もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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8/11『双葉の場合』

 大量の雨が、屋根裏部屋の屋根に打ち付けられている。今はまだ天井から時折激しい音が鳴り響く程度に留まっているけれど、雨漏りが発生するのも時間の問題だろう。スマホのホーム画面から見る事のできる、四軒茶屋本日の降水確率は、見事に100%を叩き出していた。最近稀に見られるようになった、ゲリラ豪雨の到来だ。

 

「100%って言っても、めちゃくちゃ雨が降るってことを予測する指標じゃないけどなー。ただ、今現在の雲行きなら、必ず雨が降ってるはずだ、ってのを言ってるだけだった……と、思う」

 

 双葉が、やけに速い口調で俺に指摘した。俺がいつも寝ているベッドでうつ伏せになって、ノートパソコンを広げている。今の雨脚にも負けないくらいの密度で、キーボードの音が俺の耳にも届いてくる。

 そんなに指を打ち付けて、一体何をやっているのだろう……と気になり、中腰になりながら椅子をずらしてノートパソコンの画面を覗いてみる。def、return、print……英語の授業で見たことはあるけれど、一体何を示しているのかは全く見当のつかない文字の羅列が、双葉が操作しているパソコンの画面に映し出されていた。

 

「すげぇな……。これ、双葉が全部打ってるのか?」

 

 俺の膝に、器用に座っているモルガナが、一緒に画面を覗いて驚いた表情を浮かべている。俺が双葉といるときは、基本的に空気を読んで、どこかに出かけてくれているモルガナ。でも、今日は天気で外が危険だから、モルガナが雨の中外出をするつもりも、俺がモルガナに空気を読んでもらうつもりもなかった。

双葉が俺の視線に気づいたのか、

 

「んー? なんだ、カレシ、プログラミング……気になる? 気になっちゃう?」

 

 なおもその手を止めずに、そして顔をこちらに向ける。キーボードに目を向けないまま文字を打つブラインドタッチは、ある程度パソコンを触り慣れた人なら誰にもできるらしいが、ここまでくると、流石にそう多くはいないんじゃないかと思われた。俺が喋らずに将棋盤を凝視している間、会話を楽しもうとしてくる一二三を思い出す。

 

「ん、文字打つのと……あと、この手の言語に慣れてきたら、そこまで頭のリソースを割かなくてもよくなる、から」

 

 この手の言語?

 

「うん、プログラミング言語。今やってんのはパイソン。オブジェクト指向型ならジャバを齧っといた方が良さげだけど、やっぱ今の流れはパイソンだな! 人工知能も夢あるし、んで――」

 

 聞きなれない単語がポンポン飛び出してくる双葉のアツい説明を聞きながら、俺とモルガナは、お互い顔を見合わせる。バイソン……大型の野牛が一体どう人工知能と繋がるのかは全く見当が付かないけれど、双葉が今とても難しいことをやっているということは、ひしひしと伝わって来た。

 その……プログラミング言語を使って、今は何をしているんだ……と、俺は訊いてみる。

 

「今は……バイト、だな」

 

 バイト?

 

「うん。パイソンを扱いなれてない個人や企業に、コードと良いアルゴリズムを教える簡単なお仕事。私、メジエドとかもやってたから、結構有名なんだよ?」

「……ってことは、その年でプログラマーの仕事してんのかよ!?」

「そゆことー、だ、にゃんこ」

 

 高校一年生の年齢で、既に仕事に就く能力を備えている……今流行りの言葉で置き換えるなら、まさしくチート能力と言って差し支えないだろう。

 しかし、その双葉の驚異的な実力の裏には、膨大な数の努力と勉強量があるということも、忘れてはならない。一二三も、双葉にも……天才、秀才だともてはやされている姿の影には、何か大事なことを犠牲にして、コツコツと積み上げてきた基礎があるということ。俺が秀尽に転校し、様々な人と接してきた中で気づくことができた、大切なことの一つだ。

 ……かと言っておいそれと勉強する気にもなれず(これが凡人と秀才を分けているんだとも思う)、俺はおもむろにテレビを点ける。若い芸人が頑張ってロケをしているバラエティ番組、動物のオモシロ動画百連発と銘打っているテレビ番組、水素水を異様なテンションで推している通販番組……適当にモルガナとああだこうだ言いながらザッピングしていると、あるワイドショーが目に止まる。

 

『なるほど。この場にいる全員……ひいては、テレビの前にいる皆さんは、怪盗団を支持している……と。あはは、困っちゃうな。でしたらどうして、僕をここに呼んだんです?』

 

 笑い声が起きる。しかし、以前ほどの勢いはなかった。

 俺が、社会見学をしに行った……あの時と。

 

「……アケチか……」

 

 モルガナが、いつもよりかは少し低い声を出して、テレビ画面に映る明智吾郎を見つめている。モルガナもモルガナで、あいつに思うところがあるようだ。

 双葉がメジエドをやっつけた日以来、いつも怪盗団とは対極の位置に自分を置いていた明智の評価は、瞬く間に沈んでいった。前は明智を支持していた女子生徒が、人々が、段々と怪盗団に賛同するように、世論が傾いて行っている。双葉曰く、明智の考えに反対するスレが、所々に立っているらしい。

 しかし、明智はその怪盗団を迎合する風潮にひるむことはなかった。決して自分の考えを曲げることはせず、その結果、今のようなワイド―ショーに呼ばれることは少なくなった。それでも出たときは、多少のユーモアを交えて怪盗団の思想に反対する姿勢を見せる。ここ最近は、明智がそうしている姿を見ることが多くなったように思える。

 

『……正義から一番遠い行いです』

 

 唐突に、社会見学で聞いた明智の言い分を思い出した。その言葉に言い返すことが出来なくなった俺は、確か正義とは何か、を、色々な人に訊いてみようかと思ったんだっけ。双葉と一二三の問題で忘れかけていたけれど、確か、そう思った気がする。

 ……雑談ついでに、双葉に訊いてみようか。

 

「……ん? なんだ、いきなり」

 

 手が疲れてきたのか、カタカタとキーボードを打つ手を止めて、視線をこちらに向けた。俺は特に意味はないんだけど、と、はぐらかす。

 

「んー……、んんんーー?」

 

 双葉が、ゴロゴロとベッドの上で転がりながら、変な声を上げる。その無邪気な姿に、かわいいと思っている自分がいる。

 また、双葉があからさまに考えている素振りを見せているときは、大体結論はついていて、どう伝えたらいいのか迷っていることが多い、ということを、俺は知っている。

 

「まー、色々あると思うけど……。あのね、今やってる戦隊モノ、見てない?」

 

 見ていない、と、俺は素直に応える。

 

「ちぇー……。まあ、いいや。でね、まあ、いつもみたいに悪役が現れたんだけど……その悪者をやっつけてる途中で、そいつに、妻が、子供がいるってことを知る……の」

 

 ……。

 

「悪の組織に雇われて、怪物に変身できるよう改造されただけ……いわゆる、派遣社員というやつだな! で……、戦隊ヒーローは当然、その怪物をやっつけるかどうか悩んだ」

「もちろん、悪いのはその悪役だよ? 組織に言われるがままになって、建物を破壊して、一般市民を傷つけて、ヒーローを窮地に追いやった。最終的に、その怪物は……無残に、やっつけられた」

「その男はきっと……自分の身を守ることが、妻と子供を守って、生活させていくことが、正義だったんじゃないかって……」

 

 双葉……。

 

「5chに書いてた」

 

 ……。

 感動を返してくれ。

 

「こっから大事だから! で、私が言いたいのは……正義って、正しいことって、独りよがりなものなのかな……って。私が正しいと思ってやったことで、地球のどっかで苦しんでる人がいる。でも、そんなの、気にしてらんないじゃん? やっぱ自分が一番大事じゃん?」

 

 おもむろに双葉は腰を上げて、ベッドの上に立った。俺のベッドのスプリングが軋む音がする。

 

「よって! 正義とは! 独善的なものであーる!」

 

 と、双葉は高らかに宣言した。と同時に、ギシギシとベッドが悲鳴をあげる。どちらも聞いていて「なるほど」と思った。

 

「ん、で……だ、だから」

 

 先ほどまでは大きくなっていた双葉の声のボリュームが、一気に下がった。両手を合わせながら指を不自然に動かして、顔を伏せて、何かを言いたそうにモジモジしている。

 

「私が、その……イチャイチャしたいと考えていることは、圧倒的に独善的だ。だから……これは、正義なので、ある。私は今、正義を執行しているので、ある」

 

 と、意味不明なことを呟きながら、ベッドを降りて、こちらに近づいてきた。頬が心なしか、朱に染まっている。双葉のそんないじらしい振る舞いを目の当たりにした俺も当然、そういった気持ちになってくる。

 

「……ワガハイがいること、忘れんなよな」

 

 ……モルガナの、うんざりとした声を聞くまでは。

 


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