Beast's & Nightmare 大森海の転生者 作:ペットボトム
「こ、これは・・・・・・魔法中枢が幾つもある!?」
ソーマがクレトヴァスティアの体内で働いている魔法を解析していて、最初に驚いたのはそこだった。
クレトヴァスティアの体には、人間で言う所の
「そうか。昆虫ははしご型神経の生物だから、それぞれの神経節が、体節で行使している魔法を演算しているのか?」
節足動物の神経系は、脊椎動物とは異なる走り方をしている。体の区分ごとに“体節”というブロック構造を形成していて、体節ごとに神経中枢が配されている。
つまり、頭部、胸部、腹部を担当している独立した脳があるような物だ。
そして、クレトヴァスティアの魔法を演算している中枢も、その体節の神経節ごとに配されていると考えられる。
「俺達
体節ごとの魔法の働き方を見比べていくことで、差分による機能の特定にも有利に働くだろう。
そうやってしばらく調べていると、解ってきたことがある。
「うーん、基本的に使っているのは、強化魔法と風魔法なんだな。それぞれの体節ごとに強化魔法をかけているのは解るんだが、風は六本の肢ではどう使っているんだ?」
外側から肢に風を吹き当てて動作するとも思えないので、気になったソーマは前肢を担当している魔法中枢を刺激してみることにした。
その結果解った事は、意外な事実だった。
「これって風魔法を
クレトヴァスティアの肢において、通常の動物のような筋肉は退化傾向にあるようだ。そのほとんどが関節膜などの結合組織に癒合してしまっていて、運動器としては働いていない。
かわりに外骨格の内側には空洞があり、どうやらそこは空気圧を使った動力装置として働いているらしい。
関節ごとに、空気を塞ぐ膜を構成する
「これおもしろいな。幻獣騎士にも応用が出来そうな素晴らしい魔法だ」
なにより、“空気”というこの世界のどこにでも存在する物質が、アクチュエーターの働きをしてくれる訳なので、資源の限られた小鬼族にとって嬉しい機能だ。
生命が生み出した大変な発明に、ソーマは心を御躍らせる。
「ビバ、
後翅も同様に空気圧で動いていることが解ったが、これは翅を直接動かすのではなく、翅の繋がった板状組織を上下に動かす事で、羽ばたき運動をする構造になっているようだ。
鞘羽は魔法的振る舞いが少なく、ここは装甲とバランサー、揚力を生み出す主翼としての役割を持っているのではないかと考えられる。
「でもこれだけで、この巨体を空中に浮かび上がらせる事が可能とは思えないんだが。他に何か・・・・・・?」
筋肉を廃する事で、大幅な軽量化を可能としたことは解るのだが、それでも外骨格は相当に重い。
このサイズの生物が、入り組んだ森の中で
そこで彼は他の神経節も調べてみることにした。運動器官以外の部分で働いている魔法をだ。
「なんだこりゃ?」
ソーマの顔が今までに無いほどの怪訝な色に染まる。
比較的高濃度のエーテルを腹側に集めていることが解ったのだが、これの働きがさっぱり解らないのだ。
ちなみにこれは心臓部ではない。昆虫の心臓に当たる背脈管は背中側にあり、それはクレトヴァスティアでも同じだった。
魔法現象に変換されていないエーテルをひたすらに集めることに何の意味があるのか解らないソーマは、意を決して、カマドウマを操縦してクレトヴァスティアの体をひっくり返すと、腹側の甲殻を切り開いてみることにした。
外骨格の内側に循環していた体液が勢いよく噴きだし、
「この皮下組織は!?」
体液によって湿潤した薄い膜のような組織が、光り輝きながら脈動していた。こんなものは前世でも後世でも見たことが無い。
操縦席を降りてよく観察してみると、葉脈のような細かい網目状組織に、虹色の謎の光を宿した粘液状の組織液がまとわり付いているようだ。
この皮下組織には所々に細かい結晶質が散らばっていて、ソーマはその構造に既視感を覚えた。
「この魔法の使い方・・・・・・
何の因果であろうか?己の作ったアイテムと働きが似ている気がしたのだ。
もちろん、この組織は小鬼族が作る事のできる繊維製品とは一線を画するほどの複雑さと繊細さを備えている。これと同じ構造のものを自分達は造れないだろう。
だが、“魔法を纏う”用途として両者は共通している存在のように感じた。
「一体、何の魔法を纏っているんだ?」
何度解析してみても、その組織の持っている機能を術式からは類推できなかった。既存の魔法学では「ただそこにエーテルを集めている」としか形容の仕様の無い現象だったのだ。
ただ、これはほぼ直感であるが「この組織は本来もっと大きな魔力を注ぐことで機能するものなのではないか?」という考えが浮かんだソーマは、
「“鳴かぬなら、鳴かせてみよう。ホトトギス” 足りないなら、足したげるよ。クレトヴァスティア」
ソーマは操縦席から神経線維のケーブルを引っ張ってくると、そこから自分自身を
本来よりも強力な魔力を流し込まれた皮下組織は、遂にその機能を、彼の前に曝け出した。
それから起こった現象は、あまりに幻想的なものだった。
皮下組織を覆っていた体液が膨張し、虹色の光を増して宙に浮かび上がり始めた。粘液が球のような形状となって網目状の組織から剥がれて空を舞う様は、幻獣騎士と出会って以来のとてつもない衝撃をソーマに与えた。
「この液体・・・・・・重力に逆らってる!?」
万有引力。地球においては自然哲学者アイザック・ニュートンが提唱した理論だが、これと同じ考え方はこの世界でも認識されている。
世界を隔てても物理法則が同じなら、それについての理論は収斂していくという事なのだろうが、一見すると、この基本的物理現象を裏切っているような振る舞いを見せる物質は、ソーマの前世でも幾つか存在した。
水素然り、ヘリウム然り。空気に比べて軽いため、大気中で浮かび上がる性質を持った物質。
だが、それらはほぼ例外なく常温では気体であり、液体として振舞うのは低温下のみだ。
“常温で空に浮かび上がる性質を持った液体”などと言うものは地球上では観測されていない。
であるのなら、これはこの世界特有の現象である「魔法」が生み出すものであろう。
「これが高濃度エーテルの使い道なのか・・・・・・?」
呆けたような表情で幻想的な光景を眺めていたソーマだったが、液体の表面から虹色の光を纏ったガスが少しずつ剥離していき、粘液はまるで思い出したかのように重力に引かれて落ちていく。
これを見たソーマはこの光こそがあの高濃度エーテルであり、エーテルを失って基底化した液体が、空に浮かび上がる力を失ったのだと、直感した。
「この液体の振る舞いを再現できれば・・・・・・君のように空を飛べるって言うことなのか?」
そうこうしている内に、徐々に組織から光が失われて、魔力の著しい減少が起こっていった。
元々弱っていた所に、組織を大きく傷つけられた事で、クレトヴァスティアがその生涯を閉じようとしていたのだ。所々の外骨格が、強化魔法の途絶から脆化し始めている。
「限界か・・・・・・ありがとう、クレトヴァスティア君。君のお陰で、未知の魔法現象を知ることが出来た。もっと色々教えて欲しかったけど、もうお別れのようだね。君の命は“美味しくいただきます”」
ソーマは深い感謝の念を込めて、黙祷を捧げると、その躯を更に切り開いていく。完全に腐り切る前に、その体について調べられることは、全て詳らかにするつもりなのだ。
作業はほぼ一日をかけて行われ、幾つかの組織サンプルを採取した後、その躯は素材として村の倉庫に収納されたのだった。
クレトヴァスティアの解体からさほど間を置かず、ソーマは村長宅の一室を借り受けて、そこで錬金術と魔法の研究に没頭し始めた。
あの魔獣の解析の結果得られた情報を、技術として利用可能なものとするために。
「空気圧の方は、地球でもマッキベン式の人工筋肉とかで実用化されていたから理解が容易いけど、あの浮遊する体液の組成なんて見当も付かないぞ」
彼が何より頭を悩ませていたのは、そこだろう。動物の体液組成の特定などと言う研究作業は、上街のようにもっと設備の整った環境でやるものだ。
この八番村のような、学術や研究などとは縁も所縁もない土地でやるようなことではないのだ。本来なら。
「でも、サンプルの体液が腐敗して変成なんてしちゃったら、成分の特定なんて難しくなる・・・・・・なんとか、この村の中でその一端だけでも掴みたいけど・・・・・・」
動物の体液などというものは、様々な有機物を含有しているものと相場が決まっている。適切な保存設備も無い所ではすぐ腐ってしまう。故にソーマは焦っていた。
「落ち着け。こういう時は、性質の似た物質とかから特定するもんだ・・・・・・あぁ、ダメだ!地球上の物質では思い当たらん!水素やヘリウムは液体に溶けたからって、その溶媒を浮かび上がらせるような力は無いんだから!」
頭を掻いて必死に考えるソーマは、地球上の物質を基準にして考える事を諦めて、この世界に生れ落ちてから知り得た物質の特性と、解析した魔力の振る舞いについて思いを馳せることにした。
「高濃度のエーテルを溶け込ませることができて・・・・・・生物体が作り出すことの出来る液体・・・・・・ん?」
あった。思い当たる物質があったのだ。
「・・・・・・
かつてオベロンに教わった。血液晶は、
元々魔力転換炉は、魔獣達の魔力を生み出す工程を、人工的に再現する研究の過程で生み出されたもの。
原初のそれは動物の血液を、心臓を模倣した魔導具で循環させるというものであったが、血液成分の魔法的振る舞いを模倣できる、人工的液体が錬金術によって生み出された。
それこそが“血液晶”。この液体があの組織液の代替物質になり得るとすれば・・・・・・
「あれなら作り方は教わってる。成分比較をしてみよう」
その結果解った事は、やはりあの粘液は血液晶と非常に近い組成を持っていたという事実だった。
魔力転換炉で使われる血液晶よりもエーテルと反応する血漿成分濃度が濃く、それがあの粘性の理由だったらしい。
「最大の疑問はこれで解消した。あとはあの現象を再現できるかどうかだ!」
彼は再び、猛然と動き出した。己の知的好奇心を満たすために。
「遂に出来たわね。ミコーちゃんの服!」
ソリフガエ家の婦人・カミラは、息子の女友達のために自らが製作に関わった服を、誇らしげに見上げる。
「さぁ、ミコーさん、着てみてくれ」
「はい!」
その夫・ウブイルが、愛機オプリオネスの爪を使って丁寧に持ち上げた巨大な服を、ミコーは笑顔で受け取り、小屋に入って着替え始める。
「しかし、随分と簡素な構造の服だな。気合が入っていたから、もっと凝った服を作ると思ったが」
シンプルなデザインであった故に、そう形容したウブイルに、「何も解ってない」と首を横に振るカミラ。
「縫製にはかなり気を使って造ってもらったのよ。これの他にも着替え用に何着か用意しなくちゃいけないし、下着も併せて造ってあるし、そっちとの兼ね合いもあるのよ」
それにあんまり複雑な構造だと、ミコーちゃんが着方が解らなくなって困るでしょ?と言われて、ウブイルも納得した。
着付けが必要なほど構造が複雑な服など製造しても、この村では巨人族は一人しか居ないのだ。
手伝ってやれるのは幻獣騎士ぐらいしかおらず、騎操士二人は共に男だ。女の子の着替えを手伝うのは色々問題がありすぎる。
(*ちなみにアドゥーストス氏族に下着文化は無かったので、これまた説明に苦労する破目になった)
「そう言えば、服を造る依頼を出したはずのソーマは一体、何をやってるんだ?」
発起人の一人であるはずの息子の姿が、この場に見えない。出来上がった製品を確認しなくて良いのか?
「職人の皆さんを集めて、また何か造ってたわよ。なんでも、どうしても造りたいものができたんですって。
機織職人達まで、手が空いたものをスカウトして行ったので、カミラも何事かと思ったものだ。
「あいつ、村人をどれだけ酷使するつもりだ?」
「新鮮な肉料理を交換条件にしたら、皆さん喜んでやってくれてるみたいよ」
「まぁ、ただ働きではないのなら、いいのか・・・・・・いいのか?」
干し肉は、保存性を突き詰めた食品であるため、あまり美味しくない。ソーマが手ずから狩ってきた新鮮な魔獣肉に、舌鼓を打つ機会を誰も逃したくないのだろう。
「あいつの“魔獣ハンバーグ”だったか?確かに美味かったしな。騎操士の仕事じゃないが・・・・・・」
「あの子にあんな才能があったなんてね。いいお嫁さんになりそうね」
「・・・・・・それ、間違っても本人に言うんじゃないぞ?」
二人が息子についてそんな会話を交わしている間に、ミコーが扉を開けて出てきた。
「着替えてきました!」
ワンピースを着込んだ巨大な美少女が、笑顔で立っていた。白い生地と褐色の肌の対比が美しい。
「こんな綺麗で着心地のいい服、初めてです。カミラさん、ウブイルさん、どうもありがとう!」
「礼なら、ソーマに言ってやってほしい」「あの子のお金で出来たものですしね」
「はい!ソーマに見せに行ってきます!」
そう言ってミコーは、ソーマが作業を監督していると言う工場に歩いていった。
それを見送ったウブイルは操縦席で思わず、呟いたのだった。
「まさか、巨人族に“可憐”という感想を抱く日が来るとは思わなかったな」
「ソーマ、服が出来たよ!」
工場の中で彼はカマドウマに取り付いて、職人達と何かの作業を行っていた。
「ああ、ミコーちゃん。ワンピースできたんだね。似合ってるよ。可愛いと思う」
彼女は“一番見て欲しかった人”にこの姿を見せることが出来て嬉しそうだった。少々、彼の反応が淡白な気もするが。
「こっちもちょうど出来た所なんだよ。これが成功したら、人類の歴史に大きな飛躍を齎すはずだ。君もよかったら、見て行ってよ」
彼は愛機の操縦席に潜り込んで、作業を始めた。
見ればカマドウマの背中になにやら変わった装置が取り付けられていた。
魔獣の甲殻と、ホワイトミストーで組み立てられた、箱のような装置だった。
上蓋を外されていて、中には触媒結晶が散りばめられた魔絹が敷き詰められている。
「
彼の指示に従って、職人達が装置の内部にジェル状の液体を注入する。
クレトヴァスティアの体液組成を模倣して、この村で手に入る素材で造った人工的液体だ。
職人達が注ぎ込むのを確認すると、装置の上蓋を閉じて、彼らを退避させ、ソーマは魔力を流し込んだ。
「うまくいったら、
装置の側面に取り付けられた吸排気口から、大気中のエーテルが取り込まれ、装置の内部に刻まれた紋章術式に従って、粘液晶の成分と反応していく。
液晶の成分と強く結びついたエーテル同士がある種の“力場”を形成したとき、それは起こったのだ。
「そ、ソーマ!か、カマドウマが・・・・・・カマドウマが浮いてる!」
ミコーと職人達の顔が驚愕に染まっていく。
背中の装置に吊り上げられる形で、カマドウマの巨体は宙に浮かび上がり始めたのだ。
羽による羽ばたきも、風の力も味方に付けずに。
鳥や虫、それらに連なる魔獣達。彼らと全く違う形で行われる空中浮遊。
ソーマ以外の全員が、そのような現象を見た事が無かった。
故にその表情には畏怖と言う感情が混ざる。自分達には理解できない現象に対する畏敬の念だ。
「よし、
機体に強い揺れが発生し、ソーマは首をかしげた。
それと共に、何かが軋むような大きな音が聞こえてきて、後ろを振り返ってみると・・・・・・
「ゲッ!?」
背中に取り付けた浮遊粘膜の筐体が、カマドウマの重量に耐えられず、固定が外れかけていたのだ。
気付いた時はすでに遅く、筐体はバラバラに空中分解を起こし、内容物を盛大に散布して、カマドウマを重力下に放り投げた。
「ワァァァ!?」
さほどの高度を稼いでいなかったのと、うまく受身を取れたことが幸いして、機体と操縦席の衝撃緩和機能を飽和するほどの負荷は発生せず、機体も搭乗員も無事だったのだが、
「キャァァァ!?」
盛大に散布された粘液晶を、頭から引被る形になったミコーの服は、デロデロになることは避けられなかった。
その後ソーマは、彼の両親達に「新調したばかりの女の子の服を“粘液”で染め上げた」事に対して、たっぷりとお叱りを受ける破目になった。
*改めて調べたら、どうやら昆虫の神経節の構造について少々思い違いをしていたようでして、若干の修正を加えました