「あつい……溶ける。いや、既に半分溶けてる」
半身溶解人間と化したらしい双葉が、夏の暑さにぶうぶう文句を言っている。
今日もいつものタンクトップに短パンと、結構露出度の高い服を着ていた。が、それでもこのうだるような暑さには参っているようだった。
「もうルブランでやろー? 勝手に惣治郎が持ってきてくれるっしょ」
「『こういうのは、卓袱台を囲んで食った方が、味があるんだよ』」
「やっぱ似てない」
「……」
「何オレの真似なんかしてんだ? ……ったく、なあ、できたぞお前達」
遠くから本物の声が近づいてきたのでそちらを向くと、大きなお皿に、これまた大きなスイカを盛りつけたものをマスターが運んできてくれていた。
運ばせてしまった。重たそうだから、俺が持つつもりだったんだけど……申し訳ないことをしてしまった。
「あ……? おいおい、舐めて貰っちゃ困るな。これくらいどうってこたねえよ」
「そうだぞ!」
「……にしてもお前ら、なんでこんなに暑いのにくっ付いてんだよ」
「扇風機が一つしかないからだ、そうじろう」
「首ふりゃいいだろ、首」
何言ってんだよ、と惣治郎さんは突っ込みを入れて、そっとちゃぶ台にスイカのお皿を置いた。
因みに一度、同じ質問をしたのだけれど、双葉には一瞬で却下されている。どうして惣治郎さんの言うことには従うのだろう……これは、かなり重要な問題だ。
「ちぇー」と渋々、マスターと俺との間の位置に座っている間、扇風機をマスターと双葉の間に置いて、満を持して首を振るボタンを押した。
俺達は今、佐倉家の居間でスイカを囲んで食べている。もちろんここに来るのは初めてだし、むしろ佐倉家の扉を開けること自体、久しぶりのことだった。双葉との些細な連絡事項などは、殆どの場合LINEで済ませてしまうから、双葉の部屋に行くことが少なくなったのである。
改めて居間を見渡す。日で色褪せた畳の隅っこに、マスター御用達であるらしいリクライニングチェアーが置いてある。その椅子に座った時の視線の先には、テレビが簡素なテレビ台の上に乗っていた。大きさ的には、ルブランのそれよりも少し小さい程度だろうか。
テレビ台の中に備え付けられているガラス扉の中には、よく分からない置物や、あれは……写真立てだろうか? 何故か裏返されているので、その写真を見ることはできないけれど――、
「もらったぁ!」
双葉が勢いよく、最後の一切れにかじりつく。マスターはともかく、俺も並みの早さで食べているつもりなのだけれど、最終的には双葉が殆ど平らげていた。相変わらずの大食いだ。
「あー、うまかったー」
そしてものの十数秒で。しかし乱暴に食べているせいか、口の周りが汚くなりはじめていた。
ちゃぶ台に置いてあるボックスティッシュを摘まんで、そっと双葉に渡す。
「今、手ばっちいから無理。拭いてー」
拭く……双葉の、口を。
自分の手で……。
……。
「まず手をティッシュで拭いたらいい」
「ぐぬぬ……うい」
「……」
マスターの視線が気になるところだけれど、心を鬼にして双葉に渡した。
「あーあー、ちょっとは構ってくれたっていいのに」
「双葉は、恥ずかしいって感情は二の次なのか?」
「ない。恥ずかしいということは、コンパイルがミスっていることと、パソコンのスペックが低いことを指す」
「……コンパイル、って何?」
「あとは、自分の感情に嘘を吐いたとき……かな」
「深いな」
かな、と言った時の双葉の表情は、相当のドヤ顔であったことをここに記しておく。
「あー、花、摘みに行ってくる。サラバダ」
流石にスイカにがっつきすぎたのか、慌てた様子でトイレに駆け込んでしまった。頭の回転の速さに比例しているのか、いつもドタドタとせわしない。もう少し落ち着いても良いと思うけれど……一二三までとは言わないが。
マスターも考えていることは大体同じだったようで、「ったく……変わんねえなぁ」とボヤいていた。
「あ? ……ああ、昔っから双葉はあんなだよ。学校に行きゃあ少しは落ち着くかとは思ってはいたが……あの様子じゃ中々、淑女になりそうじゃねえよな」
ま、それがアイツの良い部分でもあるんだけどよ、とマスターは念を押した。
「で……どうなんだよ、最近は」
「……先生に目を付けられないようには、気を付けているつもりです」
「あほ。そんなこと聞いてんじゃねえよ」
「……野暮なことは聞かないとか何とか、仰っていませんでしたか?」
「お前のことはな。だが、オレは双葉の一応保護者だ。アイツのことについては、知る必要がある、とオレは考える」
屁理屈にもなっていない。が、それが屁理屈にもなっていないと言ったところで、マスターお得意の口八丁で何かを言ってくるに違いなかった。
しばらく男の意地をかけた睨み合いを続けながらタイムリミットを、つまり双葉の帰還を待っていたのだけれど、帰ってくる気配すらない。
俺は観念して、不敵に笑うマスターに、これ見よかしに溜息を吐いた。
「ボチボチですよ。というより、まだ夏祭りから数日しか経っていないじゃないです……か」
「そうだっけか?」
言った俺からしても、あの告白の日からまだちょっとしか経っていないということに驚いてしまう。一二三の件が色々と差し迫っていたから……その分、早く終えることができ、こうしてゆっくりと夏休みを謳歌できているのだけれど。
「それより、あの日……双葉が俺に夏祭りの連絡をするように言ったのは、マスターですよね?」
双葉から、やけに荒いお誘いのLINEが送られてきたのは、ちょうど俺が怪盗団の皆と一緒に花火を見に行こうと決めているところだった。あの場……つまりルブランにいたのは勿論皆とマスターだったから、順当に、マスターが密かに双葉に連絡をよこしたと考えるのが妥当だろう。
「ああ、そうだよ」
意外にもマスターは、何かはぐらかす訳でもなくそう言い切った。
「余計なお節介だったよな」
「そんな、こと……」
ない、と言えば嘘になる。
しかし、あれがあったおかげで、今まで事が上手く運んでいるということは、紛れもない事実だった。そう、一二三を助けることができて、それで――、
『双葉は、もしかしたら――』
不意に、帰りのルブランで聞いたマスターの話を思い出した。
『――ただ忘れてるだけなんじゃないのか』
「……ぃ、おい、大丈夫か?」
「え? あ、はい」
あの話は、マスター自身が考えすぎだと言っているんだ。それを今さら引っ張り出して悶々と考えたところで、得られるものは何もないはずだ。
何か違うことを考えなければ……あ、
「その写真立て、って……」
「ん?」
俺は先ほど見つけた、テレビ台の中で写真が伏せられているそれを指で指した。
「それ……もしかして、」
「さて、仕切りなおすか!」
双葉がトイレから戻って来るなり、ドカッと腰を下ろした。
「え? もう残ってねえぞ?」
「無論、もうおなかいっぱい、お手上げだ!」
「どっちだよ」
「けど、こうして三人で集まって食べるのって楽しいな! ……なんだか、懐かしい気がする」
……。
「……また、一緒に食べたい。そうじろう、いいよな?」
「ああ、いつでも切ってやるよ」
微笑んだマスターの表情の奥には。
どこか、暗い感情が潜んでいるように思えた。