「おのれ!!」
ミッターマイヤーは歯を食いしばって戦局を見ていた。帝国軍の重鎮である彼は今目の前に広がりつつある光景を見て信じられない思いをしていた。兵力で倍する帝国軍が過小の同盟軍に圧倒されている。こんなことがあってたまるものか、と。
だが、焦燥感で猛り狂う脳裏の一点部分において彼は冷静に戦況を見てもいた。さすがは老人である、彼なればこそこれだけの戦力差でこれだけの仕事をやってのけられるのだと。
彼の眼前にミュラー艦隊から分派した増援が新たに側面から猛然と襲い掛かった同盟軍別働部隊と本隊とに押しまくられつつあるのが確認できた。
「老人め、やる!!」
何故自分が先陣となって同盟軍本隊に挑まなかったのか。何故クナップシュタイン、グリルパルツァー等に任せていたのか。今となっては遅きに失した後悔の臍をミッターマイヤーはかんだが、その一瞬の思いもオペレーターの声に突き破られた。
「ミュラー艦隊の一部、突破されつつあります!!」
「全艦隊、全速前進!!敵の間に割り込んで、カイザーを守り参らせる!!続け!!!」
ミッターマイヤーは叫んだ。もはやぐずぐずしてはいられなかった。カイザー・ラインハルトの本隊はロイエンタール艦隊と合わせ約3万隻余りであるが、敵の勢いは尋常ではない。こうなると、ベイオウルフ以下が敵以上の怒涛の進撃をもって敵を阻むほかない。
「主砲斉射3連!!」
ミッターマイヤーのお手芸ともいえる快速急行をもって殺到した艦隊は、ラインダンスのように主砲を一斉に斉射し、同盟軍に突き立てた。同盟軍は構わずに突っ込み、勢いを殺さない。彼は肉弾戦に持ち込まざるを得ないことを悟った。
「突入ッ!!」
真っ先にベイオウルフが突っ込み、次いで負けじと麾下の各隊が続く。ミッターマイヤー艦隊が割り込むようにして突入しようとしたその刹那を、先頭集団の一部が潜り抜けていった。
* * * * *
「今だッ!!続けえッ!!」
ジャスパー准将の叱咤激励を受けた同盟軍先頭集団に混じって一隻の巡航艦が宙を飛んできたのが同盟軍先頭集団部隊の面々の目に映った。
「レヴィ・アタンだ!!レヴィ・アタンが来たッ!!」
同盟軍にとって、この荒くれ戦闘艦の名前は既にリオ・グランデと並んで知られていた。この戦いに参戦することも全軍が知っていたが、開戦まで所在不明なことに内心当惑していた。それがついに戦線に参加したとあって、同盟軍先頭集団の士気は一気に上がった。
レヴィ・アタンの艦橋ではエマニュエル老人が吼えるようにして叫び続けている。
「野郎ども!!スパルタニアン発進だ!!クソッタレ野郎共がお出迎えだぞ、せいぜいもてなして差し上げろ!!」
『応ッ!!』
スパルタニアンのパイロットたちは一斉にレヴィ・アタンの格納庫から飛び出していった。
「お前さんもいくか。」
用意万端整ったリオンに整備兵の一人が声をかけた。初老の50代の男は整備兵をまとめる頭格であった。
「あぁ。」
「気を付けろよ。下手をうって機体を傷つけたら承知しねえぞ。」
「俺がそんなへまをするかよ。いいか爺さん。こっちも言わせてもらうが、機銃の射角は万全か?エンジンの噴射角は大丈夫だろうな?」
「俺を誰だと思っている?さっさと行ってこい小僧。」
リオンはスパルタニアンのハッチを占める。視界の隅に3人組が次々と整備兵たちに肩を叩かれ、ハッチを閉めるのが映った。
「3号機、発艦する!!」
リオン・ベルティエ大尉もまた、格納庫から宙に飛び出した。とたんに目の前を数条の閃光が走り抜けていった。戦艦からの主砲だ。どちらが撃ったのかはわからない。リオンのアドレナリンは一気に上昇した。
『お出迎えだ!!11時、仰角20度より敵ワルキューレ共のお出ましだぜ!!』
オペレーターの声が無線越しに鳴り喚く。
『散開だ!!敵を通し、そのケツを蹴飛ばしてやれッ!!』
リオンが叫んだ。彼は正式なリーダーではなかったが、あの一件以来仲間に信頼されてリーダー格に祭り上げられたのである。
『続け!!』
死の天使が飛翔してきた。ビームをまき散らし、味方の艦を沈めようと蜂のように群がってくる。その後尾をスパルタニアンたちは狙い撃ちにした。爆散した光が消えないうちに、別のワルキューレたちが仲間の仇とばかりにスパルタニアンたちに襲い掛かってくる。あちこちで4つに組んだドッグファイトが展開された。
『お前ら、3人でフォーメーションを組んで戦えよ。敵をフクロにして、絶対にレヴィ・アタンに近づけさせるな!!』
『応!!』
例の3人組に一声声を浴びせると、リオンは単騎飛びながら、ともすれば押されがちな味方を掩護し、かつ、レヴィ・アタン眼前の敵を蹴散らしにかかった。
(帰ってきた・・・・!!ここが俺の場所だったんだな・・・・!!)
敵機を3機立て続けに撃ち落としながら、リオンは思った。酔っ払っていても、身を崩していても、結局のところ、自分はスパルタニアンのパイロットなのだ。ポプランなどはほんの小僧。そう言い切れるだけの自信と気力が40を超えた体にみなぎっているのが感じられた。
(だから、俺はここで死ぬ。)
万に一つ、生還できたならば、その時はその時と考える。だが、今の死に場所はここだ。リオンは幸福だと思った。待ち受けているのは死のはずなのに、そしてそれはそう遠くない時間の先にあるはずなのに、この時が一番幸福だった。
エース・ジョーカーの名前は伊達ではない。そのことをリオンは身をもって示したのだった。
* * * * *
「同盟軍の足が止まりません!」
「信じられん、ミッターマイヤー艦隊の分断を受けてもなお、突進できるというのか。いったい敵の戦意はどれだけ高いのだ?」
「砲撃を継続、集中しろ!怯むな!!カイザーの御前に敵を通すなッ!!」
艦隊の各部隊の指揮官たちは喚きながら戦闘指揮を執り続け、迫りくる敵を撃ち落とし続けたが、敵の勢いは一向に衰えない。
凄まじい勢いで突入し、同盟軍を分断にかかったミッターマイヤー艦隊は反転して縦横無尽に敵を蹴散らしにかかった。だが、反転する一瞬の隙を突かれ、次々と艦がすり抜けていく。その中にはアレクサンドル・ビュコック元帥のリオ・グランデもあった。
「カールセン!支えてくれよ!!」
ビュコック元帥は激励の通信を送った。8,000余隻あったカールセン艦隊は半数以下に打ち減らされていたが、元帥の激励の通信を聞いたカールセンは奮起した。残り少ないエネルギーに闘志を込めて相手にぶつけ続ける。
同盟軍全体が血みどろになりながら、帝国軍の本隊のブリュンヒルト、白銀の戦艦を目指して突進を続けていった。
* * * * *
一体何機撃墜したのだろう――。
リオンはもはやどれくらい戦っているのかわからなかった。時間を含むすべてが止まり、その中を一人自分だけが飛翔している感覚にしばしば陥っていた。
『マルコ、アントニオ、聞こえるか!?』
『・・・・・・。』
『シャルロ、カール、スコット、お前らはどうだ!?』
『・・・・・・。』
リオンは舌打ちした。その彼自身も血にまみれながら宙を飛んでいた。まだ気圧は保たれていたが、ワルキューレの死の間際の反撃を食らって内部の機械装置が破裂したのである。その破片がリオンを傷つけていた。
『トニオ、ボビィ、アルベルト、お前らはどうだ?』
とっくにくたばっているだろうと思っていたが、驚くべきことに彼らは返事を返してきた。
『師匠、俺たちは生きてるぜ。』
『へへっ、そう捨てたもんじゃねえだろ?』
『俺たちの力、認めてくれたか?』
リオンは驚くよりも先に確認すべきことをした。弾薬燃料の残りである。だが、リオン同様3人とも残りわずかだと口々に言った。
『よし、もういい。お前らは補給の為に戻れ。ここは俺が引き受ける。』
『でもよぉ、師匠独りで――。』
『行けッ!!まだまだ敵は多い。俺一人で支えられるうちに戻れ!!そしてすぐに戻ってこい!!』
『ボビィ、師匠の言う通りにしよう。まだ俺たちは白い戦艦を拝んじゃいない。』
『トニオ・・・・わかった。師匠、くたばったら承知しねえからな!!』
『誰に物を言っていやがる。』
リオンは血の滴る眼を乱暴に拭った。左目を破片がかすり、かすかにしか見えず、彼は右目で戦っていた。その時、また一隊のワルキューレが襲い掛かってきた。リオンにすれば何十機撃ち落とした相手の一つであろうが、彼らにとっては同僚を殺された仇である。
『くそっ!!』
右に左に、必死にとんだ。時折応戦するビームがワルキューレを撃ち落とす。だが――。
「残弾アリマセン。」
という無慈悲な警告音がリオンの耳を打った。
『くそっ、何をしていやがる!早く来ねえと本当に――。』
リオンの目の前にワルキューレが飛翔してきた。そのビームの射角をこちらにむけたのがわかった。旋回し、相手を交わした刹那、別のワルキューレが突っ込んでくるのが見えた。
『・・・・・・・・・・!!』
リオンが必死によけようとする刹那、すれすれにワルキューレの死の抱擁がすり抜ける。反転した視界一杯にワルキューレの白い姿が覆いかぶさるように迫ってきた。
『師匠!!!』
叫び声が聞こえ、ビームの閃光がワルキューレを貫いた。味方が3機、反転してリオンを囲むようにして迫ってきた。
『おせえぞ!何してやがる!?』
『へへっ!!これでも急いで駆けつけてきたんだ。なぁ?』
『あぁ、師匠、交代だ交代。さっさと補給に行って戻ってきてくれよ。』
『ここは俺たちが支える!!』
3機はリオンを守るようにフォーメーションを展開し、次々とワルキューレを落とした。これで持ち直せる。自身も補給をしなければ、と思っていたリオンは、次の瞬間3機の眼前に迫るものを見て叫んだ。
『逃げろ!!逃げろ!!お前たちにはかないっこねえ!!』
ワルキューレのあいつぐ撃墜を見た巡航艦が追ってきたのだ。
『何言ってんだ!?こいつらを斃しちまえばすぐ目の前にクソッタレ野郎がいることはわかってるんだ!!』
『いいから、逃げろ!!巡航艦とスパルタニアンじゃ相手が違いすぎる!!』
『師匠、俺たちを舐めないでくれよな!!』
『こいつらを斃さねえと、前に進めねえのなら――。』
『やるだけやってやるだけさ!!』
『やめろ――。』
リオンの制止を振り切って、3機は巡航艦に突っ込んでいく。確かにそれを斃せば、カイザー・ラインハルトの本隊は目前だ。だが、相手が違いすぎる――。
直後、3つの光球が明滅し、ややおくれて同士討ちを起こした巡航艦が2隻爆沈したのがリオンの目に映った。
『・・・・・・・!!』
リオンは声が出なかった。今まで幾人も戦場で同僚の最期を見てきているが、これほど声が出なかったことはない。
『くそが・・・・・。』
リオンは歯を食いしばった。そうでもしないと悲鳴が上がりそうで駄目だった。
『くそぉっ・・・・!!親父!!』
血達磨になりながらリオンが渾身の声を送った。
『応答しろッ!応答しやがれ!!突入しろ!!見ていやがるんだろッ!!わけえ奴らを死なせてジジイてめえだけが生き残ろうってのか!?』
巡航艦の爆発に巻き込まれて、ワルキューレの大部分は姿を消している。目の前にある無数の輝きの中の一点がカイザー・ラインハルトの旗艦ブリュンヒルトのはずだった。
もはや遮るものはない。
* * * * *
「最大戦速で突入!!!」
老艦長が腹の底から響き渡る声で怒鳴った。レヴィ・アタンは満身創痍になりながら最大戦速で突っ込む。遮二無二遮ろうとする帝国艦船をかすめ、いささかも速度を落とすことなく、迎撃の大小の砲撃を交わしながら。
目標はただ一つ、ただ一点――。
帝国軍総旗艦ブリュンヒルト。
「何だあの艦は!?」
横合いからビュコック本隊を痛打し、反転して同盟軍と戦っているミッターマイヤー艦隊後尾は突入の際に穴をあけた相手方からまるで砲弾のように飛び込んできた艦に慌てた。まるで流星のように突っ込んでくる艦はそれ自体が巨大な砲弾のような危険性をはらんでいる。この光景は偶然ベイオウルフの旗艦からも目撃できた。巡航艦が爆発四散した光球がベイオウルフ左側面を照らし、それを吹き払うようにして一筋の弾丸が飛んでいったのが見えたのだ。
「まさか・・・特攻か!?」
ミッターマイヤーはベイオウルフにおいて敵の意図を悟って慄然とした。あの速度で突入されればいくらブリュンヒルトといえどもひとたまりもない。
「全艦、ブリュンヒルトの前に立ちはだかり、あの艦を落とせ!!ブリュンヒルトを死守せよ!!」
彼は我知らず最大級の叱咤をもって麾下を駆り立てていた。ミッターマイヤーをして戦慄せしめるほどの速度と危険性をたかが一隻の同盟軍の巡航艦ははらんでいたのである。
文字通り帝国軍の本隊全軍の耳目がこの無鉄砲極まりない巡航艦に集中した。それが実際の砲撃に転ずるまでさほど時を要さなかった。
* * * * *
前へ!前へ!!前へ!!!
それが乗組員すべての合言葉だった。レヴィ・アタンは流星となって宇宙を駆け巡っていた。轟音と震動が絶えずレヴィ・アタンを包んでいる。遮る艦をかすめ、時にはかすりながらも速度を落とすことなく疾走する。集中砲撃されるレヴィ・アタンは大小の被弾を受けていたが、それでも致命傷に至らないのは奇跡的と言えた。それでも――。
「機関部に被弾!出力が落ちた!」
「砲塔損傷!」
「ミサイル発射口、被弾!」
「構わん!すべて艦の制御と速度に機能をつぎ込め!!艦そのものが無事であればそれでいい!!」
艦長は太い声で叱咤し続けていた。レヴィ・アタンのクルーたちはスパルタニアンの捨て身の攻撃を目の当たりにしていた。その死についても彼らはしっかりと見届けていたのである。彼らは涙を流さなかった。喚きもしなかった。その死の重みを胸に抱き留めて、ただ自分たちのなすべきことを成すために全力を尽くそうと誓っていたのである。
「射線上に艦影確認!!」
「映せ!!」
スクリーンに映し出されたのは、白い鯨のような優美な艦影、ブリュンヒルトだった。
「ブリュンヒルト・・・・。」
同盟人であっても艦の名前は誰しもが知っている。あそこにいるのだ。同盟を苦境に陥れ、滅亡しめようという元凶が――。
ラインハルト・フォン・ローエングラムが。
レヴィ・アタンはまるで艦そのものが意志を持っているかのように速度を倍加した。
「いけぇぇぇぇッ!!」
誰しもが叫んでいた。砲手はありったけの集中を前面のみに向け、航海手は全力を挙げて艦の姿勢を保ち、そしてエンジン機関部はすべての生命を推進力に注ぎ込んだ。この瞬間皆の決意は一つだった。ブリュンヒルトとたとえ刺し違えてでも倒す。
既に手の届くところに、あと少しで、あと少し――。
「後方4時から敵!!」
突如悲鳴のような声が聞こえた。艦長が視線を向けた瞬間、一機のワルキューレが死の飛翔を敢行してきたのである。突入当初周りにいた味方の艦は、既に一隻もいない。
「よけろ!!」
エマニュエル艦長が叫ぶのと、ワルキューレが艦に突っ込むのが同時だった。
「対空砲火、開け!!絶対に奴を近づかせるな!!」
レヴィ・アタンの損傷した対空砲群が一斉に火を噴くが、ワルキューレはそれを次々とかいくぐって接近してくる。
「駄目です!衝突する!!」
『おい。』
不意にシニカルな声が無線に割り込んできた。
『宇宙一のエースを忘れてもらっちゃ困るぜ。』
一機のスパルタニアンが猛速度で飛翔してきたのだった。既に残弾もなく燃料もわずかだというのに、リオン・ベルティエ大尉は満身創痍になりながらも操縦かんを放さなかった。
最悪な人生だ。リオンはそう思っていた。今までもそうだったし、今でもそう思う。早くに両親を失い、戦争孤児となってずっとたらい回しにされる人生だった。誰一人自分に構う者もなく、家族もいない。
でも――。
最後によりどころができた。一緒に暴れられる仲間がいた。最後まで自分を信じ、任せてくれる仲間と出会えた。その仲間たちは後を自分に託して散っていった。これから自分も同じことをする。あのいけ好かない親爺に後を託すのだ。
(悪くねえな、こういうのも。)
英雄か、いや、違うな。ローエングラムの若造のケツに一発ケリをくらわした悪党として名を遺すかな。
『親爺、しくじるんじゃねえぞ。』
そうエマニュエル老人に言うのと、彼の機体がワルキューレに激突するのがほぼ同時だった。レヴィ・アタンのすぐそばで二つの光球が明滅し、そして消えた。最後のスパルタニアンが四散し、レヴィ・アタンの周りには完全に誰もいなくなったのである。遥か後方にまだ突入をあきらめきれない同盟軍先頭集団がいるが、ここに到達するまでに時間がかかりすぎる。
エース・ジョーカーの死を見ても、エマニュエル老人の顔色は変わらなかった。だが、その拳は固く握りしめられ、クルーたちは老船長の決意を感じ取ることができた。
「副長。」
老船長が副長を呼んだ。
「はい。」
「これを受け取れ。」
艦長がそう言って取り出したのは脱出艇のキーだった。
「お前はクルーを連れて脱出しろ。ここから先は儂一人がやる。」
「艦長!」
「馬鹿なことを!!」
「そうです!!」
クルーたちが一斉に声を上げたが、艦長は一喝してそれを制した。彼は杖を使わずに必死に立ち上がると、太い声で吼えた。
「これからの未来、生き残らなければならんのはお前たち若い者だ!!戦で死ぬのは年よりで充分だという事がまだわからんか!!」
「ですが――。」
「これは艦長命令だ!!」
老艦長の声は副長を微動だにさせなかった。
「生きろ、生きて、生きて、同盟を存続させろ。たとえ自由惑星同盟という器が砕け散っても、お前たちという中身があればまた同盟は復活できる!!いいな、生きろ!!」
だが、誰一人として動く者はいなかった。皆それぞれの眼差しの中に同じ思いをもって艦長を見返していたのである。
「艦長、俺たちの心はもう決まっていますよ。」
彼らは不敵な笑みすら見せていた。
「俺たちが死んでも、自由惑星同盟にはまだ多くの人が残ってる。たとえ俺たちが死んでも、それで自由惑星同盟を救えるなら、それでいいじゃねえですか。」
クルーたちの瞳を見た艦長は、眼をそらした。彼らの眼に艦長の眼の中に光るものが浮かんだのが見えた。
「馬鹿野郎どもが・・・・!!」
艦長は吼えるようにつぶやき、そして「カッ!!」と目を見開いた。
「全速前進だッ!!機関が焼き切れても構わねえ!!突っ込め!!突入だッ!!」
* * * * *
敵艦一隻が次々と突破し、こちらにやってくるという驚愕すべき知らせが大本営を包んでいた。
「巡航艦一隻、突っ込んできます!!」
「迎撃せよ!!」
ロイエンタールがブリュンヒルト艦橋で叱咤した。ラインハルト・フォン・ローエングラムはじっとその様子を微動だにせず見つめている。
同盟軍のカラーである緑色の艦は、ただの巡航艦の一隻であるように思えた。だが、そのスピードが桁違いに早い。遮ろうとした戦艦はおろか、帝国軍の快速艇すらも引き離し、ビームの驟雨の中をまっしぐらに猛進してくる。
「駄目だ!!ものすごい速度だ!!」
「射撃管制システムでも捕えられない!!」
「そんな馬鹿なことがあるか!?」
クルーたちの狼狽した声に反応してザイドリッツ艦長が叫んでいる。ブリュンヒルトの迎撃性能はそこら辺の帝国戦艦を凌ぐ。そのブリュンヒルトの砲火をもってしても仕留められないとは、いったいどういう事なのだ!?
「敵、巡航艦依然進路不動!!突っ込んできます!!目標、本艦!!」
悲鳴のような報告を聞くまでもなく、皆がそれを知っていた。
「迎撃せよ!!!」
ロイエンタールの叱咤が飛ぶ。それを聞くまでもなく、艦の責任者であるザイドリッツ准将もまたブリュンヒルトの砲撃手を叱咤し続けていた。
* * * * *
「敵、総旗艦ブリュンヒルトまで後15,000!!」
震動が艦を襲い続ける中、距離を測定するクルーがなおも叫び続ける。
「14,000!!」
「後部砲塔に被弾!!駄目です、全滅だ!!」
「あきらめるんじゃねえ!速力が出る限り突進だ!!」
「13,000!!」
「側面に被弾!!」
「まだまだだぁっ!!」
艦首が吹き飛ばされ、穴だらけになり、満身創痍になりながらもレヴィ・アタンは突進をやめなかった。その巡航艦体に全同盟の運命を担って。
* * * * *
「駄目だ!衝突する!!」
絶望の叫びが艦内に満ちた時、ラインハルトは麾下を見やり、そして傍らのヒルダの前に立ち、エミール少年を庇うように抱きかかえた。その前に立ちふさがったロイエンタールの背をラインハルトは認めることができた。
(ミッターマイヤー・・・・・。)
ロイエンタールは彼方にいる親友を思いやり、一瞬瞑目した。
(俺は、死ぬかもしれん。だが、カイザーを守って死ねるのであれば、俺の人生には一片の意味があったのだと卿は思ってくれるだろうか。いや・・・・。)
ロイエンタールは皮肉な微笑を浮かべた。
(俺自身が生を受け、そして生をどのように使うか、などという命題を考えていること自体、俺に似合わぬことと卿は笑うかもしれんな。)
だとしても、とロイエンタールは思う。
(あのような艦ごときにカイザーを斃すことなど、できぬ。)
ロイエンタールは満身から気迫を込めて、目の前の艦をにらみ据えた。彼はカイザー・ラインハルトを守るように立ちはだかった。ロイエンタールはこの瞬間帝国軍元帥としての立場を忘れていた。これはオスカー・フォン・ロイエンタールとあの巡航艦との真剣勝負なのだと。どちらかが眼をそらしたその瞬間に負けるのだと。
* * * * *
白い艦体が眼前に見えていた。そう、手を伸ばせばすぐ届きそうな距離に――。
「クソッタレのカイザー!!」
エマニュエル老人は艦橋で満身の声で叫んだ。ブリュンヒルトにいるカイザー・ラインハルトに届けと言わんばかりに。
「てめえは受け取れるか!?同盟の100億人超の思いをよぉ!!!そして、乗り越えられるか!?俺達全軍の恨みつらみをよぉ!?」
艦橋が衝撃で半壊し、破片がエマニュエル老人に降り注ぐ。血だらけになりながらエマニュエル老人はびくともせず、目の前をにらみ据えていた。
「俺たちの思いが勝つか、てめえの心根が勝つか、勝負と行こうじゃねえか!!!!」
もう、ブリュンヒルトまで後10秒もない。その2秒後、衝撃が来て、エマニュエル老人は車いすから放り出された。無様に床に転がりながらも、最後までにらみ続けるのをやめなかった。
「くたばれ、カイザー!!!!!」
「させぬ!!!!!!」
レヴィ・アタンとブリュンヒルト。二つの異なる艦に乗り組んだ二人の男の気迫が、真正面からぶつかり合った。次元を超えた互いの闘志が艦を飛び出して漆黒の宇宙空間で真正面からぶつかり合う。
そして――。
ブリュンヒルトのディスプレイの画面いっぱいに緑色の悪魔が突っ込んできたのが、ディスプレイの画面いっぱいにブリュンヒルトの姿が飛び込んできたのが、双方のクルーたちの覚えている最後の光景だった。
衝撃がブリュンヒルトを襲い、ついで大きな光球を明滅させた。周囲の帝国戦艦はそのものすごい奔流で艦列を乱した。彼らの眼には一個の隕石がブリュンヒルトに突っ込んだとしか見えなかった。
この瞬間、帝国軍も同盟軍も全将兵がブリュンヒルトの方向を見ていた。総旗艦が失われれば、帝国軍は瓦解する。そして、総旗艦が失われれば、同盟軍が勝利する。だからこそ、皆がブリュンヒルトの生き死にを確認しようとしたのは当然であろう。
そしてそれは、ベイオウルフに立つミッターマイヤーとても例外ではなかった。
「ブリュンヒルトは、どうなったか!?」
ミッターマイヤーがもどかし気に叫ぶ。部下たちは慌ただしく計器を作動させ続けていたが、
「駄目です!衝突の際に生じた乱流が激しく、確認できません!!」
「く・・・!!」
ミッターマイヤーにとって生涯これほど耐え忍びかねた時間は存在しなかっただろう。わずか5分ほどだったがその5分は数時間に匹敵したと彼はのちに述べている。
「・・・・レーダー復活しました。・・・・・現在艦影確認できず!!」
思わず崩れ落ちそうになるミッターマイヤーは懸命に体勢を立て直した。いま大本営が消滅した以上、自分が先任者として艦隊の総指揮をとらなくてはならない。
「・・・・お待ちください!これは・・・これは・・・・・!!」
オペレーターが装置を起動させ、修正して明度を調整する。その彼方に見紛うことないあの白い流麗な艦の姿があった。
「ブリュンヒルト!ブリュンヒルトです!ブリュンヒルトは健在!!!」
咆哮にも似た歓声が艦橋を包んだ。
「無事だったか!」
ミッターマイヤーの安堵はその後大本営のロイエンタール本人からの通信で確固たるものになった。
衝突寸前、ブリュンヒルトの眼前に立ちふさがった一隻の帝国戦艦が身を挺してブリュンヒルトを庇ったのだ。衝撃により大小の破損が生じていたがブリュンヒルトそのものと大本営は健在だった。