あいあむあいあんまん ~ISにIMをぶつけてみたら?~ 作:あるすとろめりあ改
そして……
これで、
完結────
六月。世間ではジューンブライドと持て囃され、この時期に結婚式を挙げた夫婦は幸せになれるという通説がある。
その由来はギリシャ神話のヘラ。ローマ神話のジュノーと同一視され、英語のjuneもjunoが起源だという。
ところでヘラと聞くと色んな意味で良いイメージが無いのだけれども。マーベル的にも、ギリシャ神話的にも。
浮気なんかしたら地獄の底まで追いかけ回されそうである。
つまりアレか、ジューンブライドとは新婦が新郎に浮気をさせない為に戒めと呪いの込められた儀式の事であったと!
「よし、着られたね」
「どう幸太郎?」
「うーん……何か、変な感じ」
目の前の鏡には、黒紋付羽織袴に身を包み髪の毛も整髪剤でビッシリと決められている自分の姿が写っていた。
以前にも仕立てた際に試着はしていたが、しかし和装など浴衣ぐらいしか着た経験が無い身としては、なんとも慣れない。
「僕だけど、僕じゃないみたいだ」
「幸太郎は背が高くてガッシリしてるから羽織も様になってるわね」
「そうかな……でも、まさか成人式の前にこんな格好になるなんて思いもしなかったよ」
「寧ろ、もっと早いかと思ってたけど」
「…………充分に早いよ」
数えでは二十歳でも、実年齢は十九歳。つまり未成年であり、日本の法律ではお互いの親の同意があって初めて結婚が許されるのだ。
この年齢で結婚している者が果たしてどの程度いるというのか。
因みに、参考程度に調べた限りでは15歳以上19歳以下で配偶者のある者は総務省統計局調べで0.3%である。これは数十年ぐらい変わっていない。
つまり凡そ15000人程度。7500のカップルが夫婦であると……多いのか少ないのか分からないな。
「ほら、いつまでボーッとしてるの? もう行かないと」
「……うん」
白扇を手に取り、控え室から出る。
神前式にはバージンロード、正確にはウェディングエイルが無いので初めの参進の儀から新郎新婦が隣り合って歩く。
そういう訳で束を待っているのだが……当然ながら、黒紋付羽織袴よりも白無垢の方が着用は困難で時間が掛かる。
もう暫し、待つ必要があるだろうか。
「あっ、向こうも準備が終わったみたいだね」
父さんの声に呼応するみたいに、対向の扉が開かれた。
まず出て来たのは着付けを手伝ったと思われる巫女さん。これから誘導と進行の手伝いもしてくれる。
そして次に現れたのが────全身を、純白の衣で包んだ束の姿。
「…………」
言葉が出ないとは、この事か。
俯き気味であった為に顔は大きな綿帽子で隠れてしまっているが、その半分が真っ赤な紅と白粉で彩られて見え隠れしている。
妙にミステリアスで、普段の束からは想像もつかない真珠の様な雅な美しさがそこにあった。
「────束」
名前を呼ぶと、ゆっくりと窺うように顔を持ち上げた。
「変じゃ、ないかな?」
普段、軽いメイクしかしない束がしっかりと化粧した姿は新鮮であった。
雪のような白い下地の上で、目元には嫌味にならない程度に添えられた水色と黒のシャドウ。口元は一転して濃い紅色が厳かなコントラストを作り上げている。
いつもはどこか眠そうでトロンとしている眼も今日はハッキリと僕を見据えていた。
容姿が美しいのは嫌という程に味わっていたが、イメージとは正反対の清楚な姿に唯々見惚れてしまう。
「ううん……凄く、綺麗だよ」
やっとの思いで紡ぎ出した言葉に、彼女は柔らかい笑みで答えてくれた。
◯
笙や龍笛、太鼓で奏でられる雅楽の荘厳な音色に包まれながら、行列は境内を進む。
参進の儀。儀式殿の神殿までゆっくりと歩んでいく。
西洋風の結婚式に無理やり当て嵌めるならばバージンロードみたいな物かもしれない。
何でも、親族の足並みを揃える為とか、新郎新婦が以降の人生を共に歩んでいく事の意思表示だとか、色んな意味が込められているのだという。
参列の先頭は、篠ノ之神社の宮司である柳韻さん。
本当は親族の神職にその役を頼む事も検討されたが、束も本人も是非とも祝詞を唱えて祝福したいとの事で少々異例になってでも自身で式を執り行う事になった。
それに続くは雅楽を奏でる権禰宜さん達、そしてその後ろが巫女さんだ。
考えてみればこの参列の全員と何だかんだ顔見知りであり、何とも妙な感じである。
「只今より、ご両家の結婚式を執り行います」
儀式殿に入り、親族が新郎側と新婦側に別れて座ってから巫女の宣言で式が始まる。
柳韻さんが祓串と呼ばれる白木の棒に大量の紙垂が束ねられたハタキの様な道具を参列者の前で振るっていき、場が清められていく。
「祝詞が奏上されます。皆様、ご起立ください」
皆が一斉に立ち上がり、柳韻さんは神殿の前に立つと何度も礼を行ってから祝詞の記された紙を取り出し、読み上げはじめた。
「掛けまくも
風の音の遠き
此度、倉持幸太郎と篠ノ之束は
今ゆ
家の棟門
身体の髄まで馴染み染み込んでいる日本語の筈なのに、祝詞の言葉は殆ど聞き取れなかった。
辛うじて聞き取れた言葉と言えば、二人の名前の辺りか若しくはイザナギとイザナミぐらいだろう。
……あまり考えたく無い事だが、もしも仮に束が黄泉の国へと旅立ってしまったとしたら────いや、行かせまい。デスだろうがサノスだろうが殴り飛ばしてでも留めてやる。
いつまでも。遥かなる悠久を、それこそ叶うのならば永遠にだって隣で寄り添うんだ。
それを今日、誓うのだから。
「御静聴ありがとうございました。続きまして、三献の儀を執り行わせて頂きます」
日本では古来より三や九といった奇数が縁起の良い数字であるとされており、この三献の儀も別名は三々九度と呼ばれ、大中小の大きさの盃で構成された三ツ組盃を新郎新婦で酌み交わす。
面白い事にその盃を乗せる台の事も三方といい、なんでも
二人が神殿の前まで進むと巫女さんが神殿に礼をしてから備えられていた三方に乗っている
まずは、小の盃から。
松竹梅の模様が彫られた金色の長柄銚子で、三度に分けられて注がれていく。
本来ならば盃に注がれるのは御神酒、つまり日本酒なのだが僕達は未成年なので御神酒と同じ方法で清められたお水になっていたりする。
その盃を受け取り、まず一口と二口目は口に付ける程度。三口目で全てを飲み干す。
盃を巫女さんに返してから今度は束に手渡され、再びお神酒が三回注がれるとこれも三度に分けて飲み、再び僕の手元に戻ってきた盃も三度に分けて飲む。
次は中の盃、今度は束から始まって束で終わる。最後の大の盃はまた僕から始めて僕で締める。
こうして、三と三を繰り返し九度で
「続きまして誓詞奉上を執り行います」
懐に収めていた紙を取り出して、広げた。
誓詞とはその名の通り誓いの言葉で、神様に二人が夫婦になる事を報告する儀式だ。
祝詞の時は別姓だった名前もこの時から神様に結婚が認められて同姓になる。
余談であるが、江戸時代までは夫婦別姓が当たり前で西洋の文化を取り入れた明治時代以降より夫婦同姓の習慣が築かれたという。
「私共は今日を佳き日と選び篠ノ之の大神の大前で婚姻の礼を行う。
今より後、御神徳を頂きまして相敬い相和し夫婦の道を守り一家を齊え苦楽を共にして終生変わらぬことを神前に誓い
願わくば幾久しく守り導き給え。
ここに謹みて誓詞を奉る。
平成29年6月15日。夫、倉持幸太郎」
「妻、倉持束」
これで神前に於いて二人が夫婦になったと認められた事になる。
教会式で言えば“病める時も健やかなる時も……”のアレと似たようなものだ。
かつての神前式であれば、これにて契りは結ばれて夫婦となり、後は玉串奉奠と親族固めの盃を交わして儀式は終わりとなっていただろう。
しかし、現代における神前式にはもう一つ儀が加わっていた。
「引き続きまして、指輪の交換です」
神殿に捧げられていたもう一つの三方。
その上にあるのは盃ではなく、二対の指輪であった。
実は、この指輪は僕が一から作った物である。
デザインはシンプルで過度な装飾も宝石も無く金属特有の輝きだけが煌めく。
しかし、材質は結婚指輪に良く用いられている金やプラチナでは無い。
それは──ヴィブラニウム。
どんなに年月が過ぎ去っても朽ち果てる事も色褪せる事も無く、どんな困難に苛まれようとも砕けず綻ばずに指輪はその形を維持する。
そもそも指輪が円形なのは“愛が途切れる事が無いように”と無限の様な永遠を象徴しているからだという。
つまり、その指に永遠の愛を…………なんて、気障な想いを込めて。
そして互いの左手薬指に、指輪が嵌められる。
気付けば、相手の手元へと向けられていた視線は上を向いてお互いを見つめあっていて…………満面の笑顔が向かい合っていた。
死が二人をわかつまで?
冗談じゃない。死んでも離してやるものか。
「ありがとう」
「うん」
────じゃない!
残念ながら、今回ばかりはそうはいかない!
本当は披露宴の場面も入れようかと思ったけど、蛇足かなと思ってカット。
逆に祝詞とか全文入れる必要なかったかも(これでも短くしてます)
年度はISAB準拠。
今後の予定として、まずはアベンジャーズ編を終わらせて……時系列に沿うという名目でこの話の後ろに移動させます。後でね。
それから第2章という形でIS学園編。一夏くん視点のIS学園を描写しつつ……でも結局メインは幸太郎と束の物語なんだよなぁ。