マル・アデッタへ   作:アレグレット

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第一話 滅亡へのカウントダウンの始まり

 宇宙歴799年11月10日は自由惑星同盟市民にとって生涯忘れられない日になるだろう。滅亡という序曲を奏で始めた瞬間として――。

 

そう予言した人間が仮に3年前と少し前にいたとしても、誰も本気にしなかったに違いない。何故なら、その頃は自由惑星同盟はイゼルローン要塞を陥落させ、帝国本土逆侵攻の待望を抱いていた時期だったから。

今、一人の老人の前に写る年代物のTVには一人の人物だけが写っている。彼はその一人の若き人物がその破滅をもたらさんとする「神々からの使者」であることを認めないわけにはいかなかった。

 

「同盟市民に告ぐ。卿等の政府が卿等の指示に値するものであるかどうか、再考すべき時が来た――。」

 

ラインハルト・フォン・ローエングラム1世の声は今自分のTVのみならず、両隣の家、そして町々、さらには首都星ハイネセン全域、いや、自由惑星同盟全域に流れているだろう。ラインハルト・フォン・ローエングラム1世は二つのものを提供した。一つは、自由惑星同盟市民が求めているもの、すなわち真相であった。レンネンカンプ高等弁務官の失踪の真相、ヤン・ウェンリー退役元帥を始めとする一派の動向等を彼は正確な情報をもって伝えたのである。

のみならず求めたくなかったものも彼は提供した。すなわち、同盟政府の無能と不実を糾弾したのである。これは同盟政府にとっては強烈な張り手を食らったのも同然だったろう。

 

「バーラトの和約の精神は既に汚された。これをただすには実力をもってするしかない。」

 

彼の声はその意味するところの恐怖を纏いながら全自由惑星同盟市民の耳朶を直撃した。戦慄が空気を硬直させ、人々の心に衝撃を与えた。彼の言葉を曲解の余地のないように翻訳しなおせばこうなる。

 

ローエングラム王朝は大軍をもって自由惑星同盟に侵攻、これを完膚なきまでに征服し、銀河帝国の領土とする、と。

 

老人は重そうに体を肘掛椅子から持ち上げ、杖を突きながら歩み寄ると、TVを切った。まだ演説は続いていたがこれ以上聞いたところで何の益があるだろう。わずか1メートルの距離であり、ほんの数歩の距離であったが、杖を突くたびにうめき声のような息が漏れるのは、長年の心労のせいか、あるいは病気なのか。

 肘掛椅子に再びたどり着いた老人は肘掛椅子のわきにあったテーブルに立てられた写真立てを取り上げた。そして杖を大事そうに膝の上に乗せる。

「エマ、ブルース、トニー・・・・グロリア。」

大切な家族は彼の側にもういなかった。娘一人、息子二人、そして妻の幸せな家庭は戦争であっけなく崩壊した。子供三人はいずれも兵役の最中に艦ごと吹き飛ばされて死んだ。妻は先年末期がんのために亡くなっていた。それが幸せだったのかもしれないと老人は思う。何故なら、自分たちの祖国が敵に蹂躙され、焼けつくされるところを見なくて済むのだから。

 だが、自分は違う。自殺をすれば話は別だが、生きている限りは遠からずやってくる帝国軍の姿を見なくてはならない。そしてそれに蹂躙される祖国を否が応でも目撃することになるだろう。

「・・・・・・・・。」

老人の老いた眼は別の写真立てに移された。一隻の戦艦を背にして自分を囲むようにして肩を組んでいる大勢の部下たちとの写真。彼らの腕には自由惑星同盟宇宙艦隊の腕章が輝いていた。そして写真立ての隣のガラスケースにはその栄光を忍ばせる腕章が静かに飾られていた。

 

どれくらいそうしていただろう――。

 

 不意に外から雑音のような物が聞こえた。隣人の誰かがラジオをつけっぱなしにしているらしい。あるいは狼狽してとるものもとりあえず外に出て行ってしまったのだろうか。

『・・・惑星・・・同盟軍は・・・・先ほど・・・エングラム・・・・演説を受け――。』

雑音交じりだったラジオはいきなりクリアな音声に変わった。まるでそれは一番聞かせたかった文言だけを切り取ってきたかのように。

『予備役と退役軍人の募兵を開始しました。繰り返します。自由惑星同盟軍は予備役と退役軍人の募兵を開始しました。軍隊経験がある方はお近くの――。』

 

 

 

* * * * *

胸ぐらをつかまれた男は返す手でひねりあげ、遠慮会釈もなくテーブルに叩き付けた。薄暗い薄汚れた狭い酒場にガラスの砕ける音、鈍い音が一杯に満ちた。

「ちっ!!」

男は唾を吐きかけた。そして横柄なそぶりで硬貨をカウンターに投げつける。店主や客たちはカウンターの向こうに体を縮こませているはずだった。

「迷惑料だ。」

そう言い捨てると、ふらつく足取りで長身を前かがみにし、両手を薄汚れたジーパンのポケットに突っ込みながら歩み去っていく。長い黒髪には一筋の白髪もないが、その顔に刻まれた大小の傷やしわがすさまじい荒廃ぶりを示していた。その中にあって眼だけは獰猛な鷹のような光を持ち続けている。

「野郎!!」

背後で喚き声がした。倒れた男は眼をぎらつかせて立ち上がっていたが、男は一瞥だにしない。男が何か叫ぶと、テーブルにいた破落戸共が一斉に立ち上がり、勝利者を羽交い締めにしようとした。それを二、三発殴りつけ、蹴り倒したが今度は相手が悪すぎた。先ほどの勝利者は一転して敗者になり、壁に強かに叩きつけられていた。

「よくも舐めた真似をしてくれたもんだ。」

ナイフを突きつけながら男が凄みを見せる。

「テメェわかってるんだろうな!期限は明後日だぜ。・・・・何笑ってやがる!?」

「この星が明日にでも滅んじまうかもしれねえのに律儀に借金の取り立てか。」

次の瞬間、男の襟首は10センチほど宙づりになり、締め上げられていた。

「あの金髪のガキが攻め寄せてこようが何しようが、俺たちの商売に関係ねえ。テメェの借金は取り立てる。期限は明後日だ。」

そうでもなけりゃ、と相手は凄みを利かせる。

「テメェの身体で支払ってもらうぜ。退役軍人さんとやらには少なくねぇ年金があるそうじゃねえか。ご本人がくたばっても遺族や身内に入るって寸法だ。そりゃ死亡すれば額はだいぶ減るがよ。」

ケケケ、と下卑た笑いが男の耳朶をくすぐった。

「俺は尉官だ。てめえらの望んでいるような金は出ねえよ。はした金で有頂天になるお前らはさぞかしおめでたいな。」

締め上げられていても、薄暗闇の中でも相手を威嚇する目の光は消えていなかった。

「構わねえ。」

ようやく気が済んだのか、相手は締め上げる手をほどき、突き放した。叩き付けられて、男はずるずると壁にもたれかかった。

「どっちみち金が手に入ればいいんだ。いいな、忘れるんじゃねえぞ。明後日だからな。」

相手は相棒たちを促すと、足音荒く店を出ていった。

「おめでたいことだ。お前らも生きているかどうかわからねえというのに。」

血の混じった唾を床に吐き出すと、ふらつきながら立ち上がり、男は店を出て行った。

 

 

* * * * *

奇妙に人気のない道路を赤い髪を無造作に束ねた女性が歩いていく。自由惑星同盟の軍服を身に着けて表向き身ぎれいにしているのに、その表情にはどこか疲れたような、擦り切れたような色が浮き出ていた。

左右にぶら下げていたビニール袋には幾日かの食料が入っていた。帝国占領前は物資の統制が制限されていて満足な買い物もできなかったのだが、皮肉なことに帝国がガンダルヴァ星域に駐留してからというもの、航路の安定が図られて物資の流通が上手く言っていたのだ。

一つの官舎の前にたどり着くと、腕に下げていた小さなバッグから電子キーを取り出して開けた。指紋認証装置などというたいそうなものは、もっと上の階級の将官専用官舎にしか備わっていない。

「ただいま。」

郊外の閑静な佐官の官舎に戻ってきたのは幾日ぶりだろうか。

「フリオ、居るの?」

息子の名前を呼びかけた声は空しく住宅の中に消えていった。幾日もこもっているような空気を人嗅ぎすれば、息子が幾日も帰っていないことは明らかだったが、その空気にはすさまじい腐臭のようなものが潜んでいた。

「フリオ?」

リビングに入ると、そこは深夜のパーティーの後のように散らかり放題だった。それも、あちこちに食べ残しの残骸が飛び散り、本はひっくり返され、散らばっている。明らかに体内から戻したであろう吐しゃ物のような物がカーペットの上に散っている。ごみ箱に無造作に放り捨てられていた汚物の中に、大量のティッシュとコンドームのようなものがあった。

 避妊だけはきっちりしたらしい。そのことに奇妙な満足と笑いを覚えた女性はビニール袋をキッチンに置いた。リビングはすさまじい荒れようだったが、台所は人が入った形跡はない。

 久方ぶりに帰っても迎えに出てくれる者はいない。それは初めての事ではなかった。すっかり慣れっこになった静まった家の中で、自室に戻ると、黙って自由惑星同盟の軍服を脱いでハンガーにかけ、身分証をサイドテーブルに置いた。

 

ミーナハルト・フォン・クロイツェル――。

 

という名前と共に生真面目に写っている自分の写真、そして少佐の階級章をつけた軍服を一瞥すると、スウェットに着替えた彼女は、ゴミ袋と雑巾、そして手袋をはめると、リビングの掃除にかかった。

 

 防音処理を施していない官舎だったが、周囲の家には人は既におらず、皆無人だった。澄んでいるのは自分たちくらいのものだ。軍縮の中で軍にとどまれたのがどうしてなのかは知る由もなかったが、いくつか思い当たることもある。だが、それを深く知ろうとは思わなかった。

 食べ残しをゴミ袋に捨て、床を綺麗にしていると、不意に荒々しくドアが開き、閉められる音がした。リビングの前に立つ気配を感じても、母親は手を止めなかった。

「何で帰ってきやがったんだよ?」

荒々しいとがった声は声変わりをしたてのものだった。

「ここは私の家だからよ。」

物静かに女性は答えた。

「随分派手にやったようね、フリオ。今度は誰とやったの?関心にも避妊だけはちゃんとしたようね。」

「お前の知ったことじゃねえ!!」

怒声が跳ね返ってきたが、無造作に投げ込まれた言葉にうろたえを隠し切れない色が出ていた。それでも母親は手の動きを止めなかった。

「総菜パンとチキンを買ってきたわ。台所においてあるから。」

「そんなもん知るか!飯なんて食っている場合かよ!?」

最初の言葉はいつもの事だった。息子が荒れ、帰ってみると散らかり放題の光景が待っている。そしてそれを片付けていると息子が帰り、一方的に荒れた言葉を浴びせられ、息子は二階の部屋に閉じこもる。それがいつもの光景だった。

だが、今回は後半がタダならぬ言葉を秘めていたので、母親は息子を振り返った。

「・・・知らなかったのかよ?ニュース。」

「今日は電車が止まっていたから、歩いて帰ってきたのよ。端末も通信飽和みたいで通じないし。」

息子は無造作に部屋を横切ると、投げ捨てられていたリモコンを拾って、TVを付けた。男性アナウンサーが繰り返し同じ言葉をしゃべっている。

『繰り返します。先ほどのラインハルト1世なる者の声明を受け、自由惑星同盟軍は予備役と退役軍人の募兵を開始しました。』

その後に、ダイジェスト版ともいうべき、ラインハルトの宣戦布告が流れた時、ミーナハルトの手から雑巾が音もなく床に落ちた。

 

 


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