女幹部はアパート暮らし   作:ガスキン

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後半にシーンを追加しました。


第三話 お節介だって立派な長所である。

翌朝、麗奈が目を覚ますと、見慣れない天井が目に映った。徐々に覚醒していく頭のなかで、昨日の出来事をゆっくりと思い出す。

 

「……ああ、そういえば、恭介君の厚意に甘えさせて頂いたのでしたわね」

 

自分の吐いた適当な嘘を信じ、このアパートに匿い、しかも、昨夜の夕食時には、使用中の家賃等はいらないとまで言って来た。優しいというより、とんでもないお人好しだ。悪の組織に所属する自分が心配するのもなんだが、彼の将来はどうなるのだろう。いつか、誰かに利用されてしまうのではないか……。

 

「……いえ、利用しているのはわたくしも同じですわね」

 

悪の組織の人間として、時に容姿で、時に瞳の力で、様々な相手を利用して来た。その時には、相手の事など考えてもいなかった。

 

けれど今、彼を騙し、この場所を借りている事に、何故か胸がざわめいた。それを言葉にすれば、『罪悪感』というものだろうか。

 

(馬鹿馬鹿しい。そんなもの、ダーク・ゾディアックに入った時に捨てたはずですわ。そもそも、どうして女帝麗嬢であるわたくしが、あんな昨日あったばかりの少年などを心配しなければなりませんの)

 

麗奈は心の中で呟きながら首を振った。それはまるで、自分自身に言い聞かせている様にも見えた。

 

「……ちょっと外の空気でも吸いましょうか」

 

麗奈は玄関を出た。すると、ほぼ同じタイミングで隣のドアが開き、そこから制服姿の恭介が出て来た。

 

「あ、麗奈さん。おはようございます」

 

「おはよう、恭介君。今から学校かしら」

 

「はい。麗奈さんは今日お仕事ですか?」

 

「いえ、今日は何もありませんの。ですから、ここで暮らすのに必要な物を買いに出ようと思ってますわ」

 

「あんまり出歩かない方がいいと思いますけど……。もしストーカーに見つかったら……」

 

「あなたにそこまで心配して頂く必要はございませんわ」

 

そう言って、麗奈はハッとした。今の言い方では変な誤解を与えてしまうかもしれない。案の定、恭介は申し訳なさそうな表情を麗奈に向けた。

 

「あ、あはは。そうですよね。すみません。腕の傷を見ちゃったから余計に心配になっちゃって……」

 

「ち、違……」

 

「じゃ、じゃあ、俺、学校に行くんで。本当に気をつけてくださいね」

 

恭介は麗奈に背を向け、逃げるように走り去った。麗奈は咄嗟に呼びとめようとしたが、すでに恭介の姿は遠くなっていた。

 

「そんな……そんな顔をさせるつもりじゃありませんでしたのに……」

 

存在しないストーカーなど恐れる必要は無い。だから、自分の事など気にせず普段通りの生活を送って欲しい。麗奈なりに、恭介の為を思っての言葉だった。それなのに、あの様子では、逆に傷付けてしまったかもしれない。

 

「どうしてわたくしは、あのような言い方しか出来ないのかしら」

 

胸のざわめきは先程より強まり、小さな痛みに変化して麗奈を襲った。胸を刺すチクリとした痛みに、麗奈はさらに戸惑う。

 

「何なんですの、この痛みは……」

 

突如生じた心の痛み。麗奈には理解出来ないその痛みを癒してくれる薬は、ダーク・ゾディアック一の天才であるピュリアにも作れない。癒せるのは恭介ただ一人。だが、麗奈がそれに気付く事はなかった……。

 

 

 

 

「どうしたの、高木君?」

 

一時間目終了後の休憩時間、ボーっとしていた恭介に翔子が話しかけて来た。

 

「ん……? ああ、霧原さん」

 

「どうしたの? ……って、昨日と逆だね」

 

「はは、そうだな……」

 

「授業中に何度か見たけど、心ここにあらずって感じだったよ。何か悩みでもあるの? 私でよかったら話してみてよ」

 

つまり、授業中何度も恭介へ視線を送っていたという事にもなるが、そんな事に今の恭介が気付くはずも無かった。

 

「……なあ、霧原さん。俺の事、どう思う?」

 

その質問に、翔子は途端に頬を赤らめ、両手の人差し指どうしをくっつけて囁くように答えた。

 

「ええ!? そ、それは、えっと……優しい人だなって。……あと、カッコよくて、頼りになって、なのに気取ったりしないし、料理も得意で、結婚したら一緒にお料理とか出来たらいいなって、わ、私は中華料理とか得意だけど、高木君の得意なお料理ってどんな感じなのかな……って、や、やだ、私ったら、まだ付き合ってすらいないのに……」

 

機関銃のように喋り続ける翔子。だが、「優しい人」から後の言葉は、最早蚊の鳴くような声になっていたので、恭介の耳に届く事はなかった。

 

「優しい……か。それってお節介ともとれるよな」

 

「え?」

 

妄想に浸っていた翔子が、恭介の固い声色に正気に戻った。

 

「俺って何でも首を突っ込もうとする性格だからさ。その所為で逆に相手に迷惑かけてるかもしれないって考えると……このままでいいのかなって」

 

「そうだね。確かに、高木君ってちょっとお節介な所があるかも」

 

「やっぱり」

 

「……けど、それが高木君のいい所でもあると思うな」

 

ニコリと微笑む翔子。

 

「俺のいい所?」

 

「というか、お節介じゃない高木君なんて、高木君じゃないよ。中学の時から一緒だったから知ってるよ。高木君、困ってる人がいたら、それが先輩でも後輩でも、先生でも手助けしてたじゃない。中には迷惑がる人もいたかもしれないけど、その倍以上の人が高木君に感謝してたはずだよ。……それに、私だって……」

 

「え? 最後なんて……」

 

「な、何でも無い。とにかく、高木君はお節介なままでいいって事。異論は認めません」

 

そう締めくくり笑みを見せる翔子に、恭介もまた笑顔を返す。

 

「そっか……。うん、ありがとう、霧原さん。ちょっと気が楽になったよ」

 

「どういたしまして。相談事ならいつでも受け付けるからね」

 

ウインクして翔子は自分の席に戻って行った。恭介の斜め後ろの席で偶然それを目撃した男子が興奮した様子で叫んだ。

 

「き、霧原のウインク……これはプレミアもんやでぇ!」

 

「うるせえぞ荻原!」

 

「俺は萩原だって言ってるだろうが! 書く時に間違えるのならともかく、呼び方間違えるとかおかしいだろうが! わざとか? それともガチで勘違いしてんのか?」

 

「わざとに決まってんだろうが!」

 

「ケンカ売ってんのかテメエ!」

 

「ちょっと、静かにしてよハギハラ君」

 

「俺はハギワラだよ霧島ぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「おらー、席につけー。授業始めるぞー」

 

始業のチャイムが鳴り、萩原以外の全員が素早く席についた。

 

「どうした、早く座れ。萩原」

 

「先生! あなただけは信じていました!」

 

「いいから座れ。荻原」

 

「何故に二回目で間違えるの!?」

 

崩れ落ちる萩原を尻目に、二時間目の授業がスタートした。

 

 

 

 

恭介が授業を受けている頃、麗奈は生活必需品を求め街中を歩いていた。すれ違う男達が、麗奈の美しさに例外無く振り返る。当の本人は、人の目にさらされる事に慣れているからか、全く気にせずに歩き続けていた。

 

「あ、あの! 神宮寺麗奈さんですよね! 俺、あなたのファンで……」

 

「人違いですわ」

 

男の言葉を遮るようにして横を通り抜ける麗奈。いつもならこういった相手にはきちんと対応するのだが、朝の恭介との件が尾を引いているせいか、そんな気分にはなれなかった。とはいえ、この手の連中は一人が行動に移せば次々に現れるわけで……。

 

「キミ、綺麗だね。よかったらそこの喫茶店でお茶でもどう?」

 

「芸能界に興味ありますか?」

 

「十秒だけでいいです。あなたの幸せのために祈らせてくれませんか」

 

「踏んでください!」

 

まとわりついてくる男達に、麗奈はため息混じりでスレイブ・アイを使った。

 

「邪魔よ。お退きなさい」

 

「「「「……はい」」」」

 

ぼうっとした顔で麗奈の前から退く男達を一瞥し、麗奈は歩みを再開した。途中、バス停を発見したので、そこからバスを利用して駅前に建つ大型デパートへと向かった。着いた頃には時間は十二時二十分を回っていた。

 

「そうですわね。買い物が終わりましたらついでに昼食もとっておこうかしら」

 

麗奈はショッピングが好きだった。男達の所為で悪くなっていた機嫌が、予定を練る内にすっかり元に戻っていた。

 

足取り軽く、デパートへと入って行く麗奈。……が、ここでも何人かに話しかけられ、どうにも我慢ならなくなった彼女は、買う予定の無かったサングラスを購入して変装した。さすがにこれだけでは心許ないとも思ったが、着けた途端に誰も近づいてこなくなったので一安心し、フロアを移動した。

 

次に麗奈が買い求めたのは、服や下着だった。あのアパートにいつまで留まるかは未定だが、流石に今着ているものをずっと着続けるのは女性として問題があるし、麗奈自身も許せなかった。いくつかある服屋で、自分の気に入った物をそれぞれ六着ずつ選んで会計に向かった。

 

さらに、歯ブラシやコップなどの細々した物も購入し、両手に袋を下げながら、麗奈は昼食を取ろうと、飲食店へと足を運んだ。

 

席に着いたところで、麗奈は小型の液晶端末を取り出した。この端末はダークゾディアックのブレインであるピュリアが開発した物で、端末どうしでの連絡の取り合いや、GPS機能がついており、さらには世界中の悪の組織の情報まで調べる事が出来る。ちなみに、情報の一部として、世界中の悪の組織をランキング付けしている。そのランキングによれば、ダーク・ゾディアックは世界第五百六十三位。理由は、『実力者揃いの組織だが、活動内容がしょぼいから』らしい。

 

「……ダメですわね。他の皆さんからはまだ連絡がありませんわ」

 

昨夜、恭介に食事をご馳走になった後、部屋に戻った麗奈は散り散りになった他の幹部四人に一斉に連絡を入れた。だが、未だに逃亡中なのか、それとも戦闘中だったのか、連絡は返ってこなかった。GPSも何故か機能せず、一日経ち、もしかしたら連絡があったかもしれないと確かめてみたが、結果はこれだ。

 

(まあ、捕まっているとは思いませんけど……。とにかく皆さんと連絡を取って、体勢を整えなければ、活動再開は望めませんわね)

 

シャイニング・ナイツに受けたダメージは決して小さくない。新たな活動拠点の確保、戦闘員の勧誘、そしてなによりも、シャイニング・ナイツへの借りを返す事。やる事は山積みだった。

 

「上等ですわ。やられっぱなしは趣味ではありませんもの。待っていなさい、シャイニング・ナイツ……」

 

 

 

 

午後五時三十分。夕日に照らされながら、恭介は夕食の献立を考えながらのんびりと家路を辿っていた。あるバス停の前に差し掛かった時、ちょうどバスが停車し、前の扉から買い物袋を持った麗奈が降りて来た。

 

「あれ、麗奈さん」

 

「え? あ、き、恭介君……」

 

いきなり話しかけられ、スッと振り向いた麗奈の顔が強張った。朝の件が否が応にも思い出される。一方、恭介は、翔子の励ましで落ち込んだ気分をすっかり払拭していた。

 

「偶然ですね。もしかして、買い物帰りですか?」

 

「え、ええ。お昼前に出たのですけど、気づいたらこんな時間に……」

 

「そうだったんですか。あ、よければ一緒に帰りませんか。荷物持ちますよ」

 

「そんな。悪いですわ」

 

断る麗奈だったが、満面の笑みで手を差し出す恭介に、結局二つある内の一つを持ってもらい、二人は並んで歩き始めた。

 

「「……」」

 

しばし無言の時間が続く。隣の恭介をチラ見した後、麗奈は恐る恐るといった感じで口を開いた。自分は彼に謝らなければならない事があるのだ。

 

「……あ、あの、朝はごめんなさい」

 

「え?」

 

「心配してくださったのに、わたくしったらその必要は無いだなんて失礼な事を……」

 

顔を伏せる麗奈。すると、恭介は慌てたように答えた。

 

「い、いやいや! 俺の方こそ、出歩かない方がいいだなんて偉そうな事を……!」

 

「いえ、わたくしが悪いのです」

 

「いや、俺が悪いんです!」

 

互いに自分が悪いと言って譲らない二人。何度か言い合った後、やがてどちらともなく吹き出した。

 

「ふふ、わたくし達、謝ってばかりですわね」

 

「あはは、そうですね。じゃあ、おあいこって事で」

 

笑い合う両者。その中で、麗奈は朝から刺さっていた針のような物がポロっと落ちたような気がした。さらに、それと入れ替わるように、何か暖かいものが胸を包んだ。

 

(どうしてでしょう。恭介君と話しているだけで、こんなにも穏やかな気持ちになるなんて……)

 

麗奈は、自分に安らぎを与えてくれるこの少年にどこか惹かれ始めていた。そして、自分が彼を騙しているという事に、今度こそ罪悪感を抱いた。

 

(わたくしは……)

 

再び気分を落ち込ませたまま、アパートまで後数分という所まで来た時、突然、二人の前に一人の男が現れた。

 

「み、見つけたよ、麗奈ぁ」

 

男はボサボサの髪に、分厚いメガネ、そこから覗く目の下には濃いくまが出来ていた。頬は妙に痩せこけ、警官が見たら一発で職質されそうな感じの顔をしていた。

 

「どなたですか?」

 

「知り合いじゃないんですか? ……って事は、まさかこいつがストーカー!?」

 

恭介を無視する様に男は麗奈へ話しかける。

 

「マンションの前で待ってても帰ってこなかったから心配して探してたんだよぉ」

 

「嘘……まさか、本当にいたなんて……」

 

「……ところで、麗奈の隣にいるガキはなんなんだ?」

 

麗奈に向けていた不気味な笑みから一変、男は恭介に憎悪の篭った視線を向けた。

 

「麗奈の隣は僕のものだ! お前みたいなガキが麗奈に近づくな!」

 

「ふざけんな、このストーカー野郎! お前こそ、麗奈さんに怪我させやがって!」

 

「怪我? ……ああ! れ、麗奈! そ、その腕の包帯は……。まさか、そのガキにやられたのか!? くそ、許さないぞ!」

 

「はあ!?」

 

「麗奈を傷つけるヤツは、僕が天罰を下してやる!」

 

男が懐から包丁を取り出した。それを見た瞬間、恭介は麗奈の手を取って来た道を全速力で走り始めた。

 

「あ! 待て! 逃げるな卑怯者!」

 

「ほざけストーカー!」

 

「くそ、逃がさんぞ!」

 

男が包丁を振り回しながら恭介達の後を追い始めた。

 

「お、追って来ますわ!」

 

「大丈夫です! ここら辺の道はよく知ってますから! 絶対に撒いてみせます!」

 

恭介のこの言葉はハッタリではなかった。人一人が通れる小さな道から、トラックの通れる大きな道まで、あらゆる道を辿って逃げ続け、十分以上かけてアパートに逃げ込んだ。

 

「はあ……はあ……。何とか逃げられたな」

 

汗だくで息を整える恭介。その後ろで麗奈が躊躇いがちに口を開いた。

 

「あ、あの……手を……」

 

「え? あ、ああ、すみません。ずっと走りっぱなしでしたけど、大丈夫ですか、麗奈さん」

 

「だ、大丈夫ですわ」

 

この程度で息切れするほどやわな体はしていない。だが、麗奈は別の理由で心臓の鼓動を早めていた。

 

(い、嫌ですわ、わたくしったら。手を握られたくらいでドキドキするなんて……)

 

「けど、これで安心……」

 

「見つけたぞ!」

 

「……マジかよ」

 

恭介が首だけ動かして見てみれば、そこには巻いたはずの男の姿があった。

 

「麗奈の匂いを辿れる僕からは逃げられない」

 

「は? 匂い?」

 

聞き返す恭介に、男は自分の鼻を差しながら自慢げに語り出した。

 

「僕の鼻は特別なんだ。……ああ、こうしている今も感じるよ。香しい髪の匂いも、額にうっすら滲んだフローラルな汗の匂いも、芳醇な腋の匂いも、ストッキングに包まれた甘酸っぱい脚の匂いも、全部全部!」

 

「おまわりさーん! ここです! ここに特級の変態がいまーーーーすっ!」

 

口の端からよだれを垂らし、恍惚とした表情を浮かべる男に対し、恭介は全力で声を張り上げた。

 

「う、嘘……! わたくしそんなに臭うんですの!?」

 

一方、麗奈は愕然とした顔で恭介から距離を取った。確かに一日中外出していたが、そんない酷い臭いを周囲に撒き散らしていたのかと泣きそうになった。その表情から何かを察したのか恭介が慌ててフォローする。

 

「だ、大丈夫ですよ麗奈さん! さっき一緒に歩いてる時だって全然そんな事なかったですし!」

 

「本当……ですか?」

 

「本当です! むしろ凄くいい匂いでした!」

 

「え?」

 

「……あっ」

 

今、自分は何とほざいた? キョトンとした麗奈を見てそれに気付いた恭介がテンパった様に言い訳を始める。

 

「ち、違うんです麗奈さん! 俺が言いたいのはアイツの変態発言みたいな事じゃなくて! あの、あれです! 女の人って甘いというか、いい匂いがするじゃないですか! なんか女性ホルモンが影響してるらしいですよ! だから、麗奈さんからいい匂いがするって言うのは当然と言うか……うん、とにかくホルモン万歳って話ですよぉ!」

 

随分前に見たテレビ番組。すっかり忘れていたはずの内容を奇跡的に思い出した恭介はそれを交えながらマシンガンの様に言葉を並べた。

 

「……え、ええ! そうですわ! ホルモンの所為なのですわ!」

 

麗奈の方もテンパっていました。口を揃えてホルモンを連呼する二人に男が吼える。

 

「おのれぇ! 僕の前でイチャイチャしやがって! 麗奈のラブコメ相手は僕なんだぞ!」

 

「うっせえド変態! そもそもテメエの発言の所為だろうが! 匂いを辿るとか犬かテメエは!」」

 

「犬? ……ふふ、そうだな。僕は犬さ」

 

恭介のそのツッコミに、怒り心頭だった男の顔に喜悦が生まれた。

 

「は? 何言って……」

 

「ッ! 恭介君、下がって!」

 

麗奈が叫んだ直後、恭介の目の前で男の姿が変わり始めた。目が爛々と輝き、鼻が反り返るように伸びる。口は大きく裂け、そこからは鋭い歯が覗く。耳は顔の横から頭の上に移動し、ヒョロヒョロだった体は筋骨隆々の逞しいものへ変わり、全身を瞬く間に茶色い毛が被った。その姿は、正に二足歩行で立つ『犬』そのものだった。

 

「な、何だコイツ……!?」

 

(この男、“能力”持ちでしたのね。姿形を変えるほどのレベルであるならば、本来であれば申告した時点で“制限”がかけられるはず。ならば正義の味方……と言いたい所ですが、どう考えてもこの男が正義の味方とは思えませんわね。でしたら答えは一つですわ)

 

戦慄する恭介とは対照的に、麗奈は冷静に分析を始めた。そして、結論が出た所で男を睨みながらそれを口にした。

 

「あなた……悪の組織の人間ですわね?」

 

「そうさ! 僕は『シャドウ・グランドル』の怪人! その名もスニーキング・ドッグさ!」

 

(シャドウ・グランドル? 聞いた事ありませんわね。最近立ちあげたばかりの弱小組織かしら?)

 

「怪人の変身シーンなんて初めて見たぞ……」

 

「どうだ! 恐ろしいだろう! さあ、ガキ! 痛い目に遭いたくなければ、麗奈を渡せ!」

 

スニーキング・ドッグが勝ち誇ったように笑う。だが、恭介の答えは……否だった。

 

「な、何でだよ! お前、僕が怖くないのか!」

 

 麗奈を守る様に前に出た恭介を見て、スニーキング・ドッグが僅かにたじろいだ。

 

「……怖えよ。怖えに決まってんだろ。俺は正義の味方でも何でも無い。ただの高校生なんだからな」

 

「だったら……!」

 

「だけど!」

 

「ッ!?」

 

「だけど! それが麗奈さんをお前に渡す理由にはならない! ましてや、女性の体に……モデルとして俺なんかじゃ想像も出来ないくらい努力してきただろう麗奈さんの体に傷をつけたクズ野郎なんかになぁ!」

 

恐怖で潰れそうな恭介を支えるのは、自分の欲望の為に麗奈を傷付けた男への怒りと、正式ではないとはいえ、博愛荘に住む事になった人を守るという、管理人としての意地だった。

 

『ワシはな、恭介。この博愛荘に住む者は皆家族だと思っておる。そして、管理人であるワシは、そんな家族を守る親でありたい』

 

「……だよな、祖父ちゃん!」

 

 生前、アパートを見上げながら誓う様にそう言った祖父を思い出しながら、恭介は気合いを入れる為に自分の頬を叩いた。

 

「くそ! 生意気なガキめ!」

 

「はっ! 来いや変態犬っころ!」

 

気合十分、恭介はスニーキング・ドッグに殴りかかった。だが、いくら気合いが入っていようと、相手は怪人。一般人である恭介が敵う相手では無い。

 

「え、消え……」

 

「恭介君! 後ろ!」

 

麗奈の悲鳴にも似た叫びを聞いた刹那、恭介は背中に凄まじい衝撃と痛みを受け吹き飛ばされた。

 

「―――ふん、一般人の分際で怪人に勝てるとでも思ったのか」

 

薄れゆく意識の中、恭介が見たのは、麗奈に向かって歩くスニーキング・ドッグの背中だった。

 

「れ、麗奈さん、逃げて……」

 

その言葉を最後に、恭介の意識は闇に沈んだ。

 

 

 

 

「恭介……君……」

 

麗奈は茫然と倒れた恭介を見つめていた。ほんのついさっきまで、自分の隣で笑っていた彼が、力無く地面に横たわっている。

 

どうして? 誰が? 何のために?

 

「邪魔者はいなくなったよ、麗奈」

 

下卑た笑みを浮かべながら、スニーキング・ドッグは麗奈に近づくが、麗奈の目線が恭介からそちらに移る事は無かった。

 

……そうだ。彼は守ろうとしてくれたのだ。何の力も無い一般人にも関わらず、まだ出会って一日しか経っていない、親密でもない自分を守る為に、怪人という恐ろしい存在に立ち向かったのだ。

 

「全く、身の程知らずのガキだよね。麗奈に近づくなんて百年早いっての」

 

嬉しかった。こんな風に純粋に自分を守ろうとしてくれた事が。……そんな彼を、この犬は傷つけた。自分をモノにしようという心底下らない理由で。

 

「さあ、行こう麗奈。そうだ、ついでにあのガキも殺っとこうか。その方が麗奈にとってもいいもんね」

 

「……黙りなさい」

 

殺す? 彼を? そんな事……許さない。許すわけにはいかない!

 

決意と共に、麗奈はスニーキング・ドッグを睨みつける。

 

瞬間、麗奈の足元から螺旋を描くように金色の光が立ち上った。その光が、麗奈の全身を包み込む。その光の中で、麗奈が纏っていた服が消え去り、生まれたままの姿になった彼女の体を新たな衣装が包み込む。

 

「な、何だ!?」

 

狼狽えるスニーキング・ドッグの前で、光が徐々に薄らいでいく。やがて、その中から姿を現したのは、麗奈であって麗奈ではない存在だった。

 

「れ、麗奈……?」

 

「―――麗奈ではありませんわ」

 

その存在は、右手に持ったムチで地面を一叩きし、己の名を告げた。

 

「わたくしは、“ダーク・ゾディアック”幹部……『女帝麗嬢』ファサリナ。躾のなっていない駄犬は、わたくしが調教して差し上げますわ!」

 

今再び、ダーク・ゾディアックが幹部、女帝麗嬢ファサリナが、その姿を現した。

 

その姿を見たスニーキング・ドッグが鼻息荒く喜びの声をあげた。

 

「凄い凄い! まさか麗奈も悪の組織の人間だったなんて! やっぱり僕達はお似合いだね!」

 

「冗談はその醜い顔だけになさい。小物のあなたとわたくしを一緒にしないでくださるかしら」

 

興奮するスニーキング・ドッグに、ファサリナは冷笑を向けた。それに気づいた様子もなく、スニーキング・ドッグの言葉は続く。

 

「僕と麗奈が結ばれるのは運命なんだ! さあ、一緒に行こう!」

 

「わたくしをモノにしたいのなら力ずくでいらっしゃい。言葉だけで行動しない殿方は好みではありませんわ」

 

「わかったよ! じゃあ、僕の力を見せてあげる!」

 

スニーキング・ドッグが地面を蹴り、ファサリナに突進する。だが、恭介に消えたと錯覚させるほどの超スピードも、ファサリナの目には止まっているようにしか見えなかった。

 

「……それで本気なのかしら?」

 

「なっ……!?」

 

スニーキング・ドッグ渾身の突進を、ファサリナは右手だけで容易に受け止めた。驚愕したスニーキング・ドッグが必死に力を込めるが、ファサリナは鉄壁の要塞のごとく動かない。

 

「次はわたくしの番ですわね」

 

「え? ぎゃぼっ!?」

 

ファサリナの左足が、スニーキング・ドッグのアゴを蹴り上げた。麗奈の倍近くあるはずのスニーキング・ドッグの体が紙の様に宙を舞った。

 

「逃がしませんわ」

 

ファサリナのムチがスニーキング・ドッグの体に絡みつく。ムチが大きくしなり、スニーキング・ドッグは脳天から地面に叩きつけられた。

 

脳震盪でまともに動けないスニーキング・ドッグの腹に、ファサリナのヒールの踵が容赦無く突き刺さる。その手の人間には最高のご褒美だが、生憎スニーキング・ドッグはノーマルだった。

 

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

「あら、踏まれるのはお嫌いかしら。大丈夫よ。その内快感になっていきますわ」

 

もがくスニーキング・ドッグに、ファサリナはSっ気たっぷりの笑みを浮かべた。その後、十分以上かけての調教が続けられ、スニーキング・ドッグが新しい世界の扉を開きかけたところで、ファサリナはスレイブ・アイで最後の仕上げにかかった。

 

「同じ悪の組織の人間として、あなたを警察に突き出すのは勘弁して差し上げますわ。ですが、金輪際、わたくしや恭介君、そしてこのアパートに近づくのは許しません。もし破れば、その時はあなたの組織ごと潰して差し上げますわ。……あと、女性の匂いを嗅ぐ事も禁止……というか、女性そのものに接近する事を禁じます」

 

「……はい。わかりました」

 

「なら、すぐにここから去りなさい」

 

スニーキング・ドッグは元の男の姿に戻り、フラフラした足取りで消えていった。それを見送ったファサリナも、麗奈に戻り、気絶した恭介を彼の部屋に運んだ。

 

 

 

 

時刻は午後六時四十分を回っていた。恭介はまだ目覚めない。派手にふっ飛ばされはしたが、スニーキング・ドッグから受けた背中の傷は、大したものではなかった。ホッとした麗奈は、眠っている恭介の頬を撫でた。

 

「もう、無茶し過ぎですわ」

 

「麗奈さん……逃げて……」

 

その寝言に麗奈は微笑む。どうやら、夢の中でも自分を守ろうとしているらしい。

 

「……買い物、無駄になってしまいましたわね」

 

このアパートで過ごすために買い揃えたが、恭介とはストーカーから隠れるためにここを使わせてもらうと約束した以上、予想外とはいえ解決してしまったのだから、もうここにいるわけにはいかない。

 

「麗奈さん……行っちゃ駄目だ……」

 

「ありがとう、恭介君。たった一日だけでしたけど、楽しかったですわ」

 

麗奈は恭介に顔を近づけた。自分を助けてくれたこの優しい少年の顔。近く、もっと近く。決して忘れる事の無い様に。

 

熱に浮かされた様な表情を見せる麗奈。やがて、麗奈の瑞々しい唇が恭介の唇に触れそうになったその時……。

 

「……はっ! わ、わたくし、今何を……!?」

 

寸での所で正気に戻った麗奈は慌てて恭介から離れた。

 

(ね、眠っている殿方に、な、なんてはしたない事を……! ダメですわ! これ以上ここにいたら取り返しのつかない事になってしまうかもしれませんわ!)

 

頭を振り、麗奈は机の上に書き置きを残し、部屋を出ようと入口へ立つ。扉を開けるようとして、最後にもう一度だけ眠っている恭介に目を遣る。

 

 ―――本当にこのまま別れてよろしいの?

 

 そんな言葉が頭を過る。

 

―――ここで別れたら、きっと後悔しますわよ?

 

仕方無い。彼とは住む世界が違うのだから。

 

―――そんな事誰が決めましたの? 悪の組織の人間ならば、自分の欲望に正直になったらいいではありませんか。

 

だからといって、彼に迷惑をかけるわけにはいかない。

 

―――彼が、あなたにとっての“カール王子”になるかもしれないのに?

 

「ッ・・・!」

 

 ―――嘘つきだったファサリナ姫を信じ続け、ついには嘘を本当にしてしまった王子様。王子がいたからファサリナ姫はハッピーエンドを迎える事が出来ましたわ。

 

 それは絵本の世界の話だ。現実において、偽りに偽りを重ねる様な女を信じてくれる様な王子様なんているわけが……。

 

―――でも、彼は信じてくれましたわ。そして、彼と一緒にいた所に、嘘だったはずのストーカーが現れた。カール王子の様に、嘘を本当にしてくれた。

 

恭介君が……。

 

―――悪の組織だとか、住む世界が違うとか、そういうのは関係ありませんわ。大事なのは、あなたがどうしたいのか……それだけではなくて?

 

「……わたくしは」

 

 

 

 

八時三十五分過ぎ、目を覚ました恭介は、テーブルに置かれた書き置きを読んだ。

 

『恭介君へ。本当はちゃんと口で言った方がいいのですが、いつまでもお邪魔するわけにもいかないので、書き置きにさせていただきました。恭介君があの怪人にやられてしまった後、偶然近くにいた正義の味方が助けに来てくれましたの。怪人は捕まりましたわ。これで、わたくしも安心して家に帰れます。一日だけでしたけど、お世話になりました。また会える日を楽しみにしています。……最後に、わたくしを守ろうとしてくれたあなたはとてもカッコよかったですわ』

 

向こうはスーパーモデル。こっちはただの高校生。再会出来る確率は限りなく低いだろう。それでも、願うくらいなら自由なはずだ。

 

「麗奈さん……。はい、またいつか、会えるといいですね」

 

窓から見える月を見上げ、恭介は呟く様にそう言ったのだった。

 

 

 

 

三日後、宿題と格闘中の恭介の元に一本の電話が入った。相手は祖父が管理人だった頃から懇意にしていた不動産店の社長だった。

 

曰く、博愛荘に入居を希望する人がやって来た。明日そちらに挨拶に行くそうなので御迎えを頼む。とんでもないベッピンだから楽しみにしておけ……との事だった。

 

「ファッ!?」

 

 自分が管理人となって初めての入居希望者。喜びよりも驚きが勝った恭介が取った行動は、アパートの清掃だった。

 

 しかし翌日、恭介はさらに驚く事になった。何故なら、博愛荘への入居を希望するとんでもないベッピンというのが……。

 

「れ、麗奈さん!?」

 

神宮寺麗奈その人であったからだ。彼女は見る者を虜にする美しい微笑みと共に口を開いた。

 

「お久しぶりですわ管理人さん。わたくし、このアパートでお世話になりたいのですが……受け入れてくださいますか?」

 

 

 

 

こうして、恭介が管理人となって、初めての入居者が出来た。名前は神宮寺麗奈。またの名を、女帝麗嬢ファサリナ。ダーク・ゾディアック、女幹部の一人であった

 


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