マル・アデッタへ   作:アレグレット

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第十七話 マル・アデッタ星域会戦(前哨戦)

宇宙暦800年 新帝国暦2年1月15日――。

 

 帝国軍はマル・アデッタ星域に侵入した。既に同盟軍が同星域に布陣していることは判明しており、そのおおよその戦力もつかんでいる。不明なのは同盟軍がどのような戦法で迎え撃つか、というその一点であったが、帝国軍の戦意は高かった。自由惑星同盟がほぼ終焉を迎えていることは誰しもが感じ取っている。その終焉を自らの手で下す――。

いわば一つの壮大な叙事詩が終わる場面に立ち会う事への高揚感が全軍を支配しているのだ。

ただ一人を除いて――。

 

総旗艦ブリュンヒルト――。

 ラインハルト・フォン・ローエングラム――同盟軍がカイザー・ラインハルトと呼び、文字通り全てをかけてその首を狙っている――はブリュンヒルトの艦橋の椅子に座り、幕僚たちを従えてマル・アデッタ星域の乱立する輝きをじっと見入っていた。そのアイスブルーの瞳の輝きは見るものを戦慄させるほどの光を放っているが、それでいて高揚感に自我を失いような危うさは一ミリも感じられない。

 その眼はこれから始まろうとする戦いの終局までを見通しているようだった。

 

「ロイエンタール。」

 

 金銀妖瞳の元帥は若き獅子帝の背後に佇立した。

 

「卿であれば、どう挑む?あの老人に。」

 

既に敵将がアレクサンドル・ビュコック元帥であることを、帝国軍は知っている。そして、その戦いぶりもまた、同盟に進駐し軍事データを接収した際に知っている。同盟軍はデリートしたのであるが、帝国軍情報部が総力を挙げてデータの残骸から解析に成功していたのだ。

 

「卿はかのアムリッツァ会戦に至るまでの前哨戦において、あの老人と対峙したそうだな。」

「・・・はっ。」

 

 ロイエンタールにとって、あの戦いは単なるアムリッツァまでの前哨戦というわけにはいかなかった。ケンプを除く他の諸提督が、ある者は大損害を与え、ある者は壊滅寸前まで追い込んだ前哨戦において、ロイエンタールはビュコックの緩急自在な粘り強さに「大魚を逸した」形になったのである。ビュコック艦隊はある程度の損害を受けつつも艦隊としての機能を保ったままアムリッツァに撤退したのである。

 

「・・・・自由惑星同盟の将帥の中では、驚嘆すべき粘り強さ、そして幾多の経験を持った人間だと、小官は思いますが。」

 

 ロイエンタールに課せられた質問は何気ない問いと片付けるにはあまりにも重かった。彼としては、過大に敵をほめれば、それだけ自らを卑下することになるし、逆に過小評価すれば、ラインハルトに自分の器量を問われかねない。

 そこで、このような形の答えとなったのであったが、ラインハルトはすぐに応じなかった。ロイエンタールの言葉、そして目の前に展開する同盟の艦隊を指揮する敵将から発せられる彼にしかわからない嗅覚とを吟味しているかのようだった。

 

「ビッテンフェルトとの連絡は未だにつかぬようだな。先行を命じたとはいえ、本隊と分断するほど猛進せよという指令を余は発してはいなかった。ビッテンフェルトとてそれは理解していよう。だが、あの老人、いや、同盟の彼奴等はビッテンフェルトを手玉に取り、あまっさえ我が艦隊の補給部隊を襲撃し、進行を遅らせた。その手並は見事と言ってもよい。そうは思わぬか?」

「御意。」

 

 ロイエンタールはわずかに安堵した。ラインハルトとしてもかの老人を軽視しているわけでは決してないと。そしてそれによって臆したというわけではなく、むしろ強き相手に対峙する高揚感と覇気は失われてはいないのだと。

 

(もっとも、かのヤン・ウェンリーと相対した時とは比べものにはならぬだろうが。)

 

 ロイエンタールが胸の内でつぶやいたとき、エミールが入ってきた。ラインハルトにクリームコーヒーのカップを差し出したのである。それを受け取って口を付けた後、ラインハルトはロイエンタールに指示した。

 

「全軍に2時間ずつの休息を取らせよ。その後提督を召集し作戦会議を開く。警戒の第一陣はミッターマイヤーに、次いでミュラーに指示する。」

「はっ。」

 

 ロイエンタールが去った後、ラインハルトはひそかにこぶしを握り締めた。

 

(あの老人、いや、あの同盟の艦隊を完膚なきまでに葬ってこそ、私の同盟に対する感情もまた消え去る。残るは奴、そう、奴のみとなるのだ。だからこそ、この戦いはいささかも負けは許されぬ。)

 

 ラインハルトは無意識にカップに口をつけ、じっと目の前の漆黒に見入っていた。その視線は遥か彼方、未来を見通しているようだった。

 

 

* * * * *

同時刻――。

 

 アレクサンドル・ビュコック元帥率いる自由惑星同盟軍2万2000余隻は、かねてからの発案に従って展開を完了した。

 ビュコック本隊1万余隻は正面に展開してカイザー・ラインハルトを迎え撃つ。そして、カールセン率いる別働隊8,000余隻はう回路出口付近に伏兵として潜み、進撃してくるであろう別働隊に一撃を加えるべく待機している。そして、マリネッティ少将率いる4,000余隻は予備兵力としてビュコック元帥に言い含められた位置に待機している。

 

 すべての準備は整ったが、ビュコック元帥にはまだやるべきことがあった。

 

「大佐、マイクの準備はどうかね?」

「整っております。こちらに。」

 

 ミーナハルトに導かれて、マイクの前に腰を下ろしたビュコック元帥は、艦橋から階下を見下ろした。旗艦の艦長以下クルーたち全員が老提督を見上げている。そしてその光景は全軍全艦隊において同じであるのだとミーナハルトは思った。ここから見えないだけだ。

 

「あ~、さて、諸君。」

 

 老元帥は世間話をするかのように一つ咳払いをすると、平板な調子で話し出した。

 

「我々はこれからまぁ、言ってみれば『大人だけの宴会』をするわけじゃが、その宴会準備に当たった皆にまずは礼を言いたい。おかげで招待客に恥ずかしくない宴ができるというわけじゃ。」

『・・・・・・・。』

「さて、前置きはこれくらいにして、いよいよカイザー・ラインハルトを相手に一戦交えることとなるが、過度に構える必要はない。気を緩んでもらっても困るが、いつものとおりにやってもらえればよい。各員が各々の役目を果たすことこそが、勝利へのカギとなり、勝利に通じるただ一つの道になる、というわけじゃ。」

『・・・・・・・。』

「我々は自暴自棄になったわけではない。また、勝算のない戦いに身を投じるほど諸君らの命を我々は軽く見ておらん。諸君らの命はカイザー・ラインハルトと同等それ以上の物だという事を儂は承知して居るつもりだ。」

 

 ミーナハルトは淡々と言葉を並べていく老元帥を見つめていた。老元帥は望みのない戦いを勝利で糊塗するわけでも、悲壮な決意を全軍に知らしめて発奮させるわけでもない。本当にただ勝利への道標を見出し、そこに向かって全軍を導こうとしているのだ。

 

 たとえ、可能性がどんなに低くても。

 

 ミーナハルトは内心と息を吐いた。これこそが将官だ。人の上にたつべき人間だ。こういう人間がどうして最盛期に自由惑星同盟に現れず、今になって現れたのだろう。なんという皮肉だろうか。

 

「・・・・さて、儂から言うべき言葉は後数語じゃ。諸君の奮闘に期待し、自由惑星同盟軍としての力量をカイザー・ラインハルトに見せつけることを期待する。以上だ。」

 

 ビュコック元帥の演説が終わり、参謀長が盃を運んできた。中には上等の白ワインが入っている。これはビュコック元帥だけでなく全軍に配られているはずだった。

 

* * * * *

「フン、あの親爺も最後の最後にええカッコをするじゃないか。」

 

 放送を聞き終わったレヴィ・アタンの老船長がうそぶく。それを横目で見ながらリオンは盃を揺らす。中に入っている白ワインがさざ波のように揺れる。これを飲み干した瞬間から、カイザー・ラインハルトとの対決が始まるのだ。横目で例の三人組を見ると、顔色が悪い。前日のどんちゃん騒ぎの二日酔いだけではないらしい。

 

「さて、と・・・・おい!野郎ども!!」

 

 老船長が声を上げる。

 

「レヴィ・アタンにはレヴィ・アタンのやり方がある。それを忘れるんじゃねえぞ。俺はああいう紳士ヅラの戦い方は好きじゃねえ。これこそがレヴィ・アタンの戦いっぷりだという物を見せつけてこそが華だろう。違うか?!」

『そうだ!!』

『その通り!!』

『やってやりましょうや!!』

 

 老船長はうなずく。そして勢いよくグラスを掲げる。皆もそれに倣った。

 

「俺たちの勝利の為に!!レヴィ・アタンの栄光の為に!!」

『勝利の為に!!』

 

 リオンは中身を飲み干しながら、複雑な気持ちだった。勝利勝利と言いながら、この老船長は死を覚悟している。そのことに幾人気づいているのだろうか、と。

 

 リオンの視線を感じ取ったのか、ギロリと老船長がねめつけてきた。

 

「野郎ども!!持ち場につけ!!これから先は戦だ!!だがな、酔っ払って機銃を外さねえ程度には酒を許可する!!」

 

 遠慮のない笑い声が響いた。さすがはならず者の集団だとリオンは感心したが、例の3人組を見て、近寄って肩を叩いた。

 

「俺の言う通りに動け。そうすりゃ大丈夫だ。いいな、お前らついているぞ。最初の実戦がこんな大舞台。しかもエース・ジョーカーの俺がついている。実地訓練でも滅多にお目にかかれない機会だ。」

「そ、そうだよな。ボビィ。」

「あ、あぁ、トニオ。」

「と、とにかくやってやろうぜ!!」

 

 武者震いとひいき目に見てもいい震えっぷりだが、地に足はついている。

 

「ようし、頑張れよ。」

「あ、師匠よぉ。」

「なんだ?」

 

 リオンの視線にもじもじしていたボビィが意を決したように声を上げた。

 

「あの、師匠よぉ、ありがとう!俺、師匠に出会わなかったら、今頃も汚ねえ路地裏で汚ねえしみったれたシマ争いをやってた頃だ。それがこうしてこんな艦でパイロットの端くれだもんな。ホント感謝してるよ。」

「俺も。」

「俺もだ。」

 

 3人はそう言ったかと思うと、うなずき合い、敬礼をリオンに捧げてきたのである。リオンは戸惑った。自分はそのようなものを受ける立場でないし、受ける資格もない。ただの飲んだくれなのだ。

 

「師匠、言いっこなしだぜ。エース・ジョーカーなんだろ?」

 

 リオンが言いかけようとした刹那、トニオが止めた。そう言えばトニオから師匠と呼ばれたのは初めてだったな、とリオンは思った。

 

「俺たちは師匠についていく。そしてこの艦を守る。師匠と同じく最後までな。」

「お前ら・・・気づいていたのか?」

 

 周囲の喧騒を素早く見渡し、老艦長をちらっと見たリオンは小声で叱るように言った。老艦長はドラ声で手下に指示をするのに忙しい。

 

「知ってるさ。師匠のやることなんざ、全部お見通しなのさ。」

 

 アルベルトが笑って言う。

 

「こいつ、聞いていたのか?!」

「まぁ、待てよ、師匠。いくらエース・ジョーカーだって言っても、一人じゃ荷が重いぜ。こっちは新人のペーペーだけどよぉ、エース・ジョーカーと戦えるんじゃ百人力だ。」

「馬鹿!!死ぬかも知れねえんだぞ!!」

「そんなの戦場に出りゃおんなじじゃねえか。」

 

 先ほどまで震えていた奴の言葉とは思えない。リオンはボビィを、他の二人を、まじまじと見た。

 

「師匠、アンタなら信頼できる。それはたとえ俺たちが死んだとしても変わらねえさ。」

「お前たち――。」

「じゃあな、師匠。」

 

 声をかけようとした時には、3人組の背中は格納庫に遠のいていくところだった。

 

「あの、馬鹿――。」

「おい、ノッポ、てめえ、さっさと持ち場に張り付きやがれ!!」

 

 老艦長の怒声が響いた。それを受けたリオンは舌打ちしながら、格納庫に急いだ。老船長の視線が自分の背中を追っていることに気が付いていたが、振り返らなかった。振り返れば今の事を話してしまいそうだったから。

 

「くそっ、勝手にしやがれってんだ!!俺は知らねえぞ!!どうなっても!!」

 

 いいようのない感情を押し殺そうと彼は大きな独り言を叫んだ。

 

* * * * *

 

1月16日、ついに両軍は激突する――。

 

「ファイエル!!」

「ファイヤー!!」

 

 まずは敵の砲火を浴びることだとビュコック元帥は本隊を前進し、帝国軍に挑みかかったのだ。これを逃す帝国軍ではない。たちまちのうちに激しいビームの驟雨が飛び交い、そこかしこで艦が爆発四散する。数で劣る同盟軍は善戦しつつも敵に押される格好で、陣形を保ったまま小惑星帯の中に後退していった。

 

「押さえろ、押さえろよ。陣形を保ったまま後退するんじゃ。」

 

 ビュコック元帥は味方に指示を飛ばす。前衛を預かるジャスパー准将は猛将だが、駆け引きはうまい。引き際を心得て味方を最小限の犠牲で小惑星帯の中に戻していった。

 

「敵が追尾してきます。数、2個艦隊およそ1万5,000!!」

「そのうちの半数が残り半数を引き離して突入してきます!!」

「半個艦隊か。となると、第二級の将官か、どう思う?」

「閣下のおっしゃる通りでしょう。まずは様子見と言ったところでしょうか。」 

 

 チュン・ウー・チェン大将の言葉にビュコック元帥はうなずく。

 

「あのやり方では血気にはやる若手と見える。頃合いを見計らって敵を引き付け、砲撃するんじゃ。」

 

 老元帥の言葉の裏にはある秘策があった。恒星マル・アデッタの恒星風のタイミングを同盟軍は完璧にデータ化していたのである。これこそが数週間前からマル・アデッタ星域に潜んでいた理由でもあった。

 

「恒星風、来ます!!」

 

 オペレーターが叫んだ。同盟軍はあらかじめ恒星風から身を守るべき小惑星を選んで潜んでいたが、地理に暗い帝国軍はそうはいかなかった。突如噴出した恒星風をくらって陣形が混乱し、密集する部隊が続出したのである。

 

「今じゃ!!」

 

 ビュコック元帥の号令一下、斉射された同盟軍の砲火は嵐のように帝国軍を襲った。この帝国軍艦隊を指揮していたのはグリルパルツァーであったが、攻勢の前にたまらず退却指令を下さざるを得なかった。執拗な砲撃を潜り抜けて脱出した時には3割余りの犠牲を出していたのである。

 

* * * * *

「フン、まぁまぁの戦いぶりだな。」

 

 レヴィ・アタンの老艦長は腕組みをして戦いぶりを眺めている。恒星風にもかかわらず良好な通信装置のおかげで戦況はクリアに見える。これも老艦長のこだわりだ。

 

「ボス、いつ出ますか?」

「慌てるな!まだまだ戦いは始まったばかりだ。俺たちの出る幕はねえよ。例の白い船が独りでこっちに来るんなら話は別だがな。」

 

 老艦長は笑った。その眼は猛禽類のように鋭く、遥か彼方にいる獲物を見出し、捕らえようとしている。レヴィ・アタンは禿鷹のごとく、遥かなる岩山から荒野の一点の獲物を見出そうとしているのであった。

 


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