当にガッバガバになった涙腺を、これでもかってくらいに、緩ませてる」

「……」

 

 考えてもしょうがない話、だとは思った。明日に誰が死んでいて、誰が死から逃れられているかを一生懸命考えても、何か成果が得られる訳でもないから。だから無駄、だとは思わないけど、その思考に意味を見出すことは、難しい気がした。

 でもそのことは、あえて双葉には言わないでおいた。いくら賢いとはいっても、双葉はまだ人生をあまり経験したことのない、言うならば≪≪か弱い≫≫少女だ。ここは大目に見て、というより温かい目で見て、うんうんと頷いてあげるくらいの気概は、俺にもある。双葉の気持ちを尊重して、理解することもできた。

 

「けど、」

 

 けど、

 

「君が居なくなると……もう、ダメ、だと思う」

 

 その『ダメ』の中に、どんな意味が含まれているのか、俺は理解することはできなかった。

 

「だ、だから……えと、その、なんというか……ずっと一緒にいる必要はないけど、どっかに行かれるのは困るというか、なんというか、離れたくな……う、」

 

 ひとしきり口から溢れ続ける言葉を漏らした後、双葉は喉から絞り出したような、奇妙な声を上げた。何をする訳でもないはずなのに、手が忙しなく動いている。

 

「私、今……結構ハズイこと、言った?」

「うん」俺は頷いた。「結構、恥ずかしいことを、言っていた」

 

 忙しなく動いていた手は、更にその激しさを増した。

 

「わ、忘れて」

「うん」俺は、さっきよりも大きく頷いた。「絶対、神に誓って決して、忘れる」

「ぐぬぬ……カレシ、もしかして、反抗期? これ、渡したくなくなった」

 

 ニヤついている俺の口元に気づいたのか、双葉は睨むような目つきで俺を見る。俺も負けじと見返してやると、段々と双葉の目が鋭いものから丸くなり、そしてとうとう目線を逸らして、はぁ、とため息をついた。

 

「……こ、これ」

 

 おずおずと背中から取り出したのは、イルカの形の装飾が施された、ブレスレットだった。その目にはめられた石の、淡くも儚い青色が、どこか双葉を思わせる……。

 

「受け取って欲しい。……わ、私の気が、変わらない内にな!」

 

 変な言い回しにツッコみそうになりながらも、俺は素直にそれを受け取り、ありがとう、とお礼を言った。因みに俺は何も用意していない。まずい。帰りまでに、土産屋に寄れる機会は果たしてあるんだろうか。

 翌日のスケジュールに頭を悩ましていると、夕焼けの朱が紫に近づいているのを感じた。時計を確認しなくても、集合時間が近づいてきているのが分かった。……でも。

 

「……あ。もう、自由時間、終わる。……戻る?」

「……もう少しだけ」

「お、おう。じゃ、じゃあ……コンゴトモヨロシク」

 

 辺りが暗く、静かになっていくにつれて、人通りは少なくなった。寄り返す波だけが、時間が流れていることを教えてくれた。美しいハワイの夕暮れを、二人っきりで楽しんだ……。

 


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