電車に乗った頃から、嫌な予感はしていた。
見渡す限り、人、人、人。今360度見渡すことができるパノラマ写真を撮れば、さぞかしインスタ映えするそれが撮れそうだ。そんな湧いて出てくる人々を掻きわけるように進みながら、俺達は一夏の儚い夢花火(祐介談)を見る為に、ゆっくりと歩みを進める。
「も……もうムリ、死ぬ。タンマ。電池切れ間近」
つい先ほどまでは、きっちり言葉の最後に『!』を付けながら、道行く人々の群れにギャーギャー騒いでいた双葉も、ついにその元気もなくなったようだった。元はと言えば、双葉が誘った話だが……。
「……ううぅ。けど、こんなに人が多い事は、さすがに予測不可能」
かと言って、全て双葉の所為だからと無下にもできない。数か月に及ぶ朝の通勤ラッシュを、モルガナと共に凌いできた俺でさえ人の熱気に酔ってしまうくらいだ。
このままでは花火を楽しむどころではないので、一旦近くのコンビニに寄る事にした。
『コーラな! コカ・コーラだぞ!』と双葉。
双葉はコカ・コーラ派らしい。ペプシもいいと思うんだけど。あの独特の甘みが良いと言うのに。
店の奥まで行き、冷蔵庫の扉を開けて黒色の液体が入れられたペットボトルに手を伸ばす。俺は――近くにあった三ツ矢サイダーにした。
やはりそこそこ並んでいる列の後ろに付き、ようやっと支払いを終わらせて、コンビニ脇のベンチに腰掛けた。
「はーあぁ、生き返る。やはりコーラはコカ・コーラに限る。そこは譲らない! けど……」
ぞろぞろと、会場へ向かう人たちに一瞥をして、双葉は溜息をつく。そんな彼女の苦しい様子は、夏祭りに来たことを後悔しているように見えた。
「い……! い、いやいや、そんなことは……な、い」
明らかに動揺している。
「……ううん、まあ……うん。け、けど別に、これはこんなに多い人の所為という訳であるからして――」
少し上目遣いになって、俺を見る。
「——が来てくれたのは、嬉しい。LINE打って、返信来た時は、スマホ、手から落としたし。……わたし以外に誘った相手だって、いたと思うし」
竜司や真や、怪盗団の面々が思い浮かぶ。が、俺は首を横に振る。
「そ、そか……」
と呟いた後、双葉も同様にかぶりを振って、
「いや、嘘。そうじろーが言ってた。『アイツの友達が来ていたぞ』って」
う。
……なるほど。あの時ギリギリのタイミングで双葉からLINEが送られてきたのは偶然だと思っていた。
マスターの差し金だったのか。
ううむ……と唸っている俺を余所にして、双葉は少しだけ目を細めながら、笑ったように見えた。
その微笑は、何かを確信している事が内から漏れたような――そんな気がした。
そして。
今まで俺が言ってこなかった事を、双葉は口にする。
「
双葉が、探りを入れるような目で俺を見る。
その真っすぐな瞳に、俺は『なんの話だ』と応じた。
どうしてそれを……と考えるのは後だ。今は、何でもないように、本当に意味が分からないように流す。思い出すのは……それから。
「……ふうん。これくらいのカマじゃ、やっぱ無理か」
なおも表情を崩さずに双葉は呟く。しかし、その目は……苛烈なまでに動いていた。
それは、真の尾行に気付いた時に。
それは、一度目、二度目に一二三とやり合った時に。
双葉が冗談じゃないほどのスピードで何かを考えて、もしくは思い出している時のサイン。
「怪盗団の噂が広まったのは、秀尽学園から。鴨志田って男が体育館で土下座したって、5chで書かれてた」
……なんだ。
それくらいの事で、怪盗団を俺に決めつけるなんて、それは中々に無理な話だろう。ひょっとしたら双葉は、冗談で言っているのだろうか。
という感じで終わる話ではないという事は、双葉のその目から伺う限り分かってはいるけれど。
双葉は滅多なことでは本気になるような人ではないという事を――俺は、知っている。
「喜多川祐介の話を聞いたのが五月十四日。んで、斑目の記者会見が多分、六月五日。喜多川をルブランに呼んでたのが六月十一日」
「六月六日、秀尽の生徒会長が私たちをつけてた。そんで、七月三日に学校で……仲良く話してた。金城潤矢が捕まったのは七月九日。……金城は確か、ここらへんの高校生に違法なシゴトを働かせてたらしいな? ……生徒会長も、そりゃ、手を焼いた……と、思う」
…………。
単純な、接続詞も文章の繋がりも何もない、ただの過去にあった事象の羅列。しかも恐らく、正確な日付付きの。
けどそれは、そんな余計な物を挟む必要はないと、双葉が断定しているという事の証左なのかもしれなかった。
俺になら分かるだろうと。
これら一環の事柄に全て関わっている俺になら、わたしの言っている事が分かるだろうと。
そう、双葉に指摘されているような気さえした。
「あと……ううん、あんま関係ないけど、最近、わたしの部屋の前まで、気配を消して入ってくるの上手すぎ。やばい。普通にビビる。こんな人混みの中も、軽くヒョイヒョイって行って……何回はぐれると思ったか分からん!」
まじか。
パレスを攻略している時に、戦えない程の強敵と遭遇してしまったら、どうしても身を隠したり、見つからないよう忍び足で通り過ぎる事を余儀なくされる。
どうやらその行為が重なって、最近は癖になってしまっているらしかった。何気ない時に無意識に気配を消しているとか、ちょっとだけ中二病の香りがしないでもないが。
ともかく。
双葉には、完全にバレているという事は分かった。
しかし……やはりどうしても、ぶっちゃけて言える気にはなれない。
「……まだ、シラ、切るの? なんで……」
そう言葉を区切って、少しだけ悲しそうな目で俺を見る双葉。
もうバレちまったんだからいいだろ別に。と、脳内の自分の別人格が語り掛けてくるような気がする……けれど、やっぱり。
確かに言おうが言わまいが、双葉は俺達を怪盗団だと確信しているという事実は変わらないかもしれない。上手く双葉を騙して、俺達が怪盗団ではないという証明をするための証拠もないし、俺のしょっぱい弁舌で上手く騙されてくれるほど、双葉はありふれた頭をしていない。
しかし、もその事を俺の口から明かしてしまったとしたら……多分、これから向こうずっと、双葉は怪盗団と関わってしまう。
それは何より、避けたい事だ。
別に驕りとかじゃないけれど、怪盗団という存在は世間一般にも知られるようになってきた。そしてなお、俺たちの活動はこれからも続いていくだろう。
そうしたら、警察や他の大きな機関が動きを見せてくるかもしれない。
危険な目にも遭うかもしれない。
そんな世界に双葉が巻き込まれるのは……たまったもんじゃない。
双葉だから……、双葉だから?
うん?
どうして今、双葉だから嫌だって、思ったんだろう。
「……まー、いいや。その内、なるようにはなると思うし」
そんな意味深な発言をして、双葉はスマホの画面を開いた。どうやら、ヤフーのニュース欄を見ている模様。
「ふふん…ジ…ド、か」
スワイプしていた手を、あるニュース記事の見出しで止めて、双葉はなにやらニヤニヤしている。
そんな様子を見ていた俺に気付き、ばつが悪いと感じたのか一つ、咳ばらいを入れて、
「と、とにかく! わたしはいつでも、助けになってやってもいいぞ、的な。そんな感じ! 頑張ればハッキングなんて余裕だし、どっかの電子端末に実にやっかいなウイルスを送り付ける事もできるし、あと、あと……」
新社会人の面接さながら、自分の良い所を思いつくままにアピールしまくる双葉。
それは、ただ単純な好意からきているものであるという事は、俺でも分かる。
けれど……俺は、首を縦には振れない。
「な……なんで! 私は……わたしは、こんなに――」
その後、二度三度俺の名前を繰り返したっきり、双葉は例によってブツブツと考え始めてしまった。
こんなに……俺を、なんなんだ?
いつもの調子なら、どれくらい時間が掛かりそうかと概算しようとしていたところ、双葉は意外と早く思考から目覚めた。
いきなり頭を上げたかと思いきや、今度は口をあうあうと動かせて、俺を見る。どうやら、言葉を選んでいるらしかった。
「……最近、無駄に口を開いてるなと感じてた」
突然の話題転換に少しだけ動揺して、それでもなんとか双葉が言いたい事の大体を掴む。
アイツは、唐突に話を変えやがるんだ。とはマスターからの一言。
正確な日にちは分からないけれど、双葉と出会ってからもう三ヶ月も経っている。だから、もう慣れてしまった。
今は多分、一緒に学校見学に行った時とかの、あの当たりの話だろうか……確かに最初の頃の彼女よりかは、会話を繋いだり話題を振ってくれる事が多くなったと感じていた。
それは……話すのに慣れたからだという事で、一応結論付けたんだけれど。
「なんでかっていうのは……最初は自分でも分からなかった。けど、学校帰りの電車で考えてた時に、わたしは――に嫌われたくないんだ、という意見で、概ね脳内会議は一致した。何気なく開いたサイトで『好かれるためには、その人の前で黙るべからず』――的な事を書いてあったのを、ちょっと前に見た事を思い出した」
俺に、嫌われたくない……?
ちょっと待て、今、双葉は何の話をしている?
もしかして……俺の、事なのか?
「けどそれは、やっぱ何か違うって思った。それで、今日――あ」
突然顔がボンッ、と赤くなり、その熱を冷やすが如く、もの凄い勢いでコーラをあおる双葉。
黒い液体は、みるみる内に減っていく。
それを一気に飲み干して落ち着いたと思いきや、今度は双葉の顔がみるみる内に青くなっていく。
「き、きかんに……入った」
そう双葉は言い残して、ゲホゲホとあまり可愛いとは言えない声を上げながらコーラを出した。……あーあ、鼻水まで出てしまっている。
そっとティッシュを差し出す。
「サ……サンクス。ううぅ」
眼から零れ落ちそうな涙を、意外と慣れた手つきで拭って、チーン、と鼻水を出した。
少しだけ落ち着いて、それでもまた少しだけ頬を染めて。
双葉は、俺の名前を呼んだ。
そのたった少ない言葉の中にも、様々な感情が混じっているように思われた。
あるいは、恐怖心。
あるいは、緊張感。
あるいは……。
……にわかに俺まで、緊張してくる。
そして。
「わたしは――」
―――――――――――ドォ…ン
と。
どこからか、打ち上げ花火の音が聞こえた気がした。
多分、ここからじゃビルが壁になって見えていないだろうけれど。
俺は、皆が上を見上げる中、ただ双葉から目が離すことができないでいた。
いや……外したくなかった、か。
双葉も俺を見ている。
そして――。
「わ、わたし、は……貴方のことが、スキ……だ」
…………。
…………………………………。
「……たぶん」
………………………………?
たぶん……?
「多分、わたしが望んでいることは、友達とかのそれじゃない……んだと思う。けど、そんなの初めてだから分かんないし……そもそも、友達とかがあんまりいたことがないから、なおさら」
双葉は語る。
「けど、わたしは……もう、ありのままの自分を偽って、明るく振舞うのに……割と結構、疲れた」
双葉は語る。
「だから……もう、ありのままの自分でいいって、言って欲しい。そして――わたしをもっと、色んな所に連れて行って欲しい。もっと、わたしの隣で歩いてほしい。もっと、盟約ノートでわたしを、繋いでほしい。もっと、もっと……」
――思えば。
いや、思えばなんて、正直数えたらキリのない話ではある。
初めから俺は……なんてそれも、野暮すぎて言えない話。
だからそのまま、自分の答えをそのまま言おう。
美辞麗句なんか飾らない、愚直で単純な俺の告白を。
「……」
「…………………」
今度は、双葉が黙る番だった。
その沈黙から一拍空いて、双葉の肩が小さく震え始める。
「……なんか、なんだこれ、なみだ、でてきた……。わけわかんない……」
その震える肩に俺はそっと両手で掴み、双葉を見た。
周りが見えない。さっきまで話した内容さえ、殆ど覚えていない。
けれど……同じように俺を見つめてくれる双葉が目の前にいる。
それだけで十分だった。
かすかに空気を切り裂く音と、重い破裂音が耳に残っている。
目の前の君は、その音でどんなに綺麗な花火を思い描いているのだろう……と、多分きっと、お互いに思いながら。
俺達は目を閉じた。