マル・アデッタへ   作:アレグレット

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第十三話 枷からの解放

 

 

 

 ミーナハルトはスーパーの袋を玄関先に降ろし、ほうっとため息をついた。

 

ここを出たのはつい数時間前の事なのに、何年もここに戻ってきていないのではないかと思ったほど、先ほどの統合作戦本部とこの自宅との世界は別物だった。電気もついておらず、片付ける暇もなかった荒廃したリビングの惨状がかすかに闇に浮かび上がって見える。

 

「フリオ?」

 

 そう呼びかけながらも、返事は帰ってこないとわかっていた。情けないことに、今の自分は家の事よりも、ずっと別の事、あの、統合作戦本部で話し合っていた時の時間の方が好きだったとわかっている。

 

(情けない、わね。)

 

 もう一度と息を吐きだしながら、玄関に腰を下ろし、靴を脱ごうとした時だ。勢いよくドアが開かれた。眩しさに眼を細めながら見上げると、そこに若い男の影が立っていた。

 

「フリオ、どこに――。」

「お前にもう俺の名前は呼ばせねえ。」

 

 声変わりをしたてのガサガサした声がミーナハルトの問いかけを遮った。

 

「邪魔だ、どけよ!!」

 

ミーナハルトを突き飛ばすようにして中に入ると、勢いよく階段を駆け上がる。暫くすると、何やら二階でのたうち回るような音がした。だが、それは今まで聞きなれた狂騒曲とは異なる、何らかのはっきりとした目的がある行進曲だった。ミーナハルトは唖然として階上を見つめるばかりだった。

 

「運の悪いときに鉢合わせをしたな、いや、正確にはあの子、そして儂にとって、という意味だが。」

「――――!!!!!!!!!」

 

 ミーナハルトは顔面を一気に蒼白させ、声の主を振り返った。玄関から差し込む陽光は午後の日差しだったが、それを遮る肥満体がそこにあった。

 

「ラザール・・・ロボス・・・・。」

 

 禿げ上がった額、しわのたるんだ顔、かつての名副校長、そして名指揮官と言われた影はどこにもない。ただ眼光の鋭さが往時の残光を残している。白い開襟シャツを着て、白のスラックスを履いている。

 

「儂からの手紙を見たかどうかは知らんが、未だお前からの返事を受け取っていないところを見ると、おおよそお前の心情は明らかだ。そのことについてどうこう言おうとは思わん。だから、お前に行っておく。これから儂らが行う事に一切口出しは無用だ。お前は儂らとは縁が切れた。」

「縁・・・・。」

 

 この男からそんな言葉を聞くとは思わなかった。あの時、そして、ロボス・ファミリーが崩壊してから縁などと言う言葉はこの世界に存在しないと思うようになったからだ。

 

「フリオは儂が預かる。」

 

 ロボス元元帥は冷然と言い渡した。そのことにミーナハルトは驚いていた。散々今まで認知を拒否してきたロボスが、いともあっさりと自分の子であることを認めたこと、ましてやその子を自分の手に引き取ると言い出したことにである。

 あなたはどこかに頭をぶつけておかしくなったのですか?いや、それとも正気に戻っただけ?そんな台詞がミーナハルトの喉元にまで迫っていた。

 

「そして、二度と儂らの前に姿を現さんで欲しい。」

「それはどういう――。」

「今更偽善ぶるな!!!!」

 

 往年の名指揮官の残光の名残は、怒声にも表れていたようだった。戦場を幾度も叱咤し、全軍を震え上がらせ、かつ高揚させたあの声をミーナハルトは思い出していた。だが、色合いは全く異なるベクトルのものなのだと感じた。

 

「儂を放置しておいたことはまだいい。お前の心証もある。だが、だからと言ってフリオをあのように放っておくとはな。もっと儂が早く知っていれば手をうったものを。」

「あなただって、私たちには一顧だにしなかったではありませんか。それを今更――。」

「お前が拒絶したのではないか!お前はあの子を義務的な範疇を越えてみたことは一度もなかっただろう。儂がただ長年生きていただけと思うか!?お前のあの子に対する態度はあの子にあって5分もしないうちにとうに見抜いておったわ!!」

「・・・・・・・っ。」

 

 ミーナハルトは胸に鋭い痛みを覚えた。ロボスに対して言ってやりたいことは山ほどある。また、ロボスの言う事は自分を棚ざらしにして言ったので何の説得力もないこともわかっている。けれど、自分がフリオにしてきた事、それを思うと、今目の前にいるこの醜悪な老人に対して何ら言い返せないのが現実だった。

 

「そうだとしても、あなたが私とあの子にした仕打ち、いいえ、正確に言えば私たちがあの子にした仕打ち、それを消すことはできないでしょうよ。」

 

 ミーナハルトが震える声で言った時、背後に物音がした。階段を下りてきたのはフリオだった。リュックを背負い、その中にこまごまとしたものを入れているのだろう。彼は母親の視線を浴びると、一瞬陽光に向かいあった時のように眼を細めたが、視線を背けると、横を素通りして、靴をつっかけるように履くと、急いで陽光の下に歩み去ってしまった。

 

「私がこんなことを言う事ができないことは承知しているけれど、それでも言わなくてはならないとずっと思っていた。あなたがしたことは、私的には私とあの子、そしてあなた自身を苦しめたこと。そして、公的には同盟を衰退させる決定打を作ったこと。それだけはどんなことをしても消すことはできない事実よ。」

 

 ロボスはそれに対して怒声を浴びせなかった。ミーナハルトの瞳を冷然と見返しながら返した次の返答は彼女の弾劾に対して肯定も否定も現していなかった。

 

「お前は候補生時代から、そして儂の副官となった時もそうだったな。どんなに階級の離れた上官であろうとも、そう、たとえそれが儂であろうとも言うべきことは言った。あの男のようにな!!」

「あの男・・・・?」

「ヤン・ウェンリーだ。彼奴が英雄になったのとは対極的に儂やパエッタは沈んだ。もっともパエッタは儂に対しても含むところがあるように見えたがな。」

「・・・・・・・・。」

「儂が何と呼ばれているか知らんとでも思ったか?『耄碌したジジイ』『帝国の女スパイに性病を移された間抜け』『アルツハイマー病を発症』往時儂が功績を上げていた際には陰口ひとつでなかったというが、ひとたび儂が失敗すればこのありさまだ。」

 

 ロボスは先のやり取りで肩で息をしていた。その様子から、ロボス自身にも病気があり、それも軽症でないことはミーナハルトにも見て取れた。にもかかわらず、ロボスはそれを現そうとはしていない――。

 ミーナハルトは奇妙な感覚に襲われた。この人は、本当に耄碌していたの・・・・?それとも――?

 

「もはや儂が戦場に立つことは許されんだろう。一度地に落ちれば、どうあっても忘れられることはない。それはお前の言う通りだ。だから・・・・・。」

 

ロボスは一通の紙片を取り出した。

 

「お前が不在なら、おいていこうと思っていた。だが、それも不要になった。」

 

宙にそれを掲げると、ロボスは思い切りよくそれを引き裂いた。バラバラに散った紙片は折から噴出した風に乗って四方に飛んでいく。

 

「儂にできるのは、せめてお前を繋いでしまった枷を外し、お前を解放してやることだ。そしてそれはあの子の意志でもある。」

「・・・・・・!」

 

ミーナハルトは眼を見張った。聞き違えたのかと思った。夢を見ているのではないかと思った。ロボスがこのような言葉を吐くこと自体が幻か幻影を見ていなければ起こりえない事なのだから。

 

「あの子の事なら心配はするな。たとえ儂が死んだとしても、困らぬように手をうっておく。お前はもう儂やあの子とのことを気にする必要はない。いいな?」

「・・・・・・・。」

「そんな顔をするな。」

 

 ミーナハルトがロボスから顔を背け、眼をきつく閉じているのをロボスは冷然と、だがどこか哀愁ただよう表情で見下ろしている。

 

「お前には迷惑をかけた。お前は本来儂の元にいる人間ではない。こんなことを想像するだけで吐き気が伴うが、儂は思う。もしお前がヤン・ウェンリー、シトレ、そしてビュコックの元にいれば、どれだけ才能を開花させたのか、とな。」

「・・・・・・・。」

「今更言っても詮無き事だったな。」

 

 それを最後にロボスの言葉は聞こえなくなった。ついで静かに地上車が走り出す音が聞こえ、それも止んだ。ミーナハルトの膝の上にロボスが引き裂いた紙片が落ちかかった。その断片を見た時、ミーナハルトはその手紙の筆跡の主が一人ではなかったことを知った。

 どうしようもなく感情がこみ上げ、声を殺して嗚咽した。それがどんな色合いの感情なのか、ミーナハルト自身にさえわかっていない。ミーナハルトはいつまでも玄関先に座り込み、暗くなるまで動こうとはしなかった。

 


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