モルガナと話をしたその翌日、貰っていた名刺に書いてあった、明智の電話番号に電話を繋げた。
勿論用件は、明智に麻倉さんの取次をしてもらうこと。いきなり麻倉さんと喋ろうとして、一体何のつもりなんだろうと疑われないような、口実も用意してあった。
しかし、明智と電話してからというものの、トントン拍子に物事は進んだ。俺がモルガナとうんうん唸ってこしらえた、麻倉と俺が会うための、スキのない理由を満足に語り終える時間もないまま、彼は俺と麻倉を合わせる手筈まで、整えてくれたのだ。
流石は顔が広い明智だ。こうやって貸しを作ることで、相手を段々と懐柔していくのだろうか……。俺は明智に疑いの目を向けながらも(完全に立場が逆だ)、礼を言って、指定された場所へと向かった。
待ち合わせをしている場所は、やはりあのテレビ局だそうだ。彼が仕事の合間を縫って、この建物から出てきてもらうことになっているらしい。
「それにしても……随分と拍子抜けだったな。麻倉と会うのは、最悪一週間は覚悟していたが……あまり、時間を掛けるなよ?」
俺達が怪盗をする前から、異世界で活動している者の勘なのか、そう言って俺の気を引き締めようとしてくるモルガナ。今や真や祐介が入って来て、段々と纏まってきている感じはあった。しかし、杏や、竜司、あと俺のような感情に振り回されがちな三人を制してくれたのは、いつもモルガナだった。とても足を向けて寝ることはできない。最近は、俺の腹の上で寝るのを好んでいるようだが……それはともかく。
正直、明智を怪しんだとしても、今は一二三と、あと……まあ、色々大変なことで頭が一杯な感はあった。これ以上悩み事を増やされると、俺は双葉、一二三や真ほど利口じゃないから、そのうち頭がパンクしてしまうだろう。
「……まあ、確かにそうだが。けど、怪盗団の
モルガナが何かにゃあにゃあと言っているようだが。しかし、そんな些事は、この大事な局面では気にしちゃいられなかった。あと、ヒトが知らなくていい事実は、この地球に生きている限り往々にしてある。
「しっかりしろよ……双葉みてぇにとは言わないが。てか、双葉のパレスって結局、見つかんなかったんだよな?」
……今、そんな重い話題を話すのか?
「いつやっても変わんねーよ。で、どうだったんだ?」
俺の軽口を軽くいなして、再度確認をしてきたモルガナ。
『目的地が見つかりませんでした』
機会音声特有の、少しだけ違和感のある声を思い出す。
あの時……モルガナの言う通り、双葉のパレスは見つからなかった。もちろん双葉にパレスが無いということは、普段双葉を見ている俺なら直ぐに分かっている。
あれほど元気で。あれほど無邪気で。あれほど表裏がない……ように、見えて。
そんな双葉を見て、誰が双葉のことを怪しいと言うのだろう。くだらない妄想だと言われても、仕方のないことだ。
しかしどうも、心の中にある、得体の知れないモヤモヤとしたものは、
夏祭り終わり、マスターが話してくれた――あの日以来。
なあなあにできる話じゃないということは、嫌というほど分かっているつもりだ。しかし、解決する為の材料が、証拠が、今は極端に少ないように思えた。
まだ先に進むことはできない――と、誰かが言っているような気さえした。
「ふむ……まあ確かに、ワガハイ達が見てきたパレスは全部、悪人のばっかだ。けど……個々のパレスが出現する要因は、悪いことを考えているかどうかじゃない。欲望や、認知が歪んだかどうかだ。……だから、トラウマを抱えている双葉にパレスが出現している可能性は、十分にあり得る」
前に、双葉が扉の向こうで苦しんでいた理由も(確か五月中ごろの頃だ)、認知の歪みから色んな幻覚が見えたってことで一応の説明が付く……と、続けて話すモルガナ。
なんだか双葉のパレスが存在している、つまり双葉自身の認知が歪んでいるという前提で話が進んで行ってしまっているが……実際、結局のところは見つかっていないのだ。
とすればむしろ、こう考える事もできるだろう。双葉は、母親のことに対して実は、既に気持ちの整理がついている。俺のその話をしない理由は、その、例えば話す機会を逸しているだけ……だ、とか。
「……だったらそれが一番いいんだけどな。ワガハイ達がこうやって話をしていることが、実は全くの無駄だった……これが、双葉に関していえば、ハッピーエンドだろ」
こうして話していることが全く全て無駄。それが、ハッピーエンド。
ふむ。
「けど、ご主人の言う通り、双葉は若葉さんのことを忘れている可能性が高い。そこらへんの可能性は、ご主人が言っていただろ?」
忘れている、か……確かに、それが今考え付く中で、一番現実的な可能性なのかもしれない。
もしそうなら――アプリに引っかからなかったのは、どうしてなんだ?
モルガナはしばらく、うーん、ごろごろ、と唸りながら考えていた。普通にかわいい。
「母親は、その、もしそうならの話だが、双葉の認知を歪ませている、いわば核だ。それを、双葉を苦しめているその原因を、双葉自身が
……それは、
「やぁ、キミかい? 明智君から、鞄の中の黒猫が目印だって聞いた時は、ホントかなぁ? って思ったけど……ホント、だった」
モルガナと、案外込み入ってしまった話をして時間を埋めていると、ハッハッハ、と大きな笑い声をあげて近づいて来る人がいた。
中年男性、スーツ姿、赤い眼鏡。
ううむ、芸能界の大物プロデューサーといえば、派手な色の眼鏡をかけているというのが定説らしいが……俺の中でそれは、立証されつつあった。
もしかしなくても、麻倉だろう。
俺は気持ち居住まいを正して、こんばんは、夜分遅くにすみません、と、形式的な挨拶を済ませる。
「いや、いーのいーの! 丁度俺も休憩したかったからねぇ」
麻倉さんは大げさに手を振って、朗らかに笑った。
「それに……」
と思えば、途端に眼鏡が光、怪しい顔つきになる。
「君も、面白いキャラ、してるねぇ」
……え?
「……なんだ?」
俺とモルガナが、一緒に首を傾げる。
キャラ?
「そう、キャラ! 癖っ毛……いや、それはワックスかな? 表情を隠している眼鏡、整った顔立ち、スラっとした出で立ち、そして何より……鞄に入ってるその猫ちゃん! キャラ立ちのオンパレードって感じだよね! お手本みたいな子だなぁ」
突然の褒め殺しに、俺は少々参ってしまった。普段は教室で陰口を言われている存在だから、そういった褒め言葉に否応なしに反応してしまっている。ダメだ、しゃんとしないと。
「突然の呼び出しにビックリしたけど……もしかして、もしかしなくても――俺に、プロデュースしてほしい、ってことなのかな!?」
放たれた矢のような速さで、また言葉が飛んできた。
やばい……ある程度覚悟をしていたことではあったけど、やはりこの人、喋るのめっちゃ速い。彼の言葉を一つ一つ理解して、処理することに脳が忙殺されて、言葉を返すどころの騒ぎでは無かった。芸能界は恐ろしい所だと、改めて痛感する。
「オイオイ、しっかりしろよ。このまま芸能界デビューとか……いや、なくはないな」
……ないのか。
「表はアイドル、裏では怪盗。ワクワクする組み合わせじゃねーか。そして、ワガハイがアイドルになったら……! も、もももしかしたら、杏殿が振り向いて……」
鞄の中で、ありそうにない幻想を垂れ流しているモルガナ。オイオイ、しっかりしろよと言いたくなったが、あまりにも情けなかったので、言う気も失せた。
俺がしゃんとしなければ。ボコボコと鞄の中で暴れるモルガナを宥め。一つ深呼吸。伝えたいことを頭の中で並べて、そして麻倉に喋りかける。
「え、違うって? それじゃあどうして――あぁ、一二三ちゃん……ね」
麻倉の話すスピードが少しだけ、遅くなった気がした。
「じゃあ君は、彼女のファン……いや、違うな……知り合いかな?」
俺は素直にはい、と答えてから、彼女が芸能界に入ることを決意したいきさつを、それとなく伺ってみる。
「え、それ聞いちゃう? ……いいよ、特別に教えてあげる。一二三ちゃんの友人……なんだよね? ファンにしては……情報が回るの、ちょっと早いから」
そういって、麻倉は声のトーンを下げる。
「一二三ちゃん、万人受けする顔してるしねぇ……将棋界なんて、言っちゃ悪いけど、そんなしょっぱい業界に置いておくには、少しだけ……もったいないでしょ? 彼女は彼女なりに活躍できる場があるって、考えたんだ。そして彼女……スランプ気味だったじゃない? だから……『今だ』って、そう思った」
あ、今のは、一二三ちゃんには内緒だよ? と、人差し指を口元に近づける麻倉。
「君は一二三ちゃんのことが心配なんだよね? 分かるよ、その気持ち……将棋と同じく、芸能界は時には辛くて、大変だ。けど、大丈夫……一二三ちゃんには彼女の母親っていう大先輩がいるし、なにより俺がいる……ハッハッハ、ちょっと疑ったね? ま、そこは呑み込んでよ……なんなら俺の名前を、ウィキかなんかで調べてくれたっていい。あ、情熱大陸にも一応出演している身だからね? 見た? ……そっか、みてないか」
急にしょんぼりしたかと思えば、また大きな声を出して、快活に笑う麻倉。
「まあ、俺が言うのだから間違いなし! ってね。……ああ、一二三ちゃんとは話したよ、じっくりと、ね。もちろん全会一致さ――強引に決めたとかいうのは、そんなことは決してない。彼女も言ってなかっただろう? 『強引に決められました』……なんて」
……確かに、そうだ。
彼女はちゃんと、色々な人と話し合った……と言っている。
そしてなにより――芸能界に入るのが嫌だ、という事を彼女自身から聞いていないのだ。
麻倉……さんも、いい人に見える。あの時、一二三と初めてあったときに、教会ですれ違った人の面影は影も形もない。
だから、麻倉さんに任せていいとさえ、思った時もあった。しっかりとした後ろ盾がありながら、それでも一二三には将棋をしてもらいたいと思ってしまうのは……俺のワガママなんだろうかと、悩んだ時もあった。
「あ、ゴメン! もう行かなくちゃ。……最後に君、もう一度『あの件』……考え直してくれるかな。もしオッケーなら――俺が必ずヒットさせてあげるよ。本当は女の子だけしか仕事は持たないんだけどね。君だけは特別。それじゃ!」
そう言って麻倉は俺に名刺を渡し、颯爽とテレビ局の中へと消えていった。
俺はその名刺を無造作に財布にしまい、やはり多かった麻倉さんの口数に、ふう、とため息を吐く。
「……おつかれだな。完璧だったな、アサクラ。やはり、芸能界のドンと言われてるだけはあるぜ。……で、どうする?」
確かにモルガナの言う通り、麻倉の言う事は聞く限り、非の打ちどころはないように思える。麻倉自身もキャリアはあるし、その界隈で名を馳せているということは、ネットで調べた限りでは本物らしい。唯一、彼が情熱大陸に出ていたことは知らなかったが。
それと、一二三の母親……東郷光代、だったか。彼女もそれなりのキャリアがあるようだった。その人たちに囲まれているのだから、彼女が失敗することはあまり考えられないだろう。田舎から飛び出してきたようなアイドルとは……訳も、状況も違う。
一二三も一二三で、俺の知る限り、真と肩を並べるか、いやそれ以上に分別のある人である事は言うまでもないだろう。
皆幸せになれる。
ハッピーエンドしか見えなかった。
――教会で、あの話を聞くまでは。
「……そうか。いいぜ、ワガハイは付き合ってやる。他のメンバー達も多分、大丈夫だ。そもそも――カモシダん時も、結構ワガママな動機だったからな」
弱者を助ける……それがお前の、続ける理由だろう? と、ニヤリと顔を歪めて呟くモルガナ。
「オーイ! もう出てきていいぜー。あ、あと……『麻倉史郎』!」
後ろに向かって声を掛けた後、俺の携帯に向かってその名前を入力した。
背後からゾロゾロと出てくる竜司、杏、祐介、真。
そして――携帯から聞こえてくる、無機質な声。
名前はもちろん、麻倉史郎。そして目的地はここ、テレビ局。
「さて……本音を聞きに行くとしよう」
麻倉パレスへの、宣戦布告だった。彼の建前を聞いて、彼の本音を聞くための、さして久しぶりでもないパレスへの潜入。
そして俺はまた、立ち会うことになる。
それは、俺も、竜司も、杏も、祐介も、真も体験した……きっと人生で一番、大切だったこと。
自分自身への、全てのモノへの、反逆を。