もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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日記7 8/21-8/26

8/21

 

午前:マスターから、若葉さんの話を聞いた。若葉さんが、『認知訶学』という分野の研究をしていたこと。その研究内容を、誰かが盗もうとしたかもしれないということ。そして、何より……あの時に感じたモヤモヤの理由は分からない。でも、それが分からないままではダメだと……そう感じた。――――と出会った。その時に、――の話をした。

 

午後:暑さと、そして夏の宿題という悪魔から逃れるために双葉の部屋へと行った。相変わらず、双葉の部屋はキンッキンに冷えていた。案の定というかなんというか、今日が若葉さんの命日であるということを、双葉は知らないようだった。今日は暑いから、この部屋で寝てもいいぞ、と双葉に誘われたが、さすがに断っておいた。

 

8/23

 

洸星コンビということで、祐介と一二三が、双葉に会いにルブランへと来てくれた。大方の予想通り、祐介と双葉はかなり相性が良さそうだった。いつも貧しさにあえいでいる祐介が、マスターに耳打ちで「カレーを食べさせていただけないだろうか」と提案していたが、マスター曰く材料を切らしていたらしく、オムライスを作ってくれた。

 

8/26

 

午前:祐介と竜司、そしてモルガナと共に、一二三がいる教会へ遊びに行った。祐介は予習を済ませてくれていたのか、既に将棋の指し方や囲いを覚えていたので早速一二三と指していた。一方で竜司は、目の前にいる一二三に鼻を伸ばし切っていたので、全然将棋に集中できていなかった。アプリで培った将棋のスキルも、本人の前ではあまり役に立たないらしい。

 

午後:午後は予定があるのでと、一二三に言われた俺たちは、徒歩で神保町まで行って、そこで祐介念願のカレーを食べた。実に美味しそうに頬張る祐介に、半ば引きながら笑った俺と竜司は、ここからどこに行こうかと、午後の予定を話し合った結果、渋谷か原宿で、新しい水着を買うことになった。祐介の食事代は俺が持つことになったが、まあ、この借りはメメントスの活躍で返してもらうことにしよう。祐介はお古の水着を使おうと言って、神保町で別れた。そして――

 

 都心辺りで路線を乗り継いだりしても、料金は余り変わらないから、無意識のうちにフットワークが軽くなっている気がする。というわけで、俺と竜司...とモルガナは渋谷を通過して、原宿まで水着を買い求めに来ている。

 知っての通り、原宿は都内有数のファッション街として有名な町だ。女物ならともかく、男物の水着を吟味して選ぶというのはなんだかやり過ぎな気もする。もし、ここには居ない祐介も含めた3人で海に行くのなら、近場にある適当な店で済ませてしまっても良かったのだが、今回……29日を予定している「海へ遊びに行くイベント」は、ファッションに関して相当の知識を備えているはずの杏も含めた7人での大移動だ。やり過ぎに越したことはないだろう。

 さっきから竜司は、原宿を練り歩くナイスバディなお姉さんに興味津々のようで、もはや今回の目的を既に忘れているように思われる。だから、ここは俺がちゃんと、目ぼしい店を見つけてしまおうか……と。

 一心不乱に目を動かし続けていると、オレンジ色の髪が目に入る。

 というか、三つ編みのカチューシャも、写真映えしそうな色の薄い髪も、モルガナがかつて「ハンドスピナーみてえだな」と評したヘアピンも一緒に目に入って来た。とんでもない量の情報が、俺の目を襲っている。

 

「……あ? なんだよ、いきなり立ち止まっ……うおっ!?」

 

 竜司も気付いたらしい。俺たちは2人して、額に汗を掻きながら立ち止まる。

 店先の大きな窓から鑑みるに、彼女たちは水着が売られている店に入っているようだ。何が目的なんだと言えば、まあ、俺たちも同じなんだろう。

 杏が先導するように前に出て、後に真と一二三が付いて行く形になっている。そして最後尾にいる双葉は、慣れない店に挙動不審になりながらも、この状況に耐えようと斜め掛け鞄を必死に掴んでいるようだ。

 

「どうする?」「はいるか?」

 

 俺に質問をする竜司とモルガナの声が被る。因みに、鞄の横ポケットの中には保冷剤が仕込まれてあるから、モルガナが暑さで苦しむ心配はない。

 ともかく。

 いくら気心の知れた仲間だとは言っても、「覗き」は流石に避けた方が……というより、普通に失礼だ。やめた方がいいだろう。こういったことがきっかけになって、ギスギスした関係になってしまう可能性だって大いにありえる。ここは怪盗団のリーダーとして、適切な判断をしなければ……。

 

「あ、あそこ、男用のも置いてるらしいぜ? 」

 

 ……え?

 

「悪い奴らに目がつけられないように、見張る必要もありそうだな……どうする、ジョーカー?」

「原宿でお姉さ……い、いや、水着を買う……本来の目的、忘れちゃいねぇだろ?」

 

 ……。

 悪い奴らって俺たちのことじゃないの、とか、本来の目的を忘れて居たのは竜司の方じゃないのか、とか、まあ色々言いたいことはあったが……それはともかくとして。

 

「……それなら」

「ん?」「お?」

「仕方ない……かな!」

 

 という訳で。

 俺たちは店へと入る。

 店内は程よい涼しさだった。試着をする人もいるだろうから、少し暖かめに調整してあるのかもしれない。

 

「いらっしゃいませー!」

 

 元気の良い店員の声が、店中に響き渡る。俺は咄嗟の判断で身を屈め、ついでに手で竜司の頭を押した。真が気にしているようだったが……どうやら、見つからずに済んだようだ。

 俺たちは、男物が掛けられてある棚の、一番彼女達に近い場所まで移動した後、サードアイを使って感覚を研ぎ澄ませる。パレス攻略で培ったスキルを無駄なく発揮するとしたら、間違いなく今この瞬間だろう。

 すると、俺の胸元と、鞄の中から鳴り続ける速い鼓動の音と共に、彼女達の声が聞こえてきた。

 

「ちょ……ちょっと双葉、大丈夫?」

「……よ、陽キャ率たっけぇ……あわわ、私、場違いすぎ……!?」

「大丈夫。私たちがついてる」

「……ま、真パイセン……あれ、ひふみんは?」

 と双葉が言ったと同時に、俺は目線を動かして一二三を探す。

 いた。黒白チェックの柄で、落ち着いた色合いの水着の前で立ち止まり、じっとそれを見つめている。

 

「どうしたの、一二三?」と、真が声を掛ける。

「……」

「ねえ……一二三ちゃん?」

「……」

「……ダメみたい。集中し切ってるようね。よほど、その水着が気に入ったのかしら」

「え。どうして集中したら、声が聞こえなくなるの?」

「うむ、よくあることだな」

「や、ないでしょ普通……」

 

 杏が適宜双葉に突っ込みを入れながら喋っていると、ややあって一二三がハッとした表情になり、彼女達の方を向いた。頰が心なしか、朱に染まっている。

 

「……ご、ごめんなさい。ちょっと、気になってしまって……」

「すごい集中っぷりだったね。もう決まった感じ?」

「はい。これにします」

「はやっ! えっと……冗談で聞いたつもりだったんだけど……」

 

杏は焦っているようだ。ということはつまり、杏は服を決めるのに、かなり迷うタイプなんだろう。

 

「思い切りがいいね」

「ええと……そうかもしれません。時には思い切りの良さも、大切ですから」

「杏、将棋、苦手そう」

「うう……分かってるし……」

 

 ふむ……。

 

「まあ……これは、しゃあねぇよな」

「だな。真も一二三も双葉も、頭の出来は一級品のようだからな。流石に、杏殿がかわいそうだぜ……」

「ああ……」

 

 成績がいまいち芳しくない二人組とモルガナが、杏に向けて同情の眼差しを向けた。

 

「でも……双葉、本当に大丈夫? しんどくなったら、言ってよ?」

「う、うん」双葉は素直に頷いた。「で、でも……今日は頑張らないと、いけない、から」

 双葉は気つけのつもりだろうか、自分の頬を両手で叩いて、「いひゃい」と言った。確かに痛そう。

 

「どうして」

「ん?」

「どうして……今日、頑張る必要が、あるんですか?」

「え、え……私、そんなこと、言った?」

「そうね。その口ぶりからすると、まるで何か大切な理由があるみたい」

「……あ。言われてみれば、確かに……」

 

 三人とも双葉を見る。複数の人に視線を投げかけられることに慣れていないからか、双葉はさらに挙動不審になって、目を泳がせている。

 その緊張が最高潮に達したとき、ついに双葉は肩を落とした。どうやら、観念したようだ。

 そして、双葉は言った。

 

「……から」

「え?」杏が聞き返す。

「……さ、最近……遊べてない、から。……バイトで。だ、だから、シャレオツな水着を着て、その、カレシをビックリさせたい! ……の。だから今日は、いつも遊べてない分まで、頑張る。そう決め、た」

 

 双葉が手をモジモジとさせている。さっきまで和気あいあいとしていた四人組の雰囲気に、静寂が満たされる。

 

「……か」

 

 と初めに言ったのは、おそらく一二三だったはずだ。

 

「「「「かわいい……」」」」

 

 その一言に押されるように、女子陣はそんな素朴な感想を言った……俺も含めて。

 

「よし。じゃあ、私も今日は張り切っちゃう!」

「ええ。ええ。やりましょう」

「できる限りのことは尽くすわ」

 

 結束が更に深まるのを見届けた後。

 俺は彼女たちに背を向けて、店の出口の方へと歩く。もう、ここに用はないだろう。

 

「え、ちょ、お前、どこ行く……ってか、なんでそんな菩薩みたいな顔してんだ?」

「今すぐ、双葉を抱きしめたくなる衝動を、必死でこらえている」

「なにそれ、キモ」

「……」

 

 そんな、ストレートに言わなくても。

 

 ――そして、水着選びは竜司のセンスに一任することになった。夏休みの終盤にまた、夏休みの楽しみが一つ増えてしまった。

 

8/28

 

夜、双葉が買ってきた手持ち花火を持って、マスターも呼び、三人で花火大会をした。少しだけ涼しくなってきた夜風を浴びながら、理由のない、なんとなくな哀愁に浸った。


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