「双葉と会ってやってくれねぇか」と頼まれたのは、つい今朝の話だ。
後ろ指で刺突されるような登下校を終えた夜、特に何もすることがなかったので、四月中は殆どルブランの手伝いに従事していた。
時々珈琲の豆について説明してくれる時の惣治郎さんが、ちょっとだけテンションが高くなるという事は、この度重なるバイトから得た発見の内の一つである。
ともかく。
その甲斐あってか、良く惣治郎さんが声を掛けてくれるようになった。そして今日、長らくタブーだと思われていた『双葉』という単語を、惣治郎さん自身が切り出してきたのだ。
最近どこか調子がおかしいようだと。何か、塞ぎこんでしまっているのかもしれないと。
オレじゃない、話せる相手が必要なのかもな……と、惣治郎さんは首をもたげた。
それから、惣治郎さんから双葉についてのプロフィールをざっと語ってもらった。学校へと行かず、部屋に籠ってしまっているということ。あまりコミュニケーションが得意ではないという事。すこぶる頭が良くて、時々話が自分の中で完結してしまう事。丈は小さいが、べらぼうに大食いである事。そして――
その情報と、先日会った双葉の容姿とを、重ね合わせる。うん、大体は俺が想像していたのと大差はない。UFOを、ダイソンみたいな吸引力で平らげられたのを、この目で見ている訳だし。
よし。
ならば今日会おう。惣治郎さんの信頼をいち早く得ようという下心がない訳ではないが、なんだかちょっとなんとなく、気になる。
惣治郎さんに作ってくれたカレーのお礼を言って、学校へと向かった。
後ろ指以下略、渋谷で用を済ませて田園都市線に乗って、惣治郎宅へ着いた。いかにも年季が入った木造建築といった風情で、控えめに『佐倉』と書かれた表札を確認して、インターホンを押す。
……案の定、反応はなかった。
惣治郎さんから渡されていた合鍵を差し込んで回し、中へと入る。一応おじゃましますと呟いてから、靴を脱ぎ、二階への階段を見つけて、昇る。
ううん、意外と暗い。勝手知ったる人の家という訳ではないので、どこに電気のボタンが付いているか全く分からない。惣治郎さんは「二階に行ったら、直ぐ部屋がどこか分かるよ」と言っていたけれど、正直この暗さではどこに部屋があるかすら――。
あった。
一つだけ……というより、まだ一つだけしか部屋を確認できていないのだけれど、確かに双葉の部屋だと思われる扉があった。
『PRIVATE/DO NOT ENTER』と書かれた張り紙に、『CAUTION』と印刷されてある黄色のテープが、やたらと自意識高めに張り巡らされていた扉が目の前にあった。ご丁寧に入るな、プライベートだと注意を促されている訳だけれども……なんというか、そこまで言われると開けたくなってくるような。「絶対押すなよ!」と煽られる時と同じ感覚を覚える。
とにかく。
少しだけ緊張してきたので一つ深呼吸を入れてから、そのおかしな扉をノックした。
「……」
返事がない。もう一度。
「…………」
……居留守を決め込むつもりだろうか。惣治郎さんから話は聞いているはずなのだけれど――警戒されているのだろうか。
かくなる上は。
声帯を閉め、自分が出せる一番低い声になるよう喉の調子を整える。
「オレだよ。惣治郎だ」
「全っ然似てない……ハッ!」
ダメ出しをくらってしまったけれど、思わぬ形で双葉からの応答が得られた。モナに付き添われて練習した甲斐があったな……。
「騙したな! あまりにも似てなかったから、思わず……」
ぐぬぬ、やりおる……と、双葉はうなだれ……ているはず。
「そうじろーから大体話は聞いてる。けど……迷惑だ。放っておいてくれないか?」
扉越しに伝わってくる声色は、やっぱり高校生というよりかは幼い印象を受けた。けれど、その口から出る言葉はなんだか投げやりで、重い。
「友達なんて、もういらない。私は一人で暮らして、一人で生きていく」
惣治郎さんの手も借りずに? と言ってしまうのは、流石に無粋だろうか。
「一人で生きていく、なんて言っちゃう私、マジカッケー」
……。
格好いいのか……。
「と、とにかく! そんなのいらないから、うん。ああ、あと……UFOの件は、世話になった。美味かった。けどな、あんなところにあんな飯テロを仕掛けているそっちにも、非はあると思うぞ、マジで! ハラ減ってる時にあの魅惑のソースに見向きもしない奴は、人間じゃない。つまり、私は人間としての本能を全うしただけに過ぎないのだ。分かったか?」
めちゃくちゃな三段論法を駆使しながら、勝手にUFOを食べた事の弁明をする双葉。ということはつまり、少しくらいは悪いと思ってくれているという事なのだろうか。
大食い。
食べ物に、目がない。
「以上でこの話は終了! さっさと立ち去れ」
と言い残して、向こうの足音が遠くなっていくのを感じる。どうやら、俺の話も聞かずに籠城するらしかった。議論の余地はないと、オマエと話すつもりなんかないんだと――そういった類の拒絶を覚える。
もちろんこのまま弁を尽くしたとしても、無視されてしまうだろう。惣治郎のめちゃくちゃ上手いモノマネもしてしまったし、そもそも俺はあまり多弁な方でもないし。丸腰で敵の城に攻め入って、ただ城門をいたづらに叩いても何も起こらない。
「双葉」
けれどそれは丸腰だった場合の話だ。ちゃんとした装備をしていれば、もしくはこの状況を打破できる秘策をもっていたとしたら――話は変わってくる。
「……」
佐倉双葉は応じない。物音さえも聞こえない。しかしそれは、俺の話を聞いてくれているという事の証左だ。ここが、この場面が一番『秘策』を出すには最適な場面。逃がしたりはしない。
渋谷で買って来たソレをビニール袋から取り出す。そして、息を潜めているはずの双葉に、出来るだけ何気ない調子で、こう言った――。
「うみゃあ棒、食べる?」