もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら   作:菓子子

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6/8『Four』

 今日は肩を少し濡らす程度の雨が、教会に降り注いでいた。

 それに呼応するように、余計な考えが俺の頭の中に降り注ぐ。

 その中身は、無論件の双葉の盗聴問題だ。いや、もう既にその問題自体は収束してあるのだけれど、そのアフターケアに難があった。一応にと入れておいたLINEの返信は来る気配すらなく、通学の行きしなによった部屋は物音すら聞こえなかった。またうみゃあ棒で釣ってしまおうか――なんて邪な考えすらしとしとと降ってくる。

 いや、ここで甘やかすような事をしてはいけない。といってもそのままの放置は今後の関係にヒビが走るかも……ううむ。

 

「悩んで……いられるみたいですね」

 

 目の前では、一二三が新手を考えているのか一人将棋を指している。一人で考えている時は、いつもの一二三でいるようだ。

 勝負に対して熱くなるタイプなのだろうか。

 

「将棋を指していると、時々相手の感情を読んでしまう事があります。貴方は……そうですね、手に迷い、があったと言いますか。いつも悩んでおられるような雰囲気ですが、今日は、特に」

 

 ふむ。

 将棋を指しただけで感情を読み取られるというのはぞっとしない話だけれど……一二三だけの特技なのだろうか。

 

「何を考えているのか分からない人は、大体何も考えていないらしいのですが、どうなんでしょう……?」

 

 どうなんでしょう、と言われても。

 俺は何も考えていない奴だと思われているのだろうか。甚だ心外……傷つく……。

 

「ふふふ……冗談ですよ。悩む事は良いことです。それすなわち、問題を正面から受け止めているという事に他なりません、から」

 

 中々嬉しい事を言ってくれる。

 けれどなぁ……悩みに悩んで、その結果良い目が出たという経験は、実際あまりない。

 

「考えすぎは、マイナス思考の元……ですから。長考をしても必ずしも、いいえ、むしろ読み通りになる事は少ないのと同様です」

 

 考えすぎ。

 マイナス思考。

 ではどうしたらいいんだろう。その話を鵜呑みにするとしたら、悩んだとしても状況が良くならない訳だから結局、悩むべきじゃないんだろうか。

 

「ようは、匙加減が大事……だという事です。メリハリ、とも置き換えられますね。悩むべきことはしっかりと悩んで、しかしいつまで経っても思考の輪から抜け出せない時は……流れに身を任せば吉……だと、私は読みます」

 

 そう言いながら駒へと手を伸ばす挙動は、一糸の乱れもない。呼吸すらも禁じられていると錯覚してしまいそうな一二三のその静かな挙動に、思わず息をのむ。

 にしても、含蓄のある話だとは……思う。将棋を指しながらこうやって時折詰まりながらも言葉を出せているのだから、本当に、頭が良い人の思考回路が全く分からない。

 流れに身を任せる……か。

 じゃあ、一二三がグラビアを受け入れた事も、結局は流されてしまったからじゃないのだろうか。

 

「……」

 

 一二三が先ほど持った駒をポロっと落とす。咄嗟に反応したのか、拾おうとした手がそのまま将棋盤に当たってしまう。盤上の駒達は揺れに揺れて、端っこにいたそれらの何枚かはボロボロと落っこちていた。

 

「痛い所を、突かれてしまいました」

 

 どうやら痛い所を突いてしまったようだ。

 

「時々貴方は、やはりそうやって妙手を放つ鋭い勘を持っているようです……。確かにそうかもしれない、と、一瞬思ってしまいましたから……これは、一本取られましたね」

 

 ふふふ、と口元に手を当てて笑う一二三。正直言った瞬間は怒られそうだと思ったけれど……そんな冷徹なまでの冷静さは、流石といった……ところなのか?

 さっき駒を落としていたから、これでトントンかも。

 

「日が経つにつれて……次第に、物事が大きくなっているのを感じます。私では対処しきれなかった部分もあったのかもしれません」

 

 退場した駒を、また先ほどの状況に戻す一二三。迷いがない所作から見て、全ての駒の配置の場所を記憶しているんだと思う。

 将棋盤、必要ないんじゃ……?

 

「それなのにも関わらず、深く考えてすらない理屈を通して、あたかも私の本当の動機のように語っていたのかもしれません……。改めて、自身の未熟さを思い知らされた様な心地です。……失望、しましたか?」

 

 ……そんな。

 むしろ、親近感が湧いた……と言うのは、気が利くどころか、少しデリカシーがなさすぎるかなと、言いとどまる。

 

「私もまだまだ子供だと……言う、ことでしょう。……いつになったら、大人になれるんでしょうね?」

 

 自嘲気味に笑みを浮かべたまま、目を細める。その視線が注がれているのは、駒を落とした前の場面だ。持った駒をフラフラと彷徨わせて、ピシッと張り詰めた空気を打ち破るかのような音が鳴る。

 

「そういえば」

 

 一二三の言葉に、熱気が宿る。

 

「私は負ける事をあまり良しとはしません。たった一回でも、一本でも、負かされた日と相手は覚えてしまっているくらいに。ですので……貴方に、リベンジを挑みます。『この』新手で……貴方を負かして差し上げましょう」

 

 スラスラとした淀みのない流れで捲し立てる一二三。将棋盤を見ると、さっきまで優勢に思えた玉があっという間に詰まされていた。新手って……もしかして、『今』考えたのか?

 喋っている間に?

 ……。

 

「ハンデ無し、一手十五秒の早指しで……それでは、参ります」

 

 ……大人げないと思う。

 


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