もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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8/29『海と夏の終わり』

「双葉のこと、今日はよろしく頼む」

「はい」

 

 いつもは泰然自若として、カウンターの奥で客を待っているマスターだが、今日は誰から見ても分かるくらいにそわそわして落ち着きがない。そんなマスターを安心させるために、俺は本日三度目の同じ質問に対して、同じ相槌を打つ。

 

「変なヤロウに声かけられないよう、しっかり見といてくれよ」

「はい」

 

そして万が一、双葉の平和を脅かす輩が現れた場合は、実力行使に至るまでだ。

 

「あほ。余計なことすんな」

 

 ……あれ、ミスったな。

 

「……けど、まあ……」

 

 マスターの目が厳しいものになったかと思えば、弱弱しく閉じられる。

 

「これくらいで、ごちゃごちゃ言うわけにはいかねぇか。判子も勢いで押しちまったし……保険も、自分で払うとか言い出すもんな。そうか、もうあと1週間……か」

 

独り言のつもりなのかもしれないけれど、俺の耳にはバッチリ……ん? それにしても、なんの話なんだろう。 判子? 保険?

 

「あれ。なんだお前。双葉から聞いてないのか」

「……何を、ですか?」

 

と俺が聞くと、マスターは頭に当てていた手を下ろして、口を……。

 

「ね、ねえ! もう行っていいー?」

 

開きかけていたが、双葉の大きな声に止められる。

 

「え? あ、ああ、行っといで。気をつけてな」

 

と、マスターには珍しい、柔らかな笑みを双葉に見せた後、ルブランの中に入ってしまった。

 

……とまあ、気になることは少々あったけれど。

俺たちは電車に乗って、途中の大きな駅で皆と合流し、海が近づくにつれて人が増えていく車両内で、主に双葉が目を回しながらも、目的地にたどり着く。

 

「おー! こ、これが、うみ……」

 

真の予想通り、その海辺には多くの人が詰めかけていた。花火大会で培った経験が功を奏しているのか、人混みにもあまり双葉は物怖じしていない様子。

適当に砂浜をうろついて、更衣室から近いスペースを探した後、杏が持ってきてくれたパラソルや何やらをその場所に展開。身につけるべき衣服が女子よりも一つだけ少なくて済む俺たちは、早々更衣室から引き上げて来て、女子達を待った。

ちなみに竜司が買ってきてくれた水着は、竜司らしいと言えば竜司らしい、センスの尖ったものだったけれど、まあ文句は言えまい。

 俺はそんなダサダサ水着の模様の解釈に勤しんでいると、一番乗りで杏が元気に出てくる。

「おお!」とどこからともなく、特に竜司がいる方面から歓声が沸く。竜司は、何やらいやらしい手つきと目つきで杏をガン見しているから、きっと杏はそんな竜司を見て「竜司、ほんとキモい! と――、

 

「あははっ! 少しは見直した?」

 

 ――罵ってくるだろうな、と思っていたのだけれど。竜司も思わぬ杏の反応に動揺しているのか、棒付きアイスの棒の部分をただ噛み続けているだけだ。読モという仕事柄、こういった視線には慣れっこなのかもしれない。

 そんな二人の掛け合いを黙って見ている真も真で、白を基調とした水着に水色のショルダーバッグと、杏とは対照的に清楚さを前面に押し出したような風情となっている。杏ももちろん、イメージと違わぬ美麗さを解き放っていた。

 風情となっているし、解き放ってもいたが……杏や真に申し訳はないけれど、俺はついにくる()()瞬間を前にして硬直していた。女性陣が一致団結して選んだという(想像)双葉の水着のお披露目。壁の下からかろうじて見ることのできるサンダルの持ち主より、俺は緊張している自信があった。

 そして、ついにそのサンダルが動きを見せる。

 

「……」

 

 まず目に飛び込んできたのは、淡い色の苺の柄だった。

 黄色の布を下地としたフリフリの水着に、控えめではないが、しかし過剰なほどではない、ちょうど良い数の苺の柄が、一般的な水玉模様のように散りばめられている。胸の辺りまで伸びているオレンジ色の髪と、生地の黄色と苺の薄い赤色が、絶妙な釣り合いを取っている。

 あと両肩と腰の辺りにある装飾とか白い肌とか、とにかく手放しで喜びたい部分は沢山あったが……もう何も言うまい。この世の全ての「かわいさ」を百倍くらいに濃縮した結果、そんな姿となって顕現したのだと説明されても、俺は疑わないだろう。だから、何故か顔にグルグル巻きにされているタオルでさえ、かわいいという名の正義の前では、些事というものでしかなかった。

 

「……かわいいよ、双葉」

 

 だから俺は、率直な感想を述べる。正直、水着のお店で双葉の言葉を聞いてから、どう褒めたものかと色々台詞を練っていたのだけれど、、、そんな前準備も、練りに練った語彙の全てが無意味なように思えた。簡単に言うと、双葉の水着姿を見た衝撃によって、その記憶が消し飛んでしまっていたのだ。

 

「あ……う。ふん。でひょ?」

 

 双葉はその被り物をしたまま下を向く。恥ずかしがっているのを悟られないようにグルグル巻きにしているのかもしれない。もしそうだとしたら、俺もポーカーフェイスを貫けている自信がないから、そういった点ではウィンウィンの関係にある……のかもしれない。

 

「今日は、楽しもう」と俺が言うと、

「う……ふぃ!」

 

 と言って、双葉は背筋を伸ばして俺を見た……つもりなんだろう。しかしもちろん前が見えていないことによる弊害か、双葉は俺がいる方向とは90度異なる場所に、グーサインを決めている。そういったところもかわいいと思ってしまっているのだから、ちょっと今日、俺はかなりダメな人になっているじゃないのか。

 その責任をとりあえず暑さの所為にすることにして、俺は縛られているそのタオルを解く。そして現れた双葉の満面の笑みを見て、この海の思い出を掛け替えのないものにしようと、そう思った。

 

 

 

……と、2人して意気込んだのも束の間。

4人用のバナナボートに乗り、持参してきたUFOを食べて(熱湯をどうやって持ってきたのかは分からない)、ひとしきり皆とビーチバレーを楽しんだ双葉は、慣れない太陽と、そして慣れない運動によって見事にノックアウトを決められていた。

日焼け止めはしっかりと塗っていたから、翌日お肌の激痛に顔を歪める心配はなさそうだけれど、ベッドに突っ伏しながら「筋肉痛が、痛い」と言っている姿は、ありありと思い浮かべることができた。

まあ、体力がある内はちゃんと楽しめていたようだから、よしとしておこうか。

一方で、異世界やらメメントスやらで常日頃から汗を流している俺たちは、双葉がダウンした後もビーチバレーを続けている。新入りの一二三はまだ運動に慣れていない為か、双葉と一緒にパラソルの下で休んでいるようだ。祐介はあまり日の光を浴びたくないらしく、そしてあまりビーチバレーには興味がないようだったので、双葉がさらわれないための見張りを頼んである。

とは言え、俺も流石に休みたくなってきた。まだ遊び足りないらしい杏、真、竜司に断りを入れて、一度そこに戻ることにしようか。

途中で見かけたかき氷が売られてあるお店に立ち寄ってはみたが……ポケットの中には、2人分しか買えない量の小銭が。仕方ないので、俺は2人が好きそうな色をチョイスして、持っていくことにした。

杏が持ってきた派手目のパラソルが目に入る。シートの上には、当たり前だけれど、だらしなく腹を出してすやすやとご就寝中の双葉。その隣には、三角座りで、ややボーっとしながら海を見つめている一二三。

……あれ?

 

「祐介は?」

 

 俺は近づきながら、一二三に聞いてみる。

 

「……え? ああ、戻ってこられたのですね」半ば放心状態で視線を海に投げかけていた一二三は俺を確認して、言った。「祐介……さんは、『あの赤くて歪なフォルムは、、もしや!?』と言い残したのを最後に、どこかへ出かけてしまいました」

 

祐介め……。あと、赤くて歪なフォルムとは一体なんのことだろう。ちょっとだけ気になる。

 

「さぁ……?」一二三は首を傾げて、「大丈夫です。双葉さんは、私がお守りしていましたたから」

と言って、軽い笑みを見せた。それにつられるようにして、俺も笑う。

「そして、そちらは……ああ、そんな。ありがとうございます。では、私は……イチゴを頂いても、いいですか?」

 

俺は頷いて、左手に持っていた、苺のシロップが掛けられてあるかき氷を、一二三に渡す。正直、これは双葉の物だったんだけれど……。

 

「くー。くー……ぐこっ! ……くー……」

 

 ……まあ、気持ちよさそうに寝ているのを起こすのも、可哀そうか。そう俺は割り切ることにして、宇治抹茶と練乳が掛かったかき氷に口を付ける。素直においしい。

 

「……隣、いいか」「はい、構いません」

「どうして、海を見ていたんだ?」「……それは……」

 

 一二三は少しの間、考え込む姿勢を取る。言葉を選んでいるらしかった。

 

「……そうですね……。やはり、噛みしめていたんだと、思います。今まで、こういった経験をしたことが、なかったので……ええと、その、はい」

 

 と言って、一二三は頬を染めた。まるで恥ずかしがっているようで、実際恥ずかしいと思っているのかもしれないが、別にそんな感情を覚える必要は、無い気がする。

 

「……え? どうして、ですか?」

 

 ……それは、まあ、ここに来た皆の殆どが、友達と一緒に海に来た経験がないからなんだけど。

 

「……あ。なるほど」

 

 合点がいったらしい。

 竜司はひょっとしたらあるのかもしれない。でも、杏は中学生の時もあまり友達はいなかった、と鈴井さんは言っていた。真も祐介も双葉も、友達付き合いより、強く興味を惹かれるものがあった。そして一二三の場合は、それが将棋だっただけの話だろう。

元々は、世の中のあぶれ者が集まった連中なんだ、俺達は。

 

「皆さん、いい人ばかりです」「ああ」

「私には、もったいないくらいです」「……そうか?」

「はい。毎日が、その、幸せで……本当に、不安になってしまうくらい、幸せ、なんです」

 

 ……そんな、付き合ってから一ヶ月経ったあたりの双葉のようなことを、一二三が言うなんて。

 まあ、気持ちは分からないでもない。映画を見ている時、まだ上映途中なのに登場人物全員がハッピーな思いをしていたら、途端にこっちは不安になってくる……あの心境に、一二三は陥っているに違いない。

 でもここは映画の中でも異世界の中でもなんでもない、ただの現実だ。何の脈絡もなく人が幸せになっても構わないし、ご都合主義的な展開で何か恩恵が得られたとしても、誰かから批判を浴びせられるような心配もない。だから俺は、「諦めて、受け入れろ」としか、一二三に言う言葉は思いつかなかった。

 

「……ええ。そうなん……ですよね」

 

 しかし、一二三はそれでもなお何かが気掛かりなご様子。これはかなり重症なのかもしれない……早急に対処が必要だ。

 と、俺はそんな感じで適当に考えていたのだが。

 

「……ええ、考えすぎですよね。ごめんなさい。最近、将棋の調子も良くて……ええと、麻倉の一件から、公式戦、全勝しているんです」

「すごいじゃないか」

「ありがとうございます。でも……ああ、ダメですね。後ろ向きなことばかり言っていると、勘も鈍ります」

 

 かぶりを振った一二三は、無理やり話題を変えたくなったのだろう、すやすやと寝ている双葉を見た。

 

「双葉さんって……そう言えば、時々電池が切れたように眠るんでしたっけ」

 

 ああ、と言って俺は首肯する。一番記憶に新しいのは、双葉が一二三に初めて将棋で勝った時だろうか。

 でも、それが一体どうし……え。

 

「久しぶりの運動ですから、当然疲れたのでしょう。……そして最近、バイトをなさっているのだとLINEで窺っています」

 

 一二三の口から、淡々と何かを推論する材料となったものたちが、並べられていく。

 

「今回が、正しく()()なのではないかと……私の勘が、そう告げています」

「……まさか」

 

 と俺は言う。絶えず、じんわりと肌に浮かんでくるそれに、冷や汗が交じる。

 その汗を封じ込めようと、俺は半ばシャーベット状になったかき氷の中に、スプーンを入れる。

 

「…ところで、なんですけど」

 

と一二三は言うなり、持参している自身の鞄の中に手を入れる。そして板のようなものを、そこから引き抜いた、、って、え。

 

「もしかして……」

「はい。将棋盤です」

「ここまできて、将棋」

「いいえ。違います」一二三は神妙に首を振る。「だからこその将棋です。いつもとは違う環境、そして服装……新しい戦術が浮かんできそうな、予感。よければ、手合わせ願えます 」

 

と言って、極めて真剣な顔つきで俺に話しかける一二三。テキパキと駒の準備を進めている様子から、俺に「今日ぐらいは別にいいんじゃ……」と言う選択肢は残されていないようだ。

海。喧騒。砂浜。波の音。水着。美女……そして、将棋。

新しいジャンルの胎動に半ば戦慄に近い感情を覚えつつも、俺は駒に手を伸ばした。

 

「ぐぅ……まさか、紫外しぇんの猛威がこれほどとは……私、一生のふかく……」

 

 今度は一二三の予想通り、とうとう双葉が目覚めることはなかった。今はこうして寝言なのか素面の発言なのか微妙なラインの言葉をポツポツと喋りながら、帰りの電車に揺られている。様子を見る限り、完全復活するには二、三日は掛かるかもしれない。

 

「次の機会までに……筋トレ……すべき……腕立ては軽く五回………できるようになる」

 

 俺の肩に寄りかかりながら、涎が口から出そうで出ないギリギリのせめぎあいを繰り広げている双葉。俺はそんな彼女を鑑賞していたが、皆……特に竜司や杏からの奇異の視線に耐え切れなくなって、視線を窓の方に移す。

 太陽はもう見えない。辺りも少し暗い。時刻は午後六時を指している。まだまだ暑いけれど、しかし着実に短くなっている日を車窓から感じて、夏休み、ひいては夏がもうすぐ終わってしまうことを悟る。

 でも、それに代わるような何かが。それこそ今回の夏休みよりも刺激的な何かが始まろうとしている。そんな予感がしてならない。

それは、夏休みという楽しいイベントが終わってしまうことに対する悲しさを紛らわすために、自分の脳が勝手に拵えた虚構なのかもしれない。何かが終わるということは、別の何かが始まるということ。そんな現実非現実構わずにこすられ続けられている陳腐な言葉に頼ってしまっているのかもしれない。

でも、その予感が的中していたのだとしたら。

 

「ぐー……むにゃむにゃ……」

 

 その始まりにも、双葉が安心して寝られるような終わり方があることを、強く願った。

 


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