マル・アデッタへ   作:アレグレット

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第三話 見えざる思い

長身の男はふらつきながら路上を歩く。もう町は夕闇に包まれていたが、彼の足は止まることはない。

「くそったれの帝国のクソ野郎が。」

帝国語の公用語で書かれている看板に唾を吐きかけた。そんなことをすればたちまち憲兵隊がやってくるのだが、あのレンネンカンプ高等弁務官死亡以来、帝国軍は占領地の一角に身を潜めている。それを知った同盟市民の中には帝国公用語に手あたり次第に落書きを仕掛ける輩が出てきていた。

 男の前の看板にも卑猥な言葉がスプレーで書かれている。それに、携帯していた酒瓶をラッパ飲みした酒を思いっきり吹きかけた。

「それ以上に同盟の野郎どもも腰抜けだぜ!!」

俺もだぜ、とつぶやいた声は小さかった。あぁ、小さい小さい。こうして飲んだくれてふらつきながら歩いても、何にもなりゃしねえ。1か月か2か月後には帝国のクソ野郎どもがやってきやがるだろう。

「あのなまっちろい金髪を先頭にな。」

苦々しい錆びた味が男の二日酔いの舌を刺激した。強烈な吐き気が男を襲い、看板の下にほとんど四つん這いになっていた。朦朧とする意識の中、自分の左腕が見えた。刺青をした左腕には、かつてのエースである自分の名前が刻まれていた。異名と共に。

「・・・・・・・・。」

どれくらいそうしていたかわからないが、男は顔を上げた。悲鳴のような物が聞こえた気がしたのだ。そして、それに続く怒声。どうやら治安はこれまでの層倍悪くなっているらしい。同盟政府が夜間外出禁止を呼びかけるくらいなのだから。

「くそったれめ。」

男は立ち上がった。急に怒りがわいてきたのだ。こんなことになっている同盟にも、攻めてくるおせっかいな帝国にも、そしてみじめに四つん這いになっている自分自身にも。

「助けてください!!」

不意に横合いから腕を掴まれた。女性が一人、血相を変えて腕にしがみついている。

「おい!その女をよこせ!」

このあたりを縄張りにしている素性が悪い面々が3人ほど後ろをふさいでいた。

「この女、俺たちにショバ代も払わねえで店をつづけようとしやがって。」

「もう、お金払ったじゃないですか!これ以上は無理です!」

「うるせえ!」

破落戸の一人が女を掴もうとするのを、男は振り払った。

「邪魔するなや!!」

破落戸が吼えた。他の二人も男に加勢しようと身構える。だが、その姿には邪悪さよりも悲哀さがにじみ出ていた。

「なぁ、おい。どうしてそんなに荒れてるんだ?あぁ?ショバ代なんざ、他の奴からでも取れるだろうが。」

「皆逃げ出しちまいやがったんだ!!」

絶叫に近い怒声が男の耳を打った。

「それもこれも、くそったれの帝国のクソ野郎共がくるってんで、皆逃げ出しちまいやがったからだ!!」

「くそったれの帝国のクソ野郎。」

「あの金髪のクソ野郎が!!」

3人の男は夜空に奇声をとどろかせたが、それは空しく響くだけだった。恐怖の代わりに愁嘆場のような空気があたりを支配した。

「悪いことは言わねえ。お前らもこんなところにしがみついていないで、さっさと逃げろや。あの金髪はお前らのような奴らを一番憎むって聞いているぜ。」

「て、めえ!!」

激昂した一人が男の左腕をつかむ。よろめいた男はたった一つ明滅している街灯の下にひきずられた。

「お・・・・!」

意外なことが起こった。つかんだ腕を男は離したのだ。

「アンタ・・・!!アンタだよ!!」

「何?」

「ほら、これ!この刺青!!あの撃墜王リオン・ベルティエ大尉だよ!!」

3人の一人が興奮気味に仲間に話しかける。その途端、他の二人の眼が変わった。

「マジか!?」

「本当か!!」

「間違いねえよ、なぁ!?アンタそうなんだろ?」

一気に変わったあたりの空気に唖然としている女性をしりめに、面倒くさそうにリオンは腕を隠したが、否定しようとはしなかった。

「・・・・・昔の話だ。今じゃただの飲んだくれの親爺だよ。」

「そうなんだな?!そうなんだな?!」

皆興奮した面持ちで集まってきた。

「俺、いや、ここにいる奴ら、皆アンタにあこがれてたんだよ。だからパイロットになりたいってんで軍隊に入ったんだ!なぁ!!」

他の二人も勢い込んでうなずく。

「けどよ・・・・。せっかく入ってシゴキにも耐えて、やっと憧れのスパルタニアンに乗れると思ったら、あの帝国のくそったれの帝国のクソ野郎共が攻め込んできて全部終わっちまったんだ。」

3人はチンピラではなかった。生きる拠り所を失ってただ路地裏に漂う哀れな漂流物と化していたのだ。

「なぁ!アンタ戦うんだろ!?そうだよな?な?あんな帝国のクソ野郎共に負けるあんたじゃねえだろ!な!?」

「うるせえよ、ボウズ。」

邪慳にして手を振り払おうとも、熱気に包まれた三人の若者は質問攻めを辞めなかった。アンタ撃墜記録300機ってホントか?非公式の奴も入れたら、500機を超えるかもって本当か?おいおい、マジかよ!あのオリビエ・ポプランも真っ青の記録じゃねえか!

「ポプランか。懐かしい名前だぜ、あの青二才がな。」

俺が昔入りたてのあの青二才を教えたと言ったら、こいつらなんていう顔をするだろうかな。などと思っている間にも、3人はしゃべるのを辞めなかった。

「俺、アンタにあこがれてんだ!アンタと一緒に戦えたら、どんな敵って俺、倒せる自信があるぜ!!」

「俺もだ!」

「俺も!!」

「あのう・・・・。」

4人は振り返った。女性が一人所在なげに佇んでいる。

「こんなところで騒いでいると、警察に見つかりますよ。場所代は払えませんけれど、代わりに私の店に来ませんか?」

「・・・・・・・・。」

3人の若者は、自分たちがすべきことを思い出したようだったが、言い合せたようにかぶりを振った。

「あんたがいなかったら、俺たちはこうして憧れの人に会えなかった。ショバ代はいいぜ。その代わり、場所を貸してくれねえか?」

「おい――。」

「な、いいだろ?リオンさん、いや、リオン師匠!!」

「俺は師匠じゃねえ――。」

「早く早く早く!もっともっと話が聞きてえ!!」

3人の元パイロットに引きずられた古参のエースパイロットは助けを求めてきた女性の店に足を向けざるを得なかった。

 

 

* * * * *

チュン・ウー・チェン大将は帝国軍迎撃の準備を整える宇宙艦隊司令部を抜け出していた。

「少し、散歩をして、サンドウィッチを買ってくるよ。どうも頭が働かなくてね。」

激務にお疲れなのだろう、と察した副官たちは司令長官代理殿を見送った。入り口のところでさほど見とがめられなかったのは、元々の容姿に影響するところが多い。

彼は無人の地上車を拾って、ある場所に足を向けた。行きかう車も少なかったため、公園近くの郊外の閑静な住宅にたどり着いたのは、10分後だった。

「失礼いたします。御主人は御在宅ですか?」

ベレー帽を取って、尋ねるチュン・ウー・チェン大将を出迎えた老婦人はかすかにうなずいて見せた。彼の訪問を予期していたように、全く驚きを見せなかった。

「あなた、チュン・ウー・チェンさんがお見えですよ。」

穏やかな声にこたえて出てきた人物にチュン・ウー・チェン大将は敬礼を施した。

「いやいや、気を遣わんでくれ。もう退役した身なのでな。」

アレクサンドル・ビュコック退役元帥はチュン・ウー・チェン大将を制した。

「それに、この通り、杖をつかわずにはいられなんだでなぁ。」

老妻の助けを借りて、狭いが居心地のよさそうな家具に囲まれたリビングに老人は腰を下ろした。

「夜分失礼します。こうでもしませんと、中々機会がありませんので。」

「構わんよ。どうせこちらは暇なものでな。」

老妻がお茶を二人の前に並び終えるまで、二人は口をきかなかった。

「私がここに来た目的は、閣下も承知しておられるはずです。この際回りくどい言い方をしている時間はありません。非礼を承知で単刀直入に申し上げます。どうか、現役に復帰していただきたい。」

ビュコック退役元帥の反応はチュン・ウー・チェン大将の瞳には表立って映ることはなかった。老人は聞く前と同じ姿勢、同じ顔色で自分を見つめている。

「それは、貴官の一存かね?」

「最高評議会議長も閣下の現役復帰命令をすでに出されております。」

チュン・ウー・チェン大将は軍服からややつぶれた命令書を取り出した。それは初めての事ではなかった。老元帥は再三にわたり最高評議会議長からの現役復帰要請を拒否していたからだ。

「最高評議会議長の命令書も、重みがなくなったというわけか。」

「残念ながら。」

自分がしでかしたことを恥じる要素はチュン・ウー・チェン大将には一つもなかった。老元帥は封印された命令書をためすがめす眺めていたが、それを開きはしなかった。

「カイザー・ラインハルトと一戦交えるという事が、どれだけの事か、貴官は分っておるかな?」

「わかっているわかっていないの問題ではありません。これは必要な事なのです。」

宇宙艦隊司令長官代理の答えは退役元帥にとって予想外だったらしい。

「ほう?このまま黙って帝国軍を通せば、犠牲は少なくて済む。死ななくてもよい将兵が死ぬことはない。そうではないかね?」

「確かに、一時はそうなるでしょう。ですが、私が危惧しているのはその後の事です。」

「その後?」

「同盟市民は良くも悪くも誇り高いことを閣下も十分ご承知でしょう。」

チュン・ウー・チェン大将が何を言わんとしているかをビュコック退役元帥は読み取った。

「なるほど。自分たちよりも劣った制度、民主主義の敵、自由を束縛する敵に頭を下げることほど嫌なものはないからな。」

「先の占領下の際には、そのような事は起こりませんでした。同盟が形の上でかろうじて存続を許されたからです。ですが、恐らく、今度こそ帝国は同盟を潰しにかかるでしょう。そうなれば、それに反発する人間が大挙してゲリラ戦を展開しないとも限らない。それを鎮圧するのに帝国は大兵力を投入するでしょう。そうなれば、女子供も関係なく被害を受けます。犠牲は増える一方でしょう。」

「同盟が帝国との力の差に気が付き、自ら頭を下げない限りは、か。」

ビュコック退役元帥は紅茶のカップを傾けた。

「圧倒的な力の敵の前には無力であることを、認識した時、人は首を垂れるのです。なまじ敵の力量がわからないからこそ、かえって抵抗しようという気になる。」

「貴官が、こうして一人でやってきた理由がわかったよ。」

ビュコック退役元帥が軽い笑い声を立てた

「ええ、こんなことを言っていることが知られたら、私は八つ裂きにされるでしょうな。もっともそれもまだ幸せな方なのかもしれませんが。」

チュン・ウー・チェン大将は微笑んでカップに口を付ける。

「貴官の言わんとすることは分かった。同盟市民を守るために、我々は負けなくてはならない。それも、生半可な負けっぷりでは駄目だ。派手に負けること、全滅を覚悟で負けなくてはならない、というわけだな。」

チュン・ウー・チェン大将はうなずいた。言葉に出してこそ言わなかったが、ヤン・ウェンリーと共に、この老元帥こそ今の同盟にとって最後の光なのだ。その光を消し去った時、同盟市民は初めて長い暗い夜を受け入れる覚悟ができることだろう。

「だが、ヤン・ウェンリーの事はどうする?あれがいる限りは、民衆は希望を捨てないだろう。いつかは、自分たちを解放してくれる存在だと信じて待ち続けるだろう。まさか、ヤン・ウェンリーを自殺者の列に引きずり込むわけにはいくまい。」

「おっしゃるとおりです。ヤン・ウェンリーは生きていますが、どこにいるかは分らない。実際どうしようもないわけです。ですから、わざわざこちらに来てもらおうとは思っていません。ヤン・ウェンリーには民主主義の最後の砦になってもらうことになる。本人は間違いなく嫌がるでしょうが。」

ビュコック退役元帥には、チュン・ウー・チェン大将の意図していることは分かった。要するに、抵抗は無益であり、じっと耐え忍ぶ日々を送ることを認識することこそが今の同盟市民に必要な事なのだ。

自分たちが玉砕し、抵抗勢力を失った同盟は降伏し、長い暗い夜を迎えることとなる。だが、ヤン・ウェンリーという希望がある限り、明けない夜はないことを民衆は希望を持ちながら耐え抜くこととなる。

 

自分たちは、その長い暗い夜の到来を告げる使者になるわけだ、とビュコック退役元帥は思った。

「我ながら、嫌な役回りじゃな。」

そう言った時、老人の覚悟は決まっていた。

「よろしいのですか?」

「儂が最高評議会議長からの要請を拒否したのは、ヤン・ウェンリーを討伐せよとの命令を受けることがわかりきっていたからじゃよ。だが、今度は違う。久方ぶりに帝国と戦うことになるのじゃからな。」

「閣下にはご迷惑をおかけしてばかりですな。」

ビュコック退役元帥は無言で首を振った。

「だが、一つ条件がある。」

「なんでしょうか?」

「貴官は同盟の未来を守るための戦いと言ったが、儂にはもう一つ意味があると思う。それは、同盟の古い血を淘汰するための物だ。」

一瞬自分の眼が見開かれたかもしれない、とチュン・ウー・チェン大将は思った。それほど衝撃的だったのだ。

「長く生きる人間ほど、昔の体制を普通だと思っておる。当たり前だと思っておる。そんな人間が多くいればいるほど、これからの未来にとっては邪魔じゃろう。逆に、未来を拓くべきなのは若い人間じゃ。そのような人間の将来を絶つことは儂にとって忍びない。それに――。」

ビュコック退役元帥は目じりを手でもんだ。

「長くここにいた人間は、自分たちの故郷が滅びるところなど、見たくはないじゃろうて。」

「・・・・・・・・・。」

地上車が一台、ヘッドライトと共に邸の外を走り抜けていった。

「30歳以下の人間は連れて行かぬこととする。それが、儂の条件じゃよ。どうかね?」

「老兵を率いての戦いですか、まさに自由惑星同盟の終焉にふさわしい、と後世の詩人などがそういう事でしょうな。」

チュン・ウー・チェン大将はうなずいた。

「わかりました。おっしゃる通りにいたしましょう。」

チュン・ウー・チェン大将はソファーから立ち上がった。時間はいくらあっても足りることはない。彼にはまだやるべきことが多く残されていたのだから。

ビュコックは自分で杖を突いて彼を戸口まで送った。ふと、リビングの奥でお茶のカップを片付け始めているビュコック夫人の姿が目に留まった。

「閣下。」

思わずチュン・ウー・チェン大将が言い出そうとするのをビュコックは制した。

「いやいや、貴官に言われる必要はない。儂はこの年まで十分すぎるほど生きた。それに、若い者に重荷を背負わせて傍観して居ることなど、儂には出来んのでな。老体であるが、まだまだ働けるつもりじゃよ。」

「・・・・・・・・。」

無言で3秒ほど上官を見つめたチュン・ウー・チェン大将は敬礼を施した。

彼がビュコック邸を辞したのは、日も変わろうとする頃合いだった。

「どうしたのかね?」

静かに通信が来たことを知らせ続ける端末を手に取って、チュン・ウー・チェン大将は耳元に当てた。副官からだったが、声が切迫しているため、何か容易ならぬことが起こったことはすぐに分かった。

 

『閣下、同盟市民が暴動を起こしました。至急お戻りを。』

 


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