臼井君が晴香部長に恋心を抱く話   作:shin1

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アニメ1期9・10話、
オーディション結果発表からです。


臼井君が晴香部長に恋心を抱く話4

梅雨明けを間近に控え、日光が激しく降り注ぐ7月初め。その日差しは、盛夏のそれに劣らない程の強さで地面を照り付けていた。

 

 

 

 

 

副顧問の松本美知恵が、部員の集合する音楽室のドアを開ける。数日前に行われた、コンクール出場メンバーを決めるオーディションの結果発表が行われる。教室内は、呼吸をするのも憚られるほどの緊張感で満ち溢れていた。

「それでは、合格者を読み上げる。呼ばれた者は返事をするように」

「「はい」」

「まずパーカッション」

・・・

・・・

 

 

「続いてクラリネット」

緊張が最高潮に達し、全身が硬直する。

「鳥塚ヒロネ」

「はい!」

「大口弓菜」

「はい!」

「加瀬まいな」

「は、はい!」

「鈴鹿咲子」

「はい!」

「田中須加実」

「はい!」

「萩原笙子」

「はい!」

「越川純子」

「はい!」

まずい!もしかしたらバスクラは1本だけかもしれない!

「臼井ひとし」

そう思うとほぼ同時に自分の名前が呼ばれた事実を臼井の耳が正確に捉えた。

「…はい!」

「島りえ」

するすると体中を支配していた緊張感が抜けていく。

「はい!」

この感情は、喜びではなく安堵に近いものであろうと推測された。

「植田日和子」

感覚が元に戻って行く。背中が汗で濡れている事に初めて気付く。

「はい!」

良かった。最後のコンクールに出られるんだ。

「松崎洋子」

純子と二人で、バスクラでコンクールに出られる。

「はい!」

しかも今年は去年のように、ただ決まったルーティーンとして出る訳じゃない。

「高久ちえり」

一生懸命練習して、関西大会を目指すんだ!

「はい!」

もしうまく行けば、全国大会も見えてくるかもしれない!

「クラリネットは以上の12名」

横でハッとすすり泣く声が聞こえた。1年生の高野久恵だった。クラリネットは彼女だけが落選した。彼女は高校から吹奏楽を始めたので厳しいだろうと、先日の「クラパ2・3年生会議」でも言われていて、その時のフォローアップについても話し合われていた。それでも、とても熱心に、そしてひたむきに練習に取り組む彼女の姿を見ているだけに、心に細かな棘が刺さる。指はまだ回らない事も多いが、始めて数か月とは思えないほど彼女の音色は豊かだ。この子は間違いなく上手くなる。何とかモチベーションを維持させてあげなければならない。臼井は心の中で思いを巡らせていた。

 

「ソロパートは高坂麗奈に担当してもらう」

 

 美知恵の発表に教室内がどよめく。自由曲である「三日月の舞」にトランペットのソロパートがある。ソロパートもオーディションで決める事になっていたのだが、その担当に1年生の高坂麗奈に決まったと発表された。

 

 

 

 

 

 

 

トランペットには3年生が2人在籍している。そのうちの1人、パートリーダー中世古香織は、高校生としては十分な技量を持ち、それでいて練習熱心で、去年の大量退部騒動の時にも部の存続の為に奔走した事もあり、部内でも非常に人望が厚い。その香織を差し置いて1年生がソロを吹く事になった。3年生の香織にとって、当然今年が高校最後のコンクールである。部内は騒然となった。特に、同じパートの2年生である吉川優子は自分の事のように落胆していた。優子は、自他共に「信者」と称する程熱狂的に香りを慕っていた。

(変な事が起こらないといいけど・・・。)

 臼井の脳裏に一抹の不安がよぎる。

 

 

 

 

 

 

 学校が夏休みに入った。その初日、練習の準備を終え滝が練習の開始を指示した直後、優子が滝を呼び止めた。

「先生!一つ質問があるんですけど、いいですか・・・?」

「なんでしょう?」

「滝先生は、高坂麗奈さんと以前から知り合いだったって本当ですか?」

 教室内の時間が一瞬止まったように感じた。優子は滝に詰め寄りながら、オーディションに贔屓があったという噂が立ってる事への回答を求めた。滝は、麗奈と知り合いであった事を認めた。教室中に騒めきの渦が出来る。滝は、至極冷静に贔屓や特別な計らいをした事をはっきり否定した。それでも優子は食い下がる。

「何故黙ってたんですか」

「言う必要を感じませんでした。それによって指導が変わる事はありません」

「だったら・・・」

「だったら何だっていうの。先生を侮辱するのはやめて下さい」

 突然、教室の隅から麗奈の怒気を孕んだ静かな言葉が割り込んだ。空気が次第に凍っていく様を、臼井ははっきりと観測した。

「なぜ私が選ばれたか、そんなの分かってるでしょ。香織先輩より、私の方が上手いからです!」

 堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた気がした。

「アンタね!自惚れるのもいい加減にしなさいよ!!」

 叫びながら優子が麗奈に詰め寄る。香織は必死に優子を引き留めるが聞く耳を持たない。

「香織先輩がアンタにどれだけ気ぃ遣ってたと思ってんのよ!!それを!!」

「やめなよ!」

 横に居たユーフォニウムの中川夏紀が止めに入る

「うるさい!!」

「やめて!!!」

 正に悲痛と呼ぶに相応しい叫び声と共に、教室内に静寂が広がる。叫び声を上げた香織は、顔を上げることができない。

「やめて・・・」

 その声は震えていた。こらえていたものが弾けたように彼女の瞳から涙があふれた。それは頬を伝い、彼女の滑らかな肌をゆっくりと滑り落ちていく。

「ケチつけるなら、アタシより上手くなってからにしてください」

 吐き棄てるようにそう言って、麗奈は音楽室をあとにした。

「麗奈!」

ユーフォニウム1年の黄前久美子が慌てて後を追う。教室内は夥しいほどの沈黙。臼井は、体が硬直して身動きが取れない。

「準備の手を止めないでください。練習を始めましょう」

 沈黙を打ち破るように滝が指示を出す。その表情は、どこか悲しげにも見えた。

「「はい・・・」」

 疎らな返事がこだまする。部員たちは、我に返りおずおずと準備を再開した。香織と優子を除いて。

 臼井は、純子が音楽室を出ようとしているのを目撃した。

「どこ行くの?」

「教室に忘れ物したから取り行くだけ」

 明らかに苛立った口調でそう告げ、純子も音楽室をあとにした。

 教室内では未だ香織と優子はその場から動けないでいる。小笠原が2人の元へ行こうと足を踏み出した。直後、トランペット3年の笠野沙菜が小笠原の肩に優しく手を置いた。

「晴香ごめん、あの2人のフォロー、私にやらせて。晴香は、他の部員たちをフォローしてあげて。今回の事は、パート内で何とかしてみるから。その代わり、今日部活が終わったら香織の事、お願いね」

 小笠原は、沙菜の顔を数秒見つめたあと、黙って頷いた。沙菜は、優子と香織の元へ赴き、何か言葉を掛けた。沙菜が香織の肩を優しくさする。そのまま3人は隣の教室へ消えていった。小笠原の、困惑と悲壮を綯い交ぜにしたような表情を、臼井はただ横で眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 忘れ物をした教室に向かう純子。一歩一歩足を踏み出す度に、歩幅と同じ量のイライラが胸中に加算されていくのがはっきり分かる。確かに優子ちゃんのアレは良くなかった。だからって香織にあんなセリフ投げ付ける必要がどこにあったの?香織が高坂さんに何をしたっていうの?大体、前々から思ってたけどあの子の音、技量はあるかもしんないけど全然

「んあああああああ!!!」

 突然廊下の曲がり角の先から叫び声が聞こえた。

「ウザい!ウザい!鬱陶しい!何なのあれ!ロクに吹けもしないくせに何言ってんの!そう思わない!?」

 純子は柱の陰に身を隠した。2人の姿は見えない。会話・衣擦れの音・足音だけが純子の耳に届き、曲がり角の先で何が起こっているのかをぼんやりと捉える事が出来る。髪が逆立っていく感触が、こんなにもはっきり感じる。

「ふ、ふふふ」

「・・・何で笑うの・・・?」

「ゴメン。てっきり落ち込んでるとおもうぁ・・」

「・・・久美子、私間違ってると思う?」

「・・・思わない」

「・・・ちょっとさ、アタシの話聞いてくれる?」

「拒否権はあるの?」

「ないけど」

「やっぱり・・・」

「一緒に校庭来て」

 二人がそのまま階段を降りて行く音が聞こえた。胸中に溜まった、褐色でドロドロとした感情が不安定に攪拌され、一定の形状を保つ事ができないでいた。

「聞きたくなかった」

 純子は、廊下の埃が日光に照らされパチパチと反射しているのを数秒目視し、忘れ物を取るという本来の目的を遂行すべく教室へと再び歩を進めた。


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