マル・アデッタへ   作:アレグレット

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第十四話 同盟軍艦隊最後の出撃

 

宇宙暦799年12月10日――。

 

 

 

宇宙艦隊総司令部――。

 

アレクサンドル・ビュコック元帥はがらんとしたオフィスを見ながらただ一人の御相伴役と共に広いオフィスのガラスから見える風景を楽しみながらコーヒーを飲んでいた。

それもそのはずで、既に全部隊の進発準備は完了し、後は総司令部がハイネセン国際空港に移動してシャトルに搭乗するばかりとなっていた。

 

「予定よりも3日遅れてしまったが、ようやく出発できるというわけじゃな。」

 

 12月7日進発という命令を発したものの、やはり訓練不足である自由惑星同盟の将兵にとって、進発準備すらも重荷だったらしい。全将兵の3割が新兵であり、3割が兵役を終えて久しい退役軍人とあっては無理からぬものである。「大人だけの宴会」といっても、それとイコール熟練した軍団というわけではなかったのであった。

 それでも3日程度の遅れで済んだのは、自由惑星同盟の商人たちの尽力があってこそだった。補給物資の運搬、兵器の運搬等、軍の輸送艦の不足から期限内に準備を実行できない感が否めなかった。彼らの協力がなかったら、今頃の準備に奔走していただろう。

 

「真の国難によって、その国の本当の国力がわかる、と以前言われたが、まさにその通りというわけか。」

「この国を失いたくない人が大勢いるというわけですな。皆現体制に随分と不満を漏らしていましたが、それでもこの国そのものが嫌いだというわけではなかった、という事でしょう。」

 

 ビュコック元帥の隣でコーヒーカップを傾けているのはクブルスリ―大将だった。

 

「いいや、それもあるじゃろうが、儂は単にあの『小僧っ子』に負かされるのが嫌だから、という事だけだと思うのじゃがね。貴官もそうじゃろう?自分の子供ほどの相手に負かされるのははなはだ不本意というわけじゃろうて。」

 

 そう言いながら、愉快そうに老元帥は笑う。それとは対照的にクブルスリー大将の顔色は悪い。

 

「小官が御供できればよかったのですが・・・残念です。」

 

クブルスリー大将はコーヒーカップを礼儀正しくソーサーに戻しながら、無念の色を浮かべている。彼は未だ病気療養中であり、どうにか歩けるようにまでは回復したものの、宇宙艦隊に乗り組んで戦うなどという激務はできないと医者に強く止められていたのだった。

 

「表向き統合作戦本部長代理であるロックウェル大将が留守を務めるが、貴官には『その後』を引き受けてもらいたいのじゃよ。シドニー・シトレ元帥と共にな。」

「それは承知しております。ですが、閣下、同盟に『その後』という未来が果たしてあるのでしょうか?」

「ヤン・ウェンリーがいる限り、儂はそのように思っておるがね。」

 

 そう言いながら、ビュコック元帥がおかしそうに笑ったので、クブルスリー大将はいぶかし気な表情を浮かべた。

 

「いや、これはある意味で笑い種になるかもしれんと思ってな。確かにヤン・ウェンリーを儂らは頼らざるを得ん。だが、それは当の本人にとってはさぞ迷惑な事じゃろうし、一人の人間に全同盟の命運を託すなどという事は、それこそ英雄の出現を期待するようなもの、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの再来を期待するようなものではないかな?」

 

 クブルスリー大将は今度こそ顔をしかめざるを得なかった。同盟が末期症状の様相を呈し、言動を監視する網が以前と比べて緩やかになったとはいえ、この老提督の発言は自由惑星同盟の首脳部にとっては好ましからざる発言であることには変わりがないのだから。

 

 それでも、とクブルスリー大将は思う。口先ばかりの政治屋と比べて、この人は有言実行をする。今度の戦いにしても生還を期していないことはクブルスリー大将にははっきりとわかっていた。だから――。

 

「閣下。何故閣下はそこまで同盟の為に命をおかけになるのですか?」

 

 老元帥の発言をとがめるどころか、自身もまた往時の同盟であれば好ましからざる発言をしてしまったのである。

 

「さぁて、そのような事はあまり考えるのは苦手でな。いや、言葉に出すことが難しいという意味じゃよ。人間という物は得てしてそういう物ではないかな?行動にその度に言葉を添えていては、儂らは今の業績の万分の一も挙げてこられなかったのじゃと思うがね。」

 

クブルスリー大将は苦笑した。まったくその通りだとおもう。本当に拉致のないことを聞いてしまった。何故なら老元帥の気持ちは自分にもわかるからだ。それを言葉にできないだけで・・・・。

 

「おっしゃるとおりですな。」

 

 クブルスリー大将がそう言った時、ドアがノックされた。

 

「入って構わんよ。」

 

 言葉に応じて入ってきたのはチュン・ウー・チェン大将と、もう一人――。

 

 ミーナハルト・フォン・クロイツェル大佐だった。あの後、ミーナハルトは荷物をまとめ、身辺整理をした後に、正式に宇宙艦隊総司令部を訪れ復帰を志願したのである。

 

* * * * *

 

「息子さんのことは良いのですか?」

 

老元帥が口を開く前に、チュン・ウー・チェン大将は彼女に念押しをした。ミーナハルトは事情をすっかり話した上で、

 

「あの子にはもう私は必要ありません。あの子は既にあの子自身の道を歩み始めています。それを今まで止めていたのは私自身でした。その枷は私自身も縛っていたことに気づかせてくれたのは、皮肉なことにあの人でした。」

 

 口もとには一切笑いは見られないが、眼はすさんだ疲労の色を浮かべてはいなかった。代わりに宿っていたのは強い決意の色である。

 

「だから、私はやりたいことをやるためにここに来ました。もしも、私が違った道を歩んでいたならば、間違いなく来るはずだったこの場所に。」

「しかしな、お嬢さん――。」

 

 老元帥はそう言いかけたが、口をつぐんだ。老元帥の発言を許さないほど今の彼女は強い決意の色を浮かべていたのである。老元帥はチュン・ウー・チェン大将が志願した時の事を思い出した。あの時の彼の表情は柔らかかったが、それでいて有無を言わさない色がうかんでいた。今の彼女はその柔らかさがないが、ベクトルの方向はチュン・ウー・チェン大将の物と一緒だった。

 

「それに、試したいことがあるのです。こんなことを言うと、このような時にと蔑まれるかもしれませんけれど・・・・。」

「それは何かね?」

 

 チュン・ウー・チェン大将の問いかけに、ミーナハルトの胸が上下した。それまで浮かべていた強い決意の色に違うエッセンスが混じり、微妙に違う色になったのである。

 

「以前私はロボス・ファミリーの下で副官を務めていたことは話しましたが、一時期シドニー・シトレ大将閣下の下でも作戦参謀をしていました。第五次イゼルローン攻防戦の実質的な作戦立案は私でした。」

 

 初めての発言にチュン・ウー・チェン大将もビュコック元帥も顔を見合わせあった。「味方殺し」がなかったならば、あと一歩で要塞を陥落させていたといってもおかしくないといわれていた第五次イゼルローン攻防戦。その実質的な作戦立案が目の前にいる女性がしていたとは――。

 

「君はしかし、若すぎはしなかったのかね?」

「ですから『実質的に』と申し上げたのです。たかだか勤続数年の20代前半の言葉を司令部が信じるはずがありませんから。・・・・・申し訳ありません。誇示する意味で申し上げたのではありません。それは――。」

「カイザー・ラインハルトに挑戦したい、ということかね?」

 

老元帥の言葉にミーナハルトは、ハッとした顔色になった。

 

「これはまたとない機会じゃからな。貴官はカイザー・ラインハルトよりも年上とはいえ、それでも十分に若い。ヤン・ウェンリーよりもな。」

「あのイゼルローン攻防戦があるまでは、私も力を前提とした戦いぶりを考えていました。ですが、あの方は違いました。私・・・・はっきりと申し上げてまだまだ自分が未熟なのだと思わざるを得ませんでした。」

 

 あのヤン・ウェンリーの「手品」は誰一人として予想だにできなかったものだ。仮にラインハルトに比肩する天才がいるとすればそれは間違いなくヤン・ウェンリーであろう。チュン・ウー・チェン大将はそう思ったが、それを口に出して言う事はしなかった。

 

「今回の戦い、私もヤン閣下、そしてお二人を見習って私なりに随分と考えてきました。少しでもお役に立ちたいのです。そしてそれは先ほど申し上げた通り、カイザー・ラインハルト・・・いいえ、ラインハルト・フォン・ローエングラムに挑戦することでもあります。」

「・・・・・・・・。」

「一介の佐官がこんなことを申し上げて御不快に思われたかもしれませんが、お願いします。私を連れて行っていただけませんか?」

 

ミーナハルトがカイザー・ラインハルトをその実名で言ったことは「対等者」として相対したい意志を現したことに他ならなかった。ラインハルトからすれば噴飯ものであるかもしれないが、それでもその意気だけは買うだろうとチュン・ウー・チェン大将は思った。

 

「貴官の発言の真意を聞いて好ましからざると思う将官はおるじゃろうな。じゃが、敢えてそれを言った貴官がここにいることを儂は嬉しく思う。」

 

 アレクサンドル・ビュコック元帥の表情が和らいだ。

 

「いいじゃろう。貴官を艦隊総司令部幕僚部に迎え入れることとする。ようこそ。」

 

 ミーナハルトの眼が見開かれ、一筋の涙がつ~っと頬を伝い落ちた。彼女はそれを恥じたように顔を赤らめると、コーヒーを御入れ致します、と席を立った。それが彼女の艦隊幕僚としての第一の仕事となったのである。

 

 所属前のミーナハルトの籍は情報三課であったが、チュン・ウー・チェン大将とビュコック元帥は彼女の所属を宇宙艦隊総司令部幕僚部に移動させた。

 

これにあたって、アレクサンドル・ビュコック元帥は混乱に乗じて一つの「悪巧み」をしたのである。どさくさに紛れてミーナハルトの階級を一気に2つもあげてしまったのだ。これには本人も驚いたが、老元帥の「不要な物ではあるまいし、持っておいて損にはならんじゃろう。」と言う言葉に押し切られた形になった。

 

 

 

* * * * *

そのミーナハルトとチュン・ウー・チェン大将がここにやってきたのは、全ての準備が完了した事実に他ならなかった。

 

「閣下、全艦隊の進発準備、完了しました。ハイネセン国際空港においてロックウェル大将閣下らがお待ちしております。」

 

 チュン・ウー・チェン大将がいつもと変わらぬ声で言った。

 

「そうか。時間じゃな。」

 

 ビュコック元帥はクブルスリー大将を見た。

 

「貴官にはいろいろと世話になったな。そして今後も世話になるじゃろう。手間をかけるな。」

「閣下、後方の事は私にお任せください。そして後掃除の事も。」

 

 ビュコック元帥とクブルスリー大将は固い握手を交わした。老元帥の手を握ったクブルスリー大将の手にはごつごつした節だこだらけの固い手の感触が伝わってきた。

 その手にいつの間にか差し込まれたものがある。クブルスリー大将が手のひらを開けると――。

 

 宇宙艦隊司令長官のオフィスのカードキーが入っていた。

 

思わず敬礼をささげたクブルスリー大将の眼にはチュン・ウー・チェン大将らに助けられ、杖を突いてオフィスを出て行こうとする老提督の背中が見えた。

 

「ですから閣下。」

 

クブルスリー大将の呼びかける声に、ビュコック元帥らの足が止まる。

 

「どうかお元気で戻ってきてください。小官らはいつまでもお待ち申し上げております。」

 

 老元帥は何も答えずに、ただ右手だけを上げて見せた。彼らがオフィスから出て言った後も、クブルスリー大将はその姿勢のまましばらく動こうとはしなかった。

 

静かな乾いた音がした。振り返ると、たった一冊残されていた冊子がデスクの上に置かれている。脇にクリスタルガラスの文鎮がある。重し代わりに置いていたのだろうが何かの拍子に外れてしまったのだろう。

 

 クブルスリー大将が手を取ってみると、それは同盟憲章の冊子だった。


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