マル・アデッタへ   作:アレグレット

2 / 20
第二話 現状の確認と始動

 ミーナハルト・フォン・クロイツェル少佐は無表情に軍服を身に着けた後、赤い髪を後ろで束ねると、自分の部屋を出た。非番になったにもかかわらず、所属から呼び出しがかかってきたのだ。

 

「フリオ?」

 

出がけに息子の部屋に声をかけたが、返答はない。いつもの事だと思いながら、台所にメモを残し、官舎を出た。

 11月にしては妙に暖かい陽気だった。晴れ渡っているのに無風状態であり、外には人っ子一人いなかった。彼女はフリーのタクシーを探したが、いつもならば捕まるはずのタクシーはおろか車両自体が走っていなかった。諦めて徒歩20分ほどにある最寄りの駅を目指して歩き始める。

 164センチ、31歳の彼女はすらっとした体形から、遠目には20代前半に見えた。ただ、近寄ってみると荒廃したどこか諦めきった表情からもう若くはないのだと認識されることとなる。

 誰もいない市街地を彼女は黙々と歩き続ける。時折聞こえる怒声、そして悲鳴のような叫び声が、かろうじて市街地に人が残っていることを示していた。

 

宣戦布告を受けてからの自由惑星同盟は文字通りパニックになっていた。徹底抗戦を叫ぶもの、山間部に退避しようと試みるもの、帝国と和平交渉を結ぶべきだと叫ぶもの。十人十色の評議会では連日議員たちが小田原評定を続けていたが、何の利益ももたらすことはなかった。

 政府の無為無策にパニックを覚えた市民たちは、争って食料の確保、あるいは山間部への退避、宇宙港からこの惑星を脱出しようと動き回った。だが、どこへ逃げられるというのだろう?辺境に逃げたところで、ラインハルト・フォン・ローエングラム率いる軍隊からは逃げおおせられるはずもなかった。

 政府は情報統制と食料統制を徹底させた。スーパーには営業時間を短縮させ、必要物資は制限制に切り替え、宇宙港からの出航を原則禁止としたのだ。いわゆる消極的な対策しかとらなかった政府と対照的に軍は積極的だった。予備役招集を開始し、艦船及び志願兵の募集を開始するなど、準備を整えていたのだ。

 

「娘さん。」

 

不意に道端から声を掛けられた。濃いブラウンの瞳を向けると、老夫婦が家の戸口の前に立ってこちらを見ている。

 

「あんた軍人さんなんだろう?聞いていないかい?どこに逃げればいいか、軍人さんなら何か知っているんだろう?」

ミーナハルトは黙って首を振った。それだけでは済まされないと思ったのか、

「私は呼び出しを受けて統合作戦本部に行くだけです。上からは何も聞いていません。失礼ですが、市役所か近くの支所に行ってみてはどうですか?」

「空っぽだったよ。」

老婆が声を震わせた。

「みんないなくなっちまったんだ。誰一人いない。近所の人もみんなどっかに行ってしまったんだ。」

「・・・・・・・。」

「みんなこの星を捨てて逃げるのかねぇ。」

命あっての物種、という言葉がミーナハルトの脳裏に浮かんだ。それをどこか他人事、そう、いうなれば観客の立場でどこか突き放してみている自分を自覚しながら。

「あんた、どうするんだね?軍人さんは皆戦いに行くんかね?」

老人が尋ねてきた。

 

「さぁ・・・・。」

 

と、言いたくなるほどミーナハルト自身にも状況がわかっていなかった。彼女は今は統合作戦本部の情報3課という部署に在籍している。「花形一課、終身二課、鳴かず飛ばずの三課さん。」などと言われるほど、3課は他の2課に比べて人気がなかった。海賊や無法者の情報収集等、何しろ地味な仕事なのだ。そんな場所にいる自分にいったい何ができるというのだろう。

 

昔は違った。そう、昔は――。

 

そんなことを考えているうちに、声が聞こえなくなった。いつの間にか老夫婦の姿が見えず、彼女は再び歩き出していたのだった。義務感という物ではなかった。ただ、呼ばれたから行く。それだけだった。感情を整理し、自分の意見を出そうなどという積極的作業など、彼女はここ最近したことはなかった。

 

一人、誰一人路上に出ていない人気のない街路樹を、彼女は最寄りの駅に歩いていく――。

 

* * * * *

自由惑星同盟の宇宙艦隊総司令部の司令長官室では、代行のチュン・ウー・チェン大将が艦隊運用部長ザーニアル少将と向かい合っていた。

 

「宣戦布告はもう見たかね?」

パン屋の二代目などと言われた風貌を持つチュン・ウー・チェン大将はザーニアル少将に尋ねた。

「あれを見ていない者の方が珍しいことだと思いますよ。」

鍛冶屋の親方の風貌を持つずんぐりした40代の壮年の少将は生真面目な顔で応えた。

「表立っては騒ぎはありませんが、それは受け入れにまだ時間がかかっている証拠でしょうな。衝撃が大きければ大きいほど、受け入れるには時間がかかるものです。ですが、受け入れてしまえば、恐慌は必至かと思います。」

「なるほど・・・・。」

チュン・ウー・チェン大将は窓の外を見た。今は穏やかな晴れ空だが、その下にはそれぞれの同盟市民が息を潜んで、あるいは息をのんで、ラインハルト・フォン・ローエングラムの宣戦布告を受け止めていることだろう。

「で、どうなされますか?」

ザーニアル少将が司令長官代理に声をかけた。

「どうとは?」

穏やかな眼差しでザーニアル少将に視線を戻す。

「軍としては迎撃の準備は、整えるべきだと思いますが、このあたりいかがお考えですか?」

さりげない一言の中に重大な要素が隠されていた。チュン・ウー・チェン大将がそれに気が付かなかったはずはないが、彼は決断を述べることはしなかった。

「最終決定は最高評議会議長がすることになるよ。まぁ、もっとも、我々としては常識ある行動をとることになるだろうがね。」

「それは?」

「現状を把握し、戦力、補給、情報を整理することさ。」

そう言った時、後方勤務本部長代理、情報部長が入ってきた。後方勤務本部長代理についてはアレックス・キャゼルヌ中将が出奔してしまったため、後任としてリー・ヴァンチュン少将がその任についていた。彼は長身の痩身、反対に情報部長のトーマス・フォード少将は背が低く肥満体だったが、二人の仲は至極よかった。

「さて、あまり時間がない。早速だが現状を報告してください。」

コーヒーが運ばれ、一同の前に置かれたのち、チュン・ウー・チェン大将は一座を見まわしながら言った。

「まずは、現在の艦艇兵力について、だが。」

艦隊運用部長は手元のファイルをめくった。

「資料を用意しても回りくどいでしょうから、単刀直入に申し上げます。先のランテマリオ星域会戦、そしてヴァーミリオン星域会戦において、我々は持てうるかぎりの戦力を最後の一隻まで投入しました。その結果、今手元に残っているのはその敗残の艦艇にすぎません。」

「数は?」

「廃棄を免れた戦艦492隻、巡航艦1968隻、空母481隻、駆逐艦2598隻、雷撃艇・ミサイル艦1947隻、計7486隻です。」

やはりというか、巡航艦、駆逐艦、ミサイル艦が大半で有り、戦艦、空母の数はひどく少ない。それでも、バーラトの和約から半年もたつのに、まだ残存艦艇が残っていたことに一同は驚いていた。

「まだ廃棄を免れた戦艦が残っていたのかね?」

情報部長のトーマス・フォード少将が声を上げる。

「レンネンカンプ高等弁務官には表向き廃棄したことを申告していましたが、ひそかに航路外衛星の非常用の地下ドックに隠していた戦艦が幾隻か残っています。空母も同様です。」

大気圏降下装置を持たない自由惑星同盟の艦艇は原則として宇宙空間で待機することとなる。そうはいっても、修理の為にドックに入ることは必須であり、そのために無重力惑星に修理施設があるのだ。表向きそれらはすべて帝国軍に申告し、現物確認を行っていたのであるのだが、意図的にいくつかの修理施設(小規模)はリストから外していたのである。その地面下には広大なドックが張り巡らされているものもあって、数少ない戦艦、空母はそこに隠されていたのだった。

「ですが圧倒的に主力艦が足りません。」

ザーニアル少将は唇をかみながら言った。チュン・ウー・チェン大将は何か考え込む顔つきでザーニアル少将の手元のファイルを見ている。

「涙を呑んで廃棄しなかった者など一人もおらんよ。自分の乗っていた艦を沈めた者も多くいることだろう。」

「トーマスの言う通りだ。」

リー少将が同意する。

「帝国がすぐさま攻め寄せてくるとして、約1か月というところか。それまでに現在の兵器工廠の稼働能力をフルに活かしても、後3000隻の増産が限界だろう。しかもそれは巡航艦、駆逐艦といった小艦艇のみだ。戦艦などを増産する設備は既にバーラトの和約により破壊してしまったのだからな。」

リー少将の言葉に同意を示したザーニアル少将がさらに補足する。

「そうなると、わが軍は1万隻程度の艦で迎え撃たなくてはならなくなる。それ以前に、ガンダルヴァ星系にはシュタインメッツ艦隊が駐留している事実を無視はできないだろう。」

ガンダルヴァ星系はバーラト星系の銀河基準面南東方向、通常航行距離にして約1週間の地点に位置する。ヤン艦隊によって大損害を被ったシュタインメッツ艦隊は、その後再編を行って1万5600隻の艦艇を有し、このガンダルヴァ星系惑星ウルヴァシーを根拠として、バーラト星域に対しての監視を行っていた。

 

 今の同盟軍の兵力では、このシュタインメッツ艦隊にすら太刀打ちできない。

 

「艦艇戦力の現状はわかりました。次に投入できる同盟軍の兵員について教えてほしい。」

チュン・ウー・チェン大将は後方勤務本部長代理を見た。

「残念ながら閣下もご承知の通り、バーラトの和約とそれに付随する条項によって大幅な軍縮が図られた結果、同盟軍は往時の20分の1にまで減ることとなりました。実際最大限に動員できる兵士の数は、200万人に足りません。しかもそれは、首都防衛部隊から辺境の警備隊、新兵から老兵までをかき集めた数字です。」

これに付随して、補給路についても補給艦の不足から満足な補給ができない状況にあります、とリー少将は述べた。こちらからの大遠征など考えることすらできず、せいぜい近海の航路までいけるかどうか、だという。

「幸い補給については民間船を動員すればある程度は解決できるでしょうが・・・・。」

「民間船が、沈みかけた船を救うために協力するかね?」

「トーマス少将!」

ザーニアル少将が鋭くたしなめたが、チュン・ウー・チェン大将は彼を制した。

「彼の言うことも一理あるよ。民間船を保有している者は商人だ。彼らは理にさとい。確かにわが軍は劣勢だ。そんな劣勢の側にわざわざ加担する酔狂な人がどれだけいるかな。」

「ですが、同盟は彼らの祖国ですよ。」

「だが、命には代えられないだろう。祖国を失っても命があれば生きることができる。だが、祖国が存続しても命が奪われてしまったら、当人にとっては何の意味もないだろう。」

失礼、少し言い過ぎたようだ、とチュン・ウー・チェン大将はザーニアル少将に謝った。

「残念ながら、司令長官代理閣下が仰られたことはある程度は正鵠を射ているでしょう。」

リー少将が低い声で言った。ぎこちない間が空き、4人は申しわせた様に生ぬるくなったコーヒーを口にした。

「そう言えば帝国軍はどうしている?レンネンカンプ高等弁務官が拉致された後も約1万人がいるという話だったが。」

リー少将の問いかけにトーマス少将は、

「バリケードを作って立てこもっているよ。支配する側が支配される側に怯えることとなったわけだ。」

と、皮肉交じりに答えた後、

「どうしますか?これを抑えますか?」

と、チュン・ウー・チェン大将に尋ねた。

「それは最後の最後の手段にしておいた方がいい。今、下手に刺激するとシュタインメッツ艦隊を呼び寄せることになりかねない。そうなれば同盟は終わりだ。」

「小官も閣下のおっしゃる通りだと思います。今、シュタインメッツ艦隊が動かないのは、カイザー・ラインハルトの本隊を待っているからでしょうな。」

 

ザーニアル少将が言う。

「シュタインメッツ艦隊及びハイネセンの帝国軍については引き続き監視を続けることとし、まずは押し寄せて来るだろう帝国軍に備えることとしよう。」

チュン・ウー・チェン大将はそう言った。基本方針はそれしかないのだ。枝葉末節にこだわることはこちらのただでさえ少ない戦力を消耗させ、やがて来るべき決戦(決戦と呼べるかどうかわからないが)兵力を減少させることになる。彼はそう言って、引き続き諸報告を求めだした。

 

 

* * * * *

人気のないリビング――。

老人はそこで写真立てを手に取っていた。もはや足も不自由であり、手も効かない時もある。守るべき家族は死に、生き残っているのは自分一人だった。親兄弟もいない。親戚もいない。外にも、仲間はいない――。

 

軍属に入って退役する間に同じ時期に入隊した仲間は悉く死んでいった。

 

人生などに未練はない、と心の中で呟いてみる。そう、だからこそ、ローエングラムとその軍隊に故国を占領されても、さほど感情が動かなかった。動かそうとする間もなく、占領されてしまった、という方が正しいのかもしれない。

 

その証拠に、今、故国があらためてローエングラムとその軍隊によってふたたび、蹂躙され、そして、消え去ろうとしている今、自分はここでこうして写真立てを手に取っている。

 

そこには思い出があった。往時の家族との写真、仲間との写真、自分が負傷して引退を余儀なくされた時に、クルーたちと撮った写真。そして――。

 

自分の背後にはあの艦が写っている。往時に手塩にかけて育てたクルーたちと共に駆け抜けたあの艦が――。

 

たとえ故国が消滅しようとも、思い出は消えることはないのだ。

 

 玄関の呼び鈴が鳴った。そこまで素早く行けるはずもないのに、視線は自然と玄関に向けられる。誰が来たのかは応答しないでもわかっていた。身寄りがなく、足に不自由している自分をどういうわけか、世話してくれる人間が隣に住んでいるのだ。そのほかの近所の反応は自分等いてもいなくとも無関心な態度だというのに。

 

「シュダイさん、失礼しますよ。」

「おじいちゃん、こんにちは~。」

女性の声と、その子供らしい声が聞こえた。老人は杖を突いてさびついたロボットのようにぎこちない足取りで玄関に向かった。

「あぁ、いいんですよ。いつものようにすわっていたらすぐにすみますから。」

もう靴を脱いで上がり始めていた女性は制するように手を上げると、下げていた買い物袋を台所に置いた。オレンジ色の髪を肩まで品よく伸ばした率直そうな顔立ちの30歳くらいの女性だった。

「シュリア、あなたはお風呂を掃除して、それから、洗濯物お願いね。」

「は~い!」

元気よく返事をしたオレンジ色の髪の女の子は8歳くらいだった。母親はそれを見送ると、台所にたって忙しく働き始めた。少し前はひっそりと身を潜めていた家具たちが急に活き活きし始めているように見えだしたのだから不思議だ。

「学校はいいのかね?」

「このご時世じゃ学校なんてあってないようなもんですよ。放送ききました?」

水音をにぎやかにさせながら母親は台所ごしに話しかける。

「聞いたよ。まだTVは動いとるようだからな。」

「まったく、占領しただけじゃ飽き足りないってんで、高等弁務官って人の仇うちですか?よっぽどこの国が憎いんですかね、あの金髪の人。」

電子コンロに熱を通し、持ってきた食材をリズミカルに切り始めている。

「おかあさ~ん!洗濯機動かないよ~!!」

シュリアの声が響く。

「右の側面をブチなさい!そうしたら動くから!!」

廊下に声を張り上げておいて、母親はひょいと顔をリビングにのぞかせる。

「こんな国を攻めても、もう何も出てきませんよ。ヤン元帥もどこかに行ってしまったし、残っているのは女性と子供ばかりなんですから。戦争なんて誰も得をしないのに、なんだって始めるんですかね。」

その顔色も声音も普段と変わることはなかった。同盟全土がパニックの極みにあるというのに、この女性と来たらちょっとした台風でも来るかのような調子なのだ。

「あんたは逃げないのかね?」

「今日はシチューですよ。こんな時だけれど、スーパーにはまあまあ品揃えがいいのがありましたから。これからどうなるかわからないけれど。」

頓珍漢な答えが返ってきたが、それはわざとだったのかもしれない。しばらく間があって、今度はやや硬い投げやりな声が返ってきたのだから。

「逃げられませんよ。どうせ港は閉鎖されていて宇宙船にも乗れないし、あったって法外な値段を取られるだけなんですから。そんなお金もないし。」

切った食材を手際よく洗い、ぐつぐつと煮え始めた鍋の中に入れていく。立ち上ってくる食欲をそそる匂いから、どうやらビーフシチューのようだと老人は思った。

「シュダイさんはどうするんですか?」

「さぁてな。」

同じ質問をぶつけられて、老人は口の中でそう言った。何しろどうするもこうするも体が言うことを聞かないのだ。ただ、漠然と、自分は帝国軍がやってきたとしても、この家の中にいるほかないと思っているくらいのものだ。老い先短い自分はいいだろう。

 

だが――。

 

「おかあさん!洗濯物干し終わったよ~!」

シュリアが元気よく台所に飛び込んできた。

「ありがとう。じゃ、テーブルにランチョンマットを敷いて、お皿を並べて。もう少しでできるからね。それからおじいちゃんをテーブルに案内して。」

「は~い!!」

この母娘は違う。自分とは違う。まだ未来があるのだ。その未来をローエングラムとその軍隊は刈り取ろうとしている。当人はそのつもりはないのかもしれない。だが、いったん動き始めた巨大な時代の波は、先にあるものをすべて飲み込もうとしているのだ。誰も彼も。抗おうが抗うまいが。

 

この母娘だけではない。そうした境遇にいる人がこの町に、首都星ハイネセンに、そして近隣の惑星に、自由惑星同盟全土に幾百万もいるのだ。

 

何をなすべきか、どうすべきかを考え始めている自分に気が付いてエマニュエルはしわだらけの顔を苦笑いにゆがませていた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。