「おお、ここが……いつも行ってる場所か。なんというか……『ザ・ガッコウ』って感じだ!」
日曜日。
特にテスト期間を挟んだ休日は、皆テスト勉強に精を出しているのか、秀尽学園校内には先生はおろか生徒すら見られない。
「で、だ……。何する?」
速効帰って勉強したい。
「ダメ、無理、却下! 折角来たんだからさ―、えっと……」
双葉がしげしげと校内を見渡す。あまりにも見慣れた光景なので、靴箱やトロフィー置き場の描写は割愛されてもらう。
「ね、案内して」
腕を引っ張られる。長らく学校に行っていないと、そこまで興味がそそられるものなのだろうか。というより、彼女はそもそも学校へ行きたくないから行っていないはずなのに、案内をせがまれるのは少し、不自然な気もする。
というのは、流石に口には出さない。多分彼女なりの理由があるのだろう、うん。
「あら、もしかして……」
突然前方から声を掛けられて、俺は前を向き、双葉は俺の陰に隠れる。一糸乱れぬこの一聯の流れは、もう手慣れたものだ。
「それと、後ろにいるのは……妹さん、かしら?」
「い……! いもうとじゃ、ないぃ……」
前に現れたのは果たして、現秀尽学園生徒会会長、新島真だった。
「貴方も、学校に勉強しにきたのかしら? あまり、そのようなタイプには見えないけど」
真の言う事は、いつもどこか皮肉めいているように聞こえるな……。
敵対していた頃よりかはましになっている気はするが、根っこの部分は変わっていないか。
「あら、それは心外ね。そんなつもりは毛頭ないし……勉強するのはいい事だし」
……怪しい。
「まあまあ、そんな事より……彼女、は何をしに連れてきたの? 校内見学?」
ううむ、なんと説明したらよいものか。正直には到底言えないし。
「……深くは聞かないでおくわ。そうね……貴方はここに来て日も浅いだろうし、少しだけなら……ええと、一緒に周ってあげてもいいけど」
おお、それは心強い……けど、真も真でテスト期間だろうし。なんていったって校内トップを堅守しているのだから、勉強量も半端ではないはずだ。
今回は遠慮して……。
「今日のノルマはもう終わったから。ちゃんと一か月前から勉強スケジュールを立てた通りに進んでいるから、もう超過分のタスクは残ってないのよ」
さいですか。
一か月前からもうテスト勉強を始めていたとは……あの頃は確か俺、その為の文房具を買いに行ってたんじゃなかったっけ。
ともかく。
そこまで懇意にしてくれて断るってのもなんだから、折角なら案内してもらおうか。まだ俺も知らない場所とかあるだろうし、俺も俺で何か気付くことが――。
『そんな貴方に、女性の友人を紹介されたら……双葉さんは、どう思ったのでしょう、か』
あるかもしれない、と思ったと同時に、昨日一二三が言ったことを思い出す。
反射的に真を見ると、どこか苦笑いを浮かべた表情で、俺の背中の方を見ている、ような気がした。
双葉を見る。
「………………………………」
めっちゃ真を睨んでいた。
ううん、これは、どういう事だ……?
……ああ、確か、真と双葉は前に一度会っているんだったか。その時は真も真で俺をつけていたから、第一印象も中々に良くはなかったように思う。
それと、天才かどうかは分からないけれど、彼女も秀才である事は間違いないだろうし……それを真の言動から感じ取って、そんな渋柿を食んだ後みたいな表情になって――。
『勿論あったでしょう。だからこそ、彼女は……双葉さんは、負けるわけにはいかなかったのです。取柄の一つである、頭脳においては……劣る事は許されなかった』
……。
昨日の一二三がグイグイ突っ込んでくる。
いや……いやいや、まさか双葉も、嫌いな人と難なく知らない場所に行ける程、図太い神経は持っていない……はず。だからといって、それが俺に異性としての好意を持ってくれているという事に直結してしまうのは、日本男児が小学生、はたまた中学生の時分に陥りやすい思考回路という訳であるからして……。
「だ、大丈夫? ……二人とも、もの凄く苦い表情をしているけど……もしかして、お節介、だった?」
ううむ、こんな短時間で整理できるような問題ではなかった。
一二三に説教を受けた後、何も考えずにとりあえず置いておいて、テスト勉強に打ち込んでしまった事が裏目に出た……か。
とりあえず、迷惑を掛けてしまうだろうから、真には申し訳ないけれど遠慮させてもらおうか……。
「……フフ、了解。それじゃあまたね」
最後に笑った理由は判然としなかったけれど、真が嫌な気持ちになってはいないようだったので、ひとまず安心する。
真がせかせかと廊下を歩いて行って、またポツンと俺達だけが靴箱に取り残される。
どこからともなく沈黙がやってくる。
俺はやはり無意識的に話しかけて会話をするタイプではないから、こうして変な間ができあがるのは、双葉が意識的か無意識的に口をつぐんでいるから。だという事を、今知った。
そういえば、ここまで来た時までにはそのような事を意識した事はなかった。という事はつまり、双葉は会話が途切れる度に何か話を振ってくれていた……のだろうか。
……気を遣わせてしまっていたのかもしれない。
双葉を見る。
「……ううん……んんー……んんん」
今度は何か、とびっきり堅いものを噛んでいるかのような険しい表情をしていた。
まるで、一飲みじゃ到底呑み込めない代物を、頑張ってかみ砕いているかのような。
そんな、表情をしている。
もしかして……彼女も彼女なりに、何かに悩んでいる……のか?
双葉は一向にその表情を崩さない。
全然、今から構内を紹介する雰囲気でもなさそうだ。
あまりに双葉がうつろなので、試しに玄関から出てみる……と、その動きに追従するように、双葉も俺の後に続いた。
すごい……この双葉、ホーミング性能がある。
流石にずっとこのままというのも危ないだろうから、強引に双葉を引っ張って。
こうして、俺は帰ってテスト勉強に励むために、四茶を目指した。
ふむふむ……異性に対して興味を持った女性は、その対象に対して何か積極的なアピールをするらしい……と、ネットで見かけたサイトに載ってある。
今のところ、彼女のそういった行動には心当たりがない……し、もしこれが只の俺と一二三の勘違いだとしたら、恥ずかしいにも程があった。穴があったら全力で潜る。あと、一二三にめっちゃ怒る。
「……一二三?」
双葉が唐突に深い思考から目覚める。
「……あいつは強かった。今まで出会った中で一番。……なんで、勝てたか知ってる?」
俺はとりあえず、一二三の推論をそのままに言う。
「……そー。やっぱバレたかー。じゃあもう、ハンデなしでは勝つのは無理ゲーだな」
……そんな事を双葉が言うなんて。正直俺は虚勢を張ってでも、『ま、ヨユーだけどな!』なんて言うんじゃないかと思っていた。
「いや、あの実力差は、さすがにちょいキツい。けど……」
双葉はおもむろにスマホを取り出して、何かポチポチと打ち始める。
「ほれ」
見せてきたスマホの画面に映し出されていたのは、あの日双葉の部屋で見た、棋譜のリストだった。
「ここ、全部一二三が負けてる。しかも女流の棋戦は少ないっぽいから、ここ最近……負けが混んでる」
双葉がスクロールしていく画面を目で追うと、確かに日付は、最近のものばかりだ。
つまり、それが意味する事は。
「スランプ」
だったから勝てたんだよねー、多分。と、双葉は遠慮がちに付け加える。
……そんな事、一二三は言ってなかったよな……。
「まあ、また一回くらい……最強級の一二三とやってみたい、的な?」
そう言い残して、また双葉はブツブツと呟き始めた。
一二三と双葉が、和気藹々と将棋を指す。そんな光景が何故か、とても簡単に想像できてしまう。
実は、意外と……一二三と双葉は、馬が合うのかもしれない、と思った。