もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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6/26『Monster』

 数学の問題集の、今回のテスト範囲であろう部分を一通り終わらせて、一息つく。

 ベッドに寝転がって、いつものようにモナの肉球をいじっていると、突然スマホが鳴りだした。

 宛名を見る。一二三からのようだ……ええと、『分かりました』?

 分かりました? 何を?

 かなり要領を得ない文面に首を捻らせていると、

 

「――……―!?」

 

 今度は、一階が何やら騒がしい。ルブランで何かあったのだろうか……と重い腰を上げると、ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえてきた。

誰かが上がってくる。

じっと待っていると、オレンジ色のアホ毛が跳ねているのが見える。ああ、やはりふた……ば……?

 

「…………おー」

 

 双葉の様子がおかしい。いや、今俺の目の前にいるのは間違いなく双葉だ。しかしその目はひどく充血していて、目に大きな隈ができていた。髪もボサボサだし、何より昨日とまったく同じ服を着ているようだ。

 もしかして、寝てない?

 そう問いかけるよりも先に、双葉が荒々しく俺の腕を掴んだ。どうやら、その体でどこかに出かけるつもりらしかった。

 ……もしかして……。

 

「ふふ……ククク………」

 

 怪しく眼鏡を光らせて、奇妙な笑い声をあげる双葉。一度夜を徹するとテンションがおかしくなる経験が俺にもあるのだけれど、ひょっとしたら双葉は今そういう状況なのだろうか?

 その大きな眼鏡を片手で上げて、俺を見る。彼女にとってそれはキメ顔のつもりだったのかもしれないが、その不健康な顔色も相まって、俺にはとても歪なそれに見えた。

 

「復讐の、時間だ」

 

 

 

 その後、大方の予想通り双葉に腕を引っ張られて向かった先は、神田の教会だった。

 連日教会に通い詰める敬虔なキリスト教徒の気分を味わいながら扉を開けると、果たしてそこには一二三が、いつもと変わらない位置で将棋を指していた。

 連絡も入れずに、一二三と会おうとは双葉も中々リスキーなことをすると首を傾げていたのだけれど、二人と話をしているとどうやらそうではないらしい事が分かってきた。

 なんと、()が一二三を教会に来るようにLINEで指示したらしい。おいおいちょっと待てと焦りながらスマホを開くと、確かに履歴に「教会で待つ」と書かれた後がある。

「分かりました」と通知がきたのは、どうやら一二三がその無骨なLINEに応答したからのようだった。

もちろん不思議に思うのは、俺がこのLINEを送信した覚えがないことなのだけれど――こんなさながら果たし状のような文面に、最低限必要な詮索も入れずに二つ返事で来てくれる一二三も一二三で不思議だ。

さて。

それならもう犯人は、遠隔操作やら何やらを使ったと思われる彼女しかいないだろう、ということになり、一二三と一致団結して双葉を問い詰めた。その矢が降ってくるように猛烈な問い質しを、「てへぺろ」の一言で済ませようとした双葉への処置は、鉄拳制裁にしくはない……と一度は息巻いたのだけれど、一二三が滔々と被疑者に悪い事はしてはならないということを教え説いてくれていたので、止む無くその右腕を解いた。

ともかく。

昨日に引き続き一堂に会した俺たちは、双葉の頼みで一二三との再戦をすることになった。そのような双葉の我儘に、一二三は快くとはいかないが「一局だけでしたら」と応じてくれた。どうやら、俺のLINEで大体の事は読んでいたらしい。さすがは一二三だ。

ハンデ無し、十五秒将棋、一局対決――そんな条件を双葉は何も言わずに呑み込んで、彼女たちの戦いがまた始まった。

 

 まず驚いたことは、双葉が大幅な戦略の変更をした事だった。

 昨日の猪突猛進を具現化したような動かし方とは打って変わって、どっしりと構えられた、スキのない防陣と、相手の隙を虎視眈々と待ち構えると言わんばかりの攻陣が、盤上でひしめき合っていた。

 次に、双葉が異常な程の早指しをこなしたことだった。

 駒と駒が複雑に絡まりあった中盤と終盤は少し考えている場面もあったけれど、序盤に関してはほぼノータイムの即指し。まるで、そう動かすことが決められていたかのように錯覚してしまう程に、異常なスピードで双葉の手が動いた。その早さに釣られるようにして、一二三の指す速さもだんだんと早くなっていったのが分かった。

 そして、最後に――。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 彼女が、教会の天井を見上げる。苦しそうに息を漏らして、キッカリ十五秒後、指を震わせながら自駒を持ち上げた。

すかさず、相手は即指しでそれに応じる。

 

「……ッ!」

 

 また十五秒の間が空く。相手が即指しをしている理由は、彼女の思考時間を一瞬たりとも削るためかのように思われた。たまらず彼女は、声を発さず眉を潜める。それでもなお考えるのを止めていないのは、彼女は本当に端から真剣勝負で挑んでいるからだろう。

 しかし……。

 

「……」

 

 手を伸ばす。その動きにいつものようなキレはなく、よろよろと、何かに――駒に救いの手を求めるかのようなそれだった。

 スマホで、秒針をじっと見つめる。制限時間は刻々と迫ってくる。十秒、……五…三、

 一。

 

「あ……あぁ……」

 

 その弱弱しい手は、駒を掴む……素振りだけを見せて、膝の上に置かれた。

 ゼロ。

 

「ありま、せん……」

 

 ――そして。

 昨日の平均的なそれとは2倍以上の手数を要して――東郷一二三は、投了を告げた。

 勝ったのは、双葉だった。

 

 

「「「…………」」」

 

 互いに思う所があるのか、将棋が終わっても沈黙していた。双葉は前かがみになるようにして、一二三は――心ここにあらずといった感じだ。そして、明らかに……目に涙を浮かべている。

 かくいう俺も、終始冷静に局面を分析している余裕はなかった。

 結局は、先手の利をいかした双葉の優勢を、ずっと一二三は覆すことができなかった。本当に危なげのない勝利というか……素人のそれではなく、むしろ老獪した雰囲気すら見せた双葉の指し方だったように思えた。謎めいているのは、そんな1日ちょっとで、変わるものなのだろうかということだ。

 天才。

 将棋のプロを志している、またはプロである人たちの殆どは、そういった人たちの事を言うのだろう。そして、女流棋士でありリーグの優勝経験を持つ一二三も、名だたる鬼才の持ち主であるという事は疑いようもない。

 

「……くっ……うう……」

 

 その稀有な才能を持つ一二三が、尋常でなはい数の勝ちと負けを経験して、今ここにいるのだ。

 そんな血が滲むような努力を、双葉はたった1日で巻き返した。叩き潰した。

 一二三が天才であるならば、双葉は、一体。

 その時、俺は……少なからず、双葉に対して一種の恐怖に似た感情を覚えた。

 

「……くぅ」

 

 ……んん?

 首を上下に揺らす双葉に違和感を覚えて、横から双葉の表情を窺う。

 寝ていた。

 ガチ寝してる……さっき恐怖に似た感情を覚えた、なんて仰々しい事を宣ったのにこれでは、どこか拍子抜けではある。

 とりあえず、双葉はおぶって帰るとして……。

 

「……大丈夫か?」

 

 悔しそうにスカートを握りしめる一二三に、ハンカチを差し出す。こういう時は、何を行ったらよいかは正直分からない……し、陳腐な慰めしか頭には思い浮かばない。そんな自分を、少しだけ恥じる。

 

「ええ……ありがとう、ございます。負けてしまった時の、いつもの癖ですので……その……は、い」

 

 まだ気持ちの整理がついていないのか、しどろもどろに言葉を紡ぐ一二三。

 そっとしておこう……その方が今は、良さそうだ。

 

 やはり、意外と女の子らしい感触を背中に感じてドギマギしながら電車に揺られ、そのまま佐倉宅へ着いた。教会からずっと双葉を背負っている訳だけれども、信じられないくらい、起きる気配がなかった。時々耳をかゆくさせる寝息と、背中の温かみが無ければ、正直死人を背負っていると思ってしまうレベルだ。

 一二三に渡したハンカチは、次会った時にもってきてくれれば良いから、とだけ言ってそのまま別れた。泣いている女性を放っておくのは如何なものかとは思ったが最後は、負けると条件反射のように泣いてしまうという一二三の言う事を信じることにした。双葉を送り届けないといけないし……うん。

 えっちらおっちらと階段を昇って、部屋に鍵が掛かってないことにホッとし、ドアノブを回す。

 開けた瞬間、何か目を差す光に目を細める。徐々に目を開きながら見ると、どうやらパソコンの画面から出ているもののようだった。つけっぱなしのまま部屋を空けてしまったのだろうか……。

 その光に目を奪われていると、何かに躓いて前によろめく。ずりおちてくる双葉を支えつつなんとか体勢を整えてそちらを見ると、その物体は、飛車の駒が控えめに印刷された将棋の本のようだった。

 パソコンの光を頼りに辺りを見回すと、そのような本が十何冊も床にちりばめられていることに気付く。

 ……。

……もしかして、これ、全部読んだのか?

 こんな量を1日で読むなんて事は、物理的に可能なのだろうか。いや、もし読めたとしても、一二三に勝てるかどうかと言われれば、無理に決まっているのだけれど。

 床に落ちている障害物を器用に躱しながら、ついに双葉をベッドにインさせることに成功する。……ふぅ、2回目となると流石に慣れてくるな……と、何故かこれだけで一仕事終えたような気持ち。

 暗がりの中で双葉を見る。先の激闘を制したとは到底思えないくらい、実に気持ちよさそうな寝顔だった。……うん、大丈夫。いつもの双葉だ。

 パソコン、一応消しておこうか……。

 画面の前に立つ。じわじわとくっきり見えてくる画面。白いウィンドウに、細かな文字が綴られていた。

 

「これは……?」

 

 そのびっしりと書かれたそれに、目を凝らす。

 

 7六歩、3四歩、2六歩―――

 

 ………………符号、か?

 確かに符号だ。

 そこには『後手:東郷一二三』と書かれている。

 ………………。

 ほぼ無意識にマウスに手を伸ばして、画面をスクロールさせる。ガリガリという音が、双葉の部屋に響く。

 迄97手で先手の勝ち。

 迄103手で先手の勝ち。

 先手の勝ち。

 先手の勝ち。

 勝ち。

 先手の――。

 遂に東郷の名前が出なくなり、代わりに知らない棋士の名前が画面に映し出される。

 そして――さっきからスクロールバーが、()()()()()()()()

 先手の勝ち。

 先手の勝ち。

 先手の勝ち。

 全て先手の勝ち。偶然ではないだろう。それがなにより――()()()()()()()()()()かのように、思われた。

 そんな。

 ……まさか。

 

「……ううん……?」

 

 凄まじい速さでパソコンを落として、双葉の方を振り返る。……どうやら、寝返りを打っただけらしい。

 そのまま、そそくさと双葉の部屋を出る。そして、今見たものを忘れるように、髪をクシャクシャと掻きまわした。

 しかし――屋根裏部屋で見せた彼女のキメ顔は、どうにも頭から離れてくれなかった。

 






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