もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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--/--『一二三の場合』

「ふうん……ここに、一二三さん……一二三ちゃんかしら? ……とにかく、彼女がいるのね」

 

 やや当時の色は失われてはいるようだが、それでも立派な趣のある教会を見上げて、そう呟く真。やはり教会を普段目にする機会はないようで、かなりまじまじとその外観を観察しているようだ。

 

「彼女……キリシタン、なのかな? ……あぁ、違うのね。ここにいる神父さんと、仲が良いんだ」

 

 俺が説明を加えると、真はなるほど、と言うように頷く。

 ここにいる牧師さんは、俺もお世話になった方だ。七月の下旬頃、麻倉に唆されて将棋を辞めると一二三が言い出したあの時。もし俺の帰り際に、彼から声を掛けられ、今の一二三が今までどうやって育ってきたのかを教えてくれなければ、きっと今のような状況にはなっていないだろう。一二三が芸能界で、多くの人に振り回されている姿を想像して、少し身震いがする。

 

「ああ、違う違う」

 

 え?

 

「プロテスタント系の聖職者は、確かに牧師さんって呼ばれてる。けど、ここの司祭はきっと、神父さんって言うのが正しいと思う」

 

 プロテスタント系じゃない……ということは、カトリック系だということか?

 いや、もし真の言うことが正しかったとしても、どうしてここがカトリック教会だということが分かったんだ?

 

「ほら、この教会って、かなり煌びやかでしょ? プロテスタントのものは、もうちょっと簡素な造りになってるんじゃないかな。多分だけど、中に絵画や、像が置かれてるはず」

 

 ……真の言う通りだった。真の見識の広さには、いつも舌を巻いてしまう。世界の物事すべてを知っているような錯覚さえ感じた。

 

「ううん、なんでもは知らない。知ってることだけよ」

「……」

 

 ……そうか。

 俺は敢えて真の台詞には突っ込まずに、教会の扉を開ける。視線の先には、確かに絵画が立てかけられてあった。俺は真に改めて感心しながら、一二三がいつも座っているはずの方へ目を向ける。

 いた。俺は後ろに向かって頷いて、一二三がいたことを知らせる。すると、真も同じく笑みを浮かべながら頷くや否や、俺と扉の間を縫って、一二三の所へ行ってしまった。やや遅れる形で、俺も彼女に続く。

 

「こんにちは」

「……あ、はい、こんにちは」

「一二三さん……って、呼べばいい? 一二三は……まだちょっと、慣れ慣れしいよね?」

「あ、あの……ええと……」

 

 開幕早々、真の激しい質問攻めで参っている様子の一二三。真は基本的に喋るペースは速い。それに関して言うならば、一二三は俺と同様、彼女の対極に位置している存在だ。だから、彼女同士でちゃんとしたコミュニケーションを取れるかどうか、少し心配している……しかし賢い真のことだ、ちゃんとその辺りは、しっかり把握してくれればいい……んだけど。

 

「……なんと呼んでいただいても、構いませんけど。私は……そうですね、新島先輩と呼べば、いいんでしょうか……?」

 

 と、俺が真と一二三について考えている間に、ようやく一二三が口を開いた。

 

「そう……? じゃあ、お言葉に甘えて、一二三でいいかな。あと……新島先輩はちょっと、堅苦しいかも。全然、真でいいよ」

 

 ううむ、俺や双葉の時でさえ「さん」付けなのだから、流石に一応目上の先輩である真を呼び捨てすることは、一二三にとっては難しいことなんじゃないのか……?

 チラリと一二三を見てみると、案の定困った顔をしていた。どう断ったらよいものかと、迷っている様子である。

 

「あ、全然遠慮なんかしなくていいからね。ほら、私達はもう――」

 

 仲間でしょう? と、真は言った。

 

「仲、間……」

 

 その言葉を聞くなり、一二三は少し目を見開いて、仲間、と途切れ途切れに呟く。ややあって、真の言ったことの意味にようやく気付いたのか、頬を朱に染めて、下を向いた。どこからどう見ても嬉しそうだ。その喜びを噛みしめるように、もう一度、いや二度、仲間の三文字を口の中で繰り返している……ように見える。

 一言で一二三を喜ばせる真さん、マジカッケー……と言ったところだろうか。

 

「ええと……では……」

「うん、真って呼ん――」

「新島……さんで」

「あ……うん」

 

 真はガクリと肩を落とした。一二三に名前で呼んでもらうまでの道のりは、まだまだこれからのようだ。

 

「新島……さん……そうよね、先輩だものね……」

 

 一人、年が一つ上であることの格差を痛感しながらも、

 

「気を取り直して……早速、今日のメインテーマに取り掛かりましょう。よろしくお願いします、一二三先生」

 

 文字通り気を取り直すように、ふう、と一息ついて、一二三に頭を下げる真。

 今日のメインテーマ……それは、真が一二三に将棋を教えて貰うこと。夏休みに入ったときに、ルブランで話をしていた計画が、本日ようやく進んだということだ。祐介も、あと竜司も彼女に教えて貰いたいそうだったが、とりあえずの先鋒として真が選ばれている。

 一二三は、その真の突然の所作に、少しだけ驚いている様子だったが、同様に頭を下げる。

 

「え……あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします。ええと……失礼かもしれませんが、新島さんは……ええと、将棋のルールは……」

「うん、心配しないで。一応頭に入ってる。定石の手順は流石に多すぎて覚えきれなかったけど、囲いは少しだけ齧ってるつもり」

「なるほど……分かりました。それなら、スムーズにお教えすることができそうです」

 

 嬉しそうにはにかむ一二三。しかし、ちょっとの間だけ、申し訳なさそうな目をして俺を見てきた。なんだろう。

 

「……あ、分かった」

 

 真はその状況の一部始終を見ていたのか、俺が推察するよりまえに声を漏らす。

 

「貴方が初めて来た時は、全然ルールを知らなかったのに……って、言いたいそうよ」

 

 ぐ……なるほど、そういうことか。

 でも一二三は優しいから、きっと「そんなことはありません」と訂正してくれるに違いない。そんな期待の眼差しを一二三に向けながら、僕は一二三を待った。

 

「え……? い、いや、そんなことは……ちょっとはあったような、気がします」

「ふふ……だそうよ」

 

 二人してにこやかな顔で見つめられる。取り付く島もなかった。

 真……まさか俺をダシにして、一二三との距離を近づけるとは。俺達の怪盗団の参謀役としては、流石の機転の利かせようだったが、ダシに使われた俺からしてみれば、とても複雑な気持ちになる。

 まあ、ろくにルールも知らずに飛び込んでいった俺が悪いんだけど。

 

「うん、じゃあ……改めて、気を取り直して――」

「――……。初心者でしたら、振り飛車が良いと思います」

「どうして?」

「居飛車は、相手それぞれの、種類の異なる振り飛車に対して異なる定石を踏まなければなりません。有体に言えば、覚えることが多い……ということに、なります。ですが、居飛車なら――」

「じゃあ、――」

「――四間飛車、でしょうか……」

「――」

「――……、――」

 

 こうして、一二三による真のための将棋勉強会が始まった。流石に一二三とよく将棋を指しているから、将棋の用語や語句が分からないことはなかった。しかし、専門分野のことを語っているから、いくら一二三とは言えど喋るのは速い。真は難なくついていけているようだけれど、俺はかなり話に付いていくので精一杯だ。

 一時間ほど経つと、真の携帯が鳴った。どうやら「お姉ちゃん」かららしい。席を外して、教会を出てしまえば、当然教会の中にいるのは俺と一二三だけになる。

 一二三を見る。将棋盤に目を落として、真と作り上げた盤面をよく観察していた。俺が彼女と会ったときと変わっていない、よく見る所作。

 しかし、当時から見せていた憂いを帯びた表情は、どこを探しても見当たらない。きっと、大事な何かが見つかったからだろう。

 俺は一二三に、嬉しそうだな、と言ってみる。

 

「……分かります?」

 

 分かります。

 

「……ふふ、そうですか。やはり、貴方には見破られてしまうようですね」

 

 勝負師として、これはいけません。と、一二三は微笑んで見せる。

 

「……やはり、私が、人に認められているからだと、読みます。それがたまらなく、嬉しい。他人に承認してもらう……いいえ、」

 

 仲間に。と、一二三は付け加える。

 

「貴方のお陰です。貴方がいなければ、きっと、この感情を知ることはできなかったでしょう……感謝しても、しきれません」

 

 一二三がまた笑う。俺は彼女の言葉に否定も肯定もせず、ただ笑って返した。

 ……。

 ……真が中々帰ってこない。

 かなり込み入った話のようだ――俺は何か話す話題はないかと、頭の中を探した。すると、昨日した双葉との会話を、思い出した。

 

「……? 正しいとは何か、ですか……」

 

 うん、と俺は頷く。高校生の何気ない会話にしては高尚な話題かもしれないが、いい時間つぶしにはなるだろう。

 

「そうですね……。では、」

 

 一二三は居住まいを正した。

 

「正しいこと……それは皆が正しいと思っていること。だと、私は思っていました。従って、その皆に従っていれば、正しい生き方ができるのだと……読んで、いたんです」

「しかしその結果、自身の身を破滅させるようなことに……なりかけました。ですので、この考え方は……改めなければ、ならないようです」

「しかし、かと言って一人で考えたものだけを信じることは難しい……誰にだって、過ちを犯すことは、ありますから。では、どうすればいいんだろう……と、私はハンゾウをこの身に宿してから、考えていました。ずっと……ずっと。ですが今日、何か見えたような気がします」

「用は、信じる人の問題なのではないのか……と。見ず知らずの、怪しい人についていくのではなく、貴方や、新島さん、そして双葉さん……という、私の掛け替えのない仲間を、信じる。間違えそうになったときは、貴方たちに直してもらう。そんな生き方を……私はしてみたい」

「大体、そんな感じでしょうか……あ、貴方から頂いた質問と、少しズレてますね。しかし……心の中を整理してみれば、これが私の結論……です」

 

 いかがでしょうか。と、上目遣いで俺を見た。なるほど。と、僕は返した。

 

「……どうしてそのようなことを、お聞きになったんです?」

 

 ……やはり、聞かれてしまうか。

 

「はい、聞かれてしまいます」

 

 正義について問われたこと。その問いに、満足に答えることができなかったこと――。少し記憶がおぼろげな部分はあったけれど、明智のことをかいつまんで話した。

 

「なるほど。……そうして、自分の中の正しさ、または正義について、聞いて回っている……と」

「大体、そんなところだ」

「ふむ……では、自分にとっての正義を……見つけることはできましたか?」

「……」

 

 いや、それが、全くと言って良いほど見つけることができそうになかった。

 双葉にとっての正義とは、独善的なもの。一二三にとっての正しさとは、信頼できる仲間を信じること。何一つ共通点がない。しかし、彼女達の言うことを聞いていると、どれも正しいように思えてしまった。あっちになびけば、こっちになびく。こんな調子では、明智に顔向けができない。

 

「……ふふ。ええ、そうですね。正義の定義とは、とても曖昧なもの……もちろん、一人一人、千差万別の解釈があるでしょう。だから……何かキッカケのようなものが、必要なのかもしれません」

 

 キッカケ?

 

「はい。私は自身のペルソナを通じて、正しさとはなんなのかを知るキッカケを得ることができました。……双葉さんも、やはり何かキッカケがあったのではないでしょうか」

 

 ……確かに。

 

「ですので……早急に結論を出す必要は、もしかしたらないかもしれません。……貴方にもきっと、私達が体験したような出来事が、必ず……待っている。……と、私は読みます」

 

 俺が、正義について考えなければならないような出来事。キッカケ。

 そんな想像もつかない体験が一体なんなのか、今の俺には知る由もない。でも、一二三がそうだと読んだのなら、きっと。

 焦っても仕方がない。気を長くして待っていよう。

 そろそろ帰ろうか……俺は一二三にお礼を言おうと席を立ったところで、何か忘れているような感覚に襲われた。

 

「新島さん……全然、帰ってきませんね」

 

 ……そういえば。

 


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